第12章4話 舞台再演
(…………?)
ふとした気配を感じて、メルは顔を上げた。
楽屋になっているフレデリカの天幕には、夜遅くまで舞台稽古に励むフレデリカとマネージャーのミランしかいない。
(……気のせいかな……)
視線を転じた向こう、フレデリカの演じるヒロイン「リゼル」の演技に合わせて、ミランが台本を読み上げていく。死んだ恋人役のレオナルドに、友人役のシャルライン、忘却の河を守護するという聖女アウグスタ……。
死んだ恋人を甦らせたいリゼルは、聖女アウグスタと取引をし、生者には決して渡れないはずの忘却の河を渡って死者の世界に足を踏み入れる──だが、そこで予想外のハプニングが起こる。
現実世界でリゼルの死を悲しんだシャルラインが、リゼルのあとを追って自殺してしまうのだ。
死んだ恋人レオナルドと親友のシャルライン。
どちらかひとりしか死者の世界から連れ帰れないリゼルは選択を迫られ苦悩する……。
「『シャルライン、なんて残酷な仕打ちなの。あなたたちのどちらかを選ぶなんて私はできない』」
「『ごめんなさい、リゼル。でも、私はもういいの。あなたたちだけでも幸せになって』」
「『嫌よ。シャルライン!』」
(…………)
ほぅ……と、樽の上で片膝を抱えたまま、メルはため息をついた。
近頃、リゼル役を演じるフレデリカを観るたび、メルは同じ名前をした昔の奴隷仲間のことを思い出す。
亡者の群れの中に取り残されて、文字通り、忘却の河の向こうに逝ってしまった友達……。
やがてフレデリカの台詞は、歌と踊りに切り替わる。
舞台の中盤──
ヒロインのリゼルは死んだ恋人と親友のどちらも選べず、ついには自分の死と引き換えに彼らを生かそうとする。
少女の悲哀を帯びた旋律が、聴く者の心を揺りかごのように包み込んでいく。
──ふと、顔を上げた。
「……フレデリカさん、そこの歌詞違う」
「…………え?」
踊りを止めて、フレデリカがきょとんとする。ミランが眼鏡をかけ直して、見ていた台本とフレデリカを交互に見た。
「え? どこだい?」
「『山よりも高く海よりも深く、汝の慈愛は湧きいづる泉のように尽きることがない。その祈りよ、我を救いたまえ。その願いよ、我を照らしたまえ。永久の嘆きに打ちひしがれようと、我が灯火は決して消えることがない』……だよ」
「…………あ」
フレデリカの唇から感嘆が漏れる。
言い間違えに気付かなかったミランも台本に目を凝らした。それぐらい複雑な古語の部分だったのだ。
「よく覚えてたね。台本、いつの間に読んだの?」
「あはは。文字、読むの苦手だから……。お稽古を観てただけです」
「……観てた、だけ……?」
半信半疑で、フレデリカはつぶやく。
ひらりとメルが身を躍らせた。リゼル役のステップを軽やかに踏んでいく。唇から旋律が漏れた。
──汝は我が光
──我は汝の影
──光と影が別たれることのないように
──我もまた汝のもとに舞い戻ろう
──幾度、試練が襲おうとも
──幾度、苦悩に堕ちようとも
──我が道ゆきは汝とともにあらん
観ていたフレデリカは総毛立った。
ただ単に動きを覚えればいいというのではない。
古語を使った歌詞や台詞回し、視線や指先の動きの細部にいたるまで、メルは一言一句間違えることなく演じているのだ──ただでさえ難解なリゼル役を。
「──でね、次にアウグスタ役が……」
「え……。ちょ、ちょっと待って。もしかして台詞みんな覚えてるの?」
「? うん。歌と振り付けも覚えてるよ」
「アウグスタもシャルラインもレオナルドも、みんな……?」
「う、うん……」
掃除の合間に観てたから……、とメルは首をすくめる。
だが、そんな片手間に、こんな短期間で覚えられるはずがないのだ。まして、台本を読むのもままならない少女が……。
メルは「私、何か変なことした?」といった感じで縮こまっている。……それこそが悪い夢な気がした。
「ちょっとここでやってみて──最初から」
「? ……うん」
フレデリカに言われて、メルはおずおずと演じ始めた。恋人レオナルドが死んで、ヒロインのリゼルが嘆き悲しむ冒頭場面から……。
挙動不審なメルの意識は、しかし、次の瞬間には舞台の配役に取って代わった。
蜜蜂が花々を行き交うように、メルは様々な役の中に「没入して」いく。
あるときは恋人を亡くして悲しむ少女に、あるときは少女と取引をする達観した聖女に、またあるときは少女を助けるために忘却の河に巣くう亡者と戦う少年に……。
その面差しが配役ごとに変貌するのを、フレデリカは戦慄とともに見守った。
(……っ)
古語を使った歌と踊りまで一言一句間違えることなく演じて、メルの歌は唐突に終わった。
「…………?」
それまで異世界を旅するように演目を飛び回っていたメルは、ぼんやりとした視線で、フレデリカとミランを見る。……沈黙が降りた。
「……あの、ごめんなさい。なんか変なことした?」
「…………」
怒られるかと思って、ますます縮こまる。
──沈黙を破ったのは、ミランだった。
「すごいよ、メル! この短期間で全部の配役を演じられるようになるなんて……!」
「ほ、ほんと……?」
ミランに褒められて、メルは嬉しさと恥ずかしさに頬を染めた。
これでも魂送りの練習はスジがよかったのだ。セミロングの髪をいじってもじもじした。
「舞台を観たのは一回だけ? すごいよ。練習を細切れに観ただけで、稽古も受けてないんだろ? ねぇ、フレデリカ! ……フレデリカ?」
「…………。フレデリカさん?」
フレデリカは、なぜか険しい顔をして考え込んでいる。
「……。……なってないわ」
「「……へ?」」
フレデリカの可憐な唇からうめき声が漏れて、メルとミラン、ふたり分の疑問符が重なる。
ひとしきり苦悶したフレデリカは、キッと顔を上げた。
「ダメダメダメ、基本が全然なってない! この私の前でそんな薄っぺらい演技が通ると思ってるの!? もういっぺん発声からやり直しぃぃぃ! 今夜は寝かさないから覚悟しなさいっ!!」
「えぇぇぇー!?」
絶叫したメルの隣で「あちゃぁー、スイッチ入っちゃった……」と、ミランが頭を抱えた。悪夢のように。
その後、フレデリカの猛特訓は夜通し続いて──
やっぱりアスターに似てる……と、メルは思った。




