第10章4話 逃亡奴隷③──発見
天幕の立ち並んだ広場は、王立劇場の裏手にある関係者区画だったらしい。
もしメルが奴隷扱いされて鎖でつながれることになっていたら、『河のほとりの恋人たち』の舞台の上演時間中、ずっとあの猛獣たちのうなり声にさらされることになっただろう。それを思うと、背筋が冷えた。
フレデリカの案内で、メルは王立劇場の楽屋に通された。
道中、メルの足枷をチラチラ見る者はいても、フレデリカが堂々としているせいか、誰も声をかけてこない。
「まったくもう。そんな目立つものつけてるのに、なんでちっとも見つからないのよ。捜したじゃない」
「……捜した……?」
心当たりのなかったメルは首をかしげた。
フレデリカに奴隷扱いされて嫌がられた記憶はあっても、わざわざ捜されるような覚えはない。
「ち、違うわ。なんで私があなたなんかを捜さなきゃいけないのよっ。──ほら、これ」
楽屋の引き出しから紙切れをつかみ出して、メルに差し出した。上質な紙質と絵柄に見覚えがあった──舞台『河のほとりの恋人たち』の鑑賞券。
裏返すと、流麗な筆致で文字が書いてある。
「あ、あなたが私のサインを欲しがるからっ。感謝しなさいよね」
「……そうそう。君がフレデリカを亡者から助けてくれたお礼なんだって。受け取ってあげて」
優しい声が割って入った。フレデリカに初めて会った朝、彼女にマネージャーと呼ばれていた青年だ。
「ごめんね。彼女、素直じゃないから……。本当は君にサインをあげたくて、ずっと捜してたんだよ」
「ミ、ミランは黙って!」
図星を突かれたフレデリカが頬を膨らませてそっぽを向くのを、メルはぽかんと見た。
「私、あのときは何も……。フレデリカさんが亡者に石を投げてくれて。助けてもらったのは私の方です」
恐縮するメルに、フレデリカは胸を反らせた。
「当たり前じゃない。自分より年下の子を戦わせて平気な顔してるなんて、私の主義に反するのよ」
「うんうん。ファンの子が亡者の前に飛び出していって、気が気じゃなかったんだよねー。よしよし」
「ちょっと、ミラン。子ども扱いしないで。マネージャーのくせに生意気なのよっ」
強気なフレデリカも、マネージャーのミランの前では形無しだった。毛を逆立て怒る猫のパンチをいなしているようにも見える。
気弱そうに見えて、実は強い……。
「あれ? 鑑賞券……二枚ある?」
手元の鑑賞券に、首をかしげた。
サインを書くのなら一枚でいいはずだ。
フレデリカは、当然でしょ、とこともなげに言った。
「招待券だもの。もう一枚は、あのいけ好かない剣士の分。……あなたたち、今日は一緒じゃないの? そもそもなんで劇場の立ち入り禁止区画なんかにいたのよ」
「……アスター、は……」
──王都に、行っちゃって……。
奴隷管理局のひとたちが、ギルドを訪ねてきて。
メルも、あそこには戻れない……。
「…………──っ」
心のもろくなった部分が、ゆるゆるとはがれ落ちて。
熱い雫になって頬を流れ落ちていく。
メルが急に泣き出すから、フレデリカが慌てている。
泣くのを止めなくちゃと思った。
でも、溶け出した心は、メルの意思とは関係なく勝手にあふれていく。
──泣くな。泣いても何も変わらない。
それは昔、大切な友達が言っていた言葉。
舞台のヒロインにあこがれて、自分もその名前を名乗った少女の教え……。
ふわりと、優しい香りに包まれた。
泣いているメルを、フレデリカが抱きしめていた。
「ほら。何があったか知らないけど、泣きたいだけ泣きなさい。わけは、あとでいくらでも聞いてあげるから」
思いがけない温かさに、頭がくらくらする。
フレデリカからは、花の香りのようないい匂いがした。
かたわらで、マネージャーのミランも微笑んでいる。
「うぇっ……! うわぁぁぁ……ん!」
フレデリカの胸の中で、メルは思う存分、泣いた。小さな子どもみたいに。
アスターが去ってしまってから溜まりに溜まっていた心の澱を洗い流すかのように。




