第20章5話 交わらぬ者──Black sheep in the crowd
「……やべっ。配達漏れしてる」
配達かごの底を見やって、ピエールは声をあげた。
商人ギルドの仕事は多岐に渡る。
帳簿付けや配達伝票のチェックといった事務仕事もあれば、各地の商人たちの交流斡旋や市場運営のサポート、適正価格の取り決め、流通販路の確保など。
町を駆け回る配達業務も仕事のうちで、ピエールのような商人見習いにとっては、配達先や商人たちに顔を覚えてもらう意味合いもあった。
「おっかしいな。全部配ったと思ったのに。この住所ってもしかして貴族か?」
あちゃー……とピエールは頭を抱えた。
交易町リビドの中でも、商人たちでにぎわう港湾エリアや、王立劇場などの並ぶ目抜き通り、庶民の生活に便利な市場などのあるエリア、そして、貴族たちの屋敷の多い高級住宅街で毛色が違う。
荷物の住所はよりにもよってその高級住宅街だ。
以前、貴族の剣士にぶつかってオーダーメイドの貴族服に泥の染みを作ったのが脳裏をよぎった……。
(早いとこ行って謝ろう……っ)
日暮れ前の町をピエールは走った。
ちょうど下校の時間帯で、学校に通う生徒たちの姿がちらほら見える。
いつもは無意識のうちに避けていた通学路──ピエールと同じ年頃の生徒たちが笑いながら歩いてくる。……その生徒たちに向かってひとり、逆走する自分。
道行く生徒たちが、制服姿でないピエールをチラチラと見る。その視線に、何かいけないようなことをしている気分になった。
誰かが笑っていると、まるで自分がせせら笑われているようで……。
──あいつ、最近よく学校休んでるよな。
不意に、学校に行かなくなる前のクラスメイトたちの言葉が胸をよぎった。
──何、病気?
──バッカ。貧乏だから来れねぇんだよ。
──あぁ、あそこん家の親父さん、酒浸りだもんな。それでおふくろさんも逃げ出したって。
──いや、逆だろ? あいつの親父さんが酒飲みになったのって、おふくろさんが男作ってどっか行っちゃったからだって。
教室の前の廊下で立ちつくしているピエールにも気付かないで、面白半分で好き勝手に言っていた。
……ピエールは、教室に入っていくことができなかった。
あのとき噂話をしていたクラスメイトたちの中に、仲のよかったニコラスがいたかどうかも、だから知らない。
あの日から、ピエールは学校に行かなくなった。
……否。
働きに出るのは口実で、本当は行けなくなった。
当時十二歳のピエールが働きに出なければならないほど困窮していたのは事実だ。
けれど、学校から──クラスメイトたちから逃げるようにして就職先を決めたのも、また本当のことで。
商人ギルドを逃げ場所にしたのも、学校に行かない口実にしたのも、ピエールの心にトゲのように刺さっている。
……思い出すこともなかったのに。
『……あんたは学校行きたかったもんね』
姉のエルダの言葉が──
『勉強を、教えてほしくて……』
はにかむように言ったメルの笑顔が──
否応なくピエールに現実を突きつける。
──本当は、商人になりたいだなんて思ってな──
「…………ピエール?」
聞き知った声に、足を止めた。
通学路の坂の上で、少年が目をみはっている。
やわらかそうな茶色の巻き毛に穏やかな二重。一緒に学校に通っていたときから二年分成長した友達──ニコラス。
ピエールの心臓が、ドクリと跳ねた。
「…………あ」
──……まずい。
とっさに、きびすを返した。
通学途中にピエールを見つけて、友達にごまかしていたのを思い出して。
知らん顔をした方がいい。
お互い、その方が身のためだ。
そう思ったのに──
「待って。この間のこと謝るから!」
「……え……」
──相手の思わぬ反応に、足が止まった。
ニコラスは必死の形相で手を合わせている。
「急に会って戸惑ったんだよ。ピエールのお姉さん、玄関先でワンピースの胸元はだけててすごい格好だったしさ。知らんぷりしちゃって、ほんとごめん。すっごい嫌なヤツだっだよな」
「……いや……」
姉貴がすごい格好だったのは本当のことだし……。
ピエールはあの朝のことを回想して妙に納得した。普通の十四歳の少年たちにとって目に毒だ、あれは……。
「てっきり、オレと知り合いだってバレたくないのかと」
「んなわけないじゃん! 友達だろ?」
「……友達……」
その言葉が、じんわりとした余韻をもってピエールの胸に響いた。胸が熱くなった。
(嫌がられてるわけじゃ、なかった……)
ニコラスは昔と変わらぬ人好きのする顔で笑った。
「なぁ。今、時間ある? 僕の家、この近くなんだ。ちょっと寄ってってよ」
「……え」
──ショルダーバッグの中にある配達物と、ニコラスの申し出を天秤にかける。
貴族の屋敷に届けるはずの届け物……──でも。
(ニコラスの方は次いつ会えるか、わからないし……)
後ろめたい気持ちを、荷物の入った鞄ごと背中に回して押し隠した。
「…………ちょっとだけなら」