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消えた木苺サンドの謎①

 かつてファンタジー小説のような世界に憧れた子供時代を過ごしていた身としては、剣と魔法の世界に興味が無かったと言えば嘘になってしまう。

 しかし、往々にしてそのような妄想は年齢に比例して治まるものであり、かく言う僕自身──峰岸聡一郎(みねぎしそういちろう)も、高校生になる頃には現実と向き合い、目前の日常をどのように過ごすか頭を悩ませていた。

 僕が異世界転移に巻き込まれたのは、そんな矢先のことだった。


 ◇◇◇◇◇


 コカトリスの鳴き声で目が覚める。近くの森に出没しているのだろうか。それならばギルドに討伐を依頼しなければ──そんなことを考えながらベッドから身を起こす。


 数か月前、僕はこの世界に召喚された。そこは何処かの王城で、なんでも魔王討伐のための逸材を集めていたらしかったが、僕は要求されるスペックに達していなかったようで、あっさりと捨てられてしまった。しかも、全然知らない森の中に。

 今思えば、アレは転移魔法で飛ばされたのだろうけど、当時の僕は魔法のことなんて理解する前だからかなりパニックになっていた。そこを師匠──アリス・フォードに拾ってもらったのだ。


 リビングに向かえば、師匠の用意した朝食が置かれていた。ロールパン一つに、目玉焼き一枚。

 ……居候の分際で人様の作った食事に文句を言うつもりは毛頭無いが、もう少しバリエーションを増やしてくれないだろうか。この献立は既に三日連続で続いているし、その前は一週間くらいミルク粥とスクランブルエッグ(しかも、途中から量が半分くらいになっていた。)が続いていた。薬師としての腕は素晴らしいのだろうが、もう少し食に拘りを持って欲しい。


 師匠は薬師で、日の出にしか摘めない薬草があるらしくこの数週間は毎朝かなり早くに家を出ている。立場上は弟子である僕が師匠より数時間も遅く起きている状況に疑問はあるが、彼女は気にしていない様子なので僕も気にしないことにしている。


 朝食を終え、水瓶の水で食器を洗い片付ける。その時、床に水が飛び散っていることに気付く。またか。確か昨日も濡れていた。大方、師匠が水を掬った時に零してしまったのだろう。あの人、結構雑だから。気の利く弟子である僕は、ついでにそれも拭いておく。


 エネルギー補給も済んだところで、僕は自分の仕事をすべく家を出る。何気なく見返せば、そこには背の高い屋敷が鎮座している。師匠によれば、物置小屋になっている部屋が幾つもあるらしい。それ程までに広い家だ。そんな家に、僕が来るまでは独りで暮らしていたというのだから、さぞ持て余していたことだろう。


 裏庭での薪割り、それが当面の僕の仕事だ。斧を振り上げては木材を真っ二つに割り、斧を振り上げては木材を真っ二つに割り、それの繰り返しだ。剣と魔法の世界にしては地味な作業だが、僕にも出来る手伝いは力仕事くらいしか無いのだ。


 しばらく薪割りを続けて少し日も高くなってきた頃、ふらりと人影が現れる。師匠が帰って来たらしい。


「調子が良さそうだね、ソーイチ。これで今年の冬も安泰だよ」


 師匠、アリス・フォード。宝石のように煌めく銀色のショートボブに、覗くと吸い込まれそうな蒼い瞳。年齢は僕より一回り年上で、スラリとした体躯はまるで人形のようだ。

 その手には、収穫された薬草の詰められたバスケットがある。


「師匠こそ、お疲れ様です。もうすぐで今日の分は終わりそうです」

「それは重畳。よく出来た弟子である君にはご褒美をあげないといけないね」


 ご褒美。その言葉に、恐らく僕の表情は堅くなっていたことだろう。脳裏を巡るのは、ご褒美と称して新薬の実験台にさせられた時のことだ。アレは、一言で表せば辱めだった。

 そんな僕の不安を察したのか、師匠はかぶりを振る。


「心配しなくていい。今回は文字通りの意味さ」

「前回は文字通りじゃない自覚があったんですか?」


 その質問に答えることなく、師匠は家の中へと消えていく。……僕の面倒を見てくれている訳で、良い人には違いない。ただ、たまに煙に巻くような所があるのが困る。


 しばらく作業を続けていると、彼女は蓋のされたバスケットを手に再び戻って来た。そのまま近くにある丸太に腰掛けると、こちらに目配せをしてくる。隣に来い、ということらしい。

 もう少しで終わる所だったが、休憩の申し出は有難く頂戴する。彼女に並んで腰を下ろせば、こちらを見つめ悪戯っぽい笑みを浮かべていることに気付く。


「これ、なーんだ?」


 彼女はバスケットを眼前で焦らすように揺らす。

 視認した事実をそのまま伝えるとするならば。

 

「バスケットですね」

「そうじゃない。分かっているくせに」


 さいですか。中身を当てろということだろうが、持ってくるまでに時間が掛かったことから、何か準備をしていたことは分かる。加えて、この場で僕のご褒美になりそうなもの。

 幾つか思い当たる節はあったが、それ以上まで絞り込むには材料が足りない。仕方がないので候補の一つを当てずっぽうで答える。


「じゃあ、お菓子とか」

「惜しい。でも、ほぼ正解だ」


 そう言って、彼女はバスケットの蓋を開けてロールパンを取り出す。それも、ただのロールパンじゃない。水平にカットされて、間には赤い物体に挟まれている。


「今朝、木苺の群生を見つけてね。それを砂糖で煮込んで簡単なジャムにしてみたんだ」


 つまり、木苺のサンドイッチか。これは確かにご褒美だ。なにせ、無味乾燥な朝食の後だ。変化のある食事を享受できることのなんと嬉しいことか。口に含めば、酸味と甘さのバランスが良く、疲れた肉体に沁みわたる美味しさだった。

 礼を述べようと向き直ると、彼女は浮かない表情をしていた。もしかして、リアクションが乏しかったのだろうか。美味しさを表現する語彙を捻出していると、彼女は短く言葉を発した。


「足りない」


 そこで、やっと彼女の疑問に気付くことが出来た。その視線の先にはバスケットがあるのだが、そこにはもう何も入っていない。彼女は二人分用意していたのだろう。僕と師匠の分を。それにも関わらず、入っていたのは僕に渡した分だけ。

 その旨を告げると、彼女は力無く項垂れた。


「そう。そうなんだよ。私の分が消えてしまった。一緒に食べようと、楽しみに、してたのに」


 あっという間に、その瞳はスライムのように潤んでいく。彼女は基本的には食事に無頓着だ。しかし、甘味に関してだけは別で、甘いものを前にした彼女は子供のように無邪気になる。……僕の右手には、食べかけのサンドイッチ。せめて、齧った部分を手で千切る。


「残り物で悪いですけど、良け」

「良いのか?」


 まだ言い終わって無いんですけど。


「悪いな。しかし、弟子の好意を無碍にするのはもっと悪い。だから、有難く頂くよ」


 ……まあ、彼女の笑顔が取り戻せたのだ。僕の空腹は安い犠牲だろう。


 ◇◇◇◇◇


「うーん、ほーひへ消えひゃったんだろうな」

「飲み込んでから喋ってください」

 

 しかし、どうして消えたのかは僕も気になる。一応、元の世界では嗜む程度にミステリー小説は読んでいた。だからなのだろうか。謎を前にすると、どうにも体温が上がってしまう。


 それに、このような事態は初めてでもない。もっとも、この数か月で起きた奇妙な現象の正体は、師匠の早とちりや思い込みによる行き違いのようなものも少なくなかったが。

 つまり、まずは事実確認が必要だ。


「確認ですけど、木苺サンドはさっき作ったんですよね」

「そうだ。家に戻ってから、薬草を棚に片付けて、木苺のジャムを作って、パンに挟んで持ってきた」


 師匠が家に戻っていた時間は大体三十分。とはいえ、ほとんどの時間は調理時間だったはずだ。

 当然ながら、完成する前の木苺サンドを盗むことは不可能だ。


「木苺サンドを二人分作って、バスケットに入れて蓋をして、そのまま持ってきた。ここまでは間違いないですか」

「ああ」


 涼しい顔をして肯定しているが、師匠が中々のうっかりさんなのはこの数か月で嫌と言うほど分かっている。だから、念押しする。


「本当に、一瞬も目を離していないですか?」

「なんだソーイチ、疑っているのか?」


 そういうわけじゃないけど。


「ああ、でも作ったジャムをしまうための瓶を取りに行ったな。サンドイッチをしまった後だ」


 離しているじゃないか!


「少し多めに作ったからな。保存するための瓶を見つけに、倉庫で五分くらい探していた。それから戻って、ジャムを瓶に詰めて食糧庫にしまったんだ」


 師匠の屋敷は独りで済むには過剰に広いから、今は使っていない部屋があるから幾つもある。そのうえ、彼女は整理整頓が苦手だ。だから、探し物を五分で見つけたというのは彼女にしてはかなりの好記録と言ってもいい。

 しかし、五分という時間は犯行には充分だ。


「師匠は二人分のサンドイッチを作って、バスケットにしまって蓋をした。そして五分くらい席を外して戻って来たとき、蓋の中身は確認しましたか?」

「いや……して、いない」

「そんなにしゅんとしないでください。まさか、サンドイッチが突然消えるなんて普通考えませんよ」


 では、その五分の間に何者かが侵入して盗んだのだろうか。しかし、それは考えにくい。僕たちの自宅は森の奥深くにあり、近隣の村までは数十分は掛かる。その何者かが遠路はるばる師匠の手料理を盗んで退散するのは、かなり不自然だ。


 元の世界だったら、こうやって可能性を具に検討し、消去法で真相を明らかにしていくのが、謎に対する正攻法の攻め方だろう。

 しかし、困ったことにこの世界には摩訶不思議な力、魔法が存在する。例えば、『無制限の距離で他人のサンドイッチを奪う魔法』というものがあった場合、この推理劇は全くの無駄になってしまう。

 しかし、この問題を解決するのは実はそう難しくない。


「師匠、魔法が使われた痕跡は残っていましたか?」

「いや、それは無い。視えなかったし、断言できる」


 この世界の魔法には幾つか法則性がある。そのうちの一つに、魔法を使用した場合、魔力の残滓がその場に痕跡として残されるというものがある。この痕跡は、熟練の魔法使いなら『視える』らしいし、僕のように魔法が使えないものでも魔道具を用いれば確認できるが──とりあえず、今回は魔法の存在を考慮しなくて良さそうだ。


 ひとまず、確認するべきことは聞いた。じゃあ次は。


「現場検証ですね。行きましょうか」

「ほっほまっへ」

「……待ちますから、飲み込んでから喋ってください」


 僕は空を見上げる。日はすっかり高くなっていた。ふと残りの薪のことを思い出したが、この不可思議な謎を前にしてそんなことを気にするのは、野暮というものだろう。

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