『冒険者通りと駆引き通り』
ゴロツキの苛烈な口撃の前に、ティファは再び失意のどん底に突き落とされていた。
溢れる涙と鼻水を拭うことも忘れて、常に笑顔でいた愛らしさは見る影もない。それはいかに彼女の心が深く抉られたのかを意味していた。
どれだけ時間が経ったのか。茫然自失で部屋に戻り、無気力にベッドに横たわって泣き疲れては眠り、浅い眠りから目覚めては泣くというサイクルを繰り返した。涙にエネルギーがあるなら、今日一日の王都の必要魔力を一人で補えそうなくらい。
「滑稽……超滑稽だ、あたし。ふふ、ふふふ……一銭にもならないのに自家発魔力!」
空元気を出そうとするのがむしろ辛い。そんな無力なティファを起き上がらせたのは、自室の外から届くかすかな地響きと、複数の人間が活動している騒々しさだった。
シーツで乱暴に顔を拭い、鏡を見る気力もなく部屋を出る。もしかしたら仲間が戻っているかもと僅かに期待して、そんな自分の身勝手さを自嘲した。
似合わない嘲笑に頬を引きつらせて扉を開き、損壊した商業スペースに向かうと、
「オラ! そっち急ピッチで進めろ! 柱立たなきゃ先が進まないだろが!」
「そういうお前も力仕事手伝え! 手足短いなんて言い訳になんねえぞ! 残念!」
「んだコラァ、コボルトなめんな! 非力さと脆弱さでオイラの右に出る奴いねーぞ!」
叫んだコボルトが近くの木材を掴んで押し潰され、周囲の男達が慌てて救い出す。その見覚えのある姿は近隣の店の店主達、コボルトも近くの魔法屋の主だ。
「……みんな、どうして」
「あ、やべ! ティファちゃんいるじゃねーか! おい、姐さん話が違ぇぞ!」
意味不明の光景に言葉を失うティファに一人が気づき、鼠算式に男達は手を止める。その彼らが一様に指示を仰ぐように見るのは、人波を割って現れるロッテだ。ロッテは普段と変わらない面持ちでティファの前に立つと、居心地悪そうに頭を掻いた。
「あちゃー、こりゃ参ったね。何度呼んでも出てこないから、てっきり外出してるもんだと思ったのに。靴屋の妖精作戦は失敗だわ」
「靴屋の妖精って、店の主人が寝てる間に仕事をしてるっていう……ど、どういうこと?」
「そのままだよ。全壊状態じゃ店は続けらんないだろ? だから冒険者通り組合員で集まって、ティファのいない間に直してサプライズっちゃおうって感じだったんだけど」
失敗失敗とロッテが照れ笑いを浮かべると、それが周囲の男達にも伝染する。その彼らの態度が理解できず、涸れたはずの涙がまた湧き上がってきた。
「なんでよ、やめてよ。そんなこと、そんな優しくされる理由があたしにはない……お祖父ちゃんのお店を傾けて、しかもこんなにしちゃって。力不足で、バカで、独りよがりで、運がなくて、お祖父ちゃん不幸者のあたしに……こんな……っ」
「理由ならあるさ。あたしらみんな、この店と、あんたのことが好きなんだよ」
思わぬ言葉に顔を上げるティファの頬を、ロッテの手が優しく撫ぜる。その温かな掌の感触に、堪え切れなかった涙が伝っていくのがわかった。
「客を出迎えるベルの音が優しくて好き。気持ちを和らげる花瓶の花の思いやりが好き。染み一つないテーブルクロスに見える努力の跡が好き。長い時と刻んだ建物の、歴史を感じさせる趣が好き。日に焼けたメニューを、人に喜んでもらえるように一生懸命練習したあんたが好き。爺さんの店のために頑張る健気なあんたが好き。どれだけ辛くても弱音を吐かず、笑顔を忘れないあんたが好き。これが自分の正装だって、魔物狩りにさえ給仕服で行くあんたの頑なさが好き。必死で、頑なで、でも純真なあんたが大好き」
絶望に沈んだ心が、男達に理不尽に穢された気持ちが、眩しいほどの優しさに洗い清められていく。ロッテの愛情が、それを囲む人々の思いやりが一丸となって。
「あんたは組合の一員で、可愛いあたしの妹。この店主一同の家族さ、そうだろう!」
「へい、姐さん!」
胸を張って振り向くロッテに全員が敬礼。その優しさに包まれて、ティファの涙腺は完全に決壊した。子どものように泣きじゃくる彼女をロッテがその胸に抱きしめ、見守る冒険者通りの店主達もまた、その場に膝から落ちて泣き崩れるものが続出している。
ティファの背を壊れ物に触れるように撫で、ロッテは穏やかに囁きかける。
「これまであたし達はあんたのために何もしてやれなかった。あんたがそれを望まないだろうってことと、体面上の問題からね。けど、そんなことはつまらなくて、くだらないことなのさ。そう言って、あんたを託した連中の気持ちを思えばね」
「あたしを、託した……?」
疑問の声に涙を拭い、ロッテは近くのテーブルを指差す。そこには薄汚れた麻袋を筆頭に、大量の荷物で溢れ返っていた。宝剣と呼ぶに相応しい剣が惜しげもなく並び、一目で希少とわかる薬草が積み重なり、奥には金色に輝く十字架が鎮座している。
「全部預けていく。ティファの店を建て直す足しにってね。自分勝手な連中さ」
それら全てが彼らの夢にとってかけがえのない物だと知っていたから、ティファは言葉にできない感情に身を震わせた。そのティファの表情の変化を見取って、ロッテは楽しげに含み笑いをすると、タバコをくわえて火をつけた。
「あんた、やることができたろ。店のことは全部任せて、そいつをやっちまいなよ」
「ええ、本当に。――もう、どうしてやろうかしら」
涙声の消えたティファが小さく呟き、それから全員を振り仰ぐ。店主達は心得たとばかりに胸を叩き、ティファは最後にロッテを見た。そしてロッテが煙を吐き、
「やっちまえ。やっちまいな、ティファ。あんたがどれだけ連中を好きか教えてやんな」
「バカね……あたしがみんなを好きなんじゃない。みんながあたしを好きなのよっ!」
ロッテそっくりに笑って、ティファは宿屋を飛び出していく。目的地など明確にはわからないが、それでもひたすらに走れば、決して間に合わないことなどないのだと。
歓声と応援が木霊する店内の中、なくなった屋根から星空を見上げてロッテが呟く。
「そら、あたしは素直になってやったぞ。――次はあんたらが、そうなる番さ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
日の落ちた駆引き通りは奇妙なほど静まり返り、魔法灯の明かりさえ消えた往来に人の気配はない。人払いがしてある根回しのよさか、とても人気がない場所なのか。
静寂の真ん中にあるハウス・ドノヴァンの門の前に来るのは二度目だが、以前と同じように門前には屈強な男が二人控えている。そんな彼らにアルは堂々と近づいていく。
「やあ、ご苦労様です。景気はいかがですか、ちなみに俺はボチボチです」
爽やかかつ親しみを込めた挨拶に門番二人は顔を見合わせ、それから重々しく頷く。
「権利書の件でやって来られたのですか?」
「そうです。ドノヴァンさんの使いの人にお話があるって聞かされまして」
「……失礼ですが、その使いはどうされました。一緒に戻ってくるはずなのですが」
さりげなく会話に参加していない男が後ろに回る。挟み撃ちにアルは微笑して、
「ああ、そいつは――路地裏の汚い壁に熱いヴェーゼをプレゼンちゅーだ!」
下からアッパーで正面の男を吹き飛ばし、後ろ蹴りが背後の男にぶち当たる。二つの巨体が力なく崩れ落ち、門番は速やかに無力化されていた。
「はなから丁重に迎える気はなかったな、こいつら。腹立つからズボン脱がしてやる」
門番を往来から見えない位置に転がし、どでかいハウス・ドノヴァンを改めて観察。しかし灯りのついている部屋が多く、外からではドノヴァンのいる部屋はわからない。
「まあ、どっちにせよ忍び込むスキルないし、ああいうのは大体てっぺんに――っ!」
覚悟を決めて正門から入ろうとした直後、背後から何かを投げつけられた。暗がりから飛んでくるそれを咄嗟に受け取ったアルは、手の中の輝く聖剣にハと息を吐いた。
「いくらなんでも真っ向から素手で特攻というのは無謀ではないか、小僧」
「ハンデだったんだけどな。これで万に一つの勝機を奴らから奪っちまったぜ?」
聖剣を鞘から抜き、暗闇を切り裂く眩い光を放つ刀身を天に向ける。そして振り返りざまに一閃、巨大な門が紙切れのように両断され、滑らかな切断面をさらして倒れる。
「使い手としてはまあまあといったところだな。まだまだ本領を発揮できておらんが」
「試し切りだ。俺の知る名工の逸品がどれだけ奴らを絶望させてくれるのかってな」
「ぬかせ」
切り倒した正門をまたぎ、庭内に足を進めると不敵に笑んだバルトが隣に並んだ。
「バルトのとこにも、人生幸せそうな小童がきたり?」
「きたぞ。実に楽しそうにティファとの馴れ初めを語ってくれてな。年寄りには少々堪える話だったから、そのまま幸せに埋没させておいた。風邪などひかねばいいが」
「風邪なんかひかないさ。なにせ、ああいう手合いは病気と無縁だろうから」
「違いない」
敷地を堂々と横切りながら、アルとバルトはお互いに堪え切れずに笑い合う。そのまま建物の入り口に到着すると、入り口のドアノッカーをアルが軽快に叩いた。
「コンコココンコン、コンコン」
「独特な符丁だな。それがここに入るための合図というわけか」
「いや適当。扉の向こうが今のですごい警戒したから、武器構えてないと危ないぞ」
余裕綽々で腕を組んでいたバルトの顔が焦りで染まり、次の瞬間に扉がぶち破られて剣先が飛び出してくる。アルは剣でそれを難なくさばき、武器を構えていなかったバルトの硬直した頭上を矢が何本も通過していった。
「うお、ドワーフ万歳! 流石は誉れ高い選ばれし一族! ハレルヤ!」
「このタイミングでそう言われて嬉しいはずがあるかっ!」
「ダメじゃないか、敵陣のまん前まで来て何の準備もしてないなんて」
「貴様が堂々とノックするから無策と思わなくて武器を構えるのが遅れたんだ!」
先頭の男を蹴り飛ばし、邸内に押し込む勢いのまま中に雪崩れ込む。吹き抜けのホールは正面に大きな階段があり、その階段を守るように二十人近い男達が待ち構えていた。
「うわ、熱烈な歓迎だな。まるで最初からこっちが素直に契約書を渡すつもりがないということを普段のバルトの態度から予想されていたかのようだ!」
「儂に限定して何を言うか! そもそも素直に渡すタマは一人もおらんだろうが!」
アルの斬撃とバルトの斧撃が乱舞し、待ち構えていた男達が次々と吹き飛ぶ。相手は武器こそ立派だが、持ち主はチンピラ。バルトとアルの二人に勝てる道理はない。
「と言いたいんだが、ちょっと数が多いな。ホールだけかと思ったら次々増える!」
「待機しとった連中が応援に来ている。あまり時間はかけられんぞ!」
時間が経てば経つほど騒動が明るみに出る可能性が高くなる。発覚すれば王都守備隊の出動も考えられ、侵入者扱いのアル達の立場はあまりよろしくない。
「そんな共倒れ展開は勘弁だな! 誉れ高いドワーフ様! なんか一族に封印されし技とかで一網打尽にできないか!? 今なら醜い姿に変身しても内緒にしておくぞ!」
「すまんが進化の余地がない究極形態だ! さらに技を打つにはガッツが足りない!」
「進化の余地なしってバルトの種族愛は天井知らずだな! 俺より天井が遠いだけに!」
このままじゃ状況も互いの中もまずい、と焦りの見え始める二人。そのときだ――、
「アルさん、バルトさん。お二人とも、二階まで上がってきてください」
聞き覚えのある声に目線を上げると、階上に立つプリカが二人に手を振っていた。
バルトと無言で頷き合い、取りついてくる男達を叩きのめして階段を目指す。何人かが先回りしようとしたが、階上のプリカが何かを投げつけると唐突に武器を取り落とし、その場に崩れ落ちた戦線を離脱する。
踊り場まで駆け上がったアル達を追う男達は、不意に自分達の足元に何かが絡みつくのに気づいた。それは深緑の蔓で、咄嗟に切りつける判断はあまりにも遅かった。
数秒で爆発的に成長したサギタスが男達を絡め取り、その身を逆さに縛り上げる。一人残らず御用となり、圧倒的な戦力は圧倒的な大自然の前に敗北を喫していた。
武器を収めたアルは二階のプリカに駆け寄り、頬に手を当てて微笑む姿に苦笑する。
「なんだ、プリカまで来たのか。こういうのは男が格好つける場面なんだぞ」
「まあ。ごめんなさい。ご親切にこちらの方が案内してくださったので、つい」
プリカが示したのは後に立つ男だ。見覚えがあるので宿屋にきたゴロツキの一人のはずだが、今は生気のない瞳で虚空を見つめてぶつぶつと呟いている。
「駄目だ。俺は本当に駄目だ。反吐に溺れたらいいんだ。欝だ死のう」
「ど、どうしたんだ、こいつ。アップダウンが激しい性格なのか?」
「ガンベレイの効果です。相手の戦意を奪って追い込むのに便利なんですよ」
サギタスに絡まれてうめく男達に混じって、すすり泣く面子がいるのはそういうことか。半ば同情を禁じ得ないほどの効果にアルがややひいていると、
「まあ。同情なんて。こんな下種連中に向けるには高尚すぎる感情じゃないかい」
薄紫の髪を撫で、酷薄に艶然と口の端をつり上げるサロメ。彼女は忌々しげにぶつぶつ呟き続ける男を睨みつけ、「丁寧にほどいてやらないと全員死ぬよ」と告げた。
緩慢な動きで男が仲間達に絡まる蔓をほどき出すのを見送り、サロメを伴って三人で上階へ。目指すは最上階、おそらくはそこにドノヴァンがいる。
「ふん。まさかエルフまで戦場に出るとはな。貴様らは他人に関心がない上に、寿命がない分だけ死を何よりも恐れる引きこもりだと思っていたが」
「死ぬのは恐いさ。そりゃもう相当にね。でもアタシはそれよりプライドが大事だ。自分のために涙を流してくれるようなお人好しが、下種な連中の食い物にされるのを見過ごすなんて……それこそ、本当に魔物の心になっちまうじゃないさ」
「素直にティファのことが心配だからとは言わないんだなぁ」
「ッ! 誰があんな娘のために。アタシはアタシの心のためにそれをやるんだ!」
早足になったサロメを苦笑しながら追いかけて、邪魔も入らないまま最上階に辿り着く。どうやら戦力を階下に集中していたらしく、本丸はがら空きらしかった。
アルが一歩前に出て、豪奢な飾りつけのされている社長室の扉のノッカーを持つ。玄関と同じ轍を踏むまいと斧を構えるバルトと、嗜虐的に笑うサロメに頷きかけ、
「コンコンココン、どーもこんにちはー。警備隊の方角から参りましたー」
「これはこれはご丁寧に。ようこそいらっしゃいザンス」
招かれるままに部屋に入ると、特注の椅子に座るドノヴァンがアル達を待っていた。彼は踏み込んでくるアル達を悠然とした態度のまま見据え、
「商談のテーブルについていただける……と、そういう感じでもないザンスね」
「そっちこそまともな商談できる社員が揃ってる感じじゃなかったぞ。口は喋るより噛みつく専門みたいのばっかだ。パーティでもやる気だったのか?」
「丁寧にお出迎えするつもりだったザンスが、手厳しいザンスね」
喉の奥で詰まるような笑い方をして、ドノヴァンは白けた顔の三人の前で首をひねる。
「それで、どうして断るザンスか。一人二十万ゴールド、数年は食うに困らない金額ザンス。この金額のためなら人を殺す奴だって少なくない。それに比べれば小娘の心を傷つける程度。ましてや商売人がそれをドブに捨てるなんて」
「正気の沙汰ではない、というのか。ふむ、確かに金額だけ見れば馬鹿げた話だ」
「そうザンス。それがわかっていながらなぜ……」
「世の中、金だけじゃないからさね。それを知らないあんたには永遠にわからない」
バルトとサロメが続けてドノヴァンの要求を切り捨てる。ドノヴァンはまだ明確な返事をしなかったアルを見たが、その瞳に答えを見ると呆れたようにため息をついた。
「度し難いザンスね。垂涎の大金を前にそれを投げ捨てる。それも躊躇なく、だ」
「ドノヴァン、もう観念しろ。そしてあの宿屋は諦めるんだ。そう誓えばお前に……」
「そして、まだ詰め終わってもいないのに、勝った気でいるなんて愚の骨頂ザンス!」
直後、ドノヴァンが目を見開き、室内を魔力の渦が吹き荒れた。発生した黒煙が飛び出しかけた三人を包み、全員が崩れ落ちてその場から動けなくなる。
「ぐぬっ……馬鹿な、まさかこれは……黒魔法だと!?」
「不動産屋の社長が黒魔法の使い手とは予想外ザンスか。騒ぎになると想定して兵を置いた。ならばそれ以上も、と考えないとは……詰めでミスったザンスね」
黒魔法、と苦しげに呟いて、サロメが苛立たしく舌打ちする。
自然の力に干渉する原色の系統に対し、派生色や白の魔法などは人類種族が生きる上で編み出した特別な力だ。その一つである黒の魔法は生き物の体に干渉する効果のものが多く、人間を術者の操り人形に変えたり、あるいは当人の意に沿わない行動を無意識に強制させるなどの、非人道的な行いを可能とする魔性の力だ。
「詠唱は長く、下準備に手間取る難もあるが……この効果ザンス。少し遠回りしたが……土地のことも後顧の憂いも、全部まとめてお片づけできそうザンスね」
「尊敬され、畏敬の念を抱かれる魔法の力において例外的に忌み嫌われる黒の系統……か。貴様のように性根の曲がった男にはお似合いだな」
「何とでも。負け惜しみは敗者の特権、それを笑って聞き流すのが勝者の愉悦ザンス」
ひざまずくバルトを嘲笑い、ドノヴァンは腰掛けた椅子を軋ませて身を深く沈める。
「黒の魔法使いとしてこれだけ力があるあんたが、どうして不動産屋なんかに納まってるんだ? それにティファの宿屋――あの土地にこだわるのはなぜだ」
「ほほぅ。まあ、この後で始末されてしまう皆さんにしてみれば知らずに逝くのも心残りザンスか。よろしい、ここまできたご褒美にお話しましょうザンス」
席を立ったドノヴァンは部屋の奥の窓際へ。そこから日没に沈み、しかし魔法灯の灯りで人の営みの気配が方々に満ちている王都を見渡し、感慨深げに吐息を漏らした。
「この世界全土でも有数の豊かさを誇る王都。数多の欲望、夢を持つ人々が集まってくる魔都ザンス。誰かは城に召抱えられたい。誰かは商人として名を上げたい。また誰かは冒険者としての地位と名声を求めて……それら渦巻く希望の光が、失望と絶望の闇に彩られるのもまた王都の本質。勝ち組より負け組が多く生まれるのが必然の混沌」
「何が、言いたい……」
「そんな場所で正当な権利も持たず、盗人紛いの自覚もなく他人の土地に居座る。そしてそんな小娘がこの町で成功を収める? はっ、国が許しても、ワタシが許すものか」
ドノヴァンが憎悪に歪んだ形相で窓を叩き、それから悪意に満ちた声で叫んだ。
「あんな土地、ワタシにとって代わりがいくらでも利く程度の価値しかない。そんな土地に深く執着する? 馬鹿な、くだらない。ワタシはただ、あの小娘が気に入らんのだ!」
「馬鹿げてる! そんな理不尽な、悪意だけでティファを踏みにじるのか……!」
「力ないものは夢に押し潰されろ! ここは持たざるものが這いつくばる混沌の町だ! 貴賎もなく人の土地に居座り、夢語る娘など路地裏で鼠にかじられていろ! それが今のワタシの最上の願いだ! それ以上でも、以下でもあるものか!」
「あんたは……あんたは夢敗れたのかよ」
ドノヴァンの叫びに感じ入るものがあり、アルはそう問いかけた。変化は明白。
「貴様に……貴様に、何がわかる!」
「何もわからない。ただ、あんたもそうだったんじゃないかって思ってな」
顔色を豹変させて食って掛かる男をアルが見上げ、その眼光に押されるようにドノヴァンが視線をそらした瞬間、跳ね上がったアルが痩身に飛び掛っていた。
意表を突いた奇襲だったが、かすかな痺れが攻撃を外させた。ドノヴァンを撫で切るはずの斬撃は背後の机と椅子を叩き割るにとどまり、飛び退く敵への追撃は――、
「バルト――っ!?」
「ぐっ! 体がいうことを聞かん!」
追撃はドノヴァンを庇うバルトに防がれる。そのまま繰り出されるバルトの斧槍を捌きながら、さらにアルとの距離を開けるドノヴァンを睨みつける。
「は、ははっ! なぜ黒魔法の効き目が弱いのかわからないが、貴様の狙いもここで終わりだ。仲間を斬れるものなら斬ってみろ! ドワーフはお前を殺す気でくるぞ!」
ドノヴァンの勝ち誇る声は正しく、バルトの力量は軽視できるものではない。それこそ手を抜いて相手をすればアルの方がやられてしまう。かといって首尾よく戦闘不能状態に持ち込めると思えるほど、今の自分の体に信用は置けない。
「バルト、もしも手元が狂って斬っちゃったら……いい葬式を挙げるからな」
「お茶目しとる暇があったら打開策を考えろ……互いに傷つかない方向でな!」
互いに冷や汗のままドノヴァンを睨み、ただただ剣戟を打ち合わせ続けるしかない。
――状況は、悪い。




