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selection.09 ミルのいない一日(中編)

「お待たせー、ミルアルア」


 ちょうど昼過ぎごろの時間になると、多くの冒険者たちはクエストに出かけるため、白鴉亭ピュア・レイヴンは落ち着きを取り戻す。次のピークは夕方だ。それまでの間、羽を伸ばす余裕ができたアイシャは、ミルアルアが座る椅子のちょうど対面に座り込んだ。


 アイシャは、ミルアルアが冒険者家業を始める前からの知り合いだ。ミルアルアがこの街に流れ着いた頃、この家で下宿させてもらっていたので、友人というよりは家族のような関係でもある。アイシャだけではなく、白鴉亭の旦那さんにも、冒険者時代はずっと世話になっていた。

 気立ての良い、この店の看板娘であってファンも多いのだが、忙しすぎて男と付き合う暇がないのだと、毎回のように愚痴を聞かされる。


「それでそれで? また何か新しい話聞かせてよ」

「特にないよ。代わり映えしない一日」


 ミステリー小説をちょうど一冊読み終え、ミルアルアは本をテーブルの上に置く。


「厳選王が亡くなったのは去年だっけ……?」

「そう。旦那様が亡くなって、ほとんど私と坊ちゃまの二人。最近また新しい子が入って、にぎやかになりそうかな」

「へー」


 アイシャも小さなエールジョッキに口をつけながら、感心したように相槌を打つ。


「どんな子? どんな子?」

「魔導調整師フィリシス・アジャストメント」

「ぶッ!!」


 アイシャが思わずエールを噴き出したので、ミルアルアは光の障壁を展開してそれをすべて弾いた。


「アジャストメント伯爵家のフィリシス様!?」

「ああ、やっぱりそうだよね。言葉づかいの端々が上品だから、そうかな、って思っていた」

「勘当されたって聞いてたわ。皇帝聖下に献上した杖の素材が、トイレットペーパーの芯だったらしいのよ」

「なるほど。ますます本人っぽい」


 アイシャの話によれば、フィリシスはアジャストメント家で将来を嘱望された稀代の大天才で、若干17歳にして皇帝聖下への献上品を作らせていただく栄誉を賜ったらしい。一族は大盛り上がりであったのだが、当日、フィリシスが皇帝聖下のもとへ参じた際、その手に持っていた杖の素材はトイレットペーパーの芯であった。

 皇帝聖下は割と大爆笑であったのだが、周囲の貴族や、フィリシスの父トレイトがカンカンであり、皇帝聖下の目じりに涙を浮かべての『まぁケジメはつけねばならんなぁ』という言葉により、フィリシスは勘当された。トイレットペーパーの杖を、聖下は惜しみながらも手放すこととなり、その先の行方はようとして知れなかったそうだ。


「性能はね、良かったらしいのよ」


 エールをちょびちょびと飲みながら、アイシャがつぶやく。


「聖下がお手にされた杖の中では、歴代2位だったかな。これが1位だったら、多少素材がひどくても、フィリシス様は勘当されずに済んだと思うんだけど……」

「なるほど、因果な話だね」

「アジャストメント伯爵家としては、やっぱり1位の座を取り返したかったみたいで、伯爵様もそれにご執心だったってことよね。だからフィリシス様にかかった期待は大きかったのよ」


 年に一度、皇帝聖下に魔法の杖をお作りし、献上するのは代々アジャストメント家の役割だ。厳格にそう定められているわけではなく、実力のある魔導調整師が皇帝より直接指名を賜るのだが、必然的に魔導調整のエリートであるアジャストメント家に、指名が集中する。

 だが、ここ数十年で一度だけ、アジャストメント家の当主トレイトが体調を崩し、魔杖をお作りできなかった年がある。その時、皇帝聖下は国中にお触れを出し、自らに献上する杖を公募した。その時、皇帝聖下の元へ届いた杖こそが、歴代最強の魔杖と呼ばれる〝皇笏ライゼンドグランド〟である。聖下は、新しい魔杖を手にするたび、大広間で試し振りをするのが通例であるが、ほんの少し魔力を込めただけで、先端部からは強大な魔の奔流がほとばしり、高い抗魔処理を施された城の壁に大穴をあけたと言われている。


 以来、アジャストメント家の輩出した魔導調整師たちは、一度も皇笏ライゼンドグランドを越える魔杖を、生み出せずにいる。


 その杖を生み出し、皇帝の元へ送りつけた人物の名は、公式には不明となっている。貴族たちは、原則として〝冒険者〟をひどく嫌うため仕方のない措置ではある。

 そう、その杖の送り主は冒険者だ。だからこそ、この逸話はゼルシア自治領では誰もが知るレベルで広められている。ミルアルアもアイシャも、杖の送り主の名はとてもよく知っていた。


 厳選王グラバリタ・セレクション。


 今は亡きミルアルアの雇い主、そしてラグラの父こそが、アジャストメント家の鼻をへし折り、帝国中の魔導調整師を震撼させた皇笏ライゼンドグランドの作り手なのである。


「でもフィリシス様は、おそらくそのことを知らないよ」


 ミルアルアはエールを口に運びながらそう言った。


「知らずに来たの? ミルアルアのお城へ?」

「私のお城ではないけど……。旦那様は、あらゆる素材を集める厳選王としての方が、有名だったからね」

「ふーん……」


 でも感づいてはいるはずだ。厳選王グラバリタが、素材の厳選だけではなく、調整や製作においても一流を上回る腕前を持っていたことに。


 ラグラとフィリシスは、見たところ欠陥だらけの人間である。おそらく一人では、生きていることにすら支障が生じるほどの。だからこそ、ミルアルアはあの城に必要とされるわけだ。

 だがもし、ラグラの厳選とフィリシスの調整。二つの歯車がきっちりと噛み合うことがあれば、


 その時はもしかしたら、あの皇笏ライゼンドグランドすらも上回る、素晴らしいアイテムが、この世に出現することもあるのかもしれない。


「ま、私には関係のないことだけど」


 そんなことがあっても、お給料が増えるわけではないし。

 ミルアルアは、窓の外を流れる雲を眺めながら、そう思った。





「ここは……どこだ……?」


 疲労困憊となったラグラがつぶやく。


 そこは、しばらく前まで歩いていた薄暗い洞窟とは、また異なった場所である。外には一度も出ていないので、おそらく厳選城モット・セレクションの一画であるとは思われるのだが、やはりラグラが今までに訪れたことのない場所であった。

 そこかしこで音を立て回る巨大な歯車。それぞれがかみ合い、何か大きな装置を動かしているように見えるのだが、全貌はまったく見えてこない。これもまた、父グラバリタが遺した何かのひとつなのだろうか。


「大丈夫よ、ラグラ。もうすぐ大食堂だわ」

「俺もう貴様の言うこと信じない……」


 精神値10万を超えるフィリシスは、こんな状況でも疲れたり泣き言を言ったりせず、意気揚々と先へ進んでいた。へこたれることを知らない女、フィリシス。彼女がその足を止めるときは、靴の紐を結ぶときが死ぬときくらいなものだろう。

 ノイノイは途中で目をさまし、フィリシスの真横でぱたぱたとせわしなく翼を動かしている。ノイズラプターの翼は高速飛行を可能にするため進化していったもので、ホバリングや滞空にはあまり向かないようだ。


「元気ないわねラグラ、どうしたの?」

「腹が減ったんだよ!!」


 ラグラがあらん限りの大声で叫ぶと、ノイノイが「ぴい」と鳴いて耳をたたむ。相変わらず音に対してデリケートな動物だ。


「そうねー。朝ごはんを食べないまま、もう何時間も歩きずくめだものね」


 フィリシスは手を腰に当て、うんうんと頷いた。


「でも安心してラグラ」

「え、やだ。安心しない」

「こうなったら、私がここで料理を作るわ!」

「なんでそんなに嬉しそうな顔をして言うの!?」

「いやー、仕方ないわねー。もうこうなった以上、私がご飯を作ってあげるしか道はないのよねー。うん、待っていなさいラグラ。この天才美少女フィリシスの手料理を食べられるのよ!」

「くそう! 貴様最初からそれが狙いか! 空腹の俺をこんなに連れまわして、普段俺が貴様に料理させないからって!」

「違うわよ失礼ね! 迷ったのはマジなんだから!」

「やっぱり迷ってるんじゃないか!!」


 フィリシスは、ラグラの最後の言葉には取り合わず、ローブの内側から小型の魔導コンロと調理器具一式を取り出した。実に準備の良いことではあるが、問題は材料だ。周囲は無機質に回る歯車だらけ。食べられそうなものはない。

 フィリシスは神妙な顔をして懐に手を伸ばし、そっと、セミの抜け殻を床に置いた。


「おい」

「慌てないでラグラ。まだあるわ」


 そう言って、フィリシスは床にセミの抜け殻をどんどん追加していく。


「まだあるって数の話か!」

「あとはこれよ」


 そう言って、雑草を床に置くフィリシス。


「それしなびてるぞ」

「一週間前の奴だから仕方ないわね」

「それでどんな料理を作る気だ!? 食わんぞ! 絶対に食わん!」


 ラグラはそう叫ぶと、腕を組んで背を向ける。そんなラグラを見て、フィリシスは小さく肩をすくめた。


「仕方ないわね! こうなったら現地調達よ」

「現地調達だと? ここには歯車くらいしかないぞ」

「その歯車を使うのよ。見てラグラ、この一番大きなギア、良いキンピラになりそうじゃない?」

「なりそうじゃないよ! キンピラじゃなくて金属だよそれ!」

「鉄分は取れそうだわ」

「おいバカやめろ、歯車を外すな! 何が起きるかわからんのだぞ!」

「あっ……」


 フィリシスがゴウンゴウンと回る歯車を外そうと手をかけるが、次の瞬間歯車の勢いに負け、その向こう側へと消えてしまう。ラグラは声にならない悲鳴をあげた。歯車に巻き込まれたフィリシスが次にどうなってしまうか、想像は容易につくからだ。なんだか非常に聞こえてはいけない感じの音が、聞こえてきた気がした。


「ふぃ、フィリシスーッ!」

「え、なに、呼んだ?」

「うわあああ血だらけで帰ってきたあああああああ」


歯車に乗ってきた戻ってきたフィリシスは、凄まじいダメージを全身に負っている様子だったが、さすがに耐久200越えも伊達ではない。だらだらと血を流しながら割と無事な様子だった。ミルがいないので治癒魔法が使えないのが痛い。


「心配しないで。私も治癒魔法は使えるわ」

「もう余計なことはするな! それで良いから! セミの抜け殻と雑草で良いから! ご飯作って!」


 自信満々で杖を取り出したフィリシスを、ラグラは必死で押しとどめる。以前、落とし穴から出てくるときの、フィリシスの盛大な自爆を思い出したのだ。魔導制御力は大したものだが、確実に治癒魔法が使えるとは限らない。ぶっちゃけ、こんな狭い歯車の隙間で魔法が暴発すればオシマイである。


「え、でも血まみれだと見た目悪くない?」

「悪くないから! 一億万年に一人の天才美少女はそんなんじゃ揺らがないから! スゴイよ! 厳選王子たる俺が認めるよ! フィリシスの作ったご飯今すぐ食べたい!」

「そ、そう? じゃ、じゃあ今から作るわね……?」

「俺なんか今すごい取り返しのつかない一歩を踏み出した気がする」


 なんかいつもよりちょっと違った嬉しさを覗かせるフィリシスを見て、ラグラは冷や汗を流す。


 そこで、さっきまでいたはずのノイノイが見当たらないことに気付いた。もしや、歯車に巻き込まれてしまったのでは、と思った時、パタパタという忙しない羽音が聞こえ、ゴウンゴウンと動き回るギアの隙間から、ノイズラプターの子供が飛び込んでくる。


「ノイノイ!」

「ぴー」


 顔をあげたフィリシスのもとへ、ノイズラプターのノイノイがダイブした。見れば、その脚にはガッチリと何かを掴んでいる。


「これは……ハムだわ!」


 そう、ノイノイがどこからか運んできたそれは、割と大きな燻製肉の塊である。だが、ラグラはそのハムを検めながら、こうつぶやいた。


「うちのハムではないな。これは市販の二流品だ」

「そうなの? どこから持ってきたのかしら。この近くに、外に通じる穴があるのかしらね」


 その時、ギアが回転する轟音にかき消されるように『運んでいたハムがなくなったぞ!』『誰だ。誰の技だ!?』という声がわずかに届いたのだが、それを耳にできたのは聴覚の発達したノイノイだけである。フィリシスは、思いがけない食材の追加に喜んでいるが、ラグラの表情は微妙だ。


「しかし二流品のハムか。厳選王子として、そんなものを口にするわけには……」

「じゃあセミの抜け殻と雑草だけにする? 私はハム食べるわ」

「くっ……! 俺は今、厳選王子としてプライドと妥協の狭間に立たされているぞ! 空腹に負けて、尊厳を譲り渡すべきなのか……!?」


 抜け殻と雑草を口にする時点で、既に尊厳など無いようなものである。


 ラグラが迷っている間に、フィリシスはノイノイの頭を撫で、セミの抜け殻としなびた雑草と大きなハムを使ってダイナミックな料理を作り始めた。携帯型魔導コンロと小さなフライパンでフランベをしてしまうあたり、大層な調理技術をお持ちのようである。

 うんうんと唸るラグラの真横で、大貴族の晩餐に並ぶような豪華なコース料理が次々と完成していった。スープにサラダ、魚料理、肉料理。メインディッシュは見るだけで涎が止まらなくなるような、仔牛の頬肉のステーキで……、


「そんなものがどこにあった!?」

「あ、これはセミの抜け殻なの」

「ハムですらないのか!」

「ハムは魚料理に使ったわ。ユグドラシルビラメのムニエル風ハムのローストよ」


 フィリシスは皿を床に並べながら、「ふんー」と鼻を鳴らして踏ん反り返る。


「良い、ラグラ。三流の食材から一流の料理を作るのがこの私の実力なのよ」

「三流どころか食材としてのスタート地点にすら立ってないのがあるんだが」

「でも、でもね! ここからが重要なの!」

「聞けよ」


 できた料理にがっつこうとするノイノイを片手で抑え、フィリシスは拳を握った。


「一流の食材はどんなに調理しても一流にしかならないわ! つまり、ここに並んでいる料理は、あなたが普段食べているものとなんら変わらないレベルのものってわけ!」

「それ言葉のマジックだよ! 一流はゴールじゃないんだよ! 一流とカテゴライズされる物の上に、さらに無限のレベルが広がっているの!」

「なかなかやるわね。あなた本当に知力10?」

「貴様こそ本当に知力12か!? 俺より馬鹿なんじゃないのか!?」

「わ、私は馬鹿じゃないわよ。一億万年に一人の天才美少女よ?」

「なんでいつもよりちょっと自信なさそうなんだよ!」

「馬鹿って言われたのが生まれて初めてだから驚いただけよ」


 鼻息も荒いラグラを前に、フィリシスは小さく咳払いして、床に並べた豪華料理(原材料:セミの抜け殻、しなびた雑草、ハム)を指す。どれも美味しそうだ。事実、美味しいのだろう。ラグラは以前、フィリシスが作った雑草のステーキを、本物の肉と思って食べてしまったことがある。


 ぐう、と腹の虫が鳴った。


「わかった。食べよう」

「はい、これフォークとナイフよ。いただきまーす」

「む……」


 ロケーションがロケーションでなければ、これは楽しいピクニックのようなものなのだろうか。よく晴れた小高い丘の上で皿を並べていれば気分も晴れようが、周囲にあるのがゴウンゴウンとがなり立てる歯車では、色気も味気もあったものではない。

 フィリシスはそんなこと気にした様子もなく、自らの作った料理に手をつけている。一方ラグラは、フォークとナイフを握ったまま、じっと皿を見つめていた。


「遠慮することないのよラグラ。さぁ、良いから。食べなさい食べなさい」

「う、うむ……」


 ラグラは震える手でナイフを掴んだまま、そっとそれを、スープ・・・へと浸した。その様子を見て、フィリシスは首を傾げる。フィリシスの訝しげな視線を受けながら、ラグラは全身の脂汗を浮かべながら、ナイフをぴちゃぴちゃとスープへ浸していた。


「何やってんの?」

「………」

「んん?」


 ラグラは、やがてナイフをスープに浸すことを諦め、次にフォークをスープに浸しはじめる。その様子をじっと眺めていたフィリシスは、いきなり大声をあげた。


「あああああーっ! そうか、わかったわ!」

「言うな」

「もしかして一人でご飯食べられないの!? いつもミルに食べさせてもらってたから!!」

「言うなッ!」

「食器の使い方もわからないのね!?」

「言うなよおおおおおおッ!」


 ラグラは勢いよく立ち上がり、そのまま勢いでつんのめって前方に思い切り転倒した。フィリシスは奇跡的な神業で皿をすべてひっつかみ持ち上げ、料理達は事なきを得る。てっきり泣きだすかと思われたラグラだが、羞恥から来る興奮が大量のアドレナリンを分泌しているためか、すぐさま立ち上がり、また座り込んだ。


「心配しないでラグラ。人には苦手なことのひとつやふたつ、あるものよ。私にはないけど」

「慰めるついでにさらっと嘘をつくな。くそッ! 確かに俺は一人で飯も食えんし風呂にも入れんし歯磨きも耳掻きも着替えもできないが、何か問題はあるか!?」

「よく今まで生きてこれたわね」

「ミルがいたからな! だから月に一度のこの日はなるべく移動しないで、飯は手で掴んで食えるものだけを出すようにしてもらっているのだ!」

「トイレは行けるのね」

「行ける」


 二人の会話をよそに、ノイノイはフィリシスが作った専用の餌に顔を突っ込んでいる。フィリシスは自らの皿に置かれた魚料理(原材料ハム)を丁寧に切り分けながら、その小さな欠片をフォークで刺した。


「仕方ないわね! こうなった以上、私が私の手で食べさせてあげるしかないわ!」

「な、なんだと……!?」

「安心しなさい! 私は一億年に一人の天才美少女、フィリシス・アジャストメントよ! ミルの代わりに、あなたの口にこの美味しいヒラメのムニエル風ハムを届けてあげるんだから!」


 フォークを片手にフィリシスは片手をつき、身を乗り出す。彼女は満面の笑みでヒラメのムニエル風ハムを、ラグラに向けて差し出した。いつもミルがやってくれていることなような気がするのだが、何やら妙な気恥ずかしさがある。

 いや、気にすることはない。

 気にすることはないはずだ。ミルとフィリシスに、そんな大した違いはない。どちらもラグラの城で雇っている人間である。ミルに食べさせてもらうことが普通なら、フィリシスに食べさせてもらうことも普通のはずだ。


「ほら、ラグラ。口開けなさいよ。あーんよ、あーん」


 フィリシスが急かす。ラグラも意を決して口を開いた。


「あ、あーん……」


 ざくっ。


「ぐああああああああああああ!!!」

「あっ、刺さったわ」

「わざとか!? 貴様わざとか!?」


 散々のた打ち回った後、額に刺さったフォークを引っこ抜き、ラグラは叫ぶ。ぴゅーっと血が飛び出た。


「わざとじゃないわ! ちょっと手が滑っただけよ!」

「滑りすぎだろうが! 俺の口はここ! お前が刺したのはここだッ!」


 口と額に交互に指し示すラグラ。だが、フィリシスは意気消沈するどころかますます勢いづく。


「大丈夫よ! 3度目の正直という言葉があるわ!」

「それ2回目は失敗するってことか!?」

「でも2度あることは3度あるとも言うわね!」

「自分で言うな! わかっているなら試すな!」

「虎穴に入らずんば虎児を得ずとも言うのよ!」

「そのやり取りさっきやった! っていうかこの状況は虎穴に入るほど危険なものなの!?」


 やり取りが佳境に入ると、ノイノイは自らの耳をパタンと閉じて騒音から脳を守る。まだ幼体だが、しっかりとしたお利口さんであった。

 フィリシスは「ふんー」と鼻を鳴らし、眉を下げた。鼻の鳴らし方にテンションの変わり方が如実に繁栄されるタイプの女だと、ラグラは思った。


「フン、もう貴様の手を煩わせるまでもない。この俺が本気を出せば、自分一人で食事をとるくらい造作もないこと……」

「そう? 無理だったら手づかみで食べても良いのよ?」


 ナイフとフォークで優雅にホホ肉のステーキ風セミの抜け殻を切り分けるフィリシス。如何にも育ちの良さそうな食べ方である。そういえば、アジャストメント家と言っていたか。それがどんな家なのかはまったく知らないが、おそらくフィリシスは貴族の家柄である。きっと、食事マナーも叩き込まれて育ったに違いない。


 この女の前にして、料理を手づかみで食べることに、ラグラは異様な抵抗を覚えるのであった。

 理由は知らない。

 だが、おそらく育ちの良いであろうフィリシスの前で、ナイフとフォークも使うことができず手づかみで料理を食べるのは、ラグジュアリー・セレクションのプライドが許さないのだ。ラグラは改めて二本の食器を手にし、皿の上の料理に視線を落とす。


「見ていろフィリシス、俺だって貴様のように、優雅のように飯を食うことができるのだと証明してやる!!」





「結局ひと口も食べられなかった……」


 よろよろと階段を昇りながら、情けない声を漏らすラグラである。その数段先を、意気揚々と進むのが当然のようにフィリシス。ノイノイは彼女の周囲を楽しそうに、翼をはためかせて飛び回っていた。


 あの後、ラグラは果敢にもフォークとナイフを掴み食事に挑んだのだが、ただ使い道がわからないだけでなく超絶的な不器用さと応用の効かなさが災いし、見た目だけは豪華なあの御馳走に、一口も手を付けることなく終わってしまった。フィリシスは苦戦するこちらに目もくれず、皿の上の料理を次々に片づけていき、結局一人で全部食べてしまったのである。


 薄情だった。


 見栄を張ったのはラグラだが、それでもフィリシスは薄情だった。


 そのフィリシスは、大股で階段を昇りながらこう言った。


「安心して、ラグラ」

「貴様はあと何回俺を不安にさせる気だ?」

「私はこの通路に見覚えがあるわ!」

「またそのパターンか!」


 謎の歯車がゴウンゴウンいっていたエリアを抜け、彼らは更に上へ上へと進んでいた。ここもまた、やはり城の中の一部であるらしいのだが、ラグラには見覚えがない。螺旋状に続く石段に窓はついておらず、外の様子を確認することはまだできない。

 ひょっとしてこのまま、何も食べることができないまま、自分は永久にこの城の中をさまよい続けるのではないだろうか。フィリシスに連れまわされ、振り回されているが、もうこのまま動かずにじっとして、明日の朝ミルが助けに来てくれるのを待つべきではないだろうか。


「くッ……。だが、こんなところで一人でじっとしていると寂しいし怖いしで気が狂ってしまいそうだ……!」

「ラグラ、何一人でぶつぶつ言ってるの?」

「なんでもない」

「心配しなくてももうすぐ食堂につくわよ。言ったでしょ。この通路に見覚えがあるって」


 一体その自信はどこから来るのだろうか。螺旋階段を昇っていくフィリシスを重い足取りで追いかけ、ラグラは思う。階段を昇り切ると、やや薄暗い、屋根裏部屋のような場所にたどり着く。天井の一部には窓が設けられて、そこからは太陽の光が差し込んでいた。

 それを眺め頷くと、フィリシスは腰に手をあて振り返る。


「信用できないって顔ね。確かにあなたの気持ちもわかるわ。でも、今回は大丈夫なのよ」

「なんでそんなことが言える?」

「だって今回は自信があるもの!」

「曖昧だよ!!」


 ラグラはすきっ腹に響くとわかっていても叫ばずにはいられないのである。


「さっきまでは自信がなかったのか! 自信がないまま自信満々に俺を連れまわしたのか!」

「そんなことより、これを見て!」

「これ貴様を信頼する上で結構重要事項だぞ! そんなことで片づけて良いことでもないような気はするが、まぁ見ろと言われたからには見よう! どれ!」


 フィリシスが指し示している床を覗き込み、ラグラの顔面がひきつった。


 それを見れば、さしものラグラと言えどフィリシスの自信を理解する。確かに、彼女には見覚えのあるはずのものであったし、もうすぐ食堂につくと言った彼女の言葉も理解できる。

 人型状にぶち破られたそれはステンドグラス。大食堂の天井に設けられ、フィリシスがこの城に潜入した忌むべきあの日に、彼女自身がぶち破ったものである。すなわち、この下には大食堂がある。割れたステンドグラスの隙間から、大食堂の床が確認できた。さらに観察していると、調理ゴーレムが昼食を運んでくるのが見える。


「おい、フィリシス。まさかとは思うが」

「さあラグラ、行くわよ! 食堂は目と鼻の先だわ!」


 がしっ、とフィリシスの腕がラグラを掴んだ。


「や、やだ! やめろ! こんなところから落ちたら死ぬだろうが!」

「大丈夫よ。私は死ななかったわ」

「貴様がおかしいんだよ!」

「それに意外と痛くないわよ」

「痛みの度合いは問題ではないのだ! 生死の境目なんだぞ! 生きるか死ぬかなんだよ!」

「虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言うわ」

「今日でいったい幾つの虎穴に入る気だよ! しかも一個も虎子を得てねぇよ!」


 ぐいぐいと腕を引っ張るフィリシスと、踏ん張るラグラ。しかし筋力ステータスの差は歴然であって、ラグラは徐々に引っ張られていく。ラグラは泣き叫びながら、その片手をぱたぱた翼をはためかせる仔竜に向けて差し出した。


「いやだあああ! 死にたくない、死にたくないよお! ノイノイ、助けてくれえええ!!」


 とうとうノイノイにまで助けを求める有様なのである。ノイノイは楽しそうにピーピー鳴いて飛び回っていた。


「殺した竜の子供に助けを求める……因果なものね、ラグラ……」

「俺が悪いの!? 違うよね!? やめろよ、ノイノイに情がうつると自己嫌悪に陥りそうなんだよ!」

「割とラグラって鳥型の可愛いシルエットが好きよね」

「それ今する会話か!? もっと状況に即した話題があるだろ!?」

「飛び降りるわよ」

「やめろおおおおおおおおお!!」


 結局その叫びを置き去りにして、フィリシスとラグラは天井から食堂に向けて飛び降りる。


「助けてくれえええええええ、ミルゥゥウウウううううぅぅぅぅぅ!!」


 大食堂に、ラグラの断末魔が響き渡った。

続きは明日の朝に投稿するザンスー

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