selection.15 正しい風邪薬の飲ませ方(後編)
「フィリシス、どどどど、どうしよう。ミルが、ミルが……」
荷車の中でガタガタと揺れながら、ラグラは頭を抱えている。
少し前に城を発ったのは、疾風馬に引かせる馬車だ。金角獣はパワーはあるがスピードは出ないので、急ぎの時はこちらで移動する。御者台に立っているのは、年期の入った御者ゴーレムであった。おんぼろで性能が低いので、ミルが動けない時くらいにしか出番がない倉庫の肥やしである。
「だ、大丈夫でしょ……。大丈夫よ。私の作った薬飲むって言ってたし……」
さしものフィリシスも今の状況にはちょっぴり参ってしまっている様子で、動揺を隠し切れていない。
厳選城モット・セレクションが誇る厳選されしメイド、ミルはカレハ熱に倒れた。正確には倒れていないのだが、少なくともこの12年で初めて、自ら早退を申し出るレベルにまで追い込まれている。タイムカードは切らなくて良いというラグラの言葉により、記録上の無遅刻無早退無欠勤は破られていないのだが、どのみちミルが体調を崩すなど今までなかったことであるので、ラグラのショックは計り知れない。
カレハ熱は、進化ウイルス性の霊子疾患である。病状が浅ければ、人体の免疫力によってウイルスを殺し、悪性腫瘍のように変化した一部のスピリット・モールドを正常な状態に戻すことも可能だが、進行すればこの限りではない。ミルの病状がどの段階に位置するのか、医者ならぬ二人には断定できずにいた。
「大丈夫じゃなかったら、どうする!? それに俺、ミルがいないで外出するのなんて初めてなんだぞ!」
「私が代わりになるわよ」
「気持ちは嬉しいけど絶対にならないよ!」
「そうかしら……」
「どうしてそこで真剣に考え込めるくらいの自信があるの?」
ラグラの問いには取り合わず、しかしフィリシスは薬の入った鞄をぐっと抱いて、こう言った。
「でも、ミルがいなくてもこれくらいのことはちゃんと出来るって証明しないと」
「………」
その言葉を受け、さしもの厳選王子も押し黙る。
「ミルも安心して寝られないわ。彼女のためにも、私たち二人で完遂するのよ」
「……それも、そうだな。ミルのためだ」
やがて馬車はゼルメナルガの街に到着する。ゲゲドモンガ氏の趣味の悪い大豪邸前に到着すると、セレクション家の家紋を見つけた使用人が慌てて中へと引っ込んでいくのがわかった。
馬車から降りたフィリシスは、ゲゲドモンガ氏のオリハルコン彫像がそこかしこに建てられた庭をぐるりと見回し、吐き気を催したかのような表情で呟いた。
「うわっ、趣味悪い建物ねぇ」
「ああ、センスの欠片もない……。超一流とまでは言わないが、高級建築素材が泣いているな……」
ラグラも思い切り顔をしかめている。
やがて、屋敷からは氏の秘書であるスズキが飛び出してきた。
「厳選王子、それにフィリシス嬢、お待ちしておりました!」
「う、うむ……」
顔中にびっしりと汗を貼り付けて頷くラグラである。
「大丈夫、大丈夫よラグラ。私がついているわ」
「それミルの真似?」
「頼っても良いのよ?」
「絶対やだ……」
スズキに案内されるまま、ラグラとフィリシスはゲゲドモンガ氏の屋敷へと入っていく。スズキの話では、ゲゲドモンガ氏の病室では現在大気中の魔力を薄めているため、カレハ熱のウイルスが魔導感染する心配は低いという。それでも二人は、やや緊張した面持ちで、氏の待つ部屋へと入って行った。
部屋の壁と天井がすべて金箔で覆われた部屋の中央に、ゲゲドモンガ氏の眠るベッドが置かれている。
「支部長、厳選王子がいらっしゃいました! 特効薬もお持ちです!」
「む……」
ヒキガエルをフライパンで叩き潰したような顔をした、ゼルメナルガ市長がゆっくりと上体を起こす。
「厳選王子殿、久しいな……。父親に似て来られたか……」
「俺の親父は言うほど貴様に会ってなかった気がするがまあ良い。フィリシスにカレハ熱の特効薬を作らせた。飲ませてやるので感謝しろ」
「ありがたい……。スズキ、おまえは下がって明日の準備をしておけ」
「結局やるつもりか女体盛り……」
スズキが一礼して部屋から出ていくのを、ラグラは冷たい目で見送った。
ともあれ投薬だ。フィリシスは床に鞄をおろし、その中からいくつかの瓶を取り出す。いずれもカレハ熱の特効薬〝フィリシスちゃん天才3号〟だ。ミルの提言で、もしもの場合に備えて、予備の薬も持ってきているのである。ラグラとフィリシスは『もしもの時ってなんだろう』と思い尋ねたが、ミルは静かに『その時が来ればわかります』と言うのみであった。
「まぁ良い。とにかく飲ませてやらねばならんな」
「そうねー。まぁ多分成功するから大丈夫よ。私、一億万年に一人の天才美少女だし」
「その物言い結構怖いからやめてくんない」
フィリシスが、取り出した〝フィリシスちゃん天才3号〟を持ってゲゲドモンガ氏へとにじり寄る。彼女は瓶の蓋を開け、そしてそれをそのままゲゲドモンガ氏の口元まで持って行き、
ばしゃっ。
「あっ」
頭に向けて思いっきりぶっかけた。
「何やってんだへたくそ!!」
ラグラが思いっきり罵る。一方フィリシスは腕を組み、頭から薬をかぶって呆然としているゲゲドモンガ氏を眺め、ひとこと呟いた。
「これが、〝もしもの時〟……!」
「言ってる場合か! 何故薬を口元まで持って行っていきなりぶっかける必要がある!」
「ぶっかけたくてぶっかけたんじゃないわよ! 手が滑ったの!」
「貴様、俺をフォークやピンセットでメッタ刺しにした時も同じことを言ったな! もう良い、俺が飲ませる!」
ラグラは憤慨したように叫ぶと、鞄の中から薬の瓶を取り出し、蓋を開け、その中身を思い切りゲゲドモンガ氏に向けてぶちまけた。
「何やってるの?」
「うぅむ、意外と難しいな……」
「でしょ?」
「うむ、予備を持ってきて良かった」
わざとやってるんじゃないかと思うほど清々しいぶちまけっぷりではあったが、彼らは真面目である。ラグラとフィリシスが、治療行為を行うにあたって致命的な下手くそっぷりを発揮するのは、もはやご存知の通りであろう。綿を消毒液に浸そうとして、目の前の相手をピンセットでメッタ刺しにするような人間だ。薬を誰かに飲ませることなど至難である。
顔からポタポタと薬を垂らしながら、ゲゲドモンガ氏はこう言った。
「いや、自分で飲むから……」
だが、そこでうんと頷かないのが、ラグラとフィリシスの二人である。
「無理しないで! 病人は安静にしているものよ!」
「そうだぞ。俺たちがしっかり飲ませてやるから大丈夫だ」
「ミルがいなくてもできるって証明しないと!」
「そうだ、ミルのためだ!」
言うや否や、ラグラは強引にゲゲドモンガ氏をベッドの上に押さえつけ、フィリシスに目配せをする。筋力が10しかないラグラに対抗するだけの力は、病人たるゲゲドモンガ氏には残っていなかった。フィリシスは神妙な顔で頷き、3本目の瓶を取り出す。
「(こいつら俺を殺す気ではないだろうか)」
顔面に薬を叩きつけられる痛みに耐えながら、ゲゲドモンガ氏はそんなことを思った。
「く、薬を飲ませるのが、こんなに難しいなんて……!」
「くそっ、予想外だった……!」
床にへたり込みながら、息を荒げるラグラとフィリシスの姿があった。彼らの横には、空き瓶となったフィリシスちゃん天才3号の薬瓶が、山のように転がっている。ベッドの上には、頭のてっぺんからつま先まで全身余すところ薬品塗れとなった、ババドモンガ・ゲゲドモンガ氏の姿がある。だが、口の中には一滴たりとも摂取されていない。
あれから30分ほどが経過している。ラグラとフィリシスは、ゲゲドモンガ氏にフィリシスちゃん天才3号を経口摂取させるため、ありとあらゆる手段を尽くした。だが、その瓶を口元まで持っていき、飲ませてあげるというその行為が、一切できなかったのである。
「残る薬は3本。これを飲ませることに失敗すれば……、ゲゲドモンガは……、死ぬ!」
非常に縁起の悪いことを言われて、ゲゲドモンガの顔が凍りつく。
「やるしかないわ。大丈夫よ、私たちは成功するんだから」
「ああ、そうだ。成功させる。ミルのために……」
ゲゲドモンガ氏としては、さっさと自分で飲んで楽になりたいところであったが、他人のために片っ端から特効薬がダメにされていくので、死ぬほど心臓に悪い。まるで悪夢を見ているようであった。生かされるにしても殺されるにしても、さっさと楽になりたかった。
「やっぱり寝かせたままなのがいけないんじゃないかしら」
「うぅむ、そうだな。立たせてみるか……」
そのようなやり取りの後、ゲゲドモンガはベッドからやや無理やり立たされる。フィリシスがぴったりと背中に密着し、顎のあたりをキュッと固定されるのだが、もはや完全にされるがままであった。
「よし、それじゃあ飲ませるぞ……」
「あっ、ダメだわラグラ! なんか薬が首のあたりにあたってるわ!」
「なにっ!?」
「止めて、全部流れていくわ!」
「もう遅い! 全部流れてしまった!」
「ああっ、あああああ~っ!」
そんな感じで貴重な薬がまた一本ダメになる。ゲゲドモンガは無駄だとわかっていながらも、一応提案してみる。
「そろそろ諦めて自分で飲まさせてくれないか?」
「薬を作った私たちが諦めてしまっては、全世界のカレハ熱患者は救われないわ!」
「いやその志は結構なことだがね! もう君たちは諦めちゃいけないラインは突破したんじゃないかね!」
「ゲゲドモンガ支部長、貴様の心配はありがたく頂戴するが……」
「この際だから言うが心配しているのは自分の命であって君たちではない! これ以上薬をダメにされては……うぐっ!?」
ゲゲドモンガは叫び声をあげ、その直後自らの胸元をぐっと掴んだ。
「ゲゲドモンガ支部長!?」
「発作か……! 言わんこっちゃない、今夜が峠だというのに無理をするからだ……!」
苦しみもがくゲゲドモンガを、なんとかなだめようと、再度ベッドに寝かせるフィリシス。二人の表情が、完全にゲゲドモンガの体調を気遣うものであったのが、かえって彼の絶望感を煽りたてる。ラグラとフィリシスは、まごうことなき善意から行動しているのであった。薬を飲ませるのがここまで下手くそな人間がいると、誰が予想したことだろうか。
「大丈夫、薬はまだ2本あるわ。任せて」
フィリシスが鞄から薬を取り出し、立ち上がり、そしてそれを取り落した。
「あっ」
がしゃん。
薬の瓶が、白虹石勢の床にぶちあたって、粉々に砕け散る。一同の間に、気まずい沈黙な流れた。ゲゲドモンガ氏は朦朧とした様子でそれを眺めていたが、とうとう白目を剥いて気絶してしまう。この部屋の中で、ラグラとフィリシスの凶行を止めるものは、もはや一人もいなくなった。
「大丈夫よ……。まだ1本あるし……」
ぽつりとつぶやくフィリシスの声は、若干震えていた。
「よ、よし……。開け、開けるわよ……」
「ま、待て。持ちながら開けると落として割れるかもしれん。床に置いて、そっと開けるんだ。そーっとだぞ?」
「わ、わかったわ」
ラグラの言葉に、フィリシスはごくりと唾を飲み、瓶を床に置く。瓶の蓋に手をかけ、かすかに力をかけるが、緊張からの手汗で滑ってなかなかうまくいかない。手が滑れば滑るほど、フィリシスの顔には焦燥が滲んでいく。数分後には、彼女の髪はぐっしょりと濡れていた。
「上手く……行かないわね……」
「落ち着け、ゆっくりでいいんだ。ゆっくりでな……」
それを見守るラグラも、やはり全身に汗を貼り付けている。
なお、その時点でゲゲドモンガ氏は口から泡を噴いていた。カレハ熱の末期症状である。
それから、更に数分の格闘。そののちに、
きゅぽんっ。
軽快な音がして、瓶の蓋が開く。ラグラとフィリシスは直後に顔を見合わせ、言葉も発さずに抱き合って喜んだ。
「よし、あとはこれをゲゲドモンガ支部長に飲ませるだけね!」
そのステップで今まで散々失敗してきたことなど忘れてしまったかのように、自信満々に叫ぶフィリシスである。ラグラは腕を組み、神妙な顔で頷いた。
「よし、俺がやろう」
「気を付けて。これが最後の一本よ」
「ああ、必ず成功させる……」
手渡す段かいにおいてつるりと取り落す可能性があったので、フィリシスが一度床に置き、それをラグラが拾いなおすという慎重な手順を踏む。ラグラは、カレハ熱特効薬フィリシスちゃん天才3号の瓶を片手に、一歩、また一歩と、ゲゲドモンガ支部長に歩み寄った。
ごくり、と唾を飲み、気絶して泡を噴くゲゲドモンガ支部長の口元に、ゆっくりと瓶を近づけていく……。
汗と薬品にまみれた、やや頭髪の薄い中年男性の顔面は、注視するに堪えないものではあったが、それでも目をそらせばこれを飲ませることなどできやしない。ラグラは必死に我慢し、ババドモンガ・ゲゲドモンガのやけに厚ぼったい唇をじっと見た。
「くっ、気持ち悪い……!」
「がんばって、ラグラ……!」
あの唇に瓶の口をくっつければ、それで任務完了だ。ラグラは慎重に、瓶を持つ手を動かす。
「あぁっ!?」
フィリシスが悲鳴をあげた。
「ダメよ、ラグラ! 瓶が傾いてるわ!」
「な、なにっ……! あぁっ!!」
果たしてフィリシスの指摘通り、ラグラの持っている瓶はわずかに傾き、その中身を垂れ流していたのである!
「ラグラ、戻して! 戻して戻して!」
「あ、ああ! うむ! も、戻す!」
慌てて角度をもとに戻すラグラであるが、既に瓶の中からは半分近い液体が失われていた。さしもの厳選王子も顔面蒼白となる。
「フィリシス、ど、どど、どうしよう! もう半分くらいになっちゃった!」
「お、落ち着いて! 落ち着いてラグラ! 私の計算によれば、末期症状まで進行しても半分残っていれば効き目は十分にあるはずよ!」
「じゃあ、なんで必要量の2倍も瓶に入ってるの?」
「いっぱいあるとお得に見えると思って……」
「発想が主婦か」
しかし、この半分が実質上のラストチャンスとなる。この半分が、ゲゲドモンガ氏に投薬できる最後の薬だ。これを飲ませることに失敗すれば、最後の希望が断たれてしまうことになる……! ラグラは、改めて瓶を片手にし、傾けないよう角度を懸命に保ちながら、ゆっくり、ゆっくりとゲゲドモンガ氏の唇に運んでいこうし、そして……、
「へくちっ」
全身に貼り付いた汗によって身体が冷え、くしゃもをしてしまったのは、まさにその時であった。ラグラの手から瓶が取り落される。
「あ」
「あ」
ラグラとフィリシスの口から、間抜けな声が漏れる。瓶は万有引力に従って白虹石の床に向かい、呆気ない音をたてて飛散してしまうものと思われた。
しかし、
「ぴー!」
窓ガラスを割り、小さな影が室内に飛び込んでくる。可愛らしい闖入者は、室内に残るわずかな魔力をその翼に這わせ、高速飛行しながら落下する瓶を足でとらえた。中の液体が口からこぼれるよりも早く、天井に向けて急上昇する力が引力を生み出す。鳥のように見えるその影は、そのまままっすぐにゲゲドモンガ氏の顔面に向けて降下し、泡を噴く咥内めがけて瓶の口を向けた!
その瞬間、ラグラとフィリシスは確かに見た。注視するだけで気分を害するようなゲゲドモンガ氏の唇に、カレハ熱特効薬フィリシスちゃん天才3号が、一滴残らず注がれていく様を!
「や、やった……」
ラグラは震える声でつぶやく。フィリシスも頷いた。
「ええ、やったわ……!」
最後に飛び込んで、ゲゲドモンガ氏への投薬を見事に成功させた小さな英雄は、ぱたぱたと翼をはためかせて、フィリシスの頭の上へ着陸する。ラグラはそれをひっつかみ、彼に向けてこう言った。
「やった! やったぞ、良くやったノイノイ! 貴様の働きだ!」
「ありがとうノイノイ! あなたのおかげで、ゲゲドモンガ支部長の命とミルの思いは守られたわ!」
「ぴー?」
やたら大声で叫ぶのがやかましいのか、ノイノイは耳をパタンと閉じて首を傾げている。
しかし、投薬は成功だ。ゲゲドモンガ氏も、心なしか安らかな表情を浮かべて眠っているようにも見える(気のせいである)。ラグラとフィリシスは大喜びで、ノイノイの胴上げをはじめていた。
これでめでたしめでたし、となれば、良かったのだが、
ラグジュアリー・セレクションとフィリシス・アジャストメントは、ゲゲドモンガ氏に投薬治療を行ったその日のうちに、みごとにカレハ熱を発症した。
「うう、ミル……ミルぅ……。辛いよぅ、ミルぅ……」
「迂闊だったわ……。ゲゲドモンガ支部長の部屋は魔力薄めてあるって聞いてたから……」
並べられたベッドの上で、ラグラとフィリシスが呻いている。
魔力が薄かろうが、魔導感染の感染経路は存在しているということである。ノイノイが飛べる程度の魔力濃度ではあったのだから、可能性は十分にあった。あの時、二人は全身汗だくになり、極度の緊張状態にあったため、霊子進化したウイルスを呼び込みやすかったという要因も、あると思われる。
とにかく二人は、カレハ熱を発症した。潜伏期間は最短3時間、最長1週間。一番早いのを引いたというわけだ。
「お二人とも、よく頑張られました。偉いですよ」
枕元の椅子にはミルが座り、りんごの皮を剥いている。これもまた厳選されたりんごであり、豊富に含まれるアルティメットケルセチンは、食べることにより励起状態にある霊魂を鎮静化させる役割を持つ。精神系の状態異常に高い効能を示すことでよく知られていた。
「というか、ミル……もう元気なの……?」
「はい。この通り、完全に治っております。きちんと感染経路を断ちながら看病しておりますので、再発の御心配はなさらずに、ゆっくりと養生くださいませ」
特効薬を飲んだところで、一日安静が必要と言われていたはずのミルは、二人が帰って来る頃にはピンピンとした様子で出迎えてくれた。直後にバタンと倒れた彼らを保健室まで運んだのもミルであれば、そこにラグラとフィリシスのベッドを運び込んだのも彼女である。厳選城のスーパーウーマンはすっかり本調子を取り戻していた。
「ミルぅ、身体がだるいよぅ……おなか痛いし辛いよぅ……」
「はい、大丈夫ですよ。坊ちゃま、すぐよくなりますからね」
意識が朦朧としうなされるラグラの額を、そっとなでるミルである。
「でも、参ったわね……」
カレハ熱によって顔を真っ赤にしながら、フィリシスは天井を睨んだ。
「特効薬はもう使い切ってしまったわ。びちゃびちゃになった床の分とかすくってくれば良かったかしら……」
「特効薬でしたら、ちょうどひと瓶残ってございます。お使いになりますか?」
「えっ?」
驚くフィリシスの前に、ミルが一本の瓶を取り出す。その瓶のラベルには、確かに『フィリシスちゃん天才3号』と書かれていた。
「えっ、でも……えっ? それ、ミルが飲んだ奴じゃない?」
「はい。どうしようもなくなれば飲ませていただくつもりでしたが、こうなる可能性もありましたので、最後まで取っておきました」
「えっ……。ミルのカレハ熱は?」
「気合で治しました」
おおよそ冷静沈着で瀟洒な使用人とは思えないような単語が飛び出したので、フィリシスは遠い目をした。
「そう……、さすがね……」
「ラベルに書いてあります通り、半分ほど服用すれば効果はある……。で、よろしいですか?」
「えぇ、そうよ」
「かしこまりました。では、コップを準備して参ります」
ミルは恭しく一礼して、病室を後にする。
こうして、史上初となるカレハ熱特効薬〝フィリシスちゃん天才3号〟による一連の投薬治療は幕を閉じることとなった。翌日には、ババドモンガ・ゲゲドモンガ氏はすっかり回復し、女体盛りに挑戦した後、食中毒によって1ヶ月寝込んだと言われている。
なお、全て失われたと思われた〝フィリシスちゃん天才3号〟であるが、後日ゲゲドモンガ氏のベッドに染み込んだ薬を搾り取ることで必要量が確保され、ゼルメナルガに蔓延していたカレハ熱の流行は完全に沈静化した。残った薬は、帝国連盟の医師協会へと提供されたとのことである。




