1 醒めず、歩く
ふわふわと、温かいところを漂っている。
辺りは真っ暗だ。
やがて、辺りはいつの間にか白に包まれていた。
深く、深く、沈んでいく――――
***
目を覚ました。
ゆっくりと上体を起こすと、目に黄色が飛び込んできた。
窓の外はもう夕方。どうやら、カーテンを開けたまま眠っていたようだ。いつもなら、昼寝でもカーテンは閉めるのに。
夕焼けに染まる前の空は、黄色と水色で半分こにされている。
今日は何か予定があったっけ、と、左の耳たぶに手を伸ばした。
「…………?」
まだぼーっとしていて働く気のない脳が、少しだけ覚醒する。おかしい、と訴えている。
いつもは煩いデイルバイスが、今日は何も言ってこない。いつもなら、目を覚ました瞬間に、日付とか天気とか予定とかを勝手に喋り出すのに。
――壊れたかな。
丸いピアス型の銀色の小型機械、デイルバイス。百年ほど前に開発されたらしく、世界中の全ての人が身に付けている。日付や時間、予定、ニュースの確認に、音楽やアニメの視聴、SNSの投稿、通話、買い物から身分証明まで様々な事が可能な、生活に欠かせない機械だ。十七年という短い人生とはいえ、壊れたなんて話は聞いたことは無いのだが。何十億台と生産されていれば、そんな事も一台くらいはあり得るのだろうか。
まだ覚醒しきらない脳は動きが鈍い。とりあえず、水分を取ろうと思った。
水を求めてリビングに行くと、ガラス玉が空中に映像を投影していた。
バラエティ番組のようだが、それを見ている人間はいない。トイレにでも行っているのだろうと結論づけ、なんとなくその画面を見やる。見たことのある女性アイドルがボウリングの球を投げると、球はコースレーンの端に真っ直ぐ向かっていき、コースとコースを仕切る壁にぶつかった。ガラス玉から、『あぁ〜』と残念そうな声が上がる。よく見かける、チーム対抗でゲームをする番組のようだ。
画面の左上には日付と時間が表示されていた。
『Dec.14.Sun.16:37』
それを見て、そういえば、と思った。
今日はデートがあるんだったと思い出す。待ち合わせまで残り二十三分。待ち合わせ場所の駅までは走って十分だから、急げば間に合う。
超特急で服を着て、顔を洗い、髪を整え、デイルバイスがやはり応答しないことを確認してから家を出た。走って駅まで向かう。
まだ頭は霧がかかったようにぼーっとしている。
駅の建物が見えてくると、その手前、道を挟んで俺と向かいに建つ銅像に、彼女が寄りかかって立っていることに気付いた。向こうもこちらに気付いたようで、ひらひらと手を振ってくれる。
彼女に手を振り返し、道を渡ろうと一歩踏み出した、その時。
「ヒロくん!」
目の前を、魔道車が爆速で通り過ぎていった。反射的に後ろに跳んで避ける。あとから、プッとクラクションの高い音が鳴らされて、思わず「すみません」と小さく謝った。左右確認を怠った自分も悪いが、信号の無いこの道では向こうも横断者の確認をすべきではないかとも思ったが、それは表情には出さない。
とにかく、今のでやっと、ぼーっとしていた頭が覚醒した。
今度こそ左右を確認してから、道を渡る。
すると、道を渡ったところで、駆け寄ってきた彼女に飛びつかれた。首に腕が回され、ぎゅっと抱きしめられる。
「びっくりした、怖がらせないで」
彼女にしては珍しく、弱さを表にだした声だ。怖い時も痛い時も、彼女はいつも強がるから。
「ごめん、気をつける」
「ほんと、気をつけてよ」
声が少し震えている。相当怖がらせてしまったようだ。
「ほら、気を取り直して、行こう。せっかくのクリスマスデートなんだから」
「……そうだね。ごめんね、イブとか当日に行けなくて」
「いやそんなこと気にしなくていい。帰省なら仕方ないし、美香んちは毎年そうだろ。楽しんでこいよ」
「うん。ありがと」
美香は、首元の白いマフラーに顎を埋めて微笑んだ。かと思えば、目を釣り上げて言う。
「というかそれより、ヒロくん、何その服装!クリスマス感ゼロじゃん」
言われて俺は、自分の身体を見下ろした。
今着ているのは、ベージュのパーカーにカーキのパンツ、茶色のコート。ダサくはないはずだが、確かにクリスマスらしさはかけらもない。
「でもそれはお前も一緒だろ」
「それはそうだけどさぁ。あ、でも、なんかペアルックみたいじゃない?偶然!」
嬉しそうに笑う彼女は、ベージュのワンピースにムートンコート、白のマフラーを身につけている。足元は白のブーツ。俺が白のスニーカーで、二人ともベージュの服だから、確かにペアルックと言えなくもない……のか?
「あ。そうだ、いいこと思いついた」
突然、美香がポンと手を打った。
鞄から何かの包みを取り出すと、結ばれたリボンをほどき始めた。
「ちょっと目ぇ瞑って」
言われた通りに目を瞑る。
「よっ、と」
どうやら背伸びをしているらしい。
首元に何かもさもさとした柔らかいものが当たった。どうやら細長い形状をしているらしく、ぐるぐると巻きつけられたのがわかる。
「これでよし。開けていいよ」
言われて目を開けると、首に、ワインレッドのマフラーが巻かれていた。
「どう?ズボンの緑と合わせて、ちょっとはクリスマスっぽくなったでしょ」
「あったかいし、これまさか手作りか?上手い」
素直に褒めると、彼女は誇らしげに胸を張った。ふふんと鼻を鳴らす。
「すごいでしょ。お揃いなのです」
そう言って、自分の白マフラーの先をちょいちょいと引っ張る。
その笑顔に、頬が緩むのをどうしても抑える事ができない。今の俺は、にへへと変な笑みを浮かべているかもしれない。
「じゃあ俺からも」
ポケットに右手を突っ込んで言う。
「目ぇ瞑って」
「え、何々、気になる」
彼女の白いマフラーを外して、とりあえず自分の肩にかけておく。
ポケットから赤いベロア生地の小箱を取り出した。
「ちょっと寒いけど我慢してくれ」
小箱を開けて取り出したのは、ゴールドのネックレス。赤いハートのチャームがついている。
高校生の身ではあまり高価なものは買えない。だから有名なブランドのものではないけれど、美香の好みや俺の好みも考えて、二か月近く考え抜いて選んだ品だ。
チェーンをめいっぱい長くして、彼女の視界になんとかチャームが収まるようにつける。
「できた」
美香が目を開ける。
「うわっ」
第一声は可愛いでも嬉しいでも大好きでもなく、それだった。少なくとも期待していた言葉ではない。
しかし、喜んでもらえたのかそうでないのかは、言葉で言われずとも彼女の表情ですぐにわかる。
美香は一瞬だけ固まっていたが、やがてぱっと顔を綻ばせた。
「可愛い!これ、めちゃくちゃ好みなんだけど。ありがと、ヒロくん!ねえねえこのハート、もしかして永遠の愛を誓うとか?いや別に自意識カジョーとかじゃなくて」
「その通りだけど」
「うわ、重っ」
俺が澄まして答えると美香は顔を顰めたが、その仕草や口調の端々から、彼女がご機嫌なのが伺える。
「別に重くはないだろ。というかどうしてハートの意味が分かった」
「だってヒロくんらしいかな、と思って。ちょっと厨二病っぽくてイタいとことか。私達、まだ高二だよ」
「おい厨二病ってなんだ、どういうことだ」
「えへへ喩えだよ、気にしない気にしない。その愛、しかと受け取った」
「そりゃどうも。じゃあそろそろ行くぞ、予約に遅れる」
「予約してくれてるんだ。スマートな男じゃん。でもとりあえず、寒いからココア買ってきていい?」
「それくらいなら大丈夫。ホットでほっと、だな」
「寒いよ、ヒロくん。よし、それじゃ、しゅっぱぁつ!」
「おー」
二人、拳を突き上げて歩き出した。
カフェで列に並んでいる間に、美香はネックレスを「こっちの方が可愛い」と短めにつけ直したが、マフラーしたらどう頑張っても見えないじゃん、と残念そうに、でも楽しそうに笑った。
カフェでココアとコーヒーをテイクアウトし、道を歩く。
カフェに入る前、デイルバイスが応答しないと美香に相談すると、「あーそっか、じゃあ今日は私が払うよ」と言ってくれた。大事なデートで彼女に会計をさせるような彼氏で申し訳ない。金は後でちゃんと返すから、と謝ると、いいよそんな気にしなくて、と言われた。気にしなくていいはずがない。
車道沿いの街路樹は、みんなライトアップされ、青や黄色にピカピカと光っている。
建物は映像が投影され、頭上には魔法球と呼ばれる、プレゼントや星の形をした飾りが、これまたカラフルにピカピカしながら漂っている。本当に魔道具というものは便利で、物を浮かせたり動かしたり光らせたり、映像を投影したりと自由自在だ。魔道車も、地面を走っているようで実は数ミリだけ浮いているのだと耳に挟んだ事がある。まったく、すごい技術だ。
その昔、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんが生まれるよりもっと前の時代では、デイルバイスのような、魔力を使わない機械が、今の魔道具のような役割を担っていたらしい。だが今となっては、純粋な機械はデイルバイスと歴史資料館などに展示されているものだけだ。それ以外のものは全て、植物や動物、細菌などの生物の体内から取り出された魔力というエネルギーによって動いている。
今の世界には、機械は人々が身につけているデイルバイスや博物館の展示物くらいしか存在していない。デイルバイスは、各国の中枢機関から発される電波を、世界中どこでもタイムラグなく拾うことができるらしい。しかしその電波は非常に特殊なもので、機械が多くあるような環境ではうまく伝わらないどころか、周りの機械を壊してしまうこともあるそうだ。そんなわけで、デイルバイス開発とほぼ同時期に発見された魔力が、機械の代わりを担っている。
俺のデイルバイスが作動しないのは、その特殊な電波が関係していたりするのだろうか。
「ねえ」
突然聞こえてきた美香の声にハッとして、自分の状況を思い出す。
そうだ、俺は愛しの彼女とデート中だ。
自分でも気づかないうちに、思考の沼にはまりかけていたようだ。
「もしかして、公園に向かってる?」
「ご明察。魔飛球に乗ろうと思う」
「え、やったぁ」
美香は飛び跳ねて喜んだ。
「魔飛球大好き!最近乗ってなかったから楽しみだなぁ。クリスマスの時期ってさ、魔法球出てるから絶対綺麗じゃん。冬に乗るの初めて!楽しみ!」
楽しみと二回言うあたり、相当好きなのだろう。自分も冬の魔飛球には乗った事がないので、密かに楽しみにしていた。
美香はによによと顔をだらしなく緩ませている。スキップする後ろ姿を可愛いなあと眺めながら歩いていると。
全身の血の気が引いた。
ちょうど、彼女の足が横断歩道に踏み出そうとしたところだった。十メートルほど前にいる美香に向かって手を伸ばし、思わず大声で「美香!」と叫ぶ。伸ばした手は当然、空を切った。
呼ばれた美香が立ち止まり振り返った、その瞬間。
車道、彼女のすぐそばを、一台の魔道車が猛スピードで走り抜けていった。
「飛び出したら危ないだろ。心臓止まるかと思った」
「うわあそれはやめて、ヒロくんは生きてー」
「さっき同じことしかけた俺が言うのもだけど、ほんと、怖がらせんな」
「……うん。ごめんね、ヒロくん」
美香は俯いた。マフラーに顎を埋めたその姿は、何かを堪えているように見える。
「ほら、美香も怖かっただろ。手、繋ぐか?」
「うん。ありがと」
繋がれた美香の左手は、手袋をしていないからか、とても冷たかった。
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