『四枚の契約書』
「へえ。プリカは薬師なんだ」
「はい。私の故郷、プーラの森では一番の薬師と自負しています」
人間族と違い、人類種は自信のあることで自分を語るときに躊躇いがない。隣を歩くプリカの言葉にも、誇りこそあれ嫌味はどこにも感じられなかった。
「プリカはアスガルド大陸出身か? プーラの森ってのがどこかわからなくてさ」
「仕方ありません。人間族と違って、エルフは石造りの町を作りませんから。森が私達の集落であり、家なのです。ですから、世界図に明記されることも少ないようですね」
「世界図か……そういえば俺の故郷も載ってないんだよな。意外と見識狭いな、あれ」
「まあ。そうなんですか? 私はアルさんのご指摘通り、アスガルド大陸出身ですけれど、アルさんの故郷というのはどちらなんですか?」
「ん。ああ、リュングダールって場所なんだけど」
まあ、と驚きに手を口に当て、まじまじとアルを上から下まで見る。その視線は入国窓口で浴びたものと大差ないので、続く言葉も似たようなものかと肩を落としかけた。
「――楽園、ですね?」
だから故郷をそう形容されて、電光石火で顔を上げた。
「おお! ようやく田舎扱いしない人に出会えた……!」
「なんでも、季節問わず様々な植物が咲き乱れ、それはもう薬師の楽園であるとか」
「珍種が多いのは確かだけど、そこまで薬師限定楽園じゃないからな」
「薬草や毒草、それらの集合体が芳しい芳香を放って、忘我の境地へ導くのでしょうね」
「場所によってはそうだけど、そんな危険地域じゃないからね」
どこか陶然とした顔でうっとりプリカが妄想を口にする。ベクトルが違うだけで未開の秘境扱いは変わらなかったことに辟易として故郷を思った。
当たり障りのない会話が続く内に、二人の姿は冒険者通りに入っていた。アルはとりあえず宿屋に向かい、自分の用事とプリカの問題を一緒に片付ける気だ。いざとなればティファの面倒見のよさに全てをうっちゃってしまうのもいいだろう。
基本的に魅了や魅惑系の魔法や魔眼は同性には効力が弱いので、アルといるよりは安全なはずだ。そう思って宿屋の前に戻ったのだが――、
「まあ。大変ですね」
横でプリカが危機感ゼロにやんわり呟くが、字面の示す通り大変なことになっていた。
宿屋前の通り、給仕服のティファとマント姿のドワーフが臨戦態勢で向き合っている。すでに戦闘が始まって結構経つのか、肩で息をしている両者の体は泥や埃で汚れ、通りには武器を打ちつけた跡や赤の魔法の名残の焦げ臭い香りが漂っていた。
周囲は多数の野次馬が湧き、二人を遠巻きにやいやいと歓声を飛ばしている。
「おいおい、王都じゃ刀傷沙汰は笑い話と酒飲み話にカテゴライズされるのか?」
「冒険者通りですからネ。このぐらいの騒ぎは日常茶飯事のようですヨ」
突如、後ろから現れた黒ローブのシスターが会話に参加してくる。アルが嫌そうな顔を向けると、彼女は指を一つ立てて細く説明を付け加えた。
「ちなみにティファさんが魔法使い。ドワーフさんが斧ファイターですネ」
「見ればわかる。というか、ああなる前にあんたは止められなかったのか」
「どうも、エルフの女性。私はノエルという通りすがりのシスターですヨ」
「まあ。ご親切にありがとうございます。私は薬師のプリカと申します」
「聞けよ、聞こうよ、聞いてくださいよ」
騒ぎとアルそっちのけで親交を深める二人を切り捨て、野次馬を掻き分けて前に出る。小さな杖を持つティファはどうやら赤の系統の魔法使いらしく、囁くような詠唱で火球を作り出し、自らを守るように周囲を浮遊させている。対する男は柄の長い斧を握り締め、マントで日光を遮断しながら小刻みにステップを踏んでいた。
「どうした、小娘。息が上がっておるんじゃないか。最近の若い奴は情けないのお!」
「そっちこそ、自慢の髭がチリチリになる前に短い足でヨチヨチ逃げたらどうかしら!」
「やかましい、小娘が! 年長者をもっと敬え! 親の教育がなっとらんぞ!」
「親の顔なんて小さい頃に見たきりよ! それに年食っただけで偉そうにする年寄りを敬うなんて、へりくだった心の持ち合わせは一銭もないわねっ!」
売り言葉に買い言葉。思ったより低レベルな言い争いで殴り合いになったようだ。
野次馬も目に入らない様子で口ゲンカをしているが、疲労具合からして二人ともそろそろ限界のはずだ。周りは危機感なく見ているが、そこまで笑い飛ばせる状況でもない。結果によってはどちらかが大怪我するだろう。
お互いに決めに入る覚悟を固めたのか、二人の表情が引き締まった。ドワーフが前のめりに突進し、ティファが迎え撃つ詠唱を始める。
その瞬間、アルはその主戦場に飛び出して割って入っていた。
「そこまでだ! 話し合いで解決するのが最善だと俺は主張したい!」
振り下ろされる斧の柄に手を添えて狙いを外し、斧が地に刺さると踏みつけて動きを封じる。そしてティファを止めようと左手で制止を呼びかけ、全身に火球を浴びた。
「あぢゃぢゃぢゃぢゃぢゃ!」
「ア、アル!?」
左半身を燃やしながら地面を転がるアルを見て、ティファとドワーフも戦いを中断する。野次馬達が「おいおい、あれはヤベーぞ」とか「かっこつかないな、兄ちゃん」とか言っている中で、慌てて駆け寄ったプリカが袋から出したポーションをアルに浴びせた。
「まあ。大丈夫ですか、アルさん」
「あ、ああ……助かった。火傷に効くポーションか?」
「いえ、火を消そうと液体をかけただけです。ポーションは基本的に経口ですよ」
「痛みが引いたと思ったのは気のせいかぁ! そうと知ったら余計に痛くなってきた!」
地面を必死に転がったおかげで、何とか全焼は免れることができた。安堵する耳元で「神に、神に会うことはできましたかね!?」と熱心に訊くシスターがうざい。
「アル、大丈夫!?」
「服が焦げてワイルドになったのと、ポーションでべたつく以外は問題ない。にしても、派手にやってたもんだな」
焦げた両袖を破ってワイルドになると、駆け寄るティファに苦笑で答えた。同時に、斧を肩に担ったドワーフも歩み寄ってくる。
「見上げた小僧だ。小娘がやられるのはしのびないと飛び出してきおったわ」
わははと豪快に笑い、地面に座っていたアルに手を差し伸べる。
「儂の名前はバルト。お前さんの名前を聞かせい」
「俺はアルだ。あんたが疲れてなきゃ止められなかったよ」
手を貸してくれたものの、身長差があるのでむしろ立ち上がりにくかった。
「今、ドワーフを馬鹿にせんかったか」
「種族の差が生んだ悲しい誤解だ。いつかその溝……いや、高さが埋まるといいな」
「言い直したことで明確にドワーフを敵に回しとるだろうが!」
怒鳴るバルトをまあまあと手でとりなしていると、ティファが疲れたため息。
「アルってば本当に苦労性なのね。行きがかり上ってだけなのに、ドワーフのお年寄りが燃やされるのを防ごうなんて」
嫌味に対して嫌味を返すのを忘れない性格だった。性根が黒いの忘れてたよ、この子。
「まあまあ、落ち着こう。このままじゃ俺が半コゲした意味がなくなる」
再び睨み合いを始める両者の間に立って、愛想笑いでストップをかける。さすがの二人もアルが体を張ったことには敬意があるのか、渋々と矛を収めた。
それを見た野次馬がイベント終了とぞろぞろ散らばり始める。剣と魔法の騒ぎが終わると見るや興味を失う辺り、誰も彼もがいい根性していた。
「それで、何が問題でケンカになったんだよ」
顔を背け合う二人は一向に口を開かず、敵意だけで牽制し合っている。
「こんな場所で話しているのもなんですから、とりあえず中で話すとしましょうかネ」
「お前が仕切るのか」
はあ、とため息をつくと、ティファとバルトの肩を叩いて宿屋に促す。ちなみにプリカとシスターは先に宿屋に入っていくところだ。
「ところでこれ、俺も行かなきゃダメなのかなぁ」
情けない声で呟いて、それからアルもまた宿の入り口を押し開いていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
宿の中は複雑怪奇な雰囲気に支配され、無言のプレッシャーが荒れ狂っている。
カウンター席のティファと客席に座るバルトが沈黙の睨み合いを続け、離れて座っているシスターとプリカがにやにやにこにこと笑っている。
当事者じゃないのに傍観もできないアルは丸投げして逃げたい気持ちをねじ伏せ、とりあえず先陣を切る意味合いでティファに話しかけた。
「それで、ティファさん。どうしてあんなことになりましたんでございますか?」
「そっちのドワーフさんに話を聞いたら?」
取りつく島もない。それからバルトに同じ問いを込めて目を向けると、バルトは太く短い腕を組んで重々しい息を吐いた。ちなみに椅子に腰掛ける足が床に届かずぶらぶらしているので、厳格さという意味では正直弱い。
「儂は鍛冶職のドワーフだ。王都には武器防具を打ち、それを売る商売をやりにきた」
「武器・防具屋ってことか。それはわかるけど、それで?」
「故郷を出てこの身を立てるために、最も活気のあるエルベルムにやってきたのだ。そして儂は儂の仕事場となる土地を購入し、それを確かめにきたわけだ。が、どうだ」
怒り心頭という形相でティファを睨んで歯軋りをする。足は相変わらず揺れている。
「いざ来てみればそこには宿があり、しかも小娘が営業しているではないか」
ぶらぶら、ぶらぶら。
「そして儂は娘に儂の土地であると権利書を見せ、立ち退きを要求したわけだが……おい、小僧。お前、ちゃんと聞いておるのか!」
「ぶらぶら、ぶらぶら。じゃなくて、もちろん聞いてたよ? なるほど、言い分はわかった。それでティファの言い分は?」
決まってるわ、とティファも怒りを押し殺した声で答える。
「お店の権利関係はお祖父ちゃんが亡くなったときにちゃんと整理したもの。その後で誰かに貸し与えた覚えも担保代わりに使ったこともない。そんな権利書は知らないわ」
「だが、事実として権利書がある。刻印もされた正式なものだ。魔法契約書には嘘偽りを記すことはできん。ドワーフを魔法で騙す馬鹿などおらんしな」
「でも、そんなもの……!」
「あー、ストップストップ。その言い合いが高じてケンカになったんだろ。タンマだ」
ヒートアップを先んじて止めて、バルトの持つ契約書を受け取る。契約書には確かに魔力の浸透が感じられ、右上には国の正式発行の紙面であることを示す刻印もあった。
刻印は使用者の魔力波長を受けて初めて押すことが可能になる印だ。だからイカサマはできない。刻印を押された魔法契約書は嘘偽りを許さないのも事実だ。
「プリカ。魔法はエルフの得意分野だ。この契約書は本物の魔法契約書か?」
「……はい、間違いないです。緑の系統の魔法ですね」
受け取ったプリカが断定し、バルトの発言を後押しする。と、契約書を手にしたプリカが「でも」と首を傾げる。
「どうかしたか?」
「いえ、実はこれとそっくりなものを私も持っていまして」
言ってプリカが取り出したのは、バルトの契約書とそっくりな契約書だった。それだけならただの契約書だが問題は、書かれた内容まで同じであることだ。
「おい、エルフ。お前さん、そいつはどうした」
「まあ。内容も同じみたいですね。これは私が買い求めたものなのですけれど」
注目の視線の中、プリカが二枚の契約書をテーブルに並べる。二枚の契約書は内容も、そして触れた魔力の感覚までも同じものだった。
「私、森を出て王都で薬師として薬屋を開こうと思っていたんです。建物は購入していましたから、そのお店を探して、親切なアルさんに案内してもらってここに」
微妙に訂正したい説明だったが、おおむねはバルトと同じ理由らしい。契約書の内容を見比べ、魔力を確認する二人は疑惑に首を傾げている。
「重複契約……だと?」
「ほら、見なさい。そんな怪しい契約、そもそもおかしかったんだから」
「しかし、魔法契約書には嘘は書けん。これを騙すのは大魔道クラスだぞ」
「まあ。どうしましょう」
がやがやと一挙に騒がしくなる三人。その様子を見ていたアルは不意に寒気を感じた。背後から向けられる怪しい気配に嫌々振り返ると、シスターがへらへらとした笑みを浮かべながらアルに手を振っていた。
――その手に全く同じ契約書が握られているのを見て、アルは匙を投げた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「自分達のことは自分達で解決すべきだと思う。うん、そうだな、俺の言う通りだ」
言い訳気味にそう言ってから、アルは宿屋の亜空間から逃げ出した。
二枚の重複契約書に加えて、さらに一枚の契約書の出現で店内はてんやわんやだ。アルが一人、ひょいと蒸発したくらいでは誰もこちらを気にしなかった。
外に出てみるとすでに日は没し、辺りはうっすら暗くなり始めている。しばらくすれば魔法灯が点き始め、町中が人工の光に包まれるだろう。流れはともかくプリカの道案内は終えたので、アルは自分の目的を果たすことで現実逃避を図る。と、せめて気持ちだけは前向きにと歩き出したアルを呼び止める声があった。
「よ、お兄ちゃん。さっきはすごかったじゃない。男だね」
宿の向かい――冒険者の館に背を預け、タバコをくわえた眼鏡の女性がそう言った。
年は二十代半ばというところか。濃い赤毛を頭の後ろで束ね、八重歯を覗かせるような片頬をつり上げる笑みを作っている美人だ。
「騒ぎを楽しむ奴はいても止める奴はいない。都会人の心の貧しさを感じたよ、俺は」
「周りの奴らは商売熱心なだけ。怪我したら薬いるだろ? それに武器が壊れたら武器も。店に被害がいかないように魔法の結界も張ってたし、本気で危ないのとを見極める程度の目はあるさ。冒険者通りじゃそれぐらいじゃなきゃいけないしね」
黒のベストにエプロンというギャルソン姿の女性が歩み寄り、アルを品定めするようにじろじろと遠慮のない視線を向けてきた。
「少し肉が足りないけど体つきは悪くない。さっきも動きもそうだし、戦士系かな?」
「残念ながらジョブは商人レベル1だよ。冒険者ギルドには世話になれない」
「なんだ、残念。あたしの目も鈍ったかねえ」
失敗失敗と照れ笑いして、女性はタバコの煙を吐き出してから、
「あたしはロッテ。一応、手前のしがない冒険者の館の主人さ。さっきは可愛い妹分を助けてもらって感謝するよ」
「俺はアルだけど……妹分って、ティファ?」
「そ。カインド・ベルとは付き合い長くてね。ティファは妹みたいなもんなのさ」
それにしても、と眼鏡の奥の目を鋭くして宿を見る。
「さっきからギャースカと騒がしいけど、何をやってるかアルは知ってるかい?」
「ティファが苦難にぶつかってるといいますか。色々込み入った事情があるようで」
「ふーん。ま、そうならそうでいいわ」
どう説明したものかと悩んだので、思ったよりあっさりと引き下がられて逆に肩透かしだ。その意外さが顔に出たのか、ロッテが怪訝そうにするので素直に聞いてみる。
「思ったよりも突っ込まれなかったので。妹分ってからには、もう少し気になるかと」
「あっちの方から泣きついてくるなら助けるよ。でも、そうしないなら自分で何とかするってことさ。健気すぎてはらはらするんだから、あの子は。気を遣いすぎると意地を張るって知ってるから、あたしが手を差し伸べるのは求められたときだけにしてんの」
きっぱりと突き放すような言い分だったが、その裏に隠されているのは深い愛情だ。その不器用な愛情表現に、アルは思わず感極まるものがあった。
凛とした佇まいに、冷たいようでいて実は心優しい――この人は、そう。
「あ、姐さんって呼んでもいいですか?」
「……店に来る連中も何でかあたしをそう呼ぶんだよねえ。好きにしな」
「はい! 姐さん!」
タバコの煙を輪にする姐さんを見ながら、アルはそうだと声をかける。
「そうだ、姐さん。実は訊きたいことがあるんですが」
「独身、恋人なし。属性は赤。スリーサイズは上から……」
「いや、そういうことではなくてですね。実は行きたい住所がありまして」
懐から不動産屋で受け取った書類を出し、住所の部分を見せる。
「ここなんですけど、ここに行きたいんですよ」
「なになに……冒険者通りの……はいはい。あー、それなら」
そう言ってロッテが懇切丁寧に場所を指し示し、アルは礼を言って頭を下げた。それから手を振るロッテに背を向けて、目的地の扉を押し開く。
ベルの軽やかな音がして、中にいた四人がこちらを見たのがわかった。
「ごめん。俺もその話に混ぜてもらっていい?」
目をそらしていた嫌な現実に直面したアルだった。
その手に見た覚えが三回ほどある、不思議な契約書を握り締めて。