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冒険者通り十三番!  作者: 鼠色猫/長月達平
第一章  『土地ひとつだけ、主は五人』
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『五人でひとつのカインド・ベル』


「つまり、アルのも入れて四枚の契約書があるってわけ。どう考えてもおかしいわよ」


「だが魔法契約書は誤魔化せん。契約書の発行は王国の正式な発行所。そして内容は記述者が嘘、偽りと知っていては書き込めんのだから」


「全員の確認で契約書が真であることは事実ですヨ。となれば、記述者が内容の矛盾を知らされていなかった詐欺行為かもしれませんネ」


「まあ。都会は恐いですね。陰謀渦巻く暗黒街ですね」


「それにしても嘘は書けないんだから、数はともかく内容は正しいんじゃないか?」


 五人掛けのテーブルに腰掛け、契約書を睨みつけながらの相談が続いている。

 アルが契約書の正しさを主張して水を向けると、ティファは不機嫌な様子で、


「だから権利関係はお祖父ちゃんが死んだときに整理したのよ。店の権利書は貸し出されてないし、その権利書にも王国発行の刻印があるわ。国に認められた正式なお店よ」


「ってことは、やっぱ詐欺? でも、四人も同じ手口で騙されるもんなのか? それを阻止するための魔法契約書なんじゃないのか?」


「悪徳ならそれをやりかねんという話だな。遺憾な話だが、その思惑にまんまと乗せられたか……? 十二万は安くない金額だというのに」


 バルトが失った金額の大きさを嘆くが、その金額がアルには聞き捨てならない。


「ちょっと待て。十二万って言った? 他のみんなも?」


「まあ。私は九万ゴールドで譲っていただけましたよ」


「私は十一万ゴールドでしたネ。いい買い物だと思ったのですガ」


 それぞれの金額が全部、アルを下回っていた。自分が一番ぼられたとわかって、何となく懐が寒い。一方、それぞれの提示した金額に恐れ入ったように、ティファは愕然と「万……万単位のゴールド……」とか呟いている。経営辛いんだな。


「どちらにせよ、詐欺なら由々しき事態だ。儂らを騙した奴らから金を取り返さねば」


「微妙に納得いかないがバルトの言う通りだ。あの不動産屋、ザンスザンス言ってて怪しいと思ってたぜ。いい買い物したなアハハと思ってた俺を嘲笑ってやがったのか」


「今のを聞く限り、怪しいと思ってた形跡が微塵もなかったんだけど……」


 揚げ足取りを無視して、男二人が血気盛んに反撃を叫んだ。それを呆れと微笑と怪しい笑みが見守る中、不意にそのいずれでもない声が響く。


「あー、これは騙されたね。あんたら四人ともまんまと」


「ロッテ姉さんっ! どうして」


 五人の間を割るようにテーブルに手を着き、契約書を見下ろして言ったのはロッテだ。彼女は契約書をしげしげと見て、くわえタバコを噛み曲げる。


「いつまでもやいのやいのと宿が騒がしいし、その騒ぎにアルまで加わったみたいだから何やってるのか気になったんだよ。で、この契約書だけど全部本物」


「それはわかっとる。それを大魔道クラスの詐欺が……」


「んや、文面は嘘をついてない。王都冒険者通り十三の四の一がこの契約書」


 バルトの言葉を遮り、一枚の契約書を指して住所を読む。全員がそれがどうした、という目を向ける中、ロッテが次の契約書の文面を読み上げていく。


「こっちが冒険者通り十三の四の二。こっちが十三の四の三でこっちが四の四。わかる?」


「まあ。よく見てみれば住所の最後の数字だけは違いますね」


「ということは、儂らはそれぞれ間違った物件の場所に来たということなのか?」


 ロッテの示す通り契約書の文面はその一文字だけが全部違っている。だが、同じ考えに至ったらしきバルトの言葉がロッテによって否定される。


「実はここは特殊な立地条件でね。王都の地図を見れば細かい説明もできるんだが、ちょうど重なる区画の角っこが集中してる位置なんだ」


「ようするに、どういうことになるんですかネ?」


「この宿は四つの区画のど真ん中。つまり、それぞれの契約書はこの宿がある土地の四分の一ずつを売り渡すと確かに記してある」


「四分の一ずつ!?」


 全員の驚愕の声が重なり、焦り顔のティファが契約書が浮くほどテーブルを叩く。


「で、でも! この契約書が土地の売り渡しを示していても、そもそもこの宿の土地を誰かに売り渡す権利なんて……」


「宿の権利書と土地の権利書は別……ということですネ」


 シスター=ノエルの言葉にティファが思い当たることがあるように顔を強張らせた。


「まさか、お祖父ちゃんの権利書関係に土地の権利書がなかったのは……」


「あたしは部外者だが、前に一度聞かせてもらったことがある」


 愕然とする妹分に追い討ちをかけるのがしのびないのか、ロッテは声の調子を落とし、


「この宿は色々あった先々代の王様の頃からのもんだ。その頃の王都は繁栄優先で土地ばらまいてた時代でね、ティファの爺さんの店開きもその流れに乗ったもんだった。けど、すでにその時代も二代前。その頃より今の方が切羽詰ってる。国がな」


「だから、国が土地の権利書を不動産屋に売り渡したというのか?」


「権利書は国の認める正式な店に渡ったはずさ。その後、どうなったかはわからない」


 ロッテが推論に過ぎないよ、と自分の意見を締めると、自然と場に沈黙が下りた。

 黙考するバルトや顔を蒼白にするティファ。ノエルも何も言わず、アルも言うべき言葉を捜す。その沈黙を破ったのは結局、最初から最後まで態度を変えないプリカだ。


「つまり契約書は正式なもの。このお店の土地は私達のもの、ということですか?」


 空気を読んでいないが核心を突いた発言に、一人を除いて全員がそれを重々しく受け止める。当然、それを受け入れられなかったのはティファだ。

 彼女は瞳に涙を浮かべ、いやいやと首を振ってテーブルにもたれかかる。


「そんなことって……あたしの知らないところで、お、お祖父ちゃんのお店が……」


 アルはティファと宿屋の事情を聞いている。だからこそ、涙を流す彼女の気持ちが理解できて心が痛かった。

 そんな痛ましいティファの背を慰めるように撫でるノエル。流石は本職のシスターというべきか。悲嘆に暮れる少女を相手にする姿は確かに慈愛の聖職者そのものだ。


「悲しみはわかりますヨ。でも涙を拭いてくださいネ。この世の全ての苦難は神があなたに与えし試練。壁を乗り越える度に人は強くなり、そして気高き神の御許に一歩ずつ歩み寄っていくのですヨ。だから涙を拭いて、荷物をまとめて宿を出るのがよいかと……」


「即時撤回してお前のどこがシスターだ! 本当に鬼かお前は! いや、鬼だお前は!」


 ひぐっ、とティファの喉が嗚咽したのを見かねてノエルに突っ込みを入れる。と、彼女はひらりと身をかわし、立てた指をちっちっちと揺らした。


「ジョークですヨ。乾いた日々に安らかな潤いを、と神も申しておりますからネ」


「ダークなんだよ邪悪なんだよ笑えないんだよ! 神様は黒い冗談がお好きか!?」


「神は全てを受け入れてくださいますヨ。あとは当人が教えをどう受け取るかで……」


「つまり今のはお前の神をも恐れぬ単独犯ってことだろうがぁ!」


 両耳を塞いで聞こえない聞こえないと首を振るノエルの姿が腹立たしい。というか、本当にシスターなのかこの女は。

 そのアルとノエルのやり取りを見ていたバルトが、しかしと前置きして言った。


「だが、事実としてこの土地が儂らのものになったことは間違いない。ならば、そのシスターの言葉は言い様の問題はあるにせよ、否定できん事実だろう」


「じゃあ、何か? あんたは今、こうして唐突に生き甲斐を奪われようとしてるティファを見ていながら出ていけと、あの鬼畜シスターと同じことが言えるってのか」


「ではどうする。お前とて払った金額は安くあるまい。その上で同情という刹那的な感傷で自分の道を閉ざすのか。儂は断固、そう簡単には譲れんな」


 バルトの言い分には否定できない重みがある。アルにだって譲れない気持ちの一つや二つはあり、王都に出てきた理由などはまさにその譲れない夢が原因だ。

 バルトが他の者はどうだ、と周りに話を振ると、プリカがおっとりと頬に手を当て、


「まあ。私は時間が無限にありますから、ティファさんのお気持ちを尊重するのも不可能ではありませんけど……」


 殺されなきゃ死なないとまで言われる長寿族な観点から空気を読まない発言がきた。目を剥いたのは丸め込もうとしていたバルトと、丸め込まれかけていたアルだ。


「き、貴様らエルフはすぐそう論点をずらしおる……だから儂はエルフが嫌いなんだ!」


「まあ。そんなこと言われましても。それに人間族に比べたらドワーフ族だって長命でしょう? バルトさんもそんなにお年を召されているようには見えませんし」


「ぐ……確かに二百年は余命があるだろうが、それとこれとは話が別だろう」


 寿命がないエルフと平均寿命が三百年のドワーフの会話はなかなか天上的だ。寿命がせいぜい八十年の人間からすれば持て余しかねない長さだろう。


「神への忠節を尽くすには人間の生では短すぎますヨ。私は少し羨ましいですネ」


「ああ……あんた、一応人間なんだ。ローブで顔の半分隠してるし、非人間的な言動と行動が目立つから魔族系なのかと思ってたよ」


「ワォ、失礼しちゃいますネ。ぷんぷんですヨ」


 本心の見えないノエルを余所に、泣いているティファの様子が気にかかる。何とか慰めようと彼女に意識を向けると、すでにロッテがその役目を請け負っていた。


「さ、流石だ、姐さん……」


「変な感心ポイントだね。それと、まだあたしの話はクライマックスにいってないよ」


「え……まだ、終わってないって……」


 顔を上げるティファに力強く頷くと、ロッテは手を叩いて注目を集める。それから新しいタバコに指先から赤の魔法で火をつけ、赤い先端でぐるりと宿を示した。


「土地の権利はあんたら四人のもんだ。その辺りの細かい話はあんたらの話し合い次第だけど、ティファを追い出すってぇ話はそうそう簡単にゃいかない」


「まあ。ほら、やっぱりダメなんですよ、バルトさん」


「まだ理由も聞いておらんのに、はいそうですねと言えるわけもあるまい。その理由とやらを話して納得させてみせろ、小娘」


「若い娘扱いは嬉しいけど小娘はちょっとね。せめてレディって呼んでくれないかね」


「だ、誰がそんなわけわからん頼みをッ!」


「んじゃ、あたしもこれ以上は話してやんない」


 バルトが狼狽して拒否すると、ロッテも子どものように口をつぐむ。このままでは話が進まないと、店内の全員の非難の視線がバルトに向いた。


「ほら、バルト。あんたが姐さんにレディって言えば話が進むんだ。言ってくれ」


「ダメですよ、バルトさん。女性には紳士でなければ。そうでなくては、ドワーフは醜聞通りに野蛮で下品なんて噂が広まってしまいます」


「ちょっとお嬢さん、聞きましたかネ? ドワーフって野蛮で下品らしいですヨ」


「き、聞いたわ。早く姉さんにレディって言い直さないと大変よ。ね、姉さんのお店は各地から色んな冒険者が来るんだから、噂の出回る勢いは風の如くなんだからっ」


 「レーディ、レーディ」とコールがかかり、バルトは恥辱に身を震わせながら、


「つ、続きを聞かせてもらおう……レディ」


「ま、あたしもそこまで丁重に扱われちゃぁ、話さないわけにもいかないねえ」


 ロッテが愉快げに笑い、バルトの睨みを全員が無視してホッと胸を撫で下ろす。


「それで姐さん、さっきの話の続きを」


「そうそう、ティファを追い出せないって話だね。そりゃ簡単なことで、この宿がすでにこの土地に居ついてから何十年と営業してるから。たとえ他人の土地でも、そこに何年も住んでりゃおいそれとは追い出せないって法律が言ってるの」


「……つまり」


「土地の権利者であるあんた達が言ったところで、ティファは無理やり追い出せない。ティファが出てくって決めていなくなれば、晴れて土地はあんたらの自由になる」


 ロッテの説明にバルトが焦りで眉間に皺を作って、


「この娘が宿屋に居座る限り、儂らはどうすることもできんということか!?」


「ま、そうなるね」


 簡潔な肯定にバルトが唸り、プリカとノエルも無言で考え込む。だが、法律的な後ろ盾を得たのにティファは浮かない顔だ。その原因は、


「とはいえ、ティファが開き直って図々しく営業を続けられるかってったら、微妙だね」


「ロッテ姉さん……あたし……」


「あんたがこの店を大切にしてるのは知ってるから、あたしはあんたが続けるなら応援するさ。でも、あんたがそう簡単に割り切れる性質じゃないのも知ってるからね」


 「自分で決めな」と、ロッテはアルに語った通りにティファを突き放した。その思いやりを察せないティファではないのだろう。まだぐずる鼻を鳴らしながら唇を震わせて、


「あ、あたしは……このお店を続けたい。でも、みんなが大金を払って、それで王都に目的を持って出てきたのもわかったわ。このお店はお客も来ないし……それに、いつ潰れるのかもわからないものだったし……こんな機会が訪れたのも、きっと……もう……」


 涙が頬を伝うのをもう見ていられなかった。アルは投げかける言葉も決めないで、ただ悲しみに沈むティファを助けたくて叫びそうになる。


「私は個人教会をやるのが目的でしてネ。少し大きめの部屋があると嬉しいんですヨ」


 ノエルがティファを遮り、能天気な口調のまま語るのを聞いてアルは沸騰しかける。が、ノエルは飄々とした態度を崩さないまま、バルトとプリカを指差し、


「バルトさんは武器・防具屋。プリカさんが薬屋でしたネ。アルさんは?」


「え?」


「アルさんも王都に目的があったのですよネ? それは何なのか、お聞かせくださいヨ」


「俺が王都に来た目的は……商売の勉強と、道具屋として身を立てるためだ」


 ノエルの真意もわからないまま答えると、なるほどなるほどと彼女は頷き、


「そしてティファさんが宿屋。幸いにも、全員の目的は被ってないわけですネ」


 その言葉で、アルを含めてバルトとプリカ。ロッテまでもが真意を悟っただろう。訳がわかっていないのは、止まらない涙を拭いながら疑問符を浮かべるティファだけだ。

 椅子を引き、バルトが店の使われていないスペースを示し、


「使っていない空間は広大だな。儂は日の光を避けたいから、あの奥の窓がない場所を譲ってもらえれば助かる。それと、鍛冶仕事用に地下室をな」


 にやりと笑い、バルトは床を指差した。その後を引き継いでプリカが微笑む。


「まあ。では、私はその向かいのスペースを予約しますね。それ以外はテラスなどを。薬草の育成に使いたいのです」


 どうぞ、と次の発言順位をアルに譲ってくれる。ノエルはすでに自分の要求を出していたから、あとはアルが望みを言うだけだった。


「俺は……俺はまだ勉強中の身だ。だから今は商いスペースは必要ない。寝泊りできる部屋と、いざ店をやるときに場所を応相談。それで文句はないよ」


 それから最後に、皆から渡されたバトンをティファに差し出した。彼女は未だに何を言われているのか理解できないと瞬きを繰り返したが、


「ほら。あいつらはあんたの居場所を取らないどころか、一緒にやろうって言ってるよ」

 頭を撫でられ、ロッテの言葉が沁み込んでようやく真意に理解が追いつき、ティファの瞳から止まっていた涙の流れが再開した。


「そんな、だって……みんな……」


「仕方あるまい。泣いている娘を放り出し、その城の跡に居着くなど夢見が悪いわ」


 悪態をついて頑固さを曲げないバルトだが、その本心がどこにあるのかは全員がわかっていた。堪えられずに全員が笑い、ティファの表情にも泣き笑いが宿る。


「バルトさんの言う通りですよ、ティファさん。それに私達がこうしてこの場所に集まった偶然にはきっと意味があります。この広いお店に一人は寂しいじゃないですか。ですからきっと、これが一番なんですよ」


「イェイェイェ。まさにその通りですヨ。全ては神が照らす運命の道なのですネ。我々が集い、そして一つの結論に達するのも神の導き。プリカさんは良いことを仰いましたネ」


「まあ。ありがとうございます。ノエルさんも素敵ですよ」


 的外れな意気投合を見せる二人に感謝の頭を下げて、ティファが最後にアルを見た。その申し訳なさそうな憂いを秘めた表情に、大したことじゃないと笑顔で頷きかける。


「ノエルの言葉を引用するのは癪だけど、運命っていっていいと思うな。不安材料なんかそれこそ売るほどあるけど、俺はこれが一番いいと思う」


「……うん。…………うん、ありがと」


 ティファが万感の想いを込めて感謝を口にすると、全員が同時に頷いて笑った。

 それを見届けると、ロッテは静かにタバコを消して出口に向かっていく。


「話がまとまったみたいで何より。どうなるかわからないが、頑張りな。一つの建物に五つの店だ。しかも昨日まで知らない同士。苦労もあるだろうから、さ」


「姐さん……ひょっとして、最初からこうなるようにって考えてたんじゃ」


「おいおい、あんまあたしを買い被らないでおくれよ? あたしゃただの向かいの店のお節介な店主。夜分にうるさいから何事かと覗きにきただけ。んじゃ、歯ぁみがけよ」


 背中越しに手を振って、ロッテは宿の外に消えていく。痺れる背中だった。

 一つの結論に達して緊張の糸が切れたのか、全員がぐたりと椅子に座り込んだ。その様子に揃って笑って、


「さて。こうして一緒にやっていくことに決めたわけだが、これからどうするべきか」


 バルトがそう言ったのと、壁掛け時計の鐘が鳴ったのはほぼ同時だった。年季の入った壁時計は長針と短針が仲良く頂点を指し、遂に日付をまたいだことを示している。


「もうこんな時間……疲れるはずだわ」


「泣いてしまうと体力を使いますからネ。さぞやお疲れだと思いますヨ」


「もうっ、やめてよ。泣いたのなんて、本当に恥ずかしいんだからっ」


 ノエルのからかいにティファが過剰反応する。それを見ながら微笑のプリカが、


「今日はお話は終わりにして、明日の朝にまたちゃんと話し合いましょうか」


「それがいいな。今日のところは休もう。俺も色々あって疲れてるんだ」


 今日は解散という方針に固まりつつあり、話題が部屋割りに向かおうとしたときだった。くぅ、と特殊な耳に残る音がして、バルトが片手で腹を撫でた。


「ふむ、小腹が空いたな。思えば暗くなった頃から怒鳴りっぱなしだった」


「仕方ないわね。晩御飯も食べてないもん」


 それから、いいことを思いついたとティファが手を叩く。


「今からあたし、夜食を作るわ。みんなには感謝してるから、そのお礼も込めて」


 かすかに頬を染め、ティファはどうかなと全員を見渡す。バルトがふむと鼻を擦り、プリカが頬に手を当てる。ノエルも親指を立てたサインを見せ、アルも笑みで頷いた。


「ああ。そうしようか」


「わかった。それじゃ準備するねっ」


 ティファが厨房に走っていく。全員の同意が嬉しかったのか、今頃になって照れの気持ちがゲージを上回ったのかもしれない。

 それにしても、一時はどうなるかと思った事態も丸く収まるようで一安心だ。


「まさか、俺の王都デビューの一日がこんな形になるとは思わなかったけどな」


 夢を抱いて田舎を飛び出し、そして苦難の末に辿り着いた花の王都。

 そこで出会った少女、そしてシスターとドワーフとエルフ。これからの日々を共に過ごしていく仲間達だ。夢にも思わなかった展開である。

 不安はある。だが、同じくらいの期待もどこかにあった。

 何となくうまくやっていけるんじゃないかと、楽観的だと笑われるような思いが。


「ま、激動の一日を締め括るにはちょうどいいくらいのイベントだったな」

 そう言って、これからの日々を思って、アルは口の端に笑みを上らせた。

 高らかに鳴る胃袋が、目の前に迫ったティファの感謝の料理を待ち望んでいる。


 ――その絶叫を喜びと勘違いしたアルは、地獄を避ける最後のチャンスを見逃した。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「バルトの部屋の窓、光が入らないようにしたけど大丈夫かしら」


「一応、バルトのマントで目張りしたから大丈夫だろ。ただ、ドワーフは光を浴びると石化するって聞いたことあるからな。彫像になってたら供養に店先に飾るとしよう」


 ドワーフの石像って客寄せか魔除けになるかな、などと思いながら出口に向かう。どっちかっていうと魔寄せの客除けになりそうだ。想像の中で子どもに落書きされるバルト像。悪魔に遭遇したような寝顔のバルトをベッドに置いて、石化するなよと部屋を出る。


「それにしても食材が痛んでたのかしら……ちゃんとチェックはしてたのに。悪いことしちゃった……みんな、これで考えを変えたりしないかな?」


「そこまで狭量じゃないと思う。それ以前に今夜の峠を越えられるかも未定だし」


 ちなみにプリカとノエルもまた似たような状況だ。すでに二人とも部屋に投げ込んで、あとは彼女達の気力次第。


「でも、アルだけは無事なのね。お腹、大丈夫なの?」


「ああ、どうやら抗体ができたらしくて。瀕死まではいかないですみました」


「……そう? よくわかんないけど、よかった」


 だからといって、夕方の惨劇を忘れていた自分はどうかしてるとしか思えない。限度を超えた恐怖を記憶から消すという、自己防衛機能の悲劇だろうか。

 覚えていたらしいノエルは「神に挑むチャンスですヨ!」と果敢に挑み、「闇が、闇の時代がやってきますヨ~」などと言って苦しんでいた。自業自得だ。

 全員が絶妙に生命力たくましいおかげで臨死者はなし。そのままお別れにならなかったが今夜を越えられるかが山だ。生き汚そうなのが揃っているので大丈夫だと思うが。


「とはいえ、俺も体力の限界値が近い。できればもうベッドにでも倒れ込みたいんだが」


「ちょっと待って。他の三人に部屋を用意しちゃったから、もうあたしの部屋ともう一つの部屋しかなくて」


「そこでいい。何なら片付いてなくてもいいから」


「ちゃんと掃除してるから片付いてるけど……ん、いいわ」


 自分を納得させるように頷いて、ティファが案内したのは通路の奥の部屋だった。

 こじんまりとした部屋は簡素だが机と寝台、それと書棚のある小奇麗な内装だ。掃除もフロアと同じくらいか、それ以上に行き届いていて文句がない。


「ここ、使って。書棚の本とかも、乱暴にしなければ読んでいいから」


「いや、アルケス読めないからさ」


「あ、そうだったわね」


 大きな本棚いっぱいの本は娯楽書より、学術書の割合が多い。ティファは勉強家なんだなと見直したのも束の間、疲労が臨界点を越えてベッドに倒れ込む。


「それじゃ、明日の朝。起きなかったらちゃんと起こしてあげるからね」


「わかった。俺は早起きだから大丈夫だと思うけど、寝てたら頼む」


 言って、ティファが指を鳴らすと魔法灯の光が消える。それを合図に布団に入る。と、なかなか部屋を出ていこうとしないティファが気にかかった。


「どうした? 俺の寝顔が気になるのか? 確かに俺の寝顔はリュングダールで一番天使に近いって神族に言われたこともあるけど……」


「男の寝顔が可愛いって褒め言葉じゃないんじゃ……ううん、そうじゃなくて」


「ははーん。さてはアレだな? 大丈夫だよ。ティファが髪振り乱して泣いたことなんて誰にも言いふらしたりしないからさ」


「そんな心配してないわよっ! あーもう!」


 山吹色の髪をかきむしり、ティファは大きく息を吐いて気を取り直すと、


「さっきはあたしのこと、庇ってくれてありがと」


 と、小さい声で早口に言うのだった。

 さっきというと話し合いの最中だろうか。アルは身を起こしてティファの方を見る。灯りがない暗闇の中では、ティファがどんな顔をしているのかは見えなかった。


「気にするなよ。それに解決法を示したのはノエルで、俺じゃないから」


「それはそうなんだけど……むう。別にあんたにだけ言うんじゃなくて、全員にお礼を言うつもりだったの。一番になっただけなんだから、素直に受け取んなさいよっ」


 闇の中、顔を背ける気配だけがあって、アルは何を怒ってるんだろうと首を傾げる。


「ま、確かに他の奴らはお礼どころの話じゃないみたいだしな」


「そうよ。とにかく、お礼は言ったんだからね。おやすみっ」


「ああ、おやすみ、ティファ」


 扉が乱暴に閉まり、遠ざかる足音を聞きながら今度こそ布団にもぐり込んだ。

 眠いはずなのになかなか寝つけず、それどころか笑いが込み上げてくるのを感じる。その笑いの衝動を止められないまま、アルは布団の中でしばらく笑い続けた。

 意識が遠のき、夢の世界に誘われながら、その口元は緩んだままだった。


 ――アルにとって怒涛の王都一日目は、こうして終わりを告げた。


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