第24章6話 御心のままに
神聖ガルム帝国からの使者の対応で忙殺されたオズが地下の研究室にやってきたのは、その日の夜も更けた頃だった。
『──エリーゼ!』
国王の仮面を脱ぎ捨てた彼の顔は苦悩に満ちていた。紫紺の外套はくたびれ、覇気がなく疲れ果てていた。
少女も研究室の扉を開いて、泣き腫らした暗い目で出迎えた。
『聞いたわ、結婚のこと。──おめでとう。よかったわね。神聖ガルム帝国の姫よ。願ってもない縁談だわ。これで停戦協定が本当の講和に向かう。あなたが望んだ平和な国になる。私たちの夢が叶うのよ……!』
少女は笑ってみせる。
……その笑顔に、オズは絶句した。
『俺が好きで敵国だった姫と結婚すると、本気で思ってるのか……?』
『…………』
『エリーゼ。君とリュートを奏でてるとき、俺は幸せだった。物語の中なら、ふたりで世界中を旅していられる。戦争もない平和な世界を、どこまでだって自由に歩ける。……そんな世界で、君と生きたかった』
『…………』
『君はすべてを捨てて、聖堂から出てきてくれた。俺を死なせないために、死なない軍隊を作ると言ってくれた。……結局は、それがこの世界に亡者を生み出してしまったけど。──でも、俺は後悔していない。君がいなければ、俺はあのとき死んでいて、こうして国王になることはなかった。だから──』
『…………』
『今度は俺が、君のためにすべてを捨てる』
『…………』
『国も国王としての地位もすべて捨てて、君と生きる。たとえ亡者が徘徊する死の世界だったとしても、君と自由に旅をしたい。だから──』
──……一緒に来てくれないか。
オズの言葉は……──
涙が出るほど嬉しかった。
本当に、世界を旅する自分たちが見えるようだった。
世界を旅する吟遊詩人として、オズがリュートを手にそぞろ歩く。その隣を、旅慣れた外套を着た自分が短杖を片手に行く。
街角で意味も由来も知らない吟を歌い、季節の移り変わりを楽しみ、その土地その土地の風景に感動して、地元の人々と笑いあう。
その風景の中には、いつも自分たちがいる。
王様と聖女なんかじゃなくて──
ただの青年と少女となった、名もない自分たちが、ありのままで笑いあって。
…………でも。
私は……──
『………………行かない』
『……エリーゼ……?』
……オズと自分では、刻む時が違う。
方や時の権力者、方や永遠の時を生きる聖女。
最初から報われるはずのない恋。
なのに……。
愚かにも夢見てしまったのだ。
オズの時も止まっているのだと思っていた。
……そんなはずないのに。
自分は、年をとらないバケモノなのに……。
『あなたは国王なのよ。この国を救う義務がある』
『そんなの関係ない。俺は、君が……!』
『じゃあ、私に命じる? ──国王陛下。俺の妾になれ。俺のために後宮に入れって』
『!? なっ……!』
オズの頭に、カッと血がのぼった。
巫女である自分は、第二妃、第三妃としても結婚することはできない。
……否、それ以前に。
世界を救った聖女の結婚など、認められるはずがない。
唇に嘲りが浮かんだ。
『命じてみなさい。それが最後、二度とあなたの前に現れない。……死なない軍隊の研究も、聖性の研究も止まる』
『……。俺がそんなもののために君をそばに置いたと思うのか』
オズが言った。苦痛にゆがんだ声だった。
それを聞いて泣きたい気持ちになる。
……今になって気付くなんて。
こんなにも好きになるなんて思わなかった。
心がひび割れそうに痛む。でも、止められない。
『私は最初から、自分の目的のためにしか動いてない。死なない軍隊の研究だって、あなたのためなんかじゃない。……最初からあなたは利用されてたの』
『……利、用……?』
オズは、ひどく傷付いた顔をした。
『君の目的とは……何だ』
ハッ……と嘲笑った。
『教えるわけないじゃない。あなたは黙って私に研究を続けさせればいい。私のことを、使い勝手のいい頭脳として利用し続けたらいい。──どっちにとっても損はないわ』
自分はバケモノだ。
この世界に亡者を生み出すほどに、常軌を逸したバケモノなのだから──
こんなことで、心を痛めたりしない。
『何が世界を旅する、よ。おめでたくて吐き気がする。あなたなんか、国王でなければ何の価値もないくせに。あなたのこと、ずっと嫌いだった……!』
見えない短刀で深く深くえぐる。
取り返しがつかないほどに、深く。
──自分の恋心に終止符を打つために。
『……それが、君の本心なのか……?』
『…………』
『…………。……わかった』
オズの声が……──静かに落ちた。
『ノワール国王として命じる』
『…………』
『死なない軍隊を実用化しろ。……どんな犠牲を払ってもかまわん』
それはオズが──「国王オズワルド」が初めて少女に命じた瞬間だった。
秘密を分かちあう共犯者としてではなく、高圧的な為政者としての顔で。
『…………』
応える少女も跪拝する。
……臣下としての振る舞いで。
『……御心のままに、国王陛下』
お互いの心が泣いているのがわかった。
けれど、もう止まれない。
狂い出した歯車は不協和音を響かせながらも動き出してしまった。狂った音階を奏でながら……。
──翌年、ノワール国王オズワルドと神聖ガルム帝国第一皇女ルイーズの結婚により、講和条約が締結。
以降、世界は一致団結し、亡者という共通の強敵に対して共同戦線を張ることになる。
かつて非力な王子と孤独な聖女が夢見た「戦争のない世界」はこうして実現し、以後、亡者による滅びに抗う時代へと歴史は移り変わっていく……。




