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selection.10 ミルのいない一日(後編)

『俺が今日からお前の主人となる男だ』


 ミルアルア・リアが、厳選王グラバリタ・セレクションから初めてかけられた言葉は、それであった。


 まだローティーンでありながら冒険者として名を馳せていたミルアルアは、別に自分から応募して厳選王の城で働くことになったわけではない。〝究極のメイド〟を厳選するため、厳選された乳母車に一人息子を乗せて旅をしていた厳選王グラバリタが、たまたまこのゼルシア自治領に立ち寄った際、この白鴉亭ピュア・レイヴンでくつろぐミルアルアを見つけ、そう声をかけたのだ。


 ミルアルア・リア、当時12歳である。

 その頃から利発であり、冒険者としては超優秀であり、器量も良しであったミルアルアによからぬ感情を持つオトナというのは常に一定数いて、彼女もそれを熟知していたので、厳選王グラバリタによってかけられたその言葉を、ミルアルアはこのように解釈した。


『(変態さんかな……?)』


 ミルアルアを預かっていた白鴉亭のおやっさんや、彼女をヨコシマなオトナから守るために結成されたファンクラブが、ぞろぞろと厳選王の周りに集まった。一体全体どういうつもりだ。彼らが一斉に問い詰めると、グラバリタはフッと口元を吊り上げ、このように答えた。


『俺は俺の城で働くメイドを探している』


 ほうほう、それで?


『この娘こそ、うちのメイドにするに相応しい』


 タコ殴りである。

 当時、おおよそミルアルアが聞いたことないような罵声が、次々と厳選王グラバリタへと浴びせられた。彼は何やら必死で弁明をしていたが、腐ってもゼルメナルガ支部最強の冒険者であった彼は、やがて取り囲む男たちをすべてなぎ倒し、再びミルアルアの前に立った。


 その時、厳選王グラバリタは初めて自らを名乗り、更にはこのように告げた。


 数年前に一人息子が生まれたが、嫁に逃げられてしまった。家事と育児ができるメイドを探している。様々な人材を見てきたが、お前は素晴らしい。メイドとして働くためのありとあらゆる素養を完璧に合わせ持っている。ここで冒険者を続けていても良いが、それだけの素養があるなら、自分のところで働いてみないか。

 ミルアルアはメイドという職業が天職だとはまったく考えていないし、せいぜいアイシャがいつも着ているウェイトレスの給仕服が可愛いなと思ったくらいで、冒険者を辞めるつもりはまったくなかった。


 辞めるつもりはまったくなかったので、厳選王が給料の話を出した時、思いっきり吹っかけてみたのだ。


『ほう、それだけ出せば、働いてくれるのだな』


 だが、厳選王グラバリタは、にやりと笑ってそう答えた。


『それで良ければ準備しよう。どうだ?』


 結局のところ、ミルアルアはすぐに答えを出せなかった。少し保留にさせて欲しいとだけ言って、そんなミルアルアに、厳選王グラバリタは一枚の紙に、自らの住居を書いて彼女に手渡した。そこで待っているとだけ一言告げて、厳選王はゼルシアを去った。


 ミルアルアが最終的にどうしたか。


 それはもはや、言葉にする必要はないだろう。意識がその先へと移り変わる前に、重い頭を持ち上げて、ミルアルアは目を覚ました。


「……ん、」


 時刻は夕方。どうやら眠ってしまっていたらしい。

 居眠りをするのも夢を見るのも久しぶりのことだ。相当リラックスしていた、ということになるのだろう。大きく伸びをして、ミルアルアは夢の余韻に浸る。


 あのあと厳選王の城に行ったが、やはり彼は自信に満ちたりた笑顔で出迎えてくれた。メイド厳選の旅はあの時点で止めたらしく、自分が来なかったらどうするのかと尋ねたところ、厳選王はこう答えた。


『来るとわかっていたさ。俺の目に狂いはない』


 つまり、自分がメイドとして働きに来るということまで見抜いた上での、メイド厳選であったのだろう。実は声をかける以前から、グラバリタは何度かミルアルアに接触しており、ステータス閲覧のほか容姿や性格、将来性についてもしっかり吟味したという。厳選王がそんなことをしていたこと事態、ミルアルアはまったく知らなかったのだが、その辺を深く追及しても気持ち悪いだけなのでやめた。


 しかし今にして思えば……、


「ざっけんなよ、てめェーッ!!」


 余韻の時間は、実に不粋なダミ声によって中断される。ミルアルアは眉をしかめた。見れば、トゲ付きショルダーアーマーにモヒカンスタイルといういかにもな出で立ちをした男が、アイシャに詰め寄っているところだった。他の冒険者たちは遠巻きに眺め、事態が沈静化するのを待っている。


 その男と、彼を取り囲む数人の男を、ミルアルアは見たことがあった。


 彼らは札付きの悪徳冒険者として知られる、〝ブロイラー・ブラザーズ〟。リーダーのホワイトレグホンを筆頭に、そのニワトリじみた奇抜な髪型で周囲を威嚇し、依頼者から必要以上にカネを巻き上げているプラチナランカーだ。20年ほど前から活動を続けている冒険者パーティだが、メンバーの高齢化により解散が危ぶまれている。いや、解散が期待されている。


「ミルクが売り切れってどういうことだ! あぁん!?」

「で、ですから! 今日はもうこちらのミルクは……」

「ホワイトレグホンの兄貴はなぁ! ここの成分無調整ミルクじゃねぇとお腹がゴロゴロ言って眠れねェんんだよ!」

「すぐに用意しねぇと、このコーチン様のナイフが火を噴くぜぇ!」


 彼らは12年前とまったく変わっていないなぁ。ミルアルアは思った。アイシャがちらりとこちらを見、視線で助けを訴えてくる。


 そんなことしなくても、今やるさ。


 ミルはゆっくりと席を立ち、後ろからメンバーの一人であるコーチンの肩をとんとんと叩いた。


「あァン!? なんだよてめ……」


 それ以上の言葉を聞くつもりはない。ミルアルアの黄金の右腕がコーチンの頬にのめり込み、このモヒカンは見事に縦回転しながら、ちょうど開いた店の扉を潜り抜けてダイナミックに退店していった。


 ぱんぱんと手を払いながら、ミルアルアはブロイラー・ブラザーズに視線を向ける。「さてと、」の一言すら言わなかった。今の彼女は、完全に12年前、すべての冒険者に「幼女こわい」と言わしめた伝説の存在ミルアルア・リアへと戻りつつあった。


 白鴉亭に響く大歓声の中、ミルアルアの拳が第2撃を放つ。





 その晩、ミルアルアは白鴉亭に宿泊した。夜にはアイシャの仕事を手伝ってウェイトレスをやったり、忙しくて中々厨房から出てこれなかったおやっさんに挨拶したり、ようやく激務から解放されたアイシャと、夜遅くまで楽しく思い出話をして過ごしたりした。そして翌朝の早朝、出勤時間に遅れないよう早めに白鴉亭を出、ゼルシア自治領を後にする。早馬を乗り継いで一週間以上はかかる距離だが、ミルアルアが本気を出せば数時間だ。

 アイシャは別れを惜しんでいたが、どうせ一ヶ月後にはまた来れる。ミルアルアは読み終えたミステリー小説をお土産に置いて、厳選城モット・セレクションへと飛んだ。途中、冒険者ギルド支部のトイレで、いつものメイド服に着替え直した。


「楽しかったな……」


 たまの休暇を、ミルアルアはそう振り返る。


 アイシャの前でこういうことを言うと、『じゃあ、またこっちで冒険者を始めればいいのに』と言われてしまう。それはそれで、良いかな、と、思わないこともないのだが。

 別に今の職場の不満や愚痴を、あまりアイシャの前で漏らしたことはない。それでも、長い付き合いの親友となればなんとなくこちらの思いは察せられるようで、ミルアルアの職場は重労働の激務であるのだと、アイシャは知っている。もっとも、滅私奉公とは得てしてそういうものだ。ラグラ坊ちゃまの世話は手が焼けるが、だから今の職場を辞めようとは思わない。


 お給料が良いし、それに……、


 などと考えている内に、ミルは厳選城へと帰還した。出かける際、玄関口に設置した無数のデストラップや警報装置を解除して、大きな扉を開く。エントランスを箒で掃いていた掃除ゴーレムが、小さくミルに会釈した。

 ミルは入口の脇に設置された魔導打刻機にギルドカードを通し、エントランスを抜ける。大食堂に繋がる扉に手をかけた時、中からすすり泣くような声が聞こえてくるのがわかった。


『うう、ミル……。お腹すいたよぅ、ミルぅ……』

「坊ちゃま?」


 扉を押すと、ぎぃ、という重く軋む音がして、食堂への道が開ける。


 そこでミルの目に飛び込んできたのは、ある種凄絶な光景であった。

 調理ゴーレムが運んできた料理が机の上に並んでいるが、ラグラはそれに手をてをつけられていない。全身を刺し傷だらけにし、血だらけで床にうずくまって泣いているのが、そのラグジュアリー・セレクションだ。ラグラ自身、ナイフとフォークをその両手に持っているが、皿の上の何かを食べたような形跡はない。彼の真横で、やや困ったような顔をして立っているのがフィリシスだった。


「あ、ミル」


 フィリシスがこちらに気付いてそう言うと、ラグラはがばっと顔をあげる。


「ミル……」


 ぽつりと言葉を漏らした直後、その瞳からは大粒の涙がぼろぼろ流れ始めた。


「ミル……ミル……ミルぅぅぅぅうう……。ふえええぇぇぇぇん……」


 ミルが食堂に足を踏み込むと、ラグラはそのまま立ち上がり、よろよろ彼女に近づき、そしてしがみついた。胸元に顔をうずめて泣きじゃくるこの男を、ミルは優しく抱きしめ、その頭を撫でるようにしてあやす。


「よしよし……。坊ちゃま、大丈夫ですよ。もう大丈夫です」

「よく帰ってきてくれたわね。ミル……、待っていたわ」


 フィリシスも、その場にへたれ込みながらそう言った。ノイノイは元気に飛び回っているが、フィリシスは彼女にしては珍しく疲労困憊といった様子である。そんなフィリシスに対し、ミルは首を傾げながら尋ねた。


「何があったか、伺ってもよろしいですか?」

「えぇっと、書斎からこの食堂に向かうまで、いろいろあったんだけど……」


 フィリシスはそう言って、なぜか血まみれのフォークを投げ捨てた。代わりのフォークで皿の上の冷製パスタを絡め、口に運ぶ。


「とりあえず天井から落ちて、まあ私がクッションになったからラグラに怪我はなかったのよ。本当よ? でも当分泣きじゃくってご飯食べられなかったし、それに、なぜか手で食べたがらないでしょう? フォークとナイフの使い方を教えようとしたんだけど上手くいかないから、じゃあ私が食べさせてあげるわよってなったんだけど……」

「上手くいかずに坊ちゃまをメッタ刺しにしてしまったのですね」

「ええ、意外と人に食べさせるのって難しいのね……」


 ここまで相手を血だらけにするのは、才能に致命的な欠陥があるためだと思うのだが。しかしミルはそこを口に出すほど、はしたないメイドではない。基本、余計なことを口走らないタイプなのだ。


「ミル、ミルぅ……。痛かったよ。怖かったよぉ……。お腹減ったよぉ……」

「はい、坊ちゃま。大丈夫ですよ」


 ミルは治癒呪文を唱え、ラグラの傷を塞いでいく。


「もう痛くない。痛くないですよ」

「痛くない……。痛く……ない……」

「よく頑張りましたね、坊ちゃま」


 ようやく泣きやむラグラの背中を、ミルは優しく、また何度か叩いた。


「さすがね……。ラグラを一発であやすなんて……」

「フィリシス様も、お疲れ様でした。これからラグラ様の着替えをお手伝いして参りますので、そのあと改めて朝食にいたしましょう。調理ゴーレムに作り直させます」

「あ、良いわよ。良い機会だから私作るわ。その代わりに傷治してくれる?」

「かしこまりました」


 ミルは、フィリシスに手を掲げ、再度治癒呪文を唱える。緑色の柔らかな光がフィリシスの全身を包み込み、わずかにできた切り傷や擦り傷などを完全に癒していく。両手を握り開きを繰り返しながら、満足げに頷いたフィリシスは、そのまま杖を携えて厨房の方へ向かって行った。ノイノイも翼をはためかせてそれを追う。


「それでは、行きましょうか。坊ちゃま」

「うむ……!」


 ごしごしと目をこすりながら、ラグラは頷く。


「坊ちゃま、いかがでしたか。一ヶ月ぶりの私のいない一日は」


 胸を張って悠然と歩き出す彼の後ろに付き従いながら、ミルはラグラに尋ねた。


「フン、あのじゃじゃ馬に突き合わされていつも以上に大変だったぞ。だがミル、ひとつ間違えないよう言っておくがな」

「はい、なんでございましょう」

「俺は泣いていない。泣いてなんかいないからな」

「はい、坊ちゃまは泣いていらっしゃいません」


 この時の彼女は、元冒険者のアンニュイな美女ミルアルアではなく、セレクション家の実直で有能なメイド、ミルである。今の主人たるラグラの言葉に一切の異を唱えることなく、ただ恭しく頷くのみだ。


「まぁ、しかし、なんだな。あの女は迷惑千万だが、おかげで退屈はせずに済んだ。アヒルちゃんの厳選はまったくできなかったし、苔の検証もロクに進まなかったので、さっさとリカバリーをかけねばならんが」

「はい。明日からはお傍でお供いたします」

「とにかく帰ってきてくれて助かった! 礼を言うぞ、ミル!」

「いえ。旦那様より仰せつかった使命でございますから」


 また頭を下げ、自らの心根を悟られぬようにする。


 これだけ手の焼けるラグラ坊ちゃまから目を離さず、ずっとそばについて世話をしている理由は、いくつかある。給料が良いと言えばそうだし、厳選王から仰せつかった使命であると言えばそうだ。その厳選王に恩義を感じているからと指摘されても、ミルは否定しない。


 それにだ。


「それに坊ちゃま」

「うむ、なんだ」

「以前から申し上げておりますが、好きでやっていることでもございますので」

「そうか! フハハハハ! さすがは俺の人徳といったところだなぁ!!」


 やたらと上機嫌になってずいずい進んでいくラグラ。ふんぞり返って尻もちつきそうになるところを、ミルが急いで支えて事なきを得る。


 それに、そう。


 この仕事はこの仕事で、結構楽しいものなのだ。


「(また一ヶ月、がんばろっと)」


 ミルアルア・リアは心の中で改めてそう思い直し、ラグラの寝室に入ると、その扉をぱたりと閉めた。

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