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selection.12 献上品を探せ!!(後編)

「で、では、ご相談にのって頂けるんですね!?」


 今年で31歳を数えるというイズモ公爵は、少年のような笑顔を浮かべてそう言った。


「うん、まぁ、のるよ。だから早く品を持ってこい」

「実はもう持って来させているんです」

「用意がいいな! 早いに越したことはないので一向に構わんのだが!」


 イズモ公爵は、この日は数人の部下を従えて城を訪れていた。公爵に命じられた部下は台車の上に複数のアイテムを載せ、大広間まで運んでくる。


 さて、昨晩約束を取り付け、そしてその夕食の席で、ラグラはイズモ公爵の目的をおおよそ聞き及んでいた。さまざまなやんごとねえ事情から、公爵の要望を聞き入れることにしたラグラではあるが、のんびり談笑しながら持ってこられたアイテムを厳選するかというと、そんなことつもりは毛頭ない。

 時は金なり。時間だけは、この世で厳選することが叶わぬ数少ないものだ。たまに例外は生じるが、誰にとっても平等な時の流れであるからこそ、ラグラはそれを無駄にしたくないと考えている。


 アヒルちゃんの厳選だってやりたいし、ダンジョンの霊子情報ソースコード解析も進めなければならない。ここ数日は苔の魔導書を検証する都合で、厳選が滞ったままなのだ。


「ひとまず約束しろイズモ公爵。俺は自分のペースを乱されるのが好きではない。この選別作業が終わったら、二度とこんな下らん要件を持ち込むなよ」

「わかりました!」

「返事だけは良いなー」


 ほんとにわかってんのか、と思いつつ、ラグラは台車の上に並べられたアイテムを見やる。


 古今東西、さまざまなアイテムを取り揃えた、といったところだ。武具、防具に始まり、古書や陶磁器、木彫りの人形、からくり仕掛けの小物、珍しいところではイースターゴーレムなど。大陸の端から端まで駆けずり回らねば、到底集めきれないようなラインナップ。

 この中から、皇帝への献上品をひとつ見繕えというのが、イズモ公爵の依頼である。


 ミルが、厳選に用いるための倍率変動モノクルや定規、魔導燈などを台車に載せて運んできた。この間、フィリシスは自室にこもってアヒルちゃんをいじくり回しているので、姿を見せない。


「総合的に見て、一番良いと思われる品に、太鼓判を押していただければと思います」

「一番良い品だな! それを貴様に持たせればいいわけだ!」

「はい」

「ふむ、任せておけ」


 ラグラはモノクルをつけ、運ばれてきた品々を手に取る。


「あと、セレクション殿が普段ご利用なさっているという、スラグ鑑定雑貨のアイテム評価書がこちらにあります」


 それは助かる。イズモ公爵の差し出した書類を、ラグラは受け取った。客観的な鑑定能力で言えば、《真・鑑定眼》のネイティブスキルを持つスラグの方が優れているのだ。ただ、彼女は根っからの商売人であるので、『厳選』には向かない。粗悪品にも相応の値段をつけて、貧乏人相手に売りつけるあたりが、ラグラとは異なる。


 いや、しかし、


 手袋をはめ、運ばれてきた長剣と評価書を見比べながら、ラグラは思う。

 隕鉄剣メテオライトソード。攻撃修正は400オーバー。メテオライト製の武器は、エンチャント不可の上にスロットが存在しないという拡張性の低さから、熟達した冒険者にはさほど好まれない。ただ、素材の希少性は高く、金属としての性質は優れているため、献上品のチョイスとしては中々だろう。


「だがこいつはダメだな。メテオライト製の長剣なら、妥協値としても500オーバーだ。この程度の性能なら、プラチナ級ダンジョンに3週間も潜っていれば最低1本は手に入る」

「は、はぁ……」

「こっちの防具もだ。辛うじて一流品と呼べるレベルではあるが、妥協ラインには到底及ばんな。大陸の名うての匠に大金を積めばまぁなんとか作れなくもない程度の作品に過ぎん」

「それは十分なレベルなのでは……」


 イズモ公爵がおずおずと切り出す。


「私も必要以上にセレクション殿のお手を煩わせようとは思っておりません。この中から、一番良いものを選んでいただければそれで良いのです」

「そう言えばそうだった」


 いかんいかん、とラグラはかぶりを振った。ついついいつもの癖が出てしまうのだ。妥協品にさえ届かないアイテムはすべてゴミ、そこを潜り抜けたものすら理想品を手にするまでの繋ぎに過ぎない。そんな考えはこの場は無用の長物である。

 大事なのは絶対評価ではなく相対評価だ。自分の中の厳選レベルを、もっともっと下げねばならない


 いや、しかし、


「(この中で一番マシなのは、この隕鉄剣かイースターゴーレムだ……。献上品にするならこの2つのどちらかだと言えば、イズモ公爵は帰る……。俺も、自分の作業に没頭できる。しかし……)」


 ラグラは隕鉄剣を手に取った。


 イズモ公爵が粗悪品をつかまされたとまでは思わない。一般流通する武器の中では、こいつは間違いなく最高クラスの逸品だ。ラグラならばスラグに叩き売るだろうが、冒険者でもこのレベルの武器を手に出来るのは一握りだろう。あまり冒険者人気のない隕鉄武器だということは、また別にしても。

 だが、これを献上品としてゴーサインを出すことに、ラグラはひどく躊躇していた。


「(だいたい、総合的に見てどれが一番マシかなど、俺でなくとも下せる判断ではないか!)」


 それこそスラグにだって出来ることだ。彼女はカネにがめついが品物に対して誠意を失わない人物である。すべての品に客観的な値段をつけて、その一番上の品が献上品に相応しいとするなら、おそらくラグラと同じ結論に至る。


「セレクション殿?」


 イズモ公爵が首を傾げている。ラグラはがばっと振り返って人差し指を立てた。


「トイレタイムだ! しばらくそこで待っていろ!」

「あ、はい」

「ノイノイ!」


 ラグラが大声で叫ぶと、ぱたぱたと小さな羽音をたて、大広間の奥からノイズラプターの子供が姿を現わす。


「ぴー?」

「しばらくイズモ公爵の話し相手をしていろ!」

「ぴー!」

「ミル、俺をトイレに案内しろ!」

「ぴー」

「〝ぴー〟!?」

「冗談です。かしこまりました、坊ちゃま」

「キャラに合わないボケはやめろ! 戸惑うだろうが!」


 一連の慌ただしいやり取りの後、ラグラはミルに案内されて大広間から消える。そこには大量のアイテムが残され、その前でイズモ公爵とノイノイが静かに顔を見合わせるのみであった。


「また君か……。次は何の話をすれば良いんだろう……」

「ぴー!」


 ノイノイは嬉しそうに鳴き声をあげると、高周波によるモスキート音を響かせながらイズモ公爵のまわりを飛び回った。





「フィリシス! フィリシスはいるか!」

「いるわ」

「いなかったらそれはそれで困るな!」


 ばたん、と扉を開け、ラグラはフィリシスの研究室に入る。


 ここは厳選城モット・セレクションの一角。フィリシスのために与えられた研究と実験用の部屋だ。ラグラが大広間を発ったのはトイレの為ではない。この部屋に来るのが目的であったのだ。ただ、一人で行くと迷う可能性があったので、ミルに道案内を頼んだ。

 フィリシスは部屋の中央で、大量に用意された厳選漏れのアヒルちゃん達に、最良の調整を加えている真っ最中だった。いつものようなローブ姿ではなく、白衣に薄縁の眼鏡という装いが、ちょっぴり新鮮である。


「貴様アレだな。意外と眼鏡似合うな……」

「そう? 私はあんま好きじゃないのよね。好きじゃないから外すわ」


 フィリシスは外した眼鏡を机の上に置き、そこではじめてラグラと目を合わせる。ちょっともったいない気がした。だが、ラグラはすぐに頭を左右に振る。


「いや、そんなことを言いに来たのではない! 大変だぞ、ミルが冗談を言った!」

「えぇっ!?」

「いや違った! 違わないけど違った! そんなことを言いに来たのではない!」

「ちょ、ちょっと待って!? その話、もっと詳しく聞かせてよ!」


 言いながら、フィリシスの視線はラグラの背後のミルへと向けられている。自己主張をしない完璧なメイド・ミルは、自身が話題の渦中にあることなどとんと存ぜぬとでも言うように、澄まし顔で待機していた。

 あまりにもフィリシスがしつこいので、ラグラが事の顛末を丁寧に説明してやると、彼女は感心したかのように腕を組んで深く頷いた。


「なるほど……。ミルの〝ぴー〟ね……。私も聞いてみたかったわ……」

「また次の機会がありましたら」

「わかった。楽しみにしてるわね。ありがとうラグラ、貴重な話だったわ。もう戻って良いわよ」

「違うよ! そんなこと言いに来たんじゃないって言ってるでしょ!」


 言い出したのは自分なので、そこまで強くは出られないラグラである。


「聞いてくれ、フィリシス。俺はいま、イズモ公爵の相手をしているんだ」

「あ、まだやってたのね。すぐ終わらせるのかと思ってたわ」

「俺もそのつもりだったんだがな……」


 フィリシスが椅子に腰掛けたまま、身体ごとラグラへ向き直る。丁寧に話を聞こうという体勢だった。ラグラは己の正直な心境を、纏まらないながらも告白することにした。


 イズモ公爵が持ってきた、献上品候補としての品々。それはいずれも、一般的には非常に高価な、優れたアイテムの数々である。だが、はっきり言ってラグラの目からすれば、妥協品にも劣るようなゴミの山だ。この中からひとつ、献上品に相応しい品をと言われても、どうしても選ぶことができない。

 はっきり言って、適当にあしらってさっさと自分の時間を確保する方が、よほど有意義であるに違いないのだが。しかし、ラグラにはそれができないのだ。


「なるほど」


 フィリシスは真剣に聞いていたが、やがてそう頷いた。


「ひとつ聞いてもいい? ラグラ」

「なんだ」

「どうしてあなたは、それを私に相談したの?」

「そう言えばなんでだろう」


 あの時点で、自然と脳裏に浮かんだのが彼女の顔だったというだけのことだ。だが、ラグラはすぐに、それについてこう理由付けた。


「おそらく貴様が俺の心境を一番理解できると踏んだのだ。厳選王子だからな。そう言った目利きには自信がある」

「ふんふん」

「貴様が俺と同じ状況に陥ったら、どうする? アイテム調整の依頼をされてだな。まぁ、ちょこっと手を加えれば済むような、簡単な仕事だ。片付けなければならないタスクは山ほどある。そんなものに時間を割いている余裕などない、といった時にだ」

「ふーん……」


 フィリシスは腕を組んで、しばらく考え込み、こう答える。


「私だったら、そんな状況には陥らないわ」

「なんだと?」

「それが調整カスタム製造クラフトと名のつく仕事なら、〝ちょこっと手を加えれば済むような簡単な仕事〟なんてものはあり得ないわ。全部が全部、私にとって命懸けよ」


 その瞳が、じっと正面からラグラを見据えた。


「あなただってそうなんでしょう、厳選王子」


 そう言われたとき、ようやくラグラは、自身が抱いていた違和感の正体に気づく。


 そう、その通りなのだ。イズモ公爵は、厳選王子としてのラグラの力を求めてやってきた。正確には力ではなく名前だが、彼にとっては同じことだ。厳選王子として厳選することを要求されたからには、それはひとつの例外もなく、彼が魂を賭して行うべき〝厳選〟である。中途半端な仕事はあり得ない。


 相対評価なんて甘えは存在しない。イズモ公爵が運んできたものは、ただひとつの例外もなくゴミなのだ。あんなものを皇帝にくれてやるなど、とんでもない話である。

 ともすればそれは、セレクション・セレクション存在すら汚しうる行為なのだ。


 現状、父・厳選王と、自らの面目を保つ手段は、ひとつしかない。


「やはり俺の目利きに間違いはなかったな! 礼を言うぞ、フィリシス!」

「私、あなたにお礼言われたの初めてな気がするわ」

「それほど普段の貴様の行いが残念だということだよ……」


 ラグラはくるりとミルに向き直って言う。


「ミル、大広間に戻る前に寄るところがある。連れて行け」

「かしこまりました、坊ちゃま」

「それって時間かかりそう?」


 フィリシスは白衣を脱ぎ、ローブに着替えながら尋ねてきた。


「今日のノルマはだいたい終わったから、あなたが戻るまでイズモ公爵の相手でもしていましょうか?」

「ふむ……」


 顎に手をやって、ラグラは考え込む。テーブルの上に並べられたアヒルちゃんは、どれも大層な仕上がり具合であった。厳選王子たるラグラも、ケチのつけようがないレベルだ。


「ノイノイに相手をさせるよりはマシか。少し時間がかかるかもしれん。頼んだぞ」

「任せて!」


 フィリシスはぐっと親指を立ててウィンクする。


「なんたって私は一億万年に……」

「それ聞くと途端に不安になるからやめろ!!」





 ノイノイと必死に意思疎通を図っていたイズモ公爵は、やがて大広間に戻ってきた人影を見つけてほっとする。しかしそれは、厳選王子ラグジュアリー・セレクションではなく、魔導調整師フィリシス・アジャストメントであったことが、まず彼を驚かせた。


「おお、フィリシス嬢! 今日も相変わらずお美しい……!」

「あ、うん。ありがと」


 ノイノイはフィリシスの姿を認めるや、嬉しそうに彼女のもとへ飛んでいく。


「ラグラ、もうちょっと時間かかるんだって。それまで私が話し相手をするわ」

「ふむ、そうですか……」


 イズモ公爵としては、そこまでラグラを急かすつもりはない。ただ、彼にも彼の都合があるだろうから、さっさと品定めをしてもらいたかったという、それだけのことだ。

 貴族でありながら、幼少期より冒険者に憧れていたシルウィード・ズ・イズモにとって、厳選王グラバリタは憧れの的のひとつであり、そしてその憧憬は当然その息子たるラグジュアリーにも向けられている。あまり彼の手を煩わせることは、したくなかった。


 この城を尋ねたのは、当然、憧れとは違う打算があってのことだ。かつて帝国の窮地を救ったセレクション・セレクション。厳選王子の手で自ら選び抜かれたアイテムは、救国の武具と同様の価値を持つ。それを皇帝聖下に献上することは、イズモ公爵家の地位を磐石にし、さらに皇帝御自らの、冒険者に対する評価の向上にも繋がる。


 そう言えば、と、イズモ公爵は思った。


「フィリシス嬢、」

「何かしら」

「皇帝聖下の杖をお作りになる機会がまたあったとしたら、どうします?」


 公には知られていないが、かつて皇帝聖下へ献上された皇笏ライゼンドグランド。あれをこしらえたのも、確か厳選王であったはずである。目の前にいる少女フィリシスが献上

した杖は、それに次ぐ2位。

 彼女はそれを知らないはずだが、そのフィリシスが厳選城で暮らしているとは、少し因果な話である。


「そりゃあ、リベンジするわよ」


 フィリシスは当然でしょ、とでも言うように胸を張る。


「見返したいっていう思いも正直あるしね。でもまー、無理ねー。私、アジャストメント伯爵家からはもう勘当されてるじゃない」

「そうですか……」


 もし今回の献上品の件で、イズモ公爵の発言力を更に強化することができたなら、


 皇帝聖下にその口利きをすることが、できるかもしれない。


 が、それはあくまでたらればの話だ。ここで迂闊に口に出して、ぬか喜びさせるようなことではない。


 イズモ公爵がそんなことを思っていた時、大広間の奥から、2つの影が姿を見せる。


「待たせたな、イズモ公爵!!」


 先ほどより、いささかテンションのあがった様子で、厳選王子ラグジュアリー・セレクションが帰還した。何故だか、目元が少し、赤く腫れ上がっているように見受けられる。その後ろからついてきたメイドのミルは、両手で小さなトレーを持っていた。


 だが、そのあたりの事情を突っ込むのは不躾だ。イズモ公爵は笑顔を作って、ラグラにこう尋ねた。


「お待ちしておりました、セレクション殿。それで、どの品を皇帝聖下に献上すればよろしいのでしょうか」

「うむ!」


 厳選王子ラグラは、満面の笑みを浮かべてこう言ったのである。


「すべてゴミだ!!」

「は?」

「俺の前では等しくゴミだ! 路傍の石となんら変わらん! こんなものを献上品に勧めたとあっては、俺の品位が疑われる!」


 フィリシスがぱちぱちと手を叩き、彼女の頭の上のノイノイが、その真似をして翼を叩く。

 何を言われたのかわからなかったのは、イズモ公爵の方である。この中から、一番質の良いものを選んで欲しいと、そう言ったはずであるのに、まったく予想だにしていない返答だったのだ。


「セレクション殿? お言葉ですが、私が申し上げたのは……」

「くどい!」


 おずおずと言葉にしようとするも、ラグラはそれを一瞬で切り捨てる。


「俺の前では等しくゴミだと言ったはずだ! 即ち優劣など無いも同然! すべての品が、まったく同じようにゴミなのだ!」

「そ、それでは皇帝聖下への献上品を選ぶことなどできません!」

「この中から選ぶな! もっとマシなものを持ってこい!」

「もう猶予がないのです!」


 イズモ公爵が悲鳴をあげた。


「こちらの都合を後出ししてしまって申し訳ありませんが、私は献上品について既に相当皇帝聖下をお待たせしてしまっている。もう猶予がないのです!」

「フン、俺の知ったことではないな!」


 厳選王子は腕を組み、踏ん反り返って言う。


「俺に頼み込もうという時点で、貴様は俺に厳選の手を委ねたのだ。厳選を舐めるな。中途半端な妥協など、そこにあってはならん。妥協するなら俺に頼むな。その辺の二流鑑定士でも抱え込んで、ひとり自慰をするようにシコシコと品を選べば良い!」


 その言葉には、まさしく取りつく島もない。だが、それは厳選王子なりの正論であったことだろう。厳選を舐めている、という点において、イズモ公爵はまったく反論することができなかった。

 厳選王子に妥協を強要するという狼藉に、イズモ公爵はそのとき初めてきがついたのだ。


「だが、」


 がっくりとうな垂れるイズモ公爵に対し、ラグラは不遜な態度のまま告げる。


「今回の件について、俺も不覚があったことは認めよう。軽率だった! 俺もまた、自らに対し厳選というものを侮っていた! なので、一番良い緩衝点を用意した!」

「か、緩衝点……?」

「そうだ! 俺が今までに選んだ中で、一番良い品をくれてやる! それを皇帝のもとへ持っていくが良い!」


 ラグラが合図をすると、ミルが一歩前に出る。聖銀製のトレーに載せられたそれには、赤い布がかけられている。それを見たとき、フィリシスはハッと顔色を変えた。


「ラグラ、まさかそれは……!」

「そうだッ!」


 ラグラがばばっと赤い布を取り去ると、トレーの上に載せられた品物がその正体を現す。


 それは、眩いばかりの輝きを放つお風呂用玩具、いわゆるアヒルちゃんだった。

 いや、輝いているというのは錯覚に過ぎないか。そのアヒルちゃんは確かに美しい光沢を宿してはいたが、色彩自体はスタンダードなイエローだ。だが、見るものに輝いていると錯覚させるだけの美しさが、そこにはあった。

 ともすれば荘厳さは、見るものの心を奪い落ち着かせないものではあるが、このアヒルちゃんは美しさの中に癒しと和みの黄金律とも呼ぶべきものを宿しているように見受けられた。見ているだけで心が蕩けそうである。風呂に浮かべれば、さぞかし癒されることだろう。


「俺が1000万体近いアヒルちゃんの中から、8万体のアヒルちゃんを選び抜き、その中から更に厳選を重ねたどり着いた、わずか22体のアヒルちゃんの内の1体!」


 ラグラが叫ぶと同時に、ミルがアヒルちゃんのお腹を押す。


『ぐわっぐわっ』


 その鳴き声を耳にした時、イズモ公爵は自然とその瞳から涙が溢れ出るのがわかった。それは、彼が生まれてから今まで、この世で耳にしたありとあらゆる音よりも美しい音色に感じられたからである。


 これが一級品。厳選王子ラグジュアリー・セレクションの厳しい審美眼を潜り抜けることができた、数少ない超最高級品。

 その時、シルウィード・ズ・イズモ公爵は、生まれて初めて一級品という言葉の、真の意味を知った気がした。


「ラグラ、しかもそれって確か私が……」

「そうだ。22体の中で唯一フィリシスに調整を任せた1体。即ち、世界に現存しうるアヒルちゃんの中で、これに勝る個体は存在しない!!」

『ぐわっぐわっ』


 ミルが、トレーに載せたアヒルちゃんを持ってイズモ公爵へと近づく。そのままトレーをこちらに向けて差し出してきた意味が、イズモ公爵にはすぐにわからなかった。顔をあげて視線を向けると、ラグラは背を向けて、こう言った。


「貴様にくれてやる」

「は……? しかし、これは……」


 これは、その口ぶりからするに、厳選王子ラグラが今までに厳選してきた中でも、最高の逸品ということになる。いや、確かに先ほどそう言ったのだ。今までに厳選した品のなかで、一番良いものをくれてやると。

 厳選王子ラグラが今までに厳選した中で、最高の一品。確かに皇帝への献上品としては、これ以上ない品ではあるだろう。だがしかし、これは……。


「いえ、セレクション殿。さすがに私はこんなものは……」

「くれてやると言ったんだ!」

「私は、自分が持ってきたモノの中から選んで欲しかっただけで……」

「それは全部ゴミだと言った! 俺は貴様に皇帝に献上する品を見定めてやると約束したんだ! そのアヒルちゃんを持って帰るか、手ぶらで帰るか、貴様が選ぶのはそのどっちかだ!!」


 背中を向けたまま、ラグラは叫んだ。ぐっと握りしめた手から、じわりと血が滲んでいた。


 やはりこれはそうなのだ。ラグラにとって、一番手放したくない最高の品なのだ。大変なことになってしまった、とイズモ公爵は青くなる。こんな大切なものを出せと言うつもりはなかった。きっと厳選王子もまた、勢いやモノの弾みで言ってしまっているに違いないのだ。

 なんとか止めねば、と思いフィリシスを見るが、彼女は腕を組んだまま何を言おうともしなかった。


 ラグラは更に叫ぶ。


「自分勝手なことを言っている自覚はある! だが、俺は一番良い品を貴様に持たせると言ってしまったのだ! そして、俺が貴様に持たせられる、総合的に見て一番良い品が、それなのだ! 俺は厳選という行為に嘘はつきたくない! だから、それを持ってさっさと帰れ! 帰ってくれ!!」

「わかりました。このお礼は必ず……」

「帰れーッ!!」

「は、はいッ!」


 イズモ公爵は、アヒルちゃんを大事に箱に仕舞うと、部下たちに命じて撤収する。脇目も振らず一目散。台車やその上のアイテムも回収せず、彼らはあっという間に厳選城モット・セレクションから退散した。





「う、ううう……う……」


 イズモ公爵が帰った後、ラグラは床にへたれ込み、両手をついてはらはらと涙を流した。


 すべては己の不覚と軽率が招いた結果である。この依頼を受ける前に、もっとその意味を吟味するべきだったのだ。厳選王子でありながら、厳選というものを甘く見た、手痛いしっぺ返し。その結果、ラグラは彼の愛する一体のアヒルちゃんを手放さなければならなくなった。


「よく頑張りましたね、坊ちゃま。偉いですよ」


 ミルがラグラをそっと抱きしめながらそう言う。


「ぴー」


 ノイノイもまた、ラグラを慰めるようにその翼でぺちぺちと頭をはたいた。


「うう……。ミル……、ノイノイ……」

「坊ちゃまはご立派です。厳選王たる旦那様の御子息として、取るべき行動を見事に取られました。家名と、厳選という行為の誇りを守られたのですから、もっと胸を張ってくださって良いのですよ」

「でも、アヒルちゃんが……アヒルちゃんが……」

「はい、心中をお察し申し上げます」


 ラグラがミルの胸元に顔をうずめて泣きじゃくる中、彼の背後で、フィリシスも静かに腰を下ろした。


「あなたは立派だったわよ、ラグラ」

「フィリシス……」

「ごめんね、そもそも私が10時間も立ち話したからこんなことになったのよね」


 そう言えばそうだった。元を辿ればフィリシスがイズモ公爵を延々10時間も引き止めていたのがことの発端であって、彼女がいなければこんな思いをすることになかった。まあ、それは確かだ。

 それでもやはり、厳選を甘く見た自身の軽率である。その責任を他人に転嫁するべきではない。


 フィリシスは、ローブの中に手を突っ込んで一体のアヒルちゃんを取り出す。


「新しいアヒルちゃんよ。いなくなったあの子の代わりにはならないけど」


 それは、今日フィリシスが調整したアヒルちゃんの内の一体、理想個体よりほんのちょっぴり水に浮きにくかったというそれだけの理由で、厳選漏れにせざるを得なかった一体に、最適な調整を施したものだ。

 水に浮かなかったというだけであり、色ツヤや目元周りのペイント、鳴き声、まったり感などは申し分ない一品である。フィリシスの施した調整は、水に対する親和性をさらに下げ、全体的な愛らしさのポテンシャルを最大限に引き出したものであるらしかった。手に吸い付くような、それでいて天使の羽に触れたかのような、まろやかな触り心地。ラグラの手のひらに、楽園が舞い降りた。


『ぐわっぐわっ』


 聞く者の耳をとろかすような鳴き声が、アヒルちゃんから漏れる。ラグラは再び涙を流した。端から見れば、こいつ何を泣いているんだと思わざるを得ない光景ではあったが、本人は割とマジ泣きであった。


 その日、厳選王子ラグジュアリー・セレクションは、痛みを知ってひとつ大人になった。そしてまた、厳選のなんたるかを、改めてその心に刻んだのである。


「全然綺麗に纏まってないわねー」


 アヒルちゃんを抱きしめて大泣きするラグラを眺めて、フィリシスはぽつりと呟いた。


 後日、イズモ公爵によって皇帝に献上されたアヒルちゃんは、日々の政務で荒んだ皇帝の心をたいそう癒したとされる。ラグラのもとのには書状が届いたが、皇帝からの手紙にまったく興味のない彼は、それをゴミ箱へと捨ててしまった。

 結局のところ、皇帝から厳選王子へと向けた正式な依頼が届くのも、それが帝国に激震を呼ぶのも、それからまた、しばらく経ってのことであった。

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