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冒険者通り十三番!  作者: 鼠色猫/長月達平
第三章  『働くのは大変』
12/21

『ティファとのお買い物』

 王都の入国管理所前、扉通りを真っ直ぐ東に向かうと市場通りに出る。食料品や日用品が多く出回り、中には希少品や移動商人の店がテントを連ねる賑やかな一角だ。


「はぁー、やっぱり王都までになると市場も規模が違うな」


「リュングダールにも市場があるの? って聞くと、ちょっと田舎扱いしすぎかな」


「いや、そうでもない。正直、時たま顔出ししてくれる行商人さんがふらっと来るぐらいで、リュングダールは基本的に自給自足だ」


 食料の詰まった袋を抱え直し、大量の荷物のバランスを取りながら答える。

 慌しい店開きからも四日過ぎ、バルト達の商売もそこそこに安定してきている。アルは今、仲間に頼まれた買い物をしに市場通りへ、ちょうど暇をしていたティファと出てきたところだった。もっとも、ティファからすれば懸命に働いていたわけであり、間違っても暇をしていたなどと認めないはずだが。


「でも悪かったな。頼まれたのは俺なのに買い物に付き合わせて」


「いいのよ。どうせ暇……エネルギーを溜め込んでたところだったし、お買い物は女の子にとっていい気分転換……別に切り替えなきゃいけない理由なんかないけど」


「えっと……ごめんな、変に気を遣わせて」


 瞳を翳らせるティファに言葉を詰まらせる。残念ながら深夜の努力は実らず、今日までティファの宿屋で食事のオーダーは出ていない。彼女の料理を食べるのはいつの間にかアルの仕事のようになっており、耐性がついたのかノエルなしでも完食できるようになってしまった体が憎い。断じてティファの成果ではなく、アルの生命力の成果だった。


「荷物持ちがいると楽でいいわね。今度から買い物にはアルを連れてきましょ」


 気を取り直すようなティファの言葉に、アルは苦笑いで両手を埋め尽くす荷物を見る。男と女が買い物するなら荷物持ちは男の仕事。言い切ったティファは手ぶらで買い物を進め、アルは男手といえど重労働な量に苦戦させられていた。もっとも、荷物運びの戦力にならないティファは、ある分野においては圧倒的戦果を叩き出している。


 不意に浅葱の瞳が細められ、同行者を忘れたように前進する。その進行方向にあるのは食器や器を並べた露天商で、髭を蓄えた恰幅のいい店主が店番をしている。


「おじさん、ちょっと見せて」


「ああ、いらっしゃ……っ!」


 人のいい商売人の笑顔が一瞬で凍り、次の瞬間に糸目が愕然と見開かれる。


「や、山吹色の二つくくりに給仕服……まさか、噂の売人殺しか!?」


 眼前の現実を認められないと、戦慄した瞳でティファを指差す店主。商品の品定めに夢中なティファはそれに気づかない。その態度の違いが貫禄の差とさえいえる。

 やがてティファは品物の中から一つの袋を選び出す。麻袋の中には透明の小瓶がいくつも入っていて、これはプリカに購入を頼まれた物に該当するはずだ。


「おじさん、このたくさんの小瓶、いくらかしら?」

「へ、へえ……それは全部で六百五十で……」


「ま、六百五十!」


 口に手を当て大仰に驚くティファ。その声に周囲の注目がドッと二人に集まる。


「――高すぎるでしょう。いいとこ、百八十ね」


 仰け反り気味の体が跳ね返るように前傾になり、愛らしいはずの少女の顔が残虐な喜びに歪みながら店主と鼻先を突き合わせる。目が光ったように見えた。


 そこからの交渉はあまりに無慈悲で残酷、アルは思わず目を背けてしまった。それはさながらドラゴンと兎鳥の戦い。勝敗など想像する必要もない。

 おおー、と周囲が沸き立ち、ティファが商品を高く掲げると店主が崩れ落ちる。彼女の買い物は万事この調子で、予定金額より大幅に安上がりで済んでとても助かる。問題はそれなりに体力と気力を消費してしまう点だけだ。


 ただ実のところ、ティファの鬱憤がこれで晴れていくなら悪くないと思う。犠牲者に名を連ねていく被害者達には少し同情するが。


「よし、これでプリカの買い物は終了っ。あとは細々とあたしの用事かしら」


「食材とかは? ティファが買い物に行くところとか見てないんだけど」


「食材は契約してあって、種類ごとにお店に運び込まれるようになってるの。お祖父ちゃんの頃からの契約だから安心よ。だから今は食器が欲しいのよね」


「はぁ、そういう契約があんのか。よかった。ここからさらに食材まで追加されたら、ちょっと俺は四本腕の姿に変身しなきゃ持って帰れないもんな」


「あっ! ちょうど投売りが開始してる! 突貫っ!」


 渾身のユーモアは受け流され、目を輝かせたティファが突然に出現した群衆の中に飛び込んでいく。期間限定の安売りが開始したらしく、人込みの密度が急激に増した。


「この荷物持ってちゃ、ちょっと中には飛び込めないぞ!」


「アルはそこで待っててっ! あたしは戦果を上げてくるから! 大・炎・上っ!!」


 ティファが漢顔負けの勝ち鬨を上げて見えなくなる。実際に炎が立ち上ったように見えたのは目の錯覚として、アルは少し離れた路地の壁に背を預けて待つことにした。


「おや、アルじゃないの。暇してんのかい?」


 名前を呼ばれて顔を向けると、ちょうど人込みを抜けるようにして出てきたロッテの姿があった。片手に紙袋を抱えた彼女は、相変わらずくわえタバコをくゆらせている。


「姐さん、こんちゃっす」


「あいあい、こんちこんち。で、なに、一人?」


「いやティファと来たんですけど、今ちょっと魔王と化して戦場を蹂躙してるので」


 顎で群集を示すと、再び集団から炎が上がる。ティファと付き合いの長いロッテはそれだけで通じたらしく、仕方ないと肩を揺らすとアルの隣に並んだ。その行動を不思議に思って視線を向けると、ロッテは眼鏡の奥のつり目をさらに鋭くして、


「なんだい、あたしが隣にいるのはイヤなのか」


「そんなことないですよ。ただ、どういう理由で姐さんが隣に立つのかと」


「知人と会って世間話の一つでも、ってのはそんなに意外なことかね。ここで挨拶だけして別れるような寂しく薄い人情だと、冒険者通りで孤立するよ」


 いちいち含蓄深い言葉だ。赤い先端を上下に揺らしながら、ロッテは器用に手を使わずに口にタバコを挟んだまま会話する。


「その冒険者通りのあんたらの店だけど、結構いい評判が入ってきてるよ。特に個人教会は当たりだったねえ。他の誰かが真似し出す前に客を掴んどきなよ」


「帰ったらノエルに伝えときます。『来るものも拒むものも全ては神のお導き。私はただ救いを求める人が一歩進む手伝いをするにすぎませんヨ』とか言うと思いますけど」


「似てたねえ。持ち芸か何かなのかい?」


「今の姐さんの賞賛で封印しようって固く心に決めましたよ」


 憮然と一芸の封印を決意すると、ロッテは小さく笑った後で紫煙を肺に入れ、


「外の評判はともかく、内側の人間としてはうまいことやれてるのかい?」


「いい感じですよ。初日はちょっとバタつきましたが、何だかんだで客行きも好調。特に昨日はバルトの馬鹿高い剣が一本売れまして、売り上げで脅威のトップに立ちました」


 買ったのは好事家ではなく純粋な冒険者だ。バルトも渋ることなく売り渡し、隠していたが頬はかすかに緩んでもいた。たぶん、夜はベッドの中で嬉し転がりしていたろう。


 プリカやノエルも着々と足場を固めつつあり、彼らの商売は上々の勢い。だが――、


「ティファのところは相変わらずか……」


「経営者としての腕は疑うとこがないです。現にバルト達の店の調子が日毎に良くなるのはティファのおかげだ。ティファに問題があるとすれば……舌だけです」


 あの料理を満足げに作り、実際食べて満足そうなのは舌が特異だとしか思えない。


「あの子の舌はねえ……ちょいと妙なんだよ。他のうまいもの食べても普通の感想だし、評価が多大に割れるのはあの子の作った料理だけなんだよね」


「作った当人だけはおいしいって……それはつまり自分大好きってことですか」


「それならまだいいんだけど……」


 ロッテは物憂げに煙を吐き出しながら、


「あの子はむしろ、自分のことはあまり好きじゃないんじゃないかねえ」


 そのロッテの沈んだ声色に、アルは相槌も気軽に打つことができないでいた。

 懸命に深夜、人知れず努力を続けるティファ。店のことを語るときの誇らしさと申し訳なさの同居した瞳。仲間達の仕事に口を出すときの快活な素振りと、彼らの仕事ぶりを見るときにみせる憧憬の横顔。


 ――その全てが、ロッテの言葉を肯定していた。


「ティファと爺さんは本当に仲良しでね。あたしもまだガキの頃、世話になったもんさ」


「姐さんは王都の生まれなんですか?」


「生まれは違うけど、店に居着いたのはその頃から。ま、今はあたしのことはいい」


 ロッテは眼鏡の向こうの瞳を懐かしむように細め、


「親が傍にいなかったからね。ティファは爺さんべったりで、爺さんも孫をだいぶ可愛がってた。だから爺さんが死んだときはしばらく塞ぎ込んでね」


 流行病だったと付け足し、あのときは大変だったとロッテは首を振った。


「何とかしてやりたかったが、情けないことにできることはなくてね。でも、あの子は偉いことに自分で立ち上がった」


 祖父の店を守る。大好きな祖父の宿屋を守るのだと、涙を拭いて立ち上がったのだ。


「その爺さんの店を守る力が足りないことを、あの子は悔しがってる」


「だから自分を好きになれない……?」


「何かしてやりたいと手を差し伸べたことはあった。でも、ティファはそれを笑顔で拒絶する。強がって意地張って、なんて生易しい覚悟でなくてだ」


 それは簡単に想像できる。ティファは同情されるのを好まないだろうし、自分の力で立つことを固く決めている。意固地、と切り捨てられるほど簡単な問題ではなかった。


「あの子の店は開店休業中だ。そんな中で食材に生活費……どう回してると思う?」


 考えてもみなかった質問に返答できない。だが、料理の食材も日々の生活費も、生きるのに必要なそれらを彼女は一体どうして――?


「お祖父さんの財産を切り崩してるか……姐さんが貸してるとか」


「どっちでもない。あの子は爺さんのお金には手をつけないようにしてる。あたしは少し頼るってのは合ってるけど」


「姐さんを頼るって……まさか?」


 悪寒めいた予感に戦慄が走る。ロッテは冒険者に仕事を斡旋する仲介ギルドだ。ロッテはアルの想像を裏付けるように、肺に煙を入れてから力なく言葉を紡ぐ。


「ティファは王都周辺でできる短期の仕事を請ける。危険だが実入りはいいやつだ」


「馬鹿げてる! ティファは大馬鹿だ。そんな自分を削ってまで……!」


「あたしもそう思う。最初は強情なティファも、ちょっと痛い目を見ればやめるだろうとさえ思ってた。でも料理人として火に嫌われるティファは、皮肉なことに冒険者としての炎には好かれてた。赤の魔法使いとして、並々ならない適性があったのさ」


 魔力は生まれながらの適性が大きくものをいう。属性は全ての生物に備わるものだが、魔力適性はそれとは別だ。人類種の多くは人間族より魔力に特化しており、魔法使いとしての適性に恵まれる人間族は非常に希少だ。魔法使いの素養を認められた人間の多くは国家に召抱えられ、特級の待遇に与ることができる。


「ティファの赤の魔法の腕はかなりのものだ。俺の体がよく知ってる」

「実際、まともな修行の時間はなかったのにあの子はメキメキ上達した。使命感と焦燥感に急き立てられるみたいにね。それこそ、何度となく王室から誘いがかかる程度に」


「…………」


「生まれ持った才能が、自分のやりたいことと合うとは限らないからね」


 天は本人の望む才能を与えるとは限らない。たとえ、魔法使いとして大成する才があったとしても、ティファが目指すものとは違うのだから。


「儲からない店なんかやめて、宮仕えすればいいとか言い出さない男でよかったよ」


 ロッテがタバコを落として足で踏み消し、そして真っ向からアルを見た。


「あたしはね、あんたに期待してるんだよ」


「――俺に?」


「正確にはあんた達に、だ」


 ロッテはここにいない三人をアルの背後に見るように、


「あの子は、言い方悪いが部外者のあたし達の手を借りようとしない。だけど店を共用するあんた達は他人事じゃない。助けを借りようって気にも、なるかと思ってさ」


 五人が初めて顔を突き合わせ、権利書の問題で言い合ったときのロッテを思い出す。賢明で妹想いの彼女はあの時点から、ここまでのことを見越していたのだろうか。


「一年以上、暗いままだった爺さんの部屋が明るいのを見てあたしは確信を深めたよ」


「ティファの……お祖父さんの?」


「居住スペースの一番奥、あの部屋が今は亡きティファの爺さんの部屋さ。ここ数日はずっと遅くまで灯りがついてるね。ナニしてんのかは関与しないけどさ」


 ケケケとからかうような笑いに応じる余裕もない。ロッテの言葉が示す部屋はまさにアルの部屋のことだ。簡素だが清掃の行き届いたあの場所は、ティファの祖父が長い時間を過ごし、そしてティファの思い入れのこもった大切な一室だったのだ。


 その大事な思い出を断りもいれずに貸し渡す彼女に、言葉にできない想いが溢れる。


「姐さんもティファも、もう少し素直になっていいと思いますよ」


「泣き喚いてどうにもならなくなるような子ならそうするさ。涙を堪えて、一人で意地張って頑張るから、可愛くて見ててやりたくなるんだよ」


 視線をそらし、誤魔化すように新たなタバコをくわえる姿に思わず吹き出す。ロッテはその笑みが気に入らないというようにこちらを睨みつけた。


「燃やしてやろうか、アル」


「最近は炎上沙汰が多くて食傷気味です。てか、ティファの突っ込みは姐さん仕込み?」


「あの子の赤魔法の手ほどきしたのはあたし」


「うわぁ」


 らしすぎる関係性に身をすくめると、遠くからアルの名を呼ぶティファが駆けてくる。どうやら激戦を終えたらしく、両手にたくさんの戦利品を抱えて戻ってきていた。


「大量、大量っ! さ、これも全部持ってね」


 喜色満面の顔は生気が満ち満ちて艶々している。アルは思わず力なく項垂れ、


「俺の両手がすでに完全に塞がってるのが君の浅葱色の瞳には見えないのか」


「お皿なら指と指の間に三枚ぐらい挟んで、片手で十枚はいけるでしょ。あとは脇の下に挟んだり股の間に挟んだりすれば……」


「ティファと俺の見える世界が違う説が現実味を帯びてきた。そこまでさせて自分で持ちたくないのか。俺の局部や恥部に預けた食器を使うことに抵抗とかないのかよ」


「ちゃんと持ち帰った後で熱消毒するわよ。使用者に衛生的なダメージはないわ」


「今の発言で俺に精神的なダメージだよ」


「おーおー、仲良くやってるようで本当に何よりだよ」


 凹むアルを無視して作業していたティファが、話しかけられて初めてロッテに気づく。


「あら、姉さん。何か荷物があるならアルに持たせていいわよ」


「よ、男の甲斐性だね。じゃ、頼むとしようか」


「出会い頭に挨拶もしないで連携して男を使う姉妹が恐い!」


 持っていた袋の位置を工夫されつつ、改良に改良を加えた全身荷物男が出来上がる。最終的に首と耳まで使って、女性二人を手ぶらで帰す男の意地を貫いた。


「それじゃ、買い物も終わったし帰りましょ。姉さんもこれから帰り?」


「ん、そうだよ。一緒に帰るとしようか」

「姐さんが直帰かどうかも聞かないで俺に荷物持たせるとかさぁ……」


 恨み言は両者に無視され、歩き出す二人の後に慌てて続く意地の帰路。そんな帰り道兼男道、足取りも軽く歩いている女性陣の会話に華が咲く。


「それで、姉さんは何を買いにきたの?」


「あたしの命の糧だよ。定期的に仕入れとかないと不安で胸が焦がれるから」


「肺を悪くするって言ってるのに……姉さんの声、ガラガラになったらイヤよ」


 拗ねたような見上げる視線にロッテが苦笑して、妹分の頭をぽんぽんと叩く。


「魂の底に染みついた赤の属性が火を求めるの。あんたの手が早いのと一緒」


「あ、あたしはちゃんと相手選んでるものっ。あたしを受け止めきれる相手かどうか」


 ここだけ切り取れば色事っぽい会話だなと、どうやら受け止めきれる相手に選ばれたらしいアルは他人事のような境地で思う。

 慌てるティファにロッテは意味ありげな目でアルを見ると、かすかに口を綻ばせた。


「なるほど。それでアルの後ろ髪にティファの気持ちの名残があるわけだ」


 チリチリ丸まる髪は昨夜の仕置きの名残だ。ロッテの揶揄にティファは顔を真っ赤にして、それから申し訳なさそうにアルを見る。


「その……えっと、ごめんね。いつもちょっと、手が出ちゃって」


「いや――」


 ちょっとか? と言いかけてアルは先ほどのロッテとの会話を思い出す。

 ティファの抱えている想い。店を守るための覚悟と犠牲にしている自分の心。誰に頼ることもできない彼女が、その溜め込んだ辛さを吐き出す手助けになるなら。


 そんな同情のような気遣いを彼女は好まないだろうから、それを悟られないように注意しながら、大したことじゃないと笑って首を振ってみせるのだ。


「じぇんじぇん気にじだいがら。おで、じぇんじぇん大丈夫だがら……」


「え? え? 何でそんな急に大泣きしてるのっ!?」


 顔をくしゃくしゃにした泣き顔のアルに、驚いたティファがハンカチで涙を拭く。


「そんなに泣くほど辛かったの……ごめんね、ごめんね」


「泣いでねーよ。涙じゃなぐで溢れ出る漢汁だよ」


「はいはい、泣かない泣かない。アルは強い子、元気な子~」


 子どもをあやすようにティファに慰められながら、アルは健気に涙を押し隠そうとする。その努力が全く実らないのは傍目にも明らかで、ロッテは二人を呆れたように見ながら、


「隠し事に向かないねえ……どっちも」


 生暖かい言葉と視線を向けられて、ティファは何かに勘付いたように眉を寄せる。それからぬるま湯のような気配のロッテを問い詰めるように見上げて、


「まさか姉さん、アルに余計なこと言ったんじゃないでしょうね」


「余計なこと……ね。あたしの口の堅さは商売柄だから知ってると思うけど」


「でも姉さん意地悪なとこあるし、何か恐い話とか聞かせてアルを泣かせたんじゃ」


「確かに子どもみたいに泣いちゃいるけど、恐い話で泣かせたとか、あたしいくつよ」


「今年で二十……痛っ!」


 デコピンを食らって涙ぐむティファ。二人の微笑ましいやり取りの背後で、アルは高速で顔を振ることで涙と鼻水を消し飛ばす。危うく涙を見られてティファに余計な気遣いをしていると勘付かれるところだった、と隠し切ったような顔つきだ。


「う~、姉さんのデコピンはモンスター殺せるんだからやめてよ」


「血が出ないように手加減したよ。可愛い妹分の顔に傷は残せないからね」


 額を押さえたティファにロッテがうそぶく。ティファはその返答に不満そうに唇を尖らせたが、すぐに気を取り直したような表情でアルに視線を移した。


「冗談はともかく、アル……その、変な気遣いしなくていいから」


「何言っでるがわがりまじぇん」


「まだ誤魔化すんだ――、なら、別に独り言って聞き流してくれてもいい」


 まだ言葉を上擦らせるアルに向かって、ティファは一度目をつぶってから続けた。


「あたしは大丈夫。そりゃ、少しは膝を屈して項垂れたくなるときもあるわ。夜な夜な不甲斐なさで枕を濡らすときもあるし、儲かってる他のお店を燃やして回る空想に耽ることも珍しくない。王都中の宿屋という宿屋を焼却してお客を占領したい気持ちもあるし、時たまお客が人間じゃなくてお金の詰まった袋って幻覚が見えることもあるわ」


「ほ、本当に大丈夫なのか!?」


「でも、あたしは一緒にお店をしてる三人をそんな風に思ったことはない。確かにみんなのお店がうまくいってて、羨ましいと思う気持ちはある。でも、それを見てあたしは頑張ろうって思ってる。いい意味で刺激になってるって、そう思うの」


 晴れ晴れしい顔を上げて、ティファはアルに真っ向から言ってのける。


「だから、みんなには感謝してるの。言葉では言い尽くせないくらい。アルにも、バルトにも、プリカにもノエルにも、あたしは心から感謝してるし、信頼してる」


 それから照れたように視線をそらし、


「と、独り言終わりっ。さ、ちゃっちゃと帰りましょっ」


 ずんずんと早足になってティファが一人だけ突出していく。その背中を無言で見送りながら、アルは隣のロッテに重量感の増している肩をすくめてみせた。


「なるほど、姐さんの言ってることがはっきりわかりました」


「ね、可愛いだろ?」


「やっぱりティファは大馬鹿ですよ。……俺はそんな馬鹿が嫌いじゃないですけど」


 ロッテの口元が笑みになるのも見届けず、遠ざかる背中を追ってアルの足も逸る。



 なぜならずっと先を歩く小さな背中に、駆け足でなければ追いつけないからだ。



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