第四話
家に帰ったナアマを待っていたのは、母が作る料理の匂い。台所からトマトソースの香りが漂ってくる。今晩はナアマの好物、ラムのワンタンスープだ。
「お帰りなさい、ナアマ」
「ただいま、お母さん。今晩はごちそうだね。ワンタンスープだものね!」
喜んで席に着いたナアマは、そこで初めて持って帰ってきた魚のことを思い出した。
「母さん。これ、穫ってきたんだ」
母に桶を差し出すカイン。桶の中にはたっぷり魚が入っている。母は喜んでそれを受け取る。
「ありがとうね、カイン」
「この魚はナアマと二人で穫ったものなんだ。ナアマも褒めてあげて」
カインはそれだけ言い残して、階段を上っていった。おそらく自分の部屋に戻ったのだろう。 家でのカインは一人部屋に籠もっていることが多いので、食事する時以外は姿を見ない。
姿がないことで言えば、いつもロッキングチェアでユラユラ揺られている父が見あたらない。
「お父さんはどうしたの?」
「お父さんには足りない食材を買いに行ってもらったんだけど、どうしたのかしら、遅いわね」
そうこうしているうちに父は帰ってきた。泥まみれの格好で帰ってきた。
「いやー、ぬかるんだ道を歩いていたらこの通り、転んでしまってね。ハハハハ」
転んだだけにしては酷い汚れ方だ。顔まで泥が付いている。ナアマはなんとなく、父が嘘をついているような気がした。
「あらあら、困った人ですね」
「そういうなよ、お母さん。頼まれていた物はちゃんと買ってきたんだ、ほらここに」
あわてた様子で、泥まみれの包みを出した父。袋を開けた母はあからさまに肩を落としてみせる。
「お父さん。乾燥ハーブが足りませんよ。これじゃワンタンスープの仕上げが出来ないわ。もう私が買いに行きますから、お父さんは休んでて下さい」
エプロンを外し、出かけようとする母をナアマは急いで引き止めた。
「おつかいくらい俺に頼んでよ。ワンタンスープに入れるハーブと、他に要る物はない?」
「今日はあなたの誕生日なのよ? 買い物なら私が行ってくるわ」
「お母さんの言うとおりだ。ナアマ、ゆっくりしてなさい」
物腰柔らかな口調で足止めする両親を前にナアマは考え、答えを出した。
「今日だから良いんだよ。俺はもう十三歳、大人なんだ」
この村のカインに対する嫌がらせは常軌を逸している。陰口を囁くだけならまだしも、露骨な嫌がらせや暴力を行い、ストレスの捌け口にしている。その切っ先を家族に向ける者も少なくない。
こうした不自然な問題を抱えた時、両親は密かにその穴埋めをし、涼しい顔をしてきた。
成人した今の自分なら、その役目を負うにも相応しいだろう。ナアマは意気込んでいた。
「そうね……」
小さく頷いた母は、ポーチから出した硬貨数枚をナアマに渡した。
「ハーブの名前はフィンネル。少しで良いわ」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
心晴れやかに玄関扉を開いたナアマだったが、後ろから聞こえた父の言葉に足が止まる。
「すまんな……」
「そんなことないよ、カインのためじゃないか」
外は思っていたよりも暗く、何処へ向かおうにも人家の灯りを必要とするほどだった。
「おーい、ナアマ」
二階の窓から手を振っている兄を目にした時、ナアマは嬉しいような、悲しいような感じがした。