第24章9話 初恋の痛み
釘を刺すアスターの背中を見送って、エヴァンダールは肩をすくめる。聞いてやる義理はない、という意味で。……いまだ腕の中で暴れる戦乙女の耳元でささやいた。
「……あんまり幻滅させるな。こっちだって初恋はきれいなままにしておきたいんだ」
「!?」
言葉がわかったのかわかっていないのか、ルリアの死体人形は自分を背後から拘束する王子をキッとにらみつける。
エヴァンダールはその憎悪にゆがんだ美しい顔を見つめた。
形のいい眉の下、今は憎しみに燃える黄玉色の瞳、青ざめたなめらかな肌に、死に化粧を施した形のよい唇──生前の彼女そのままの面立ちを。
……苦み走った皮肉な笑みを浮かべた。
「覚えてるよ。十六のときに行ったノワール王国のパーティー。あんたは真っ白なロングドレスを着て、宝杖とシャンパングラスをもってた」
──グリモアの方、ノワール王国にようこそ。ゆっくりしていらしてくださいね。
交わした会話はそれだけ。
花から花へと舞い移る蝶のようにパーティー会場へ消えていった彼女の微笑みは、よその国から来た王子への儀礼的なものでしかなかった。……けれど。
そのたった一回でも、恋をするには十分だった。
たとえその淡い恋心が、彼女が愛した婚約者への嫉妬と憎しみで塗り変わってしまったとしても……。
「…………おっと」
漆黒の花嫁衣装で身をよじって噛みつこうとしたルリアの死体人形をいなして、エヴァンダールはその痩身を地面に押さえつける。
初恋の女を組み伏せるのは気持ちのいいものではなかったがかまわなかった。
……こういう役割は、甘っちょろい英雄殿より遥かに向いていたので。
「それにしても、聞きしにまさる馬鹿力だな。これ以上、抵抗されても面倒だ。……両脚も逝っとくか」
「! うがぁぁぁぁ……っ!」
危害を加えられると勘付いて、戦乙女は必死に抵抗する。
エヴァンダールの腕が──……ドレスの太ももに、伸びた。
☆☆
──ゾクリ。
爆発的な魔術の気配に、メルの捕らわれている礼拝堂の中へ戻ろうとしていたアスターは振り返った。
墓地全体が、真っ赤な燐光を放っていた。
まがまがしいほどの暴力的な紅が、墓地の地面を夕暮れ時のように染め上げる──地平線まで広がる墓地全体に敷かれた巨大な魔方陣。……目を疑った。
術者もいないのに、魔術の気配が濃く立ちのぼる。
「なんだ……これは!?」
怨霊じみた叫び声が大地のそこかしこから響く。地上をさまよう憐れな死者の魂たちが舞い戻り、非業の産声をあげながらそこかしこで実体化した──亡者。
その光景を、アスターは見たことがあった。
かつてクロードが失敗した反魂の術で──……そして、今朝方まで戦っていた赤毛のイカレ帽子屋──ミヒャエル・レイモンド伯爵との戦いで。
「……っ。まさかあの魔術は……!」
「──ふふふ。そうよ、私が彼にあの魔術を教えたの」
……いつの間にか。
メルのそばにいたはずの黒髪の少女──アウグスタが、礼拝堂の外に出てきていた。
くすくすと笑いながら、あちこちで生まれている亡者たちを嬉しそうにながめている。
だが、彼女自身は呪符などもっていない。
あらかじめ呪符を墓地に仕掛けていたのは彼女だろうが、魔術の発生源となっているのは別の人物だった。
その女を見て──……アスターは愕然と凍り付いた。
「……!?」
紫水晶の飾りを施された鎌が、ハイヒールに蹴り上げられて地を突いた。
その地面に、褐色の肌をした青年王子が横たわっている。
「!? エヴァンダール……!」
褐色の王子は応えない。顔の片側だけつけた仮面の下、いつもは皮肉じみた闇色の瞳をのぞかせるまぶたは閉ざされて、意識がないようだった。
そのかたわらで……──
漆黒の花嫁衣装を着た戦乙女は一際大きな墓石を支えにして、みずからの右肩をゴキリとはめ直した。残った左肩をつかみ、そちらの肩もはめ直す。
……生きていたら絶叫をあげて悶絶するほどの痛みになったはずだが、コキコキと肩を回した程度で復活している。
両腕を使えない状態で、体術だけで大の男を昏倒させた戦乙女は怒りに燃えていた。
「私は、王子の婚約者。……私、は……っ!」
──ルリア、忘れてはいけないよ。
──おまえが誰のモノなのか……。
──おまえは、演じ続けなければならない。
──清純な『純白の戦乙女』を。
──可憐な『王子の婚約者』を。
──おまえは、欺き続けなければいけない。
──おまえは。
──おマえハ。
──オマエはオマエハおまeハ……!
「……っ! はぁ、はぁっ……はぁ……!」
──自分は誰か。
王子とは誰のことか。
純白の戦乙女とは何か。
防国の双璧とは──何のことか。
そんなことは、今のルリアにはわからない。
わかるのは、自分は「お父様」のモノだということ。
自分は演じ続けなければいけない。
完璧な巫女を。
王子の婚約者を。
戦場を駆ける戦乙女を。
英雄の相棒を。
そうでなければ「お父様」に怒られる。
痛いことをされる。
ひどいことをされる。
それを「お父様」以外にゆるしてはならない。
自分は「お父様」の所有者──「お父様」の奴隷。だから、自分を守らなければ。
邪魔するヤツは排除しなければ……!
「うあぁああああああああああああああああああああ!」
絶叫した。
超音波じみた悲鳴だった。
その聖性を帯びた──死者との親和性の強い──周波数に、墓石に貼られた呪符が反応し魔術を展開させる。そこかしこに亡者が誕生し──……おびただしい数の亡者がアスターを取り囲んだ。
「……──っ!」
夜明けまでの悪夢の再来だった。
そして……──
頼みにしていた傭兵たちも謡い手たちも、この場所は知らない……。
その事実に、アスターは総毛立った。
「安心して。あなたの大切な女の子は、魔石で張られた結界の中。あとでちゃんと私の肉体にしてあげるから。……でも、あの王子様はどうかしらね?」
──放っといたら死んじゃうね……。
その言葉に、アスターは飛び出す。
もう誰にも死んでほしくなかった。
「エヴァンダール! くそっ……!」
意識のない王子のもとに、亡者の魔手が伸びる。
ノワールの実験体は──……亡者の軍隊の「司令塔」。
亡者たちは動く。ルリアの意思を汲んで。
邪魔者を排除するという意思をもって、ぐったりと動かないエヴァンダールに襲いかかった。
「やめろぉぉぉぉ……!!」
アスターの悲痛な叫びが、無数の亡者に埋めつくされた墓地に反響して──……消えた。




