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selection.14 正しい風邪薬の飲ませ方(中編)

 研究室に一人フィリシスはこもり、椅子に腰かけていた。研究用の白衣に加え、今は誰も見ていないので、縁の薄い眼鏡をかけている。


 フィリシスの目の前には、二本の瓶がある。どちらも、『俺が厳選した風邪薬』と書かれたラベルが貼ってある。名のある魔導師、おそらくは大陸三大賢者か、それに匹敵する何者かが調合したと思われる霊草系の薬だ。人体の免疫力を高め、気道部分に滞留した細菌をあますところまで全滅させるのみならず、炎症を一瞬で快癒させるという夢のような薬であるらしい。


 風邪は万病の元、という言葉がある。これはモノの例えでもシャレでもなんでもない。十数年前、ゼルシア自治領のギルドドクターが、最近の保有するスキルについての研究論文を発表したことがあった。それによれば、人体に有害な細菌のスキルはすべてスキルツリーシステムによる樹形図で表すことができ、その大本が、いわゆる《風邪》スキルであったのだ。

 《風邪》スキルをLv1にすることで様々なスキルに派生させることができ、細菌がそれらのスキルを同時発動させることで、人体はいわゆる合併症を引き起こす。すなわち『風邪』はステータス学の見地から見ても、万病の元であることが証明されたのだ。


 一部の霊薬はそういったスキル効果を打ち消す、概念解呪コンセプト・ディスペルの力を持つ。おそらくは、ラグラの厳選した風邪薬はそういった手合いのものだ。どんな高レベルの《風邪》スキルであろうと、その概念を根本から解除する。ならば、その概念解呪の力のみを抽出し、別のスキルに対応させることができれば、その病に対する万能薬として機能するはずだ。


 問題は、カレハ熱の情報が少なすぎるところである。


 ダンジョン群生地特有の霊子疾患ということは、やはりダンジョンとは何かしらの因果関係があると見て良い。ラグラも同じことを思ったようで、書斎からダンジョンについて書かれたいくらかの文献と、彼が解析した霊子情報ソースコードをまとめた書類を、ミルに運ばせて持ってきてくれた。

 ミルはほんの一時間前に検診へ向かい、それからすぐに戻ってきている。今のところ発症の兆しはなく、潜伏しているかどうかも不明とのことで、結局いつものように仕事を続けることになった。


 いや、別に城内で仕事をしている、というわけではない。


 ミルは現在、ラグラと一緒に出掛けていた。フィリシスが要求した材料を厳選するためである。高レベルの霊薬を調合素材とする場合、そのアイテム能力を部分的に抽出、他の概念と結合させるという行程が必要になるが、これには純度の高い魔晶植物が必要になるのだ。厳選王子ラグラは、こうした調合素材の厳選にはあまり興味を持っていなかったので、城にはストックがなかったのである。


「あれ、そういえばノイノイも一緒に行ったんだっけ……」


 いつも研究室の中を飛び回っている元気なノイズラプターがいないことに気づき、フィリシスはぽつりとつぶやく。たまには広いところで自由に動かしてやりたいというフィリシスの意向を組んでもらった結果だ。

 ノイノイは、フィリシスの育成方針に沿ったまま順調に育ちつつある。ノイズラプターは敏捷値が高く、ついで攻撃系の数値が高いものの打たれ弱いステータスを持つため、育成の際は下手な調整を施すよりも極降りするべきだという結論に、フィリシスは達していた。極降りは原則として環境の変化に影響されにくいので、成長すれば長く活躍できる個体になるだろう。今から楽しみだ。


「おっと、そうだわ。今は薬を作らないと……」


 フィリシスは書物を開きながら、作成のヒントを探し始めたのである。





「フハハハハハハ! いやぁ、久々のハイキングも良いものだなぁ!!」

「ぴー」


 ラグラとミル、そしてノイノイが訪れていたのは、メノスティモ平原からやや南西に下ったところに存在する高山帯だ。ノイズラプターの比較的若い個体や、マウントトロル、ジェムゴートなどが生息する、比較的危険度の高いエリアであり、人の手があまり入っていない。地形的に魔力が滞留しやすいため、植物が魔力結晶と結合した〝魔晶植物〟という特殊な生態の植物が自生している。


 ラグラが探しに来たのは、この魔晶植物だ。ダンジョン内でも時折見かけることはできるが、手続きの手間を考えると、いっそ少し遠出してきた方が手っ取り早い、ということになった。


 ミルは移動に使用したプロペラゴーレムをヒューマノイドフォームに変形させてから、ラグラのもとへ歩いてくる。


「坊ちゃま」

「うむ。これから魔晶植物を探す!」


 腰に手を当て胸を張り、ラグラは声高に叫んだ。


「この高原の中でも、特に魔力が溜まりやすい地形を優先的に探す。見ろミル、そしてノイノイ、この土地は太古の地殻変動で、ミスリル銀を含有した地盤がところどころ盛り上がっている」

「ぴー?」


 彼らが立っているのは高山帯の一角にある広い高原だ。ラグラの言った通り、拾い高原ではあるもののダイナミックに隆起した地形が見る者にとっては非常に印象的な場所である。ラグラが高原の芝を踏みしめながら歩くと、ノイノイはぱたぱたと翼をはためかせてついてきた。


「ミスリル銀の抗魔力は知っての通りだ。この盛り上がった地盤を、魔力は通り抜けることができないから、極めて独特な魔力の流れができる。その流れを予測し、魔力の流れの合流地点となるであろう場所を優先的に探せば……」

「ぴー」

「うむ、あったぞ」


 ラグラが隆起した岩の影にしゃがみ込むと、そこには小さな紫色の結晶が怪しげな輝きを放っていた。


「魔力の流れは合流すると大気中の伝達速度が鈍るので、こうしたところは特に滞留しやすい。結果として魔力結晶が生じやすいわけだ。わかるな?」

「ぴー!!」

「うむ、良い返事だ」


 満足げに頷いて、ノイノイの頭を撫でるラグラ。


「後は、こうした地形を根気よく探して行けば、魔晶植物も見つかるだろう。この辺は空気も澄んで魔力純度も高いから、比較的質の良いものが採れるはずだ」

「坊ちゃま」

「なんだ、ミル」


 ノイノイと一緒に魔力の流れを追いながら、ラグラはミルの言葉に返事をする。


「最近、坊ちゃまは変わられたように思います」

「ふん、そうだろう。俺の進化は光よりも早い」


 レベル628になってようやく精神が2になった男は、胸を張って答えた。


「もちろん、坊ちゃまの成長には目を見張るものがございますが、それとは別に。フィリシス様がいらしてからのことです」

「なんだと」


 ラグラが急に立ち上がると、頭の上にとまっていたノイノイが『ぴー』と鳴いて落下する。


「坊ちゃまが他の方のために厳選をするなど、あまりなかったことでございます」

「別に他人のためではない。ミルがカレハ熱を発症すると俺が困るし、ゲゲドモンガに恩を売っておけばゼルメナルガでの活動が更にやりやすくなる。ひいては俺のため、そして厳選のためだ」

「そうでしょうか」

「今日はお喋りだな」


 ラグラはミルに背中を向けたまま、ノイノイを摘み上げてそう言った。


「申し訳ありません。差し出がましいことを」

「いや、構わん。他ならぬミルだからな。お前の口を塞ぐつもりはない」


 ミルの言うこともまぁ、わからなくはない。


 この1年、ラグラに上からモノを言える人間はいなかった。あるいは、父親の存命中でさえ、自らの気持ちを押しつけられたことはなかった気がする。やりたくないことはやらなかったし、厳選したいものだけを厳選してきた。わがままに生きてきたのだ。

 だがフィリシスが来てからは変わった。流されることが増えたし、それまでの自分ではしないような致命的な判断ミスも起こすようになった。どうにも調子が狂わされる。


「親父はどうだったんだろうな」


 ぽつり、と呟きながらラグラは、岩盤の影に生える小さな植物を発見した。

 葉は色素が抜け落ちて青白く変色し、葉脈を囲うようにして結晶化している。魔晶植物だ。結晶から魔力を濾しとって養分を生み出すため、葉緑素が必要なくなり、日陰でも枯れることなく生き続けることができる。


 ミルもまた、すでに幾つかの魔晶植物を探し当てながら、ラグラの言葉を反芻した。


「旦那様ですか」

「親父には友人がいたといっていたな。俺にはおらんのだ。人の価値を測る時はステータスで見てしまう癖がある。親父はもっと、別の判断基準を持っていたのか? 自分の意思で、その友人のために貯蔵した武器を寄贈するような真似が、できていたのか?」


 父親は、そのあたりを何も教えてはくれなかったのだ。教えてくれないまま、風邪をこじらせて死んだ。

 だが、ミルはそれには答えず、ただこれだけ言った。


「坊ちゃまと旦那様は、違う方でいらっしゃいますから」

「……うん」


 それが一体どういう意味なのだろう、とは、聞くことはできなかった。

 ラグラ達はそれからしばらくの間、風の吹きすさぶ高原で、無言のまま植物採取を続けていた。





「待っていたわ、ラグラ。さっそく持ってきて欲しいものがあるの!」

「ここぞとばかりに酷使するな貴様……」


 研究室で白衣を着たフィリシスが、腰に手を当てて仁王立ちしている。眼鏡は外して机の上に置いてあった。


「やはり霊子疾患の原因は、ダンジョンの情報更新アップデートによるウイルスの進化と、鋳型スピリット・モールドの変調なのよ! カレハ熱は霊魂の情報異常が人体に悪影響を引き起こすことで発生する症状なの!」

「癌みたいなものか」

「まあそうね」


 フィリシスの話によれば、特定のウイルスが保有するスキル《カレハ熱》は、ダンジョンの情報更新の際に解放される。《カレハ熱》の効果は、人間が持つ魂の遺伝子〝スピリット・モールド〟に変調を引き起こすことだ。これにより霊魂は正常な活動が行えなくなり、人体は衰弱する。

 ウイルスを死滅させ、スキル効果を解除することは可能だが、変貌したスピリット・モールドをもとに戻すには別の手段が必要になる。魂に後遺症が残るのだ。


「霊薬に魂の病状を後退させる効果を付加する必要があるのよ。それぞれの霊子情報ソースコードを元通りに書き直す外科医療的な手段もあるけど、下準備や解析が必要になるし、万能薬的な使い道ができないのよ」

「で、何が必要なんだ」

「〝時の砂〟よ!!」


 フィリシスはびしりと人差し指を突き付けて叫んだ。ラグラは唖然とする。


 時の砂は、南方のルベリング海を越えた新大陸にのみ確認される、極小の稀少鉱物だ。新大陸の時界砂漠を埋め尽くしているのはすべてこの砂なので、厳密には稀少でないのだが、帝国では新大陸への渡航が制限されているので、結果として流通数は少ない。スプーン一杯で、帝都の一等地に大豪邸が建つ。


「霊魂の状態を一時的に逆行させることで、健全な状態に戻すの! 同時にスキル効果を解除すれば因果関係は切断されるから、その状態を維持できるってわけ!」

「貴様な……」


 ラグラは額を押さえながら言った。


「今から俺に、その稀少アイテムの厳選を済ませろというのか? 魔晶植物を持ってきたばかりで疲れている俺に?」

「あなたにしか頼めないの! これは世紀の大発明よ。更に調整を加えれば、究極の万能薬としても機能するわ! 私、今、すごい興奮しているのよ。魔導調整師として凄い充実しているの!」

「相手の都合も考えずに、自分の話をする奴にロクな奴はいないと言ったはずなんだが」


 テンションをあげ、片腕を振り回すフィリシスを見るラグラの眼は冷たかった。だが、すぐに溜め息をつき、後ろで待機するミルに命じる。


「ミル、あれを持ってこい」

「かしこまりました、坊ちゃま」

「あれ?」


 首を傾げるフィリシスに、ラグラは持ってきた魔晶植物を取り出す。


「とりあえず魔晶植物だ。魔力純度が98%以上のものに絞って持ってきた。ここに置いとくぞ」

「え、なんで置くの? 直接渡せばいいじゃない」

「今までの経験からして、なんか直接渡そうとするとまた凄い不毛なやりとりが発生する気がしてな……」

「でも私、素材を探すの致命的に下手だから、テーブルの上に置かれると探すのに5時間くらいかかるわよ」

「素材を探すのが下手ってそういうことじゃないでしょ!」


 思わず叫び声をあげた。


 ラグラが魔晶植物を置いたのは、テーブルの中でもあんまりモノが置かれていない、スペースのある場所だ。そもそも魔晶植物はテーブルの上に乱雑に置かれた書類とは違って、よく目立つ形状をしている。見つけられないということはないはずだ。


「だって見つけらんないんだもの」


 フィリシスは眼鏡をかけ直し、眉にしわを寄せてテーブルの上を睨みつける。


「用意された素材を簡単に見つけられるようなら、私、トイレットペーパーの芯で杖を作ったりしなかったわ」

「ちょっと待て、ミルの公休日明けの朝、貴様が朝食を作ったな?」

「そうね」

「つまりあの時貴様は、俺の城のキッチンに取り揃えられた数々の超一級品食材を見つけられずに……」

「んー、ないわねー……」

「おい答えろよ! あの時出てきたプリンの材料はなんだった!? え!? 言えよ!」

「たわし」

「たわし!?」


 驚いて聞き返すラグラであるが、フィリシスはやや不機嫌そうに顔をあげてこう言った。


「それより探すのに協力してよ。魔晶植物がないと、また代用品にたわしを入れなきゃいけなくなるじゃない」

「それは代用できるのか!? 俺はわざわざ南西の高山帯まで出向いて、たわしで代用できるものを探しに行ったのか!?」

「そんなことしたくないから一生懸命探してるのよ……!」

「まったく、まったくもうっ……!」


 ラグラはがしがしと頭を掻いて、人差し指を立てる。


「これが俺の指だ、わかるな!?」

「ええ、わかるわ! よく見えるわ!」

「今俺の人差し指の先には、何がある!?」


 まずは右手で自分の左手を指し示しながら、ラグラは尋ねた。


「あなたの左手があるわ!」

「そうだ! そしてこの人差し指をゆっくり動かしていく……!」

「ふんふん」

「俺の指の先には、何がある!?」

「私が愛用している万年筆があるわ」


 ラグラは頷く。そしてさらに指を動かす。フィリシスの視線は、真剣にそれを追った。


「今は?」

「私の胸があるわ」

「そんなものどこにもない。俺が指してるのは貴様の白衣だ」

「む……。言いたいことはあるけど保留にしておくわ」


 ではここからが本番だ。ラグラは、フィリシスの白衣に向けられた人差し指を、さらにゆっくり動かし、テーブルの上へと向ける。そこには、彼が高原から採取してきたばかりの、魔晶植物が不思議な輝きを放ちながら、そこに置かれていた。フィリシスは、ラグラの指の動きを追って、最終的にはその魔晶植物のあたりまで目を持って行く。


 そして、


「………?」

「〝?〟じゃねーよ! 見えねーのか!」

「おっかしいわねー。なんか見えないのよねぇ」

「なんなの? そういう呪いなの? 貴様の親父は魔女に恨まれることでもしたの?」

「可能性は否定できないわね。お父様、各地の魔女の持つアイテム製造ノウハウを体系化したから」

「割と大層な功績を残しているな……」


 フィリシスはぺたぺたとテーブルの上に手を這わせ、ようやく魔晶植物を手に取ることができた。『これよこれよ』とはしゃぎ出す彼女を見て、どっと疲れが出てくるラグラである。

 ちょうどそのあたりで、ミルが戻ってきた。


「坊ちゃま、お持ちしました」

「うむ。とりあえずフィリシスに渡してやれ」

「はい」


 恭しく一礼し、ミルがフィリシスに向けて差し出したのは、ひとつの砂時計だった。受け取った彼女は首を傾げる。


「なにこれ」

「リセットグラスだ。時の砂を用いたマジックアイテムでな。大陸三大賢者の一人であるマスター・マジナに作らせた」


 ラグラは胸を張って答えた。


「ひっくり返すと時間がその日の朝まで巻き戻るというものだ。が、ひとまず貴様が欲しいのは中の砂だろう。好きに使え」

「え、良いの?」

「どうせ消耗品だ。倉庫にはまだたくさんある」


 世界には、100年に1度や1000年に1度しか発生しないアイテムというものが存在する。それを厳選するために必要となるのが、このリセットグラスだ。アイテムの性質というものは、そのステータスを確認した時点で決定させることが、霊子力学においては証明されている。観測者の行動によるバタフライエフェクトでも大きく変動するため、リセットグラスによって時間を巻き戻しては、毎朝微妙に異なる行動を取って最良のステータスを引き出すまで、根気よくそれを続けるのだ。

 いわゆる伝説厳選という奴で、その過程で面白い妥協品が手に入ることもないので苦痛しか残らない作業である。しかし、この世のすべてを厳選するには必要だ。なまじ、伝説のアイテムというものは基本性能も高い。


 バタフライエフェクトによるアイテムのステータス変動には、霊子乱数という要素がからんでくることが最新の研究で明らかになったが、この乱数についてはまだ謎が多く解明されてはいない。


「ま、まぁ、ありがたく使わせてもらうわ」

「うむ、大事にしろ……とまでは言わんが、まぁ効果的に使え」


 フィリシスは再び椅子に腰かけ、魔晶植物とリセットグラスをテーブルに置き、そしてその数秒後顔を青ざめさせて叫ぶ。


「しまった! テーブルに置いたら見つけられなくなったわ!」

「ミル、お前の手を俺以外のことに煩わせるには非常に遺憾だが完成するまでずっとここにいろ」

「かしこまりました、坊ちゃま」


 ミルはテーブルの上のアイテムをフィリシスに手渡しながら、そう答えた。


「ところでミル」

「はい、なんでございましょう」

「ちょっと顔が赤くないか?」

「そうでしょうか」


 部屋の隅に置かれた鏡台に視線を向け、ミルは首を傾げる。


「体調の方は特に問題ないのか?」

「今のところは。異常があればすぐにご報告いたします」

「なら構わんのだが」


 とは言え、ミルがいないと何もできないラグラである。結局、彼もミルの研究室でアヒルちゃんの厳選をすることになった。ノイノイは疲れて隅のベッドで眠っていた。

 研究のために眼鏡を外せないフィリシスは、ちょっぴり居心地が悪そうに作業を進めていた。





 そんでもって夕方である。


「できたわ!!」


 薬の瓶を掲げて、フィリシスが立ち上がる。


「できたか!!」


 つられるようにして、ラグラも立ち上がった。


 フィリシス・アジャストメントの手には、霊薬の入った瓶が高々と掲げられている。机の上には同じものが入ったフラスコがあり、ある程度の量を生産することにも成功した様子だった。進化型ウイルス性霊子疾患カレハ熱の特効薬が、ついに完成した瞬間である。


「私が開発した、この〝フィリシスちゃん天才3号〟によって、ゼルメナルガの街は救われるのよ!」

「そんなおぞましい名前の薬が既に2つも存在するのか……」


 とは言え、フィリシスの腕は本物だ。実験していないのが気になると言えば気になるが、ゲゲドモンガ氏の病状を考えれば猶予はあまりない。本人の許可次第だが、ぶっつけ本番で投薬するしかないだろう。

 そうと決まれば早速出発だ。フィリシスは白衣をローブに着替え、眼鏡を机の引き出しにしまう。ラグラも、すぐさま準備を整えるよう、ミルに命じようとした。が、


「申し訳ありません、坊ちゃま」


 直立不動のまま、ミルが唐突な謝罪を口にした。


「どうした、ミル……うわぁっ! 赤ッ!」


 そこに立っていたのは、珍しく頬を真っ赤に紅潮させた使用人ミルの姿である。努めて冷静に、彼女は続けた。


「どうやらカレハ熱を発症したようです。現在、私の半径5センチ以内の魔脈をすべて断ち切っているため、感染の心配はありません。ですが、ゼルメナルガまで意識を保ってお供できるかは、危うい状況です」

「だ、大丈夫か? ミル、フィリシスの作った薬、飲むか?」


 ラグラは動揺を露わにしながら、ミルの顔を覗き込む。フィリシスも腕を組んで険しい顔をしていた。

 ミルは赤い顔をフィリシスに向け、尋ねる。


「フィリシス様、投薬から完治まではどれほどかかるのでしょうか」

「丸一日ってところかしら。どのみち絶対安静が必要ね」

「わかりました。では、いただいておきます」


 ミルはフィリシスから瓶に入った特効薬を受け取り、しかしすぐには飲まずエプロンのポケットへとしまった。


「お二方は、ゲゲドモンガ支部長の待つゼルメナルガまで向かわれると思いますので、その手配だけ済ませます。坊ちゃま、申し訳ありませんが、その後早退の許可をいただけませんでしょうか」

「う、うむ。構わんぞ。いや、タイムカードは切らなくて良い。と、とにかく寝てろ。良いな? そうだ、俺のベッドを使っても構わん。この城で一番寝心地が良いベッドだ」

「お心遣い感謝します。ですが、まずは手配を整えますので、しばしお待ちを」


 ミルは赤い顔をしながらも、危なげのないしっかりとした足取りで研究室を出る。ラグラとフィリシスは、緊張に充ちた面持ちで互いに顔を見合わせた。

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