『お別れ』
どれだけの時間、こうして座り込んでいたのだろうか。
泣き疲れて眠ってしまっていたティファは、窓の向こうに夕焼けの気配が見え始めた時間になってようやく我に返っていた。
涙の名残を乱暴に拭い、深いため息をついてから何とか足に力を込める。長時間座っていた足は痺れているが、これ以上の休息は自分への甘えでしかない。
弱音を吐きそうな心に活を入れ、ティファは自分の頬を叩いて立ち上がった。
「こんなとこでぐずってなんかいらんない。あたしは、このお店を守るんだから」
祖父の店を守るのだ。それは孫であり、そして継承者である自分の務め。今までも何度も自分に言い聞かせてきた己の使命であり、夢なのだ。
泣いていたのはばれているだろうが、それをあからさまに悟られるのは面白くない。というかぶっちゃけ恥ずかしい。割れた窓に顔を映し、涙の跡を消して部屋を出た。
ほとんど全損した店の様子は散々なもので、ここまで完全に壊滅状態だといっそ清々しいくらいだ。と、自分を慰めたいが、やはり少し涙目になってしまう。
店内に人影は見当たらない。ティファが殻にこもっている間に怪我人の手当ては終わったのだろう。一度、アル達が部屋に来たような気がしたのはその報告だったのか。
「――アル? ねえ、みんな?」
年季が入った上に、今回の戦いの煽りを盛大に受けた階段は一歩ごとに大きく軋む。破壊された店の中は損壊部分を除けば整理されていた。その破壊されていない部分の方がよっぽど少ないような状況だったのだが。
「お店の修繕とか、明日以降の話をしなきゃいけないのに」
仲間達は買い物にでも行ったのか。それとも、厚顔無恥なような態度の彼らにも気遣う優しさがあったのか。自分でその考えが嫌になった。
店の破壊の原因は彼らが呼んだものだが、壊そうとしてやったわけではないと知っているのに。そしてそれを抜きにしても、彼らが自分に対して見せてくれた温情を心が覚えているのに。いつまでも女々しい態度なんてどうして取れるだろう。
仲間は見当たらず、ティファは奇跡的に無事だった居住スペースに向かう。そこでそれぞれの部屋をノックし、返事がないことに首を傾げながら自室へ。そこにあったのは、
「……なによ、これ」
ティファの自室、寝る前に帳簿などを整理する目的の古い机の上にそれはあった。
見覚えのある、四枚のほとんど同じ書状――土地の四枚の権利書。
それが示す意味に気づいた途端、ティファは再びその場に膝を落とした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――というわけで、あの店はティファとお祖父さんの大切な思い出なんだ。それを粉々に粉砕した原因は俺らにあるんだから、追い出されるのは当然だと思う」
都通りに面する喫茶店。オープンテラスのテーブルを四人で囲みながら、アルの説明を受けていた三人は仕方ないというように頷いてみせる。
「大まかに聞かされてはいたが……なるほど、思い詰めた話だな」
「思い出を守るために身を削る献身、ですカ。ティファさんが神の信徒となられれば、さぞや模範的で敬虔なシスターとなるでしょうネ」
残念そうに首を振るノエルの傍らで、プリカは「でも」と頬に手を当てながら、
「ティファさんのお店に懸けるお気持ちはわかりました。ですが、なおのこと今の彼女を一人にしてしまっていいんでしょうか? 私達にできることは……」
「プリカは戦闘中は気絶してたからな。ある意味じゃとばっちりといえなくもないけど。思い入れのある店を壊されてティファが俺達と今後もやっていける、なんてのは無神経すぎるよ。顔も見たくない……怒鳴るぐらいで済んだのはティファが優しいからだ」
あそこで怒り狂ったティファが、赤の魔法でこちらを焼き払ってくれるならそれでもよかった。それをする気力すらなかったから、アル達はカインド・ベルを出たのだ。
「まあ。ティファさんのあの言葉は、部屋を出ていってという意味かと思っていました」
「いや、あれは『二度とあんた達の顔なんか見たくないわよっ。有り金全部置いて、路頭に迷ってうらぶれた挙句に海の藻屑になるがいいわ!』って剣幕だったね」
「そうですネ。『神への信仰心を持ち合わせない愚者と交わす言葉は存在しないわ。せいぜいこれまでの不心得だった日々を悔い改め、一つ上のステージに上がりなさい』と、そのような意思がビンビンと伝わってくるようでしたヨ。ビンビンビビン」
「一言も言ってねえよ! ってか、その条件なのにお前も追い出されてるじゃねえか!」
「私はホラ、アレですヨ。悔い改めた皆さんを父の示す祝福の道へのナビゲーターとして、ティファさんに役目を仰せつかったという感じで一つどうでしょうかネ」
「いつどこでどのタイミングで、ティファがノエルと同じ宗教に傾倒したんだ……」
「愛が芽生える瞬間は誰にも計算できない感情、それは神への愛も同じなのですヨ」
「まあ。お二人とも、ティファさんの真似がお上手なんですね」
真面目ぶった発言と空気の読めない賛辞にお茶を濁され、アルはため息をつく。
「土地の権利書は譲ったのだ。今さら、何を言おうともどうにもならん」
黙り込んだ全員の気持ちを代弁するように、短い腕を組んだバルトがそう言い切った。その発言に頷きかけ、そういえばと矮躯の年長者に視線を向ける。
「渋く決めてるけど、店の大破壊の原因の大半はバルト絡みのドラゴンだよな」
「むぐ……!」
しれっとかわすつもりでいたらしく、責任の追及にバルトが喉を鳴らして引きつる。それからバルトは言い訳を探すように視線を彷徨わせて、
「いや……確かに儂にも責任はあるが、ノエルのアンデッド兵が思いのほか無差別攻撃を行ったことも無関係ではあるまい?」
「いやまあ、確かにカイリなんか店を破壊するときに限って獅子奮迅だったといっていいぐらいだけどさ。責任の一端を人に押し付けるとか……」
「お前が一番最初に言い出したんだろうが! ええい、女々しいぞ貴様!」
「バルトさんの言い分は否定できませんネ。ただ、言ってしまえばここにいる全員にそれは当てはまることで、今さら誰が一番悪かったなんて意味のない討論ですヨ」
「あのー、私はお店の破壊には関係ないと思うのですけれど」
はんなりとプリカが意見したが、それに対する明確な答えを誰も返せない。
最初にドラゴンをハッスルさせたのはプリカを追ってきたルドーであり、そのルドーをはっちゃけさせたのもプリカ=サロメだ。その後のカインド・ベルにいた人々の後々にまで語り草になりそうな英雄的総攻撃もサロメの暗躍あってのことである。
やっぱり全員に全員責任があるな、と納得しかけて、アルは何かおかしくないか? と首を傾げた。が、何に引っかかっているのか自分でもわからない。
「今はただ、ティファが早々と立ち直ることを祈るしか儂らにはできなんだろう」
ずんぐりした腕を組み、バルトが重々しく頷いたのが話の終わりを示唆していた。
バルトの地に届かぬ足元には、背負う大きな荷物が置かれている。プリカやノエルも同様の荷造りをしており、アルも少ない手荷物を持って出立の準備を終えていた。
「バルトはこれからどうするんだ?」
「儂は一度、アスガルドへ戻ろうかと思っている。数日だが、王都で自分の腕を試すことはできた。ならば人類種と魔王軍の戦火激しい、北の大陸を拠点にすべきだろう」
当然、激戦が続く大陸に戻ることは危険を伴う。だが前線で果敢に戦う戦士達の、命を繋ぐ武器や防具をバルトなら作ることができる。それは短い付き合いとはいえ、アルがバルトに確かに抱いている信頼だった。
「そっか。バルトみたいな鍛冶師が最前線に出てくるなんて、魔王軍も運がないな」
「ふん……口のうまい小僧だ」
口元を自信に緩ませて、バルトは穏やかに笑ってみせた。それに静かに頷いてから、アルは自分の正面に座るノエルに水を向ける。彼女は一度カップに口を付けてから、
「私の役目は変わりませんヨ。固まった足場を失った以上、再び各地へ巡礼の旅へ赴き、救いを求める人々に道を示すのデス。その果てに布施が貯まるようなことがあれば、また今回のようにどこかで個人教会を開くようなこともあるかもしれませんネ」
「そっか……そうだよな。一度で終わるにはもったいないことだしな」
ええ、と素直に頷くのを見て、アルはノエルの心神の強さに敬服する。
ノエルが祝福の対価に定めた金額はあまりに良心的なものだ。もっと欲張っても罰は当たるまいに、それが彼女の聖職者故の他者に施す意識なのかもしれない。
今回、ノエルが個人教会を開くにあたって支払った金額は十万ゴールドを越えている。これだけの金額を再び貯めるのに、放浪の旅を続けながらどれだけ時間がかかるだろうか。一年や二年の単位ではなく、十年の時がいるだろう。
「ヤレヤレ……アルさん、あまり大人の女性を見くびってはいけませんヨ?」
からかうような口調と同時、こちらに身を乗り出したノエルに指で額を突かれた。ローブに隠れていない口元だけの微笑を見せ、その唇に額を突いた指を寄せる。
「アルさんは心根がお優しいので、私の今後を心配してくださるのは嬉しいことですヨ。ですが、もともと私の生涯は神へ捧げることを誓った殉教の道……その誓いが果たされる日までに訪れる全ての苦難は、私自身が望んで受け入れているものなのですヨ」
「……ノエル、俺は」
「だから、ご心配なさらずとも大丈夫なのですネ」
アルは気遣うつもりの相手に思い遣られ、恥ずかしさに目を伏せる。これでは子ども扱いも当然だ。一枚も二枚も、彼女の方が人生の上で上手だった。
俯いて未熟を噛みしめるアルに代わり、ノエルがプリカに今後を尋ねる。プリカは小首を傾げて「どうしましょうか」と頼りなげに呟き、
「森は燃えてしまいましたから帰る場所はありませんし。出来れば王都にはもう少し居たいと思っているんですけれど……あ、リュングダールへ行ってみたい気はしますね」
プリカが名案というように手を叩き、アルは故郷の名が出たことに顔を上げる。バルトとノエルは唐突に最果ての魔境の名が出たことに驚いているようだ。
「リュングダールといえば、最南にあるという陸の孤島だろう。ドワーフ族の中ではまさに異境……一説では、死者の魂の辿り着く果てと聞いている」
「私は創世のアルファズルと我が神オリアレスの決別の地と聞いていますヨ。一面の荒野が広がり、生き物どころか草花すら生存を許されぬ毒の世界が広がっているとカ」
「衝撃的なほどガセネタ揃いだな俺の故郷」
驚く二人に話していなかったか、とアルは頬を掻く。特にノエルにとっては信仰する神と因縁深い土地らしく、ずいぶんと食いつきがよかった。
「こ、荒野が広がるのではないというと……神々の決戦の地というのは偽りということなのですかネ!? だ、だとしたら経典の言い伝えは……」
「いや、だって世界創世から何千年経ったと思ってんだよ。いつまでも荒れっぱなしなわけないだろ。月末には住民総出で草むしりしてるよ。多種族入り乱れる楽園さ」
「ええ。季節を問わず、多種多様な薬草毒草新種珍種が揃い踏みなんだそうですよ」
「それはプリカの期待度が塗り替えた妄想だ」
気候条件と人の手が入らないことで、故郷でしか見られない植物が多いのは事実だが。間違った情報を広められても困るので、厳重に先入観を取り払ってもらっておく。
「経典によると、アルファズルと我が神オリアレスが剣を交え、それによってリュングダールには大地を切り裂く剣戟の跡が残っているとあるのですがネ!?」
「あー、水が溜まって釣堀になってる場所はある。やたらビッグサイズな魚が釣れると思ったら神様のご利益か。でも神様同士のケンカの名残なんだよな……」
経典の内容の正しさを証明され、ノエルは何とか平静を取り戻した。そうして締め括りの雰囲気になったところで、バルトが忘れるところだったとアルを見て、
「お前も王都で身を立てるつもりだったのだろう。これからどうする」
「故郷には帰れないからな。王都のどこか、住み込みの下働きでも何でもして暮らすよ。道端でティファと会って、また笑って話せるぐらいになるといいんだけどな」
それだけ答えると、テーブルに自然と沈黙が落ちた。それぞれが王都の町並みに感慨深い視線を送りながら時間が流れ、全員のカップが空になるのはほとんど同時だった。
「では、達者でな」
バルトが大荷物を背負い、荷の陰に隠れて見えない小柄な体を揺らして言った。
「お元気で、皆さん」
プリカがおっとりと頬に手を当て、何も変わらない細めた目で笑いながら告げた。
「皆さんとの出会いを神に感謝いたしますヨ。また信仰の示す道が交わることヲ」
ノエルがぺこりと殊勝に頭を下げ、最後まで脱がないローブの裾を翻した。
「ああ。じゃあな、みんな。楽しかった」
アルはそんな彼らに心からの感謝と、僅かな寂しさを滲ませて手を振った。
――こうして、彼らはそれぞれの道へと散っていった。




