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苦しみとの対話⑨

作者: 田坂仁志

1000文字エッセイシリーズ


苦しみとの対話⑨


人生は苦しいものだ。


そう悟って、僕は生きる。


幼い頃、全てが輝いて見えて、自由になりたいと思い。


全てに絶望して。それでもまだ生きている。


自由になりたい。そう願い。まだ、自由にはなれてはいない。


僕と云う存在は、一生自由にはなれないのだろうか。


そして、本当に自由になった時、苦しみの果てに自ら命を絶ってしまうのかもしれない。


いつの頃からか、死と云うものに酷く憧れて。


自分が死ぬところばかりを想像して生きてきた。


なぜだか分からないけど、そうすると心が少しだけ落ち着いて楽になるのだ。


生きているという生の炎。


不安定で、またその生の炎を維持しなければならない。


常に不安定な中、維持コストを支払っていかなければならないのだ。


僕はそのことに耐えきれなかったのかもしれないし、維持コストを支払うために人は不自由な選択をしなければならなくなる。


生きているだけで、莫大なお金がかかる。


お金だけではない。精神も摩耗する。


そういった世界の原理が僕は嫌だったのかもしれない。


大切な者。愛した者。


僕はお金がなくて、健康がなくて、手に入れることができなかった。


いつの日か、お金というものに酷く嫌悪感を抱くようになって、財布を空にして生活をし始めた。


お金があれば、健康があれば、大切なものが、かけがえのないものが手に入ったのかもしれない。


若い頃、僕はそれを悔やんでお金を求めた。


でも、搾取されるばかりで、僕はカラカラになってしまったのだ。


いつの日か、お金が嫌いになり、僕は死なない適度にフワフワと生きることになったのだ。


執着を捨てて、囚われない生き方をしようと。


そうすることで、人生の苦しみから解放されようと。


大切な者。大切な人。


僕にとって、それは何ものにも変えられないものだった。


お金があることで手に入ると若い頃は思っていた。


でも、実はそうじゃなかったのかもしれない。三十半ばになり、僕はそう悟ってしまった。


僕は苦悩に満ち溢れて、お金を求め。そして、お金すらも嫌悪するようになってしまったのだ。


生きること。


僕はただ、盲目的になり、何も知らないふりをして。


僕はフワフワと生きているのだ。


渇望して、喉がカラカラに干上がって、頭がどうにかなりそうな日々はなくなり。


執着を捨てて、僕はマイペースに生きることを選んだ。


良いことも悪いことも沢山あった。


手に入れるものは手に入れて、手に入れられなかったものは全て諦めた。


諦めることは悪いことだ、という偉い人も一定数存在するけど、僕は諦めることが悪いとは思わない。


諦めることは、選択なのである。そして、諦めた時、実は別のルートもあることに気が付くものだ。


執着を捨てて、自由に生きようとする。


僕は執着を捨てて、新たな道を見つけようとしているのだ。


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