那月の決意
数時間後、精密検査を終えた深月の病室に、主治医と那月が入ってきた。 那月の背後には、二人の男女が静かに控えている。
一人は、軍人のような鋭い眼光を湛えた背広姿の男、苅田宗一郎。 もう一人は、極上の和服を纏い、氷のような美しさを放つ女性、苅田早苗。
医師はカルテを閉じ、深月の目を見つめて告げた。
「逆行性健忘ですね。脳への直接的な損傷は軽微ですが、精神的な防衛本能が強く働いたようです。彼女は、これまでの人生に関する記憶……自分自身の名前や家族、そして自分を追い詰めた人々の記憶もすべてを失っています」
深月はただ、自分の細い指先を眺めていた。 記憶の箱が空っぽになった喪失感。しかし、それと同時に、胸を締め付けていた得体の知れない重圧から解放されたような、奇妙な浮遊感の中にいた。
「……そうですか。何もかも、忘れてしまったんですね」
那月の声は、先ほどまでの泣き声が嘘のように穏やかだった。 彼女は深月のベッドサイドに腰を下ろし、まるでお気に入りの壊れ物を扱うような手つきで、深月の頬を撫でた。
「大丈夫、深月。何も思い出さなくていい。あんな汚い連中のこと、あんな残酷な世界のこと……全部、海に捨ててきたと思えばいいの」
那月は、背後に立つ父・宗一郎と母・早苗に視線を送った。 自衛隊の頂点に立つ父と、裏社会を束ねる母。 二人は一言も発さず、しかし娘の狂気にも似た愛情を完全に肯定するように、深く、静かに頷いた。
「これからは、私たちがあなたの家族よ。深月を傷つけたゴミ掃除は、お父様とお母様が全部やってあげるから」
病院の窓の外、冬の空はどこまでも高く、冷たい。 深月は、那月の温かい手に包まれながら、導かれるように深い眠りへと落ちていく。
その頃、宗一郎のスマートフォンには、深月を売春婦に仕立て上げた主犯格たちの詳細な個人データが、自衛隊の諜報ルートを通じて転送されていた。 また、早苗の指先ひとつで、裏社会の「清掃人」たちが動き出し、深月を捨てた実の両親の周囲に音もなく配置されていく。
記憶を失い、真っ白な存在となった少女の側で、国家の剣と極道の闇が結託し、血塗られた復讐劇が静かに幕を開けた。




