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selection.16 ある晩の女子会

「坊ちゃま、本日も1日、お疲れ様でございました」

「うむ。ミルも御苦労。俺が寝たら退勤して良いぞ」


 厳選城モット・セレクションに夜が訪れていた。厳選王子ラグラは厳選された超一級品のベッドに横たわり、厳選された超一級品の毛布をかけられ、そして厳選された超々一級品の枕……すなわち、ミルの膝枕に頭を預けている。ミルがラグラの頬をそっと撫でると、彼は心地良さそうに目を閉じた。


「子守唄はお歌いいたしますか?」

「今日は構わん。ぐっすり眠れそうだ」


 ラグラはそう言って、厳選されたテディベアを抱き締め、改めて自らの寝相を正す。


 それから5秒後、ラグジュアリー・セレクションは安らかな顔で寝息を立てはじめた。赤ん坊もびっくりな寝付きの良さであるが、ラグラは実年齢はともかくとして本質的に赤ん坊とよく似た生態を持つのであまり違和感はない。

 ミルの勤務時間は朝8時からラグラの就寝までである。傍若無人で知られる厳選王子も、この唯一の使用人にはそれなりに気を使うと見え、必要以上の夜更かしはしようとしない。おかげで肌はいつもツヤツヤだ。


「おやすみなさい、ラグラ坊ちゃま」


 ミルは小声でそう言うと、ラグラを起こさないように、自らの膝枕とこの城で2番目に良い枕を入れ替える。室内を薄暗く照らすランプの炎を消し、もう一度ラグラに向けて一礼してから、部屋を出た。

 ラグラが寝たので実務は終了だが、タイムカードを切るまでは勤務時間だ。メイドとして恥ずかしくない静かな歩き方で城のエントランスへと向かい、打刻機にギルドカードを挿入して勤務時間を記録する。


「……んんん~っ!」


 ギルドカードを自らの懐にしまって、大きく伸びをした。今日の仕事は、これでおしまい。緊張感を保っていたミルの瞳はとろんと垂れて、ただのミルアルア・リアに戻る。

 さて、そんな時。


「ミルー。ミル、いるー?」


 ふと少女の声が、エントランスホールに響き渡る。ミルアルアが振り返ると、城の新たなる住人であるフィリシス・アジャストメントが、きょろきょろしながら廊下から入ってくるところだった。


「フィリシス様」


 完全にオフの状態に戻った声で、ミルアルアは彼女の名前を呼ぶ。


「あっ、ミル……」

「どうかしました?」

「あー、もうタイムカード切っちゃった? じゃあ良いわ。明日でも頼めるし」

「メモに書いてこの打刻機に貼っといてもらえれば、明日出勤してからいのいちにやっときますよ」

「わかったー」


 フィリシスはふところをごそごそと漁る。書くものを探している様子だった。ミルアルアは、自らのメイド服から小さなメモ紙と万年筆を取り出して、彼女へと手渡す。


「あ、ありがと。なんかごめんね。勤務時間外なのに」

「勤務時間外でも人に親切くらいはしますよ」


 フィリシスは、メモ紙にさらさらと走り書きをしていく。その後、打刻機に貼り付けられたそれを見て、ミルアルアは頷いた。


「ノイノイ様のご飯のことですか」

「そうよー。基本、攻撃系と敏捷に極振りしていくんだけど。まあご飯ひとつとっても、適切なのが欲しいしね」

「それじゃ、明日の朝一で手配しておきます」

「うん、よろしくー」


 フィリシスはひらひらと手を振っていたが、その後ふと何かに気づいたように顔を上げる。


「そいえばさ、ミル」

「なんです?」

「この後どこに帰るの? ゼルメナルガ?」

「お城の中にプライベートな部屋をもらってるから、そこです」

「ふーん……」


 疑問に対する解答をもらって頷くフィリシスに、ふと、ミルアルアはこんなことを言ってみた。


「来ます?」

「え、良いの?」

「まぁ、私、基本暇なので……」


 びっくりして聞き返すフィリシスに、ミルアルアはそう答える。


「大したお構いはできませんけど、そっちが良ければ、友人として」


 口調はだいぶ砕けているが、ミルアルアは直立不動の姿勢を保ったままだ。少なくともメイド服を脱ぐまでは、立ち姿まで戻せない。部屋に戻って、水浴びして、着替えて、それでようやくダラダラできる。

 当然だが、この1年、そんな空間に誰かを呼ぶことなんてなかった。ラグラは寝てしまっているし、それ以外の人間は城にはいないからだ。グラバリタが生きていた頃は、週に一度くらいのペースで酒盛りをしたものだが。


「じゃあ、お邪魔しよっかな」


 フィリシスは、しばらく考え込んでいたが、最終的にはそう答えた。


「わかりました。じゃあ案内します」

「ミルってさー。誰に対しても敬語なの?」

「そんなことないですよ。ただ、フィリシス様は職場の上司みたいなものだから……」

「そっかそっか」


 ひとり納得したように頷き、フィリシスはミルアルアの後ろをついて歩き始めた。





「思ってたより小さい部屋なのね」


 ミルアルアが水浴びから上がってくると、フィリシスは部屋の中をきょろきょろと見回してそんなことを言った。


「あっ、ごめん。別に悪口とかじゃなくてね」

「気にしてないですよ。狭い部屋は、私の希望です」


 厳選王グラバリタは、ミルアルアを雇う際もっと大きい部屋を用意していたが、彼女はそれを断った。ゼルシアの白鴉亭ピュア・レイヴン2階にある自分の部屋。それとそっくり同じ部屋を作りたかったのである。

 手狭な部屋に、古ぼけた調度品。ベッドもそう豪勢なものではないし、部屋の隅に置かれた机は表面がでこぼこしている。あとは、ちょっと可愛いぬいぐるみが、幾らか置かれているくらいだ。


「フィリシス様、お酒、飲みます?」


 上からシャツを羽織っただけのラフな格好で、ミルアルアはワインクーラーを漁る。


「あー、久々にちょっと飲もうかしら。何かあるの?」

「まだ空けていないものだと、デラス地方の特級物とか」

「えっ、黄金ブドウの!?」

「それです」

「さすがのセレクトね……」


 フィリシスは感心したように頷く。デラス地方の黄金ブドウは、100分の1程度の確率で一房に一粒できるという幻のブドウだ。それだけを寄せ集めて作ったワインというのが、年に2本、多いときでも5本程度しか出荷されない。貴族たるフィリシスでもおいそれと手を出せるものではなかったはずだ。

 このへんのワインはすべて、毎年誕生日に厳選王グラバリタが持ってきたものである。間違いなく超一級の品ではあるのだが、カネさえ積めば手に入るこれらの稀少ワインは、あまりグラバリタの心をくすぐらなかったらしい。それはそれとして、酒好きなのはグラバリタもミルアルアも同じだったので、晩酌に付き合う際は2人であっという間に空にした。


 ワイングラスをふたつ、棚から取り出す。腰を下ろしたフィリシスの前にグラスを置き、ワインを注いだ。おおよそワインとは思えない、こがね色の液体が、惜しげも無くその水かさを増していく。


「つまみ、どうします? ペレストロイカの燻製と、あとはダイナミックボアのサラミくらいですけど」

「任せるわー。それとも、私が何か作る?」

「時間がもったいないからいいです。乾杯しましょう」


 ペレストロイカの燻製をテーブルの上に引っ張り出し、ミルアルアも席に着いた。


「では、お疲れ様です。フィリシス様」

「はーい。ミルもお疲れー。かんぱーい」


 ちん、とグラス同士がぶつかる。二人がグラスに口をつけ、窓から月明かりの差し込むミルアルアの部屋は、一瞬の間だけ静まり返った。


「………!」


 フィリシスはグラスを置き、目を見開いて口を押さえる。


「やだ、美味しい……」

「でしょ?」


 ミルアルアはちょっと得意げになって、自らのワイングラスをあおった。


「これ、普段は全部ミルが飲むの?」

「旦那様が亡くなってからは、そうです。でも最近はあまり飲まないかな……」

「ラグラは? 下戸なの?」

「どうかなぁ……。夜はおねむなので晩酌に付き合わせることはありません」


 意外と父親に似て酒豪の可能性もある。が、それを試せるのは、少なくとも彼が一人でちゃんと寝れるようになってからの話だ。


「ねぇミル、厳選王の話とかしてもらって良い?」

「旦那様の?」

「気になるのよね。あなたの教育をしたのって、厳選王でしょ?」


 その瞬間だけ、フィリシスの目つきが魔導調整師のそれになる。


「どんな人だったの? 厳しかった? 優しかった?」

「どっちもかな。雇い主としては、厳しい方でした」

「それ以外では?」

「飲み友達……。あとは冒険者仲間、として……は、うーん……」


 空になったグラスを覗き込んで、ミルアルアは考え込む。


「まぁ、面白い方だったかな。坊ちゃまもよく言ってますけど、だいぶ偏屈な人だったし」

「ふんふん」

「でも本質的には優しい人だったんだと思いますよ。私を雇ったのは、奥さんに逃げられて坊ちゃまに母親がいないのを不憫に思ったからだし」

「なんで再婚しなかったのかしら」

「女を見る目がないからだと言ってました」


 当時の厳選王の言葉を正確に伝えると、フィリシスは目を丸くした。


「え、なんで? 厳選王なのに?」

「好きになる女性を厳選したくはなかったそうです」

「えー! なにそれ、意外とロマンチスト!?」

「でしょ? 顔に似合わずね」


 自分が次に好きになる女性が、ラグラにとって正しい母親足り得るかはわからない。

 だからこそ、息子をまっすぐ育てるために、有能な母親代わりを求めたわけである。厳選王らしい、妙な部分が合理的というか、一歩ずれたというか、そんな判断ではあったが、とにかくそうした経緯で、ミルアルアに白羽の矢が立った。


「じゃあ、ラグラも厳選された息子じゃないんだ。ちょっとホッとしたわ」

「旦那様は、厳選するものとしないものを、ハッキリ分けて考えていましたから」


 ミルアルアはイカの燻製を裂きながら続ける。


「ロマンチストなのはわかったでしょ。こういうロマンを実現したいから、そのためにはまずこういうモノを揃える必要がある。実用性を上げるためには、少しでも良いものを選びたい。という経緯で厳選する方でした」

「なるほど」


 フィリシスは腕を組んで頷いた。


「このお城にはゴーレムがたくさんいるけど、最初から戦闘用に厳選されたゴーレムがいないのも、そういうことなのね」

「はい。このお城は、旦那様のロマンの塊なのです」

「意外と、対象的なのね。ラグラと」

「どっちが良いとは、言えないですけど」


 厳選王子ラグジュアリー・セレクションは、原則として徹底的にロマンを解さない。性能の良いものが良い。他はすべてゴミという効率厨である。唯一の例外がアヒルちゃんだ。

 純粋に厳選という行為に喜びを見出しているのなら、それで良い。ただ、なぜ厳選するのか。なんのために厳選するのか。その目標がないラグラは、ときおり見ていて不安になるし、余計な口出しをしてしまう。公私混同はしない主義ゆえに、あまり深く考えないようには、しているのだが。


「目標か……」


 ミルアルアの心の中を読んだわけではないだろうが、フィリシスは宙を見つめぼんやりと呟いた。酒が回っているためか、少しばかり、顔が紅い。


「私もないわね……。目標……」

「フィリシス様?」

「漠然とね。良いものを作りたいっていう気持ちはあるの。だからこの城に来たんだし、そういう意味で充実してる気はするんだけど……。なんか、近くしか見れてないような気がするわ……」


 フィリシスの口調ははっきりしない。「うー」と呻いて、上半身をテーブルの上に放り出す。


「これができたら、凄い満足できる! っていう、何かが、欲しいわねー」

「あー……」


 ひょっとして、これは、酔ってるかな。酔っ払い特有の、あまり具体性のない、地の足のつかない言葉遣い。どうやらフィリシスは、あまり酒には強くなかったらしい。ミルアルアは苦笑して、フィリシスの肩をそっと叩いた。


「起きてるわよー……」

「それは失礼しました」


 空けてしまったボトルはもうしまえないし、残りは一人で飲むとしよう。ミルアルアはまだ半分以上残ったワインを、自らのグラスに注ぎ始めた。


「目標……。目標ね……」


 先日の、カレハ熱特効薬の一件を思い出す。

 フィリシスの作るもののために、ラグラが素材を集めるという流れは、非常に良かったと思う。ラグラが求めるもののために、フィリシスがアヒルちゃんの調整をするという流れも、良かったと思う。

 フィリシスが来てから、城の空気は変わった。停滞気味だった空気が、勢いよく循環しはじめるような感覚がある。2人がそれに気づければ、互いを補うようにして、良い目標のサイクルが生まれると思うのだが。


 ま、それは、使用人が口を出す領分ではない。


「出したところで、お給料が上がるわけでもないしね……」


 ミルアルアは、窓から差し込む月明かりを眺めて、ぽつりとそう呟いた。





「はっ……!?」


 翌朝である。


 フィリシス・アジャストメントはその日、いつもより堅いベッドの感触に違和感を覚えて、起きた。頭がガンガン痛む。胸が妙にむかむかする。総じて気持ち悪い。額を押さえ、見覚えのない部屋をぐるりと見渡して、そうしてようやく気付いた。


「あ、ここ、ミルの部屋だわ」


 昨日、晩酌に付き合って、それからの記憶がない。酔い潰れて眠ってしまったのだ。


「おはよー。ミルー、ねえミルー。いるー? ……おえっ」


 激しい二日酔いに悩まされながら立ち上がったフィリシスの目に飛び込んできたのは、テーブルの上の書き置きだった。よく見ると2枚ある。


「なになに……。『おはようございます。先に出勤しておきます。こちらは二日酔い用のお薬です。ミル』こっちは『おはようございます。まだおねむのようでしたので、ノイノイ様のご飯用素材は研究室へと運び込んでおきます』……。あっちゃー……。やらかしたわ私……」


 窓を見れば、既に日はそうとう高く昇っている。もう昼頃だろう。さすがに寝すぎた。どっと後悔が襲いかかってくるが、まぁ、今更取り戻せるものではない。とりあえず、今からでも活動を開始せねば。

 フィリシスは用意された二日酔いの薬を飲むと、げっそりとした表情で外に出る。するとなにやら、エントランスホールの方から、言い争うような声が聞こえてきた。


『別に、難しいことを言っているつもりはないでゲス! ラグラ坊ちゃん!』

『その通りだ厳選王子よ……。我らが求めるのは、そちらにいるという清貧の女神……』

『黙れゼルードにカンピスン! これ以上貴様らのくだらない妄言で、俺の余計な時間を使わせるんじゃない! ミル、塩だ! 塩を撒いておけ!』


 また来客だ。最近多いわね、と思いながら、フィリシスはエントランスホールの扉に手をかける。


『坊ちゃん、独り占めするなんてズルいでゲス!』

『人聞きの悪いことを言うな! これ以上貴様らに付き合いたくないだけだ! アレを独占するつもりは一切ない!』

『じゃあせめて話くらいさせて欲しいでゲスよ! フィリシス嬢ちゃんに!』

「えっ、私……?」


 一体、何の話をしているのだろう。フィリシスは首を傾げながら、その扉を開けた。

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