『悪い魔法使いVSカインドベル』
闇雲に走り続けたティファがハウス・ドノヴァンに辿り着いたのは偶然、あるいは運命と言い換えることの許される必然だったのかもしれない。
仲間の姿を求めて王都中を捜すつもりだったティファが駆引き通りの異変に気づいたのは、頭の片隅にアル達の残した土地の権利書にあった不動産屋の名前のおかげか。
「どうして、この通りにはこんなに人がいないの――?」
魔法灯さえ消された通りを肩で息するティファが歩く。そして違和感は、両断されたハウス・ドノヴァンの門扉を目の当たりにしたことで確信へと変わっていた。
「扉の脇に殴り倒されてズボン半脱ぎの男、そして建物の窓からはみ出てる緑の茨……」
下手人がはっきり脳裏に浮かび、ティファは顔を蒼白にして敷地内に駆け込む。一瞬の間に過ぎったシナリオは、宿屋の修理代に身包みを置いていった面々が、大金を貯め込んでいそうな人間に強盗紛いの真似を働いているというものだった。
「待ってみんな、早まらないで! かなり手遅れ気味だけどあたし怒ってないから!」
邸内には忌まわしき茨が乱舞し、多すぎるほどの獲物が顔を赤くしてボンバヘッ寸前でぶら下がっている。妙に気力のない男が蔓を外している横を通り、腰が抜けそうになりながら階上を目指す。もはや悪夢は確実性と現実味を帯び、いっそ帰りたい。
「ダメダメ。そう、みんなを連れて帰るの。今回のことは……プリカがきっと都合よく記憶を消す薬とか持ってるわ。ノエルの呪いとかアルの腕力で無理くりでも……っ」
混乱が力技の解決法しか提示させない中、最上階の社長室に向かってスカートを翻らせる。頂上、そこにある社長室でどんな惨劇が起きているのか――、
「とにかく! 今日までのことは全て闇に葬って輝かしい明日を生きようと思うの!」
前向きに後ろ向きな発言と同時、最上階の社長室の扉を押し開けたティファは、目の前で繰り広げられているアルとバルトの一騎打ちを見て言葉を失った。
アルが必死な顔で、バルトがもっと必死な顔をしている。その手前にはサロメが悔しそうにうずくまっていて、さっぱり意味がわからない。取り分で揉めた?
「はっ、これはこれは。次々と役者が集まってくるザンス」
唖然と目を白黒させるティファを、部屋の奥にいたドノヴァンが嘲笑する。アルとバルトが戦い、サロメが屈する状況の細かい部分は理解できない。だがティファは咄嗟の判断で杖を抜いて、原因がドノヴァンにあることだけを確信して詠唱――、
「が、一歩遅いザンス!」
湧き出した黒煙が視界を覆い、一呼吸の間に膝から力が抜けた。サロメと同じようにティファもまたその場にひざまずき、ドノヴァンの哄笑がさらに高く響く。
「どいつもこいつも頭の中身がないのか? この娘が来たせいで計画の大半はオジャンだが、まあここまでくれば構うまい。スマートではないが、まとめてご退場願おう」
「ど、どういうこと……? 体が、どうして……」
「察しの悪い幸せな頭にわかるよう説明してやれば、ワタシの黒魔法でお前とエルフは体の自由を奪われ、ガキとドワーフは無意味な決闘中というところだ。数日を共に過ごした仲間同士の殺し合いを見る気分はどうだ? それとも、店の破壊に関わった連中が殺しあうのを見るのは楽しかったりするのかな! ハハハッハハ!」
黒魔法、という単語に戦慄が走る。ティファも魔法使いの端くれとして魔法の知識は学んでいる。黒の属性は系統色の中でも特に稀有なもので、さらに魔法使いとしての素養と噛み合うことも稀だ。絶対数が少なく、使い手と会うのはティファも初めてのこと。
「どうしてこんなことに……! アル達があなたに何を!」
「しいていえば何も、だ。協力しなかったというべきかな。どう思う、エルフ君?」
「黙りな! 耳を貸すんじゃないよ、ティファ! あんな野郎、すぐにどうにか……」
サロメの激昂に気を良くしたように、剣戟を間奏にドノヴァンが醜悪に笑う。
「何を聞かせたくないのかな? 例えば、給仕服の少女の努力を嘲笑うような妨害は全てワタシの差し金とか? ゴロツキが営業妨害するのも、客が寄りつかなくなるのも、身に覚えのない悪い噂が広がるのも、作る料理がマズイのも全部ワタシの差し金とかか!」
「――ドノヴァン!!」
斧を振るうバルトと唇を噛み切ったサロメの怒号が重なり、嘲笑が高らかに響く。
這いつくばる身にぶつけられるのは、それこそ身に覚えのない憎悪。その剥き出しの悪意が理解できないティファ――ただ、目の前の男が諸悪の根源なのだとはわかる。
だがティファの内心に湧き上がったのは堪え切れない怒りでも、泣きたいほどの悲しみでもなく、その理不尽な悪意に対する純粋な疑問だけだった。
「おい、お前。今、何て言った?」
憤怒に身を震わせるバルトとサロメと違い、その声に激怒の兆しはない。しかし、代わりに身を切りそうなほど凍えた怒りの込められた声だった。
防戦一方だが凝縮された怒気を放つアルに対し、ドノヴァンは僅かに姿勢を正し、
「……さて、何と言ったザンスかね」
「誤魔化すな。営業妨害、悪評、その後に続いた言葉だ! 繰り返せ!」
「ああ――あの娘の作る飯がマズイのも、だ。忌避される黒魔法は周到に準備すれば相応のことができる。……当人の無意識に干渉し、舌を狂わせてみたりとな」
「それはつまり……ティファの料理の腕は全部……っ!」
「自分の心も落ち着いて見れないのが不思議だな。黒魔法の干渉で小娘はまともな料理を作れず、そして食した人間もその事実を小娘に語ることができなくなる。クソマズイ飯を食った後、その事実を素直に口にすることをはばかられただろう?」
「そいつぁ便利だ。俺が黒魔法使いなら衰弱死するまであんたを裸踊りさせてやる!」
――思い当たることがあるのか、顔色を変えたアルが罵声を放つ。耳障りなドノヴァンの笑いを聞きながら、言葉の意味が少しずつ脳に浸透し、一つの答えを形作った。
ティファの食事を誰もが笑顔で辞した。何も知らない人も二度目以降は食べてくれなかった。どれだけ夜中に練習しても改善できず、味見の度の悪くない出来に明日こそはと希望を抱いていた。それらが全て、第三者の手で妨害されてきたことだなんて。
「どうして……そんなことを。あたしが、あなたに何をしたっていうの……?」
そのティファの言葉を聞いて、ドノヴァンの顔色が変わった。何かを堪えるように唇を噛み、しかし溢れ出るものを止め切れない目で、
「最初は単に不動産の回収をしようとしていた。爺さんも死に、簡単な仕事と思えば孫娘の邪魔だ。それだけで腸が煮えくり返りかけたが、それ以上に腹立たしいことが!」
ドノヴァンは誰に向けたより明確な憎悪、それを込めた視線でティファを射抜く。
「赤の系統の素質がある、それも人並み外れた素質が! その話を聞かされた瞬間、お前はワタシの中で憎らしくてたまらない存在になったんだよ。赤の魔法使い。誰もが夢見て、憧れる才能だ。それがあればきっとワタシは……だというのに貴様は、その才能をドブに捨てるように扱っている! これが許せるか……許せるものか!」
「あたしが、赤の系統の魔法使いだから……憎むの?」
「そうだ! 何色でもいい。原色の才能に恵まれながら活かさないだと!? ワタシが、この忌々しき黒にしか道がなかったワタシがあれほど渇望したものを、貴様は――!」
激昂に顔を引き歪めるドノヴァンの、それは胸に秘めていた羨望の叫びだった。
魔法は誰もが恵まれる力ではない。そして、才能に恵まれたものの中でも爪弾きにされる黒の系統の現実はティファも知っていた。生物に干渉する黒の魔法は、歴史の裏で暗躍した話は枚挙すればきりがない。極めたとて、蔑まれる無常の力。
そうだと知っていても、黒の魔法を極めた男がドノヴァン。彼は自分に与えられた才能を信じ、そしてその果てに何を見て、こうまで歪んでしまったのか。
恨んでも恨みきれない相手にも関わらず、ティファにはその男があまりにも哀れに見えた。男が己に立てた魔法使いとしての誓いが、一体どこで道を踏み外したのかと。
「何だ、その目は。哀れむような目は! お前なんだよ、不幸なのは! 哀れまれるのはお前なんだ! そんな目でワタシを見るんじゃない! 絶望的な状況で、仲間たちも操られ、不幸なままでお前は終わるんだ! そんなお前がワタシを哀れむなぁ!」
絶叫し、それまでアルと戦っていたバルトが唐突に標的を切り替える。急な動きにアルは追いつけず、斧を振り上げるバルトを止められない。その斧の先にはティファが。
「ぬぐぅ! 止まれ、儂の腕ぇ――っ!」
動けないサロメ、出遅れたアル、そして操られるバルト。その誰にもティファを救うことができない。そのままティファの頭に斧が落ちると、誰もが目を閉じる――、
「と、ここで真打登場というわけですヨ」
掌から放射された白光がバルトを直撃、その短躯を壁際に弾き飛ばしていた。瞬間の発光現象に焼かれた目に視界が戻ったとき、室内に新たに加わる黒いローブの影。
「天知る地知る神のみぞ知る、信仰の従順なる僕、ノエルちゃんの登場ですネ」
全員から注視され、ノエルはその場でくるりと回ると一礼、挑戦的に口元を緩める。
硬直していたアルは安堵に気を取り戻し、そのローブ姿に駆け寄って、
「遅かったじゃないか。一人だけ途中退場かと思って、内心焦ってたぞ。あんだけキャラの濃いことしてたくせに捨てキャラかよって」
「私は皆さんと違ってか弱いので、男性一人振り払うのも一苦労なのですヨ。それはもう、色仕掛けや権謀術数、神の恵みの数多を駆使して駆けつけた次第ですネ」
「その辺りのことは半ば聞き流すけど……まあ、無事でよかった」
「イェイェイェ、アルさんは時たまキュンキュンすること言いますネ。罪な人ですヨ」
「ほのぼのしとらんで貴様らはもう少し儂に何か言うことがあるだろうが!」
部屋の隅で痒みと戦って血まみれていたバルトが唾を飛ばしながら詰め寄る。ノエルはばっちいばっちいと手を振って、それから深々と頭を下げた。
「少々不躾ではありましたがネ。咄嗟の事態だったので寛容にお願いしますヨ。解呪はうまくいったようですからネ、痛い痒い辛いは代金ということデス」
「解呪だと……む、そういえば痒いところに手が届く……いや、背中は届かんぞ!」
「それは呪いの結果じゃなくて一身上の都合だろ」
確かめるように短い手足を回し、バルトがコントロールの戻った体でステップを踏む。その姿に愕然としたのは術者であるドノヴァンだった。
「ば、馬鹿な……ワタシの黒魔法に対抗するなど、貴様は一体」
「従順なる神の信徒ですヨ。全ては我が頭上におわす神なる方の威光! その信仰の前にはいかな艱難辛苦であろうと紙切れほどの脆さでしかないのデス! ハレルヤーッ!」
ノエルの体が不気味に白く光り輝き、ドノヴァンは思わず後ずさる。見た目はどちらも悪の魔法使いっぽいのだが、ノエルの方が役者が上という感じだ。
ドノヴァンが苦し紛れに魔法を放つが、それは命中する前に光にかき消される。
「無駄無駄無駄ァ! この生涯はすでに神に捧げしもの! 何人たりとも、私の心身を自由にすることなどできないのですヨーッ!」
トランスに入ったノエルが歓喜の咆哮を上げる。その身を取り巻く白い魔力を忌々しく睨みつけたドノヴァンが、杖を振って次なる手段を取った。それは――、
「これは……ダメ……! ノエル、逃げてーっ!」
ティファは自分の体が意思とは無関係に立ち上がり、杖を振り上げるのに気づいて叫んだ。さっきから自由にならない体でずっと詠唱していた魔力の渦が形を取り、灼熱の業火がノエルを焼き払わんと収束している。
「遅い! まずはその黒ローブの女を焼き、残りを再び魔法で殺し合わせる! それで終わりだ! 勝つのはワタシなのだ――っ!」
勝ち誇るドノヴァン。同時に放たれた爆炎が焼き尽くす獲物を求めて荒れ狂い、炎の涎を零しながら黒いローブに殺到。さしものノエルの表情からも色が消え、そのまま炎の中に包まれて存在すら消滅する――と、思われた。
「ぐああああああ――ッ!」
突き飛ばされたノエルの正面、炎に巻かれた人影が断末魔の叫びを上げている。それを為す術もなく見るバルトとサロメ、そしてティファ。
存在を消滅させる獄炎へ、自らの身を盾に仲間を守ったアルの姿が消えていく――。
「はっ、ははは! 馬鹿め! 順序が狂っただけ、すぐに他の奴も後を追わせてやる!」
狂ったようなドノヴァンの笑いに、正気に返った全員が動いた。
バルトが斧を高く振りかぶり、ノエルがサロメとティファを解呪する詠唱を始める。這いつくばるサロメが緑の魔法の詠唱を、ティファも不自由を強いられる体に反抗する。
その全てより早く、ドノヴァンの詠唱が終わっていた。再びティファの体を借りた灼熱の魔力が吹き上がり、収束して第二、第三の焼死体を作り上げようと咆哮を上げる。
「これで終わり――ッ!」
――そしてそのドノヴァンの詠唱よりも早く、聖剣の輝きが鮮やかに迸っていた。




