第1章7話 世間知らず
──時は、少しさかのぼる。
「いやぁ、悪いね。てっきりあんたはお嬢ちゃんといるもんだとばかり思ってたよ」
旅の青年と通りを歩く道すがら、ギグはそう言って細面の頬を掻いた。
剣を腰に佩いた青年は表情に乏しく、話を振るとふいと視線を逸らす。どうやら青年の癖らしかった。かといって、こちらを拒否しているというのでもない。律儀に答えた。
「……俺は旅暮らしだから。それに、俺と一緒に来れば、亡者と戦うのは避けられない」
「でも、お嬢ちゃんは魂送りができるんだろ? あんたも一緒にいてもらえばラクなんじゃないか?」
「……別に。魂送りなんか、しないに越したことはない。せっかく自由になったんだ。できるんだったら、あいつも普通の生活を──」
「…………『普通の生活』、ね」
そううまくいってるといいが……と、内心でギグはぼやく。
奴隷の待遇は、所有者によってまちまちだ。
好意的な所有者の手に渡れば(限定的とはいえ)ある程度の衣食住は保証されるが、そうでなければ、ひどい折檻を受けたり飢え死にしたりすることもザラにある。そして、誰もそれをとがめない。所有しているモノをどう扱おうと、持ち主の自由だからだ。
この青年は旅慣れているふうでいて、いまいち世間にうとい。
昼間、工房を訪れた少女の笑顔を思い出して、ギグは妙にさみしい気持ちになった。
「俺は、あんたがお嬢ちゃんを連れていってやるのが一番だと思うけどね」
「あんたまで、そんなこと言う……」
「何もモノみたいに扱えってわけじゃない。けど、あんたがお嬢ちゃんの保護者になって……──って、なんだ。あのガキども? あんなに慌てて走って……」
隣にいる青年が立ち止まった。
少年たちが去っていった路地裏を見つめる。その蒼氷の瞳がいぶかしげに光った。
「………………メル?」
☆☆
青年の身体から怒気が陽炎のように立ちのぼっていた。
一歩、一歩と確実に距離を詰める──少年たちに向かって。
「おまえら、女の子ひとりに寄ってたかって……覚悟はできてるんだろうな?」
「ひっ……!」
かたわらを走り抜けていった剣の衝撃波に、少年たちはメルを押さえ込むのも忘れてみっともなく震えている。
メルは夢でも見ているのかと思った。こんなところにアスターがいるわけがない。助けてくれる……理由がない。
目頭が熱くなった。
噴きこぼれるものが、止まらない。
「剣のサビになりたいヤツは来い。相手してやる。そうでないなら、今すぐここから……」
「ごごご、ごめんなさい! もうしないからゆるして!」
「逃げろ! 殺される!」
「あっ……待て。置いてくな! ……くそっ!」
少年たちが泥水を蹴立てて散り散りに逃げていく。
その後ろ姿をぼんやり眺めていると、アスターが立ち上がるのに手を貸してくれた。
「……大丈夫か」
「怖かった……怖かった……!」
「……悪い。出ていくのが遅れた」
震えながらすがりついたメルの頭に、アスターが手をのせた。ぎこちなく。
泣いている幼子をどうあやせばいいかわからない、というように。
訊きたいことが色々あった。なんでここにいるのとか、助けてくれた理由とか。
でも、どれも言葉にならなくて……。
「あり、がとう……」
メルの震えが止まるまで、アスターはずっと一緒にいてくれた。