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3 クリスマス、君の幸せを

※血の描写があります。苦手な方はご注意ください。

***



 夕方、少年は余裕を持って家を出た。

 まだ夕焼けに染まる前の空は、淡く黄色を帯び始めている。雲ひとつない快晴。雪は降りそうにないが、代わりに今夜は星がよく見えるだろう。


 胸を高鳴らせ、駅へと向かう。

 今日はクリスマスデートだ。

 彼女の都合で聖夜より十日ほど早いが、街はもうクリスマス気分に染まり切って、どこか浮かれているようだ。


 駅に近づくにつれて、道ゆく人も増えていく。

 この調子じゃ太い道は混んでいるだろうな。そう考えて、人通りの少ない道を行くことにした。


 駅前を横に伸びる道が見えてきた時、そこで彼女が信号待ちをしているのが目に入った。


「美香!」


 はやる気持ちを抑えて駆け出す。すぐに彼女も気がついて振り返った。

 隣に並ぶと、息を吐いて脈と呼吸を整える。とはいえそこまで乱れてもいない。

 美香と呼ばれた少女は嬉しそうに、「走らなくても待つのに」と笑った。


「ちょっとそこのカフェでココア買っていい?テイクアウトのやつ」

「じゃあ俺はコーヒーで。ホットでほっと、だな」

「あ、もうすぐ青なるよ!」

「スルーかよ」


 信号が青になる。

 二人の会話は、そこで途切れた。

 その時はまだ、一瞬のつもりだったその無言が永遠になるなど、想像もしていなかった。


 ゆっくりと気だるげに動き始める人々の先頭を、左右確認を済ませた少女が軽やかに駆けていく。

 少年もその後ろを一歩遅れて追う。


「あんまり走るな、はぐれるから」


 そう言おうとした、矢先だった。


 魔道車が一台、猛スピードで人々の前に踊り出た。

 それはどこから出てきたのかと問われれば、人々はみな揃って、道の果てを指差すだろう。左右の違いはあれど、その指先が表す意味は変わらない。

 駅前の車道は横に走る、二車線の長い一本道。所々細く入り込む道はあるが、行き交う車のほとんどは、彼らが指差す先にある大きな交差点や、それを超えた先からやってくる。だからその飛び出した車も、交差点を通って、駅前の一本道を走ってきたはずだ。


 だが少年には、その車が突如そこに出現したように思えた。

 人々は咄嗟に回避行動に出る。後退り、飛び退き、転んだ者はいても重傷者はいない。


 ――二人の少年少女を除いて。


 少年は、地面に倒れた。

 地面に、みるみるうちに血の池が広がっていく。それを血だと知らなければ、それはただの美しい真紅の色水に見えるだろう。

 足が熱い。『苦痛』という言葉をそのまま表現したかのような痛みもある。自分では見えないが、潰れているかもしれない。


 だがそれよりさらに酷かったのが、少年から少し離れたところに転がる少女だった。

 一言で言えば、即死。

 頭部をはじめ、身体中に傷を作り、その全てから血を流していた。


 少年が怪我を負ったのは、突っ込んでくる魔道車に衝突されそうな少女を庇おうとしたからだ。

 彼がそうしたのは、性格がお人好しだからでも慈悲深いからでもない。

 ひとえに、その少女を愛していたためである。


 そして少女が血を流しているのもまた、少年を庇ったためだった。

 少女を庇った少年を庇った。愛する者を、そして己に愛を与えてくれる者を、愛のために自ら突き飛ばした。

 そしてその刹那、黒く光る車体が、地面に転がる少年の足と、少年を突き飛ばしバランスを失った少女の身体の上を(はし)った。


 少女は名を鹿野美香といった。

 少年は名を徳野浩樹といった。

 二人は恋人同士だった。

 十日早いクリスマスデートを満喫すべく、まずはホットココアとホットコーヒーで、ほっと一息つこうと考えていた。渾身のダジャレは、彼女には見事にスルーされてしまったが。


 少年は、僅かに残る力を振り絞って、閉じていた瞼を押し開ける。


 その先には、真紅に染まった少女が倒れている。

 嫌な予感がした。と同時に、それを確信もした。

 彼女は自分を庇ったのだと。

 だから自分は息をしているのだと。

 そのせいで彼女は命を落としたのだと。


 朦朧とする意識の中、自分を責めずにはいられなかった。

 そして再び、瞳を閉じた。



***



「あの時、庇いきれなくてごめんね」


 ――思い出した。全て、思い出してしまった。


 心臓が、どくんどくんと大きく音を立てていた。

 荒い呼吸を繰り返すと、世界が、急速に輪郭を取り戻す。


「ここは、死後の世界。『この世』と『あの世』の、間にある世界なの。けど君は、まだこっちには来ちゃ駄目。ヒロくんはまだ、生きてる。ヒロくんがいるべきは、『この世』なの。ここでも、『あの世』でもない。この先は、……天国は、天国なんて言うけど、楽しいことなんて何も無いかもしれない。二人でいられるかもわからない。どんな所かなんて、ここにいる誰にもわからない」


 肩で息をしながら、途切れ途切れに返す。


「それでも、……美香が、同じ世界、にいる、なら」


 だが精一杯の言葉も、美香が柔らかく首を振って切り捨てる。


「よくないよ。というか、私が嫌。ヒロくんには、人生に満足してからこっち来てほしい。そうじゃなかったら、たとえヒロくんがまた事故に遭っても私は追い返すから。まだこっち来んなー!ってね」

「俺は、美香のいない人生に、意味を感じられない」

「かもしれない、今は。でも、きっと、すぐに、前を向いて、生きていけるようになるよ」

「なれない」

「なれる」

「無理だ」

「できる」

「嫌だ」

「それでも、生きて。残酷なこと言ってるのはわかってる。ヒロくんは優しいから、私を犠牲に生きている、なんて罪悪感を感じるかもしれない。けど、それは違うから。私が、ヒロくんに生きて欲しいの。……ヒロくんが幸せになれるなら、私以外の人をお嫁さんにもらっても良いから」

「そんなこと」

「だから、お願い、ヒロくん」


 彼女は、へたくそな笑みを浮かべた。空っぽな中に諦観と悲しみが混ざった、無理に作った笑顔。強がっているのが、一目でわかる。


「私の分までとか言わない。ヒロくんの人生を、全うして。それで、よぼよぼのおじいちゃんになったらその時に、奥さん連れてこっち来てよ。ここで、楽しみに、待ってるから」


 そう言うと美香は、俺の手を引いて、さかい橋の真ん中に立った。

 俺の肩を掴み、背伸びをする。寂しげな微笑みが近づいてきて、唇に一瞬だけ、柔らかな感触を感じた。


「生きて」


 美香がそう、小さく呟いたような気がした。

 と思った時には、俺は空中にいた。足の裏にあるべき感覚がない。美香が俺を突き落としたのだ。肩に微かに、触れられた手のひらの感覚が残っている。

 落ちる、と理解したと同時に、身体が急降下を始めた。

 掴まるものを求めて右手を伸ばすが、掴めたのは空気だけ。

 目の前には、たくさんの小さな光に埋め尽くされた夜空の黒が広がっている。その中に、白い光が一筋見えた。

 その夜空の手前、橋の上に立つ彼女は俺に背を向けている。当然ながらその顔は見えない。ただ、黒く塗られたシルエットから、かろうじて、見えているそれが背中であることがわかるだけだ。


「美香!」


 力一杯に叫んだ。同時に、夜空をまた、光が一筋横切る。


 そして俺の背は、硬い水面に打ち付けられた。



***



 救急車のサイレンが聞こえる。

 人が騒ぐ声がする。

 ああ、事故か、と思った。

 いるべき世界に戻ってきたことは、すんなりと受け入れられた。

 冒険を終えた後の脳は、思いの外冷静だった。


 彼女に生きていて欲しかった。だから、魔道車に轢かれそうになった彼女を庇おうとした。

 なのに俺は、逆に彼女に庇われ、突き飛ばされて……そして、一命を取り留めた。彼女の命と引き換えにして。

 「罪悪感を感じるな」なんて、無理な話だ。

 美香は俺の大事な人だ。愛していた。何よりも大切にしていた。宝石よりも星よりも月よりも太陽よりも美しくそして眩く輝く、一番の宝物だった。


 泣ける力はもう、残っていない。けれど、雫が眦から零れた気がした。





 目を覚ました。

 部屋は暗い。けれどついさっきまで寝ていたからか、周りにあるものがぼんやりと見えた。

 白い天井、点滴、やけに静かで無機質な部屋。ここは病院だろう。


 デイルバイスが、聞き慣れた中性的な声で告げる。


『おはようございます。12月24日水曜日、午前3時42分です。今日はクリスマスイブ、予定はありません』


 何となく、寂しい言葉だな、と思った。所謂「クリぼっち」であるという事実がそうさせるのか、別の理由によるものなのかは定かではない。

 世界を超えた大冒険を終えて帰ってきた主人に、「お帰り」とも、「頑張ったね」とも言ってくれない。機械とはそういうものだとわかっていても、そんな言葉を聞きたかった。慰めてほしかった。けれど同時に、慰めて欲しくなんてなかった。優しい言葉をかけられたら、今度こそきっと、泣いてしまうから。


 彼女は今日は帰省する予定だったと、ふと思い出した。


 気づくと、眦から温かいものが零れていた。涙が無性に溢れて、止まらない。止められない。

 声を殺して、嗚咽する。


 美香はきっと、あの世界で待っていてくれる。彼女は猪突猛進気味だけれど、有言実行する人だ。

 だから、またあの場所で会えたら。

 よぼよぼになったね、って、彼女を笑わせるんだ。

 奥さんは今は連れて行ける気がしないし、連れて行く気もない。もしかしたら、生涯独身かもしれない。

 でも、それでも構わない。美香の言葉と思い出と、生きていけばいい。

 今は――そうだな、とりあえず眠ろう。泣き疲れて、眠いのだ。



***



 気づいた時には、階段を登っていた。

 自分の靴音からして、床はコンクリートだろう。ただ、光がなくてほとんど見えない。終わりなどなさそうな暗く無機質な階段を、私はひたすら登っていた。


 初めて自分と階段と手すり以外のものを見たのは、何度目かの踊り場に着いた時だった。


 そこに居たのは、白い布を纏った老人。白く長い髭を生やし、白い頭髪は薄くなっていた。そして手には長い杖。そのおかしないでたちにも驚いたが、何より驚いたのは、その老人が浮いていたことだ。立っているのに立っていない。足が床に着いていない。


『わしは神じゃ』


 その人は、開口一番にそう言った。たった一言なのに、信じざるをえないような威厳に、背筋がビリリと震える。


『ぬし、自分が死んだことは理解しておるのじゃろう?』

『はい』

『じゃあ何も言うことはない。このまま階段を上がり続ければ、いずれ行くべき場所に辿り着くだろう』


 老人は満足げに言うと、背を向けた。

 そのまますーっと動いて立ち去ろうとするのを、慌てて呼び止める。


『神様。ヒロくんは、一緒にいた男の子は、助かりましたか?』

『うむ。それがどうした』

『……もし、可能なら』


 言うかどうか、少しだけ迷った。こんなお願いが罷り通るとは思えなかったし、たとえ通ったとしても、自分が具体的に何をしたいのかなんてわからなかった。

 逡巡ののち、意を決して神を見据えた。


『どうか神様。少しでいいから、最後に、ヒロくんと話す時間をください。何も言わずにいなくなったらきっと、繊細で優しい彼は、壊れてしまうから』


 私の言葉を聞き終えた神は、鷹揚に頷いた。


『ならば、流星が三つ現れるまで待ってやろう。三つ目が流れたその時、ぬしらは分かたれる。それでも良いなら行くがいい』


 その言葉と同時。

 私の目の前、まっすぐ進んだ先に、光が見えた。



 その光は、『狭間の世界』に繋がっていた。

 『この世』と『あの世』の間、死んだ人が未練を解消する場所。それが、『狭間の世界』なのだと神が教えてくれた。死んだ人それぞれの未練に最も適した形に世界を見せているのだとか。

 『この世』と『狭間の世界』を繋ぐのは、私の場合、待ち合わせ場所である駅舎だった。




 そして『狭間の世界』でのクリスマスデートを満喫した後、私は、彼を、橋から突き落とした。



 『この世』は『狭間の世界』の地下にある。だから、『狭間の世界』から『この世』に行きたいなら、地面や水面よりも下に行けばいい。水面や地面に身体を打ち付ければ、生者であれば、『この世』へと帰れるだろう。そう、神様は教えてくれた。


 引き返してきた『さかい橋』のその先を見つめる。

 橋を渡り切って、その先にある階段を登れば、そこはもう『あの世』だ。

 そしてここからは見えないけれど、流れる水面の下には、今まで生きてきた世界が広がっている。

 川の中に、彼の姿はない。無事に帰ることができたようだ。

 私はもう隣にはいないけれど、あと数十年、彼ならば生きて行けるはず。


「ヒロくんの幸せが、私の幸せ」


 自分に言い聞かせるように、ゆっくりと紡ぐ。

 嘘じゃない。嘘じゃないのだ。


「だから、これでいい。正解。間違ってない」


 そう、きっと、間違っていない。

 彼は頭も良いし、魔道具の扱いや設計にも長けている。きっと将来活躍できる、良い人材になることだろう。彼は、これからも生きていくべき人間なのだ。

 そう心の中で唱える。そしてそれに縋る。


 …………でも。それでも、やっぱり。


「お嫁さんができるのはやだ、なんて言ったら、重いかなぁ」


 自分のいないところで彼が幸せになるのを、それを人生の終点後の彼を見ることでしか知ることができないのを、悔しいと思ってしまう自分がいる。自分は最後、ちゃんと、笑顔を作れていただろうか。結局耐えきれず背を向けてしまったけれど、それまでは、ちゃんと、笑えていただろうか。


「幸せになってね、ヒロくん」


 星の光を反射しちらちらと輝く川面にそう呟いて、元来た方へと踵を返した。


 空を見上げると、強い風が吹いた。

 流れ星がまたひとつ、夜空を駆けた。けれど視界が滲んで、よく見えなかった。

これにて完結です。

初投稿のこの作品を見つけてくださり、ありがとうございました。

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