『持ち込まれた火種その3とその後』
衝撃が店全体を大きく揺るがし、店中の人々がひっくり返る。倒れる人間が続出する中で何とか堪えたアルは、さらに木材が力任せに引き裂かれる破壊音を耳にし、同時に差し込んできた日差しに気づいて顔を上げる。口が、ぽかんと開いた。
――そこに存在したのは巨大にして強大なる威容。
煮えたぎるマグマを映したような炎熱の色をした肌に、たたまれた翼は広げれば巨躯を羽ばたかせるに十分なほどの大きさを誇る。体躯は縦だけで悠に人間の五倍から六倍に達し、爬虫類じみた頭部には剣のような鋭い牙が隙間なく生え揃っていた。
それは子どもでも知っている伝説の姿――赤熱のドラゴンがそこに存在していた。
「ぬぐおおお! カイカイカイカイカイカイカイカイッ!」
その中を日光を浴びて痒さを訴えながら転がるバルトの姿は場違いさのあまりに怒りさえ感じる。もっとも、そちらに注意を払っているような余裕は誰にもない。
宿屋の屋根を引っぺがし、入り口の真上に着地したドラゴンはこちらを観察している。サイズはどうやら中型だが、迂闊に動けば人柱に抜擢間違いなしだ。
「ど……どりゃごん?」
床に倒れたままだったティファは驚きのあまり口が回らず、飄々としていたノエルまでも言葉がない。サロメに至っては髪の毛の色が金色に戻り、状況を飲み込めない様子で周囲を見回すプリカが顕現していて、現状から逃げたらしい。バルトはようやく日陰に転がり込み、派手な落下音を立てて自らの作品にもみくちゃにされている。
誰も頼りにならないと判断したアルは、ちょうど近くに転がってきていたライズに小声で声をかける。ライズは何とか少しずつこちらに這いより、
「ど、どうしたんスか、アルさん……死亡フラグ立つッスよ……」
「この状況をどうにかしなきゃいけないだろ。とにかく、打開案を。プリーズ攻略法」
「序盤でドラゴンが出てくるなんてバランスがおかしいッスよ。今はひたすら、ドラゴンの嗜好条件から自分が外れてることを祈るしか……」
「そもそも何でドラゴンが……王都の外壁はこういう事態のためにあるんじゃないのか」
「知らないッスよ。今はとにかく餌に選ばれないよう、祈るんス。グッドラック」
そう言って、ライズはうつ伏せの体勢でぴくりとも動かなくなる。山で魔物に遭遇した際に一番やってはいけないと有名な死んだふりだ。見れば周囲の客なども同様の態度。
ノエルは事態の急展開に我を忘れてトランスに入っているし、プリカは空気を読まずにそのノエルに「まあ。ノエルさん、どうしてここにドラゴンが?」とか聞いている。ティファに至っては口から半分ほど魂が出掛かっている状態だ。バルトはもういい。
確かに今、ドラゴンが示威行動に出たら一巻の終わりだ。現実的な判断を下し、アルもまた目をつけられないように静観を決め込もうとする。
その決意の直後、獲物の物色をしていたドラゴンの横顔に土塊が激突していた。
一抱えはある岩石の直撃にドラゴンのバランスが崩れ、咄嗟に広げられた羽が巻き起こす風で散らかり放題の店内に暴風が吹き荒れる。
悲鳴と絶叫が交差する店内を余所に、ドラゴンの注意は自分に一撃を入れた相手だ。ドラゴンと同じ方向を見たアルは、ドラゴンに対して掌を向ける人影を見て目を見開く。
「我輩の名はルドー! ドラゴンハンターのルドーだ!」
「さっきの職業欄の記入名が違うじゃねえか!」
「ドラゴンハンターでもあるのだ! だが、今回のドラゴンに戦いを挑むことは何の見返りもないなと自分でも思う!」
「なら、何で攻撃したんだ!」
「自分でもわからぬ衝動に突き動かされて! もう何でもいいから無茶苦茶にしたい!」
そう言ってルドーは胸元の花を押さえ、空を仰ぎながらくるくると回る。どうやらチュベロースに中てられたらしい。実行犯のサロメはすでに逃走済みと最悪の状況だった。
ドラゴンがルドーと同じように空を仰ぎ、直後に轟々と雄叫びを上げる。
ルドーが詠唱し、浮遊した小石や土の塊が散弾となってドラゴンに降り注いだ。それを飛び上がったドラゴンが回避し、滑空しながら爪をルドーに向ける。咄嗟にルドーはそれをかわし、再び詠唱によってドラゴンの接近を阻んだ。
「思ったよりルドーが凄腕みたいだが、どう考えても劣勢だろ……!」
手の中のエスカリボーを鞘から抜き、加勢のタイミングを見計らう。そのアルの肩が強く叩かれ、振り向くとマントで日光から身を守るバルトの姿があった。
「バルト、もう体はいいのか。思う存分、物陰で血まみれてていいんだぞ」
「十分に掻き毟った。マントの下は血まみれだが、今はそんなことはいい。それよりドラゴン相手にその武器では荷が重い。どうせ使うならこっちだ」
そう言ってバルトが差し出したのは、刀身の分厚い黒光りする大剣だった。
「こいつは?」
「ドラゴンバスター。竜を百も狩ったという伝説の戦士が、竜との戦いで常に身につけていたというお守り代わりの魔石があってな。百の竜の血を浴びたその石は、いつしか竜を殺す意志が宿ったという……その魔石を使用した逸品だ」
ずしりと重い大剣を構え、その剣に宿るという竜殺しの執念を掌に感じる。
「その大剣でもって、忌まわしきあのドラゴンとの因縁に引導を渡すのだ!」
「よし、任せろ! って、まるであのドラゴンを知っているような言い方はなんだ!?」
構えて飛び出しかけて振り向くと、バルトはうむと苦々しい顔で腕を組む。
「実はな、あのドラゴンは度々儂を付け狙ってくるのだ。以前、儂が暮らしていたドワーフの集落にも襲撃に現れてな。仲間に迷惑はかけられぬと王都に脱出してきたのだが……まさかここまで追いかけてくるとは!」
「追われる心当たりはないのか? ドラゴンのテリトリーに無断で侵入したとか、幻想種の掟に触れるような真似をしたとか、親の代からの因縁だとか」
「全くわからん。まさか武具の材料集めのために討伐隊に混じって、双子竜の片割れを落として角を奪ったことを根に持ってるとも思えんが……」
「オイコラマテ。今、はっきりと何を言いやがりやがった……?」
詰問にバルトは変なこと言ったかな、と太い眉を寄せて、
「あの双子竜の片割れを落として角を奪った、と言ったんだが……」
「まさにそれが理由だろうがぁ! つがいより一緒にいる時間が長いって有名な双子竜が、相方落とされるようなことがあればそりゃ誇りにかけて殺しにくるわ!」
「何を馬鹿な! そんなケツの穴の小さい覚悟で万物の頂点に立つとまで言われるドラゴンが動くものか! 狩るもの狩られるもの、この世は一進一退の攻防だろうが!」
激戦を尻目にバルトが吼える。その剣幕に押され、アルは確かにと言葉に詰まった。
ドラゴンの襲撃が復讐ならばそれは正当な理由だ。しかし、伝説に君臨するドラゴンが命のやり取りにおいての覚悟に欠けているなど考えられない。むしろアルのような考えこそ、彼らにとっては最大限の侮辱になるだろう。
――ならば、なぜドラゴンはバルトを狙っている?
「餌に眠り薬と猛毒を混ぜ、落とし穴に落とし、大量の爆薬をもって奇襲。幼い幼竜を庇わせながら数に任せて叩いたから、あまり褒められたとはいえんかもしれんが……」
「もうお前、あいつに喰われてやれよ……」
野生の頂点の寛容さにも限度がある。先に筋を外れて外道の限りを尽くされながら、群れではなく単独で復讐しに来るだけ向こうの方に正義があった。
いよいよ戦いは激しさを増し、ルドーの命の危機が高まっている。黄色の魔法使いとして善戦しているルドーだが、分厚い表皮を抜いてダメージを与えるには相応の詠唱時間が必要だ。魔法使い単体ではさぞかし辛かろう。今も縦回転して吹っ飛んだ。
「心情的にはバルトが食われれば万事解決な気分だが、ルドーがもともとサロメの被害者だと思うと、残念なことに見捨てるわけにもいかないか」
ドラゴンバスター片手にアルは、炎弾を叩き込まれるルドーに助太刀するタイミングを窺う。しかし、そのアルの横を風のように飛び出し、あわやルドーを掠めるところだった爪の一撃を食い止めた存在があった。
「――カ、カイリ!」
焦りにやや裏返ったライズの叫び。爪を大剣でがっちり受け止めたのは甲冑の長身――再びリタイアから復活した戦士、その勇壮なる姿だった。
「ナイスだ、戦士よ! そのまま我輩の詠唱の時間稼ぎをいをいをーっ!」
ほくそ笑みかけたルドーの頭上を大剣が一閃。ドラゴンとルドーの間に入った戦士はどちらも敵だとばかりに剣を操り、理性の感じられない足取りで戦局を混乱させる。
「っていうか、またアンデッド回復かぁっ!」
叫び、ノエルを睨むと彼女は口元を緩ませて親指を立てた。GJじゃない。
「なんかもう帰って寝たいんだけど終わったら呼びにきてくれないかな!?」
目前で繰り広げられる戦いを見届ける気さえなくなりかけ、頭を掻きながらアルは振り返る。その口に唐突に何かが押し込まれ、土と草独特の生臭さが舌を支配した。
「残念だけど、この状況を収めるために一役買ってもらうさね」
そう言ってにやりと笑ったのは、再び髪を薄紫に染めたプリカ……いや、悪女サロメ。
口元に突っ込まれたのが何か確認するより早く、アルは身を焦がす衝動に駆られる。
――全てを破壊する。手にした獲物を振り回し、敵意を向ける全ての存在を。
殺気走ったアルの口からチュベロースが落ち、振り向いたアルはドラゴンバスターを振りかざしてドラゴンに特攻する。そのアルの横にバルトとティファが並ぶが、両者共にアルと同じく闘争本能に身を委ねている目をしていた。なんとも心強い。
見れば、ドラゴンの一撃で再び戦闘不能に陥ったカイリにノエルが蘇生の祝福を授けている。すると立ち上がったカイリは声にならない咆哮を上げてドラゴンに猛進――というか、わざとアンデッド化させてんじゃないのかというほど百発百中。それさえ快い。
「さあ! 俺達の戦いはここからだ――!」
――こうして、無意識に強制的な総力戦が幕を開けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
無意識に強制的な総力戦が幕を下ろし、ドラゴンは瀕死の状態で逃げ帰った。
宿にいた面々は町人から冒険者まで一人残らず全員参加だったわけで、戦闘不能者やアンデッドが続出する阿鼻叫喚の戦いの後始末が現在行われている。
特に忙しく走り回っているのはノエルとプリカの二人だ。蘇生にアンデッド解呪とノエルのトランスリミッターは外れっぱなし。プリカに至ってはサロメ状態の記憶がないらしく、怪我人が多数出ている状況で薬の出番を喜んでいた。
「しっかし、お互いよく生き残ったッスね~」
「実際は何回か死んだ奴いたけどな。最後まで蘇生役のノエルを生かしきったのが勝因になった。流石に喰われた奴がいたらダメだったろうけど、セーフ」
そッスね、などと相槌を打つライズは駆け出しの冒険者にしては大活躍を見せていた。何せあの戦いの最中でドラゴンからちゃっかりアイテムを盗んだのだ。そのおかげでドラゴンの逆鱗に触れ、狙いが絞られて実に戦いやすかった。
今は戦闘で負った怪我に相方のカイリが包帯を巻いている。甲冑の巨体からは粗雑な印象を受けたが、巻かれる包帯と治療の手つきは意外と細やかな人物だ。
「カイリもやっと完全復活で何より。この三日はやっぱどっかおかしかったッスから」
「そういえば、話さなくても伝わるとか言ってた相方のアンデッド化に三日も気づかないってのはどうなんだ……?」
それは言いっこなしッスよ~とおどけるライズに苦笑して、アルも治療の手伝いに回る。死者の蘇生もほとんど終わり、アルに至っては給水で回復した後だ。
奇跡的な戦果といっていい。一番の重傷だったルドーは治療もそこそこに「あのドラゴンが無辜の民を傷つける前に、我輩が必ず打ち倒す!」などと意気込みも新たに駆け出していってしまった。死なないことを、胸の赤い花にお祈りします。
立ち上がったアルは誰を手伝うかと見回し、壁際に佇んでいるバルトを発見。ドラゴン退治の立役者であるドラゴンバスターを担いで、血に汚れた剣を返却する。
「バルト、経緯はともあれ武器は助かった。これがなきゃ負けてただろうから」
「ふむ……打ち直しは必要だろうが、実際にドラゴン相手に使えることがわかれば収穫といえるだろうな。半信半疑だった竜殺しの魔石は本物のようだしな」
バルトなりに今の戦いの中でも得るものがあったらしく抜け目がない。その商魂にある種の感銘さえ受けて、アルは頷きながらドラゴンバスターを渡した。その大剣を受け取ったバルトは何か考え込むように目をつむり、それから片目だけでアルを見て、
「なあ、アルよ。この剣を扱ったときのお前だが――」
「うん?」
「……いや、やはり何でもない。儂の考えすぎだろう」
バルトはそれ以上何も言わなかったが、その心遣いが少し嬉しかった。
それからアルはノエルの手伝いは物理的に不可能なので、プリカの手伝いに回って負傷者の手当てに尽力した。客達はドラゴンと戦って命を拾ったことが誇らしいらしく、武勇伝に加われてよかったと実に寛容な心を示してくれてありがたかった。
そうして負傷者の手当てを終え、彼らを店外に送り出して、ホッと一息をつく余裕が生まれて初めて、アルはティファの姿が見当たらないことに気づいたのだった。
ティファの姿は二階の客室、その中でもどうにか半壊で済んでいた部屋にあった。
「あのさ……ティファ」
部屋の中央に座り込み、ベッドから落ちた枕を抱え込んで背を向ける姿に声が詰まる。背後にはバルト達もいるのだが、普段は空気を読まないプリカでさえも発言を躊躇うほどの鬱屈とした空気が室内に立ち込めていた。
客室の壁には穴が開き、ベッドとクローゼットは横倒しになっている。窓ガラスは残らず粉砕され、活けてあった花は花瓶ごと床にぶちまけられていた。
それでもこの客室はまだマシな方で、店の商いスペースはほぼ全壊だ。ドラゴンに屋根を剥がされるところから始まり、店内ではばかることなく魔法と剣戟が乱舞した。あちこち焼け落ち崩れ落ち、爆砕され破壊の限りが尽くされ、全損といって過言ではない。それぞれの居住スペースが無事だったのは、ほんの心ばかりの奇跡だろう。
それが慰めになるなどと、誰も口が裂けても言えなかったのだが。
「お爺ちゃんのお店。色んなところが、壊れちゃった……」
力のない呟き――それは誰を責めるような響きでもなかったが、だからこそその場にいた全員の心に重く深く厳しく届いた。バルトがドラゴンを招き、ノエルがカイリをアンデッド化させて、プリカ=サロメが客やアルを扇動して戦いに駆り立てたのだ。
それこそ、全員で一丸となって協力してカインド・ベルを破壊したのだから。
「……出てって」
感情のこもらない、涙声だったかもしれない。
だからアルは咄嗟に、小さくなって膝を抱える背中に手を伸ばしかけた。
「ティ……」
「――出てってぇっ!」
差し伸べた手は届く前に拒絶され、アルは伸ばしていた掌を握り、目を強く瞑った。
背後で扉が開き、控えていた仲間達が部屋を出ていく気配を感じる。誰も何も言わない、無言でティファの拒絶を受け入れた行動だった。
「――ごめんな」
最後に部屋を出たアルは拒絶の背中に一言残し、そして後ろ手に扉を閉めた。
最後まで、ティファから他の言葉をかけられることはなかった。




