selection.11 献上品を探せ!!(前編)
「やはり日と場所によって発生にムラがある……。偶然とは思えんな」
ガタガタと揺れる荷車の中でである。ラグラはサンプルの苔を並べ唸っていた。
ダンジョン探索の帰りだ。相変わらず苔の魔導書に関する検証を続ける為、ラグラは冒険者たちを集めてダンジョンへもぐり続けている。最近は苔の魔導書もようやく数が出そろい、その平均的なスペックの割り出しもできるようなってきたが、その出現条件ばかりはいまだにつかみ切れてはいない。
新種の魔導書が発見されたという情報は、すぐにゼルメナルガ全体を駆けまわった。新種アイテム自体は定期的に発見されるのだ。空間生命体であるダンジョンは定期的に情報更新を行い、その際に新種アイテムが発生しやすい。すなわち、この新種が情報更新によるものであれば、他にも新種のアイテムが見つかる可能性がある。この知らせは一部の冒険者を熱狂させ、また一部の冒険者を落胆させた。
情報更新が行われれば、それまでのダンジョンの常識が一変する。アイテムひとつってもラグラのように検証に追われるのだからして、新事実の発見というものが冒険者に及ぼす影響は計り知れない。熱狂する者や落胆する者が出るのは、つまりまあ、そういうことだ。
「しかしそれにしても、この苔の魔導書にはいまだ謎が多い。うぅむ……。魔法攻撃力への修正値は、平均が420……。最大値が600オーバーか。しかしこれが理想値かというと、ダンジョンの霊子情報を解析してみんと、なんとも言えんな……」
一人でぶつぶつ言いながら、積み重ねられた書類の山をひっくり返すラグラ。
「さっさと理想数値を割り出して、厳選を開始したいんだが……うっ……!?」
しかし途中、いきなりラグラの顔が青くなったかと思うと、彼は口元を押さえてうずくまった、
「み、ミル……! 酔った……! 助けてくれ……!」
ラグラがか細い悲鳴をあげるのと、荷車が停止し、荷台にミルが乗り込んでくるのはほぼ同時だった。
メイドのミルはそのままラグラに歩み寄り、そっと抱きかかえて荷車の外に連れ出す。
ゼルメナルガから厳選城へ帰る途中の、メノスティモ平原のド真ん中である。荷車を牽引していた金角獣は、停止命令を受けて足を止め、のんびりと足元の草を食んでいた。
「坊ちゃま、お気を確かに」
「うっ、うぇっ……。やはり荷台で資料を読むものでは……。うっ、ぷ……」
「お背中をおさすりいたしましょう。こうした時は我慢なさらずに」
「おっ、おろろろろろろ……」
びちゃびちゃ、とラグラの口から吐瀉物が濁流のように吐き出され、メノスティモに生きるたくましい雑草たちの上に降り注いだ。
「つ、続きは帰ってからやろう……。まだちょっと気持ち悪い……」
「遠くを見ると良いと聞きますので、御者台の私の隣でお休みくださいませ」
「そうする……」
ラグラの口元をハンカチでふき取ると、ミルは彼を抱きかかえて御者台へと移動する。ラグラはミルの隣に腰を下ろすと、そのままふらふらと頭を動かしていた。顔はいまだに真っ青だ。
「横になられても構いませんよ」
「うむ……」
ラグラは特に遠慮もせず、ミルの膝を枕にして横になった。
「俺も寝具を厳選して長いが、いまだにこれ以上安眠できる枕は見つからんな……」
「お褒めに預かり光栄です」
ミルが手綱を掴むと、金角獣はゆっくり顔をあげ、彼女の指示に従うようにして歩行を再開した。厳選城モット・セレクションへと向かう、平原の道なき道を、一台の荷車がのんびり進んでいく。
「そういえば、今朝、またイズモ公爵がいらしてましたね」
ミルが話題の途切れ目にそんなことを言い出す。ラグラも頷いた。
「ああ、来ていたな……」
イズモ公爵。シルウィード・ズ・イズモ公爵だ。帝国貴族の筆頭であり、帝国でも有名な外交官の一人でもある。このメノスティモ平原は、冒険者が根付いていることもあってか、帝国の権力が及ばぬ土地のひとつであり、イズモ公爵は頻繁にこの地を訪れる。帝国にとって冒険者ギルドは脅威なのだ。ゼルシア自治領のノルンバッカー氏や、ゼルメナルガのゲゲドモンガ氏と個人的な親交を深めることで、イズモ公爵は冒険者ギルドの武力が帝国に向かないようにしている。
まぁ、敏腕なのだ。帝国貴族の中では冒険者に偏見を持たないということもあってか、このあたりでもイズモ公爵を嫌う人間は見かけない。
そんなイズモ公爵に心を開かない数少ない冒険者が、他ならぬラグジュアリー・セレクションであった。父の代から城を訪れては目通りを願い出ているのだが、ぶっちゃけ面倒なので城の中に通したことは一度もない。
「出かけるところだったので、フィリシスに相手をさせて出かけた。顔なじみらしいな」
「フィリシス様は帝国の伯女様でいらっしゃいますので」
「ああ、やっぱ貴族なのか……」
ミルの膝枕の上でごろんと寝返りを打つラグラ。
まぁ、そんなところだろうとは思った。フィリシスは自己中心的で自分勝手で無駄に自信過剰でおまけにメンタルが10万はあろうかというバケモノだが、言葉遣いは意外と丁寧だ。相手を必要以上に貶める発言もせず、気を利かせることもできる。
気を利かせた結果、ラグラをフォークでメッタ刺しにしたりするので、正直そんなもの利かない方がよっぽどいいのだが。
とにかく、そんなフィリシスであるので、まぁ育ちは良いのだろうなと思っていた。腐っても厳選王子だ。人を見る目はあるのである。その割には彼女のステータスを見抜けなかったりしたが、まぁ、うん。
「イズモも、俺がいなければ城にあがる意味もないからな。フィリシスと適当に世間話をして帰っただろう。あの女もこういう使い道があるとは思わなかった。これから来客は全部あいつに相手させよう」
「フィリシス様でしたら、その場のノリで座敷にあげてしまうことがあるかもしれません」
「ふん、それはないな」
腕を組み、青空を眺めながらラグラは鼻を鳴らした。
「きちんと言い含めてある。俺の許可がない限り誰も城には入れるなとな」
そのように言ったところ、フィリシスは胸を張ってこう答えたのだ。『任せて! 私はあなたの許可がない限り誰にも城に入れないことにかけても人後に落ちない史上空前の天才美少女よ!』と。正直その言葉には何の説得力も安心感もあったものではないのだが、さすがにあそこまで自信満々に言っておいて中でのんきにお茶をしているとも思えない。
今頃フィリシスは、城の中でアヒルちゃんの調整に全力を尽くしているはずだ。
フィリシスが調整したアヒルちゃんの様子はすこぶる良い。目つきが鋭い、声が低いなどといった〝欠点〟から厳選漏れになったアヒルちゃん達の〝欠点〟を〝長所〟として再調整するのだ。目つきの鋭いアヒルちゃんは、凛々しさを宿したアヒルちゃんになったし、声の低いアヒルちゃんはそのバリトンボイスが耳に甘ったるく残るアヒルちゃんになった。
「帰った頃にはどんなアヒルちゃんが増えてるかなー! 楽しみだなあ、フハハハハハ!!」
ミルの膝枕に頭を乗っけたまま、ラグラは上機嫌に叫んだのであった。
「しかし、アレよねー。私ね、勘当されたからこうやって平然と話してるけど、昔イズモ公爵の家にお伺いした時もすごい失礼なことしちゃった気がするのよね」
「そ、そうですね。ははは……」
「覚えてる? あの時、まだ公爵は公子で、初めて会った私に求婚してきたじゃない。公爵が19歳で、私が7歳の時よ。お父様は結構舞い上がったけど、あれ冷静に考えるとヤバいわよねぇ。お母様が真っ青になった理由もよくわかるわ」
「い、いやあ、ははは。懐かしいです……。それで、あの、私はそろそろ……」
「そういえばこんなこともあったわよね。あれは確か10年前だけど……」
「何をまったりのんびり世間話をしておるのだッ!!」
帰ってきたラグラが真っ先に見つけたもの、それは、玄関先で楽しげな世間話に花を咲かせるフィリシスとイズモ公爵の姿である。フィリシスはラグラを見るなり、満面の笑みでてをふった。
「おかえりなさい、ラグラ!」
「おぉ、ただいま! って違う!」
同じく満面の笑みで手を振り返してしまったラグラは御者台から降りてフィリシスに食ってかかった。
「これはなんだ、フィリシス! どういうことだ!?」
そう言って叫ぶラグラの人差し指は、やや困惑した顔のイズモ公爵に向いている。
朝方に城を出て、今は夕刻。てっきりアヒルちゃんの調整を続けていると思ったところに、これである。いささか短慮ではあるものの、いつものフィリシスを見れば理解できない怒りではない。日頃の行いである。
「ふふん。聞きたいなら教えてあげるわ、ラグラ」
「貴様が自信満々に胸を反らした途端聞きたくなくなるこの現象に名前をつけたい」
「この人はシルウォード・ジ・イズモ公爵! 帝国の外交官よ!」
「シルウィード・ズ・イズモだ! 俺が聞きたいのはそういうことじゃない! っていうかボケをかますなら名前を間違えるな、ツッコミにくいわ! ……うっ」
ラグラはだんだんと床をストンピングして怒りを表現するが、酔いがぶり返してきたのかよろよろと倒れこんだ。荷物を降ろしていたミルがすぐに飛んできて、その背中をさする。
ミルに口元を拭いてもらいながら、とりあえずラグラは怒りを再燃させた。
「俺が聞きたいのは、10時間前にイズモ公爵の話し相手を任せたお前が、何故今もこうして……おいやめろ、親指を立ててウィンクするな! なんだその『言いつけ通り一歩も城に入れなかったわ』と言いたげなソレは!」
「なんか思い出話に花が咲いて止まんなかったのよね」
「デンガナマンガナ諸島の話し好きのオバちゃんか!? 10時間だぞ10時間!」
「えー、でも話し足りないわよ」
「それは貴様だけだから! イズモ公爵を見ろ、もう帰りたくて仕方ないって顔してるぞ!」
10時間も立ちっ放しで世間話に耳を傾けていたのでは、イズモ公爵の苦痛というものも相当なものであったことだろう。しかしフィリシスはそこで初めて気づいたかのような、きょとんとした表情で首を傾げた。
「そうなの?」
「ああいえ、私はそこまでは……」
「ほら、本人もこう言ってるわ。もっと話すわ」
「やめてやれよお!」
にっこりと笑って世間話を続けようとするフィリシスの肩を、ラグラはがくがくと揺らす。
「イズモ公爵もイズモ公爵だ! こいつにどんな弱みがあるのか知らんが」
「多分惚れた弱みだと思うの。公爵って確かロリコンなのよね」
「貴様の育ちが良いと思っていた自分の感性が信じられなくなってくるわ!」
ラグラが目配せをすると、ミルはわずかに頷き、そのまま電光石火のごとき速度でフィリシスに駆け寄った。フィリシスが反応するより早くその口を塞ぎ、片腕を捻り上げる。ミルの妙技によって、この口喧しいメンタルオバケは一時動きを封じられた。
「今だイズモ公爵。腹も減ったし疲れただろう。さっさと帰れ」
「は、いや。しかし……」
「貴様の趣味は同じ男として俺の胸に内に留めておく。だがこれは良心からの忠告だ。この女だけはやめておけ。死ぬぞ」
「いえ、私は帝国の外交官として、本日はセレクション殿にお話が……」
「仕事熱心だな! 早く帰れよ! そこまで言うなら明日会うわ!」
言ってから、ハッとする。だが、言ったときにはもう遅い。イズモ公爵は、そこで初めて救われたかのような笑みを浮かべてこうのたまったのである。
「ありがとうございます! それだけで10時間立ち尽くした甲斐がありました!」
頭を深々と下げて、イズモ公爵は城の前に停めてあった白馬へと跨る。そのままメノスティモ平原を颯爽と走り去って行く後ろ姿を見つめ、ラグラはぽつりと呟いた。
「俺、こいつが来てから流されることが増えたなー……」
その時、こいつことフィリシス・アジャストメントは、関節を見事に極められて白目を剥いていた。
「皇帝への献上品だと?」
夕食の席で、ラグラは訝しげな表情を作る。ステーキを上品に切り分けながら、フィリシスは頷いた。
「うん、なんかそんなこと言ってたわ。明日来るなら、またその時に話があるでしょうけど」
話題は、当然シルウィード・ズ・イズモ公爵についてだ。
幾度となく厳選城モット・セレクションを訪れては追い返されていたイズモ公爵の目的を、ラグラはフィリシスの口から初めて聞いた。聞いて、ふんと鼻を鳴らす。
「俺のコレクションから何か持って行こうというのか? 浅ましい話だな」
「そうじゃないみたい。なんかね、公爵が用意した物の中から、献上品に相応し
いものを探して欲しいんだって」
それはそれで、妙な話だ。
ラグラは、ミルが口元に運んできたステーキの切れ端を咀嚼しながら考え込む。
ごくん、と飲み込んで、曰く、
「仮にも公爵なんだろう。それに冒険者とコネのあるあの男は顔も広い。うちにあるような超絶無敵最強無敵一級品ならともかく、」
「無敵2回言ったわよ?」
「うるさいな。ともかく、そういった品ならともかく、イズモ公爵が早々二流品をつかまされるとも思えんし、皇帝への献上品を選別するのにわざわざ俺のもとを尋ねる理由が、よくわからんのだな」
「そりゃあ、アレじゃない?」
「ドレだ」
皿の上の料理を綺麗に片付けたフィリシスは、かちゃりと音も立てずにフォークとナイフを置き、ナプキンで口元を拭く。
「献上品っていうのはあくまでも口実で、イズモ公爵はあなたに献上品を厳選してもらったっていう、その事実が欲しいのよ」
どういうことだ、と尋ねるまでもなく、フィリシスは続けた。
「皇帝聖下個人がどう思ってらっしゃるかは知らないけど、帝国の貴族院は冒険者に対して強い危機感を持ってるのよね。その中で、有力な冒険者と個人的なパイプを持って、各方面からの不満を抑え込めているイズモ公爵は、その事実をもって発言権を強化してきた背景があるの」
「ふむ」
「帝国でも厳選王の名前は知られているわよ。その正統後継者であるラグラに、皇帝聖下への献上品を見極めてもらうことで、更にその下地を固めようって算段じゃない? ラグラの眼鏡に叶ったってだけで、アイテムの価値も上がるしね」
「おお……!」
給仕ゴーレムの淹れた茶を片手に語るフィリシスに対し、ラグラは感心したように相槌を打つ。
「スゴイぞフィリシス! まるで頭が良いみたいだ」
「フッ、当然でしょ。私は一億万年に一人の天才美少女なのよ」
「だがそこでバカにされていることに気づけないのが貴様の限界だなー……」
「?」
ともかく。
フィリシスの見立て通りであるとすれば、イズモ公爵はラグラの実力とネームバリューを認めた上で助力を願い出ていることになる。それに関して言えば、まったく悪い気はしない。むしろ心地良くさえある。が、
「それ、俺にメリットはないな」
「そうねぇ」
ティーカップを傾けながら頷くフィリシス。ラグラもお腹がいっぱいになったので、ミルに下膳を命じ、ミルは給仕ゴーレムに下膳を命じ、やがてゴーレムがテーブルの上の料理を片付け始める。
「皇帝聖下のお名前が出たところで、光栄に思うタイプでもなさそうだしね。あなた」
「フン、当然だ」
ミルに口元を拭いてもらいながら、ラグラは踏ん反り返る。
「しかし俺が厳選することでそこまで付加価値が生じるのか?」
「あれ、嫌なの?」
「嫌ではないぞ。だがな、俺が選別したことによって価値が発生してしまうと、厳選の純粋性を損ねることになるので、それは嫌だな」
アイテムの優劣とは純粋な性能によって判別されるべきものであって、権威付けされた価値は、ありがたがられるべきではない。無論、目利きの力を持たない愚民凡民にとって、選別の基準になることはラグラも大いに認めるところだ。だが、基準はあくまで基準であって、それ自体に価値が生じてはいけないのである。
正直なところ、厳選漏れのゴミアイテム達が、ゼルメナルガにおいて高値で取り引きされていること自体が、ラグラ個人からすれば耐え難い。
「20年前、旦那様のご用意した武器が帝国の窮地を救ったことがございまして」
給仕ゴーレムの運んできたティーカップをラグラの前に置き、ミルがそのように言った。
「親父の選んだ武器だと?」
「あ、聞いたことあるわ。冥獣動乱よね」
「はい」
ラグラとフィリシスが続いて口を開き、ミルは静かに頷く。彼女は、砂糖とミルクの量を適切に調整しながら、ラグラのお茶をティースプーンでかき混ぜていた。
「当時、旦那様は既にこの地で武器の厳選を続けていらっしゃいました。辺境たるメノスティモ平原には、動乱の影響はさしてなかったのですが、旦那様は御友人の危機を知り、集めた武器に最高の調整を加え、帝都へと持ち込んだのです」
「あの偏屈親父に友人がいたことが俺にはびっくりだ」
「私も伝え聞いたことでございますから、どういった方かというのは存じ上げません」
当時は厳選王という称号を持たなかったグラバリタだが、彼の持ち込んだ大量の武器群は、帝都に攻め入らんとしていた闇の軍勢を食い止め、やがては討ち果たすことに成功したと言われている。以来、それらの武器は〝セレクション・セレクション〟と呼ばれ、この世界に現存する最強の武器として、一部に知れ渡っているのだ。
「もっとも、セレクション・セレクションが最強の武器であったのは当時の話です。お二人がご存知のように、環境の進化は日進月歩。優れたアイテムというのは常に発生します」
「まぁつまりなんだな。イズモ公爵は、そのセレクション・セレクションのような権威を求めて、俺にすり寄ってきているわけだ」
「総合すると、そのようになります」
厳選は生き甲斐だが、他人のために厳選するというのは、何かちょっと違う。というか、それはそもそも厳選ですらない。ラグラは渋面を作った。
「断っても良いんじゃないの?」
どこか迷っている様子を見せるラグラに、フィリシスはそう言う。
「普通なら断るんだがな……」
「普通じゃないの?」
「どうせ断ってもまた来るだろうし、その度に貴様に玄関先で長話をされても困るしなぁ……」
「なるほど」
フィリシスは神妙な顔をして頷いた。
「否定できないわね」
「しろよ」
最近徐々に適当になってきているツッコミをとりあえず入れつつ、ラグラは腕を組んだ。
「まぁ、持ってこられたものの中でどれが一番マシか選別するだけで二度と来ないと約束してくれるならそれも良かろう。どうせ明日は1日城の中だ」
「あ、そうなの? ダンジョン行かないんだ」
「必要なデータはだいたい集まったのでな。あとはダンジョンの霊子情報を解析する作業だ。明日1日で終わらせれば、明後日からは苔の魔導書の厳選を始められる」
現状出揃っている数値を見る限り、苔の魔導書は現在発見されている魔導書アイテムの中でも、総じて高性能を誇る。あとは発生条件の見極めと理想数値の割り出しだ。そのために、霊子情報の解析が必要になる。知力10のラグラには厳しい作業だが、それを補うスキルは大量にあった。
「厳選の準備って大変なのねぇ」
「大変なのだ」
ラグラが頷きながら、冷たい視線をフィリシスへと送る。
舌を火傷しないよう、すっかり温くなったお茶を、ようやくミルが差し出した。ラグラはティーカップを手にとって、空いた手をフィリシスへと突きつける。フィリシスは露骨に顔をしかめた。
「指ささないでよ。行儀悪いわよ」
「やかましい。貴様もアレだぞ。明日は1日アヒルちゃんの調整だからな。まったく、貴重な日中の10時間を世間話に費やしおって。このタダメシ喰らいが……」
ぶつぶつ言いながらぬるいお茶を口に運ぶラグラ。が、フィリシスはきょとんとした顔で首をかしげた。
「今日のぶんのノルマは終わってるわよ」
「なんだと」
フィリシスは後ろで待機しているゴーレムに合図を送ると、台車に載った100匹近い厳選漏れのアヒルちゃんがゴトゴトと運ばれてくる。いずれもキュートな感じに調整されていて、ラグラのハートをきゅんきゅんさせた。
「1日のノルマくらいは終わらせとかないとって思ったから、話の途中、1時間くらいかな。ノイノイに話し相手を代わってもらって、その間に調整を済ませたのよ。方向性は決まってたからすぐにできたわ」
「そうか……」
ラグラは、お茶と同様のぬるーい感じの表情になって頷く。
つまり、あのイズモ公爵は正味10時間ほどフィリシスの世間話に付き合わされただけでなく、うち1時間ものあいだノイズラプターの幼体と交信するという帝立稀少生物書士隊でも機会を与えられないような無理難題に挑まされていたことになる。
「俺、これからイズモ公爵のことを考えるたびに少し優しい気持ちになれそうな気がする」
大量に並べられたアヒルちゃんの中から、ちょっとイズモ公爵に似たアヒルちゃんを拾い上げて、ラグラはそんなことを思った。




