第40話 シトラシティの街角で
チュンチュン、と。
スズメの鳴き声が聞こえてきて、俺はゆっくりと目が覚めた。
(……もう朝か)
目を擦り、うんうんと唸りながら二、三回くらい寝返りを打つ。
それから起きようとしたけども、
(体……動かねぇ)
寝返りは打てるのにベッドから起きれない。
(そんなに疲れてたっけ、俺)
思い当たる節は全くな――あったわ。
いや全然あるわ。
そうだよ。
昨日はメチャクチャにデッキ診断とか試運転という名のサンドバック役とかを頼まれたりしてたわ。
昨日どころかここ最近はずっとそんな調子なんだけど。
「はぁ……どうすっかな」
このままいつものように『カードオフ』に行けば、絶対に昨日みたいになるはず。
それは、流石にちょっと嫌だ。
「そういや今何時……うわぁ」
ふと気になって時計を見る。
ありがたいことに時計は俺から見て右の壁に掛けられている。
けど、その時計に付いた長針と短針はどっちも真下をとっくに通過していた。
(七時半過ぎ……ちょいと寝すぎたか)
マジか。
俺は結構早起きな方だから遅めに寝たとしても普段は六時とかに起きるタチだ。
けど、昨日は直帰してすぐさまベッドにバタンキューした、と俺は記憶してる。
あまりにも疲れていたんで風呂も夕飯もなしに寝たはず。
なのにこの時間か。
「流石にヤバイだろ……」
これじゃあマジに逝っちまう。
カードゲームってこんなにハードなものだったっけ。
俺の知ってるカードゲームは人に揉みくちゃにされて死に掛けるようなものじゃないんだけど。
リアルファイトはダメ、絶対。
ルールを守って楽しくバトル、だ。
「……」
どうしようか。
大変なのはそうなんだけど。
でも、誰かから頼りにされるのは個人的には結構嬉しい。
なにせ今まで誰かに頼られたことなんてなかったし。
こんな俺でも他の人の役に立てるんだな、って思うとつい断れないんだよな。
こういうのってお人好しって言うんだったっけ。
やっぱり、俺って割と結構チョロいかもしれない。
(…………たまには散歩するのも悪くないかな)
『カードオフ』に行こうが街中に出ようが。
はっきり言ってあまり関係はない。
ただ、最近はずっとカードゲームに捕まりっぱなしで、心の余裕なんかあってないようなものだった。
それを考えると、たまにはカードゲームを離れて気分転換するのも悪くないかもしれない。
というわけで、今日の予定は決まったな。
「……行くか」
重い体をよっこらしょい、と持ち上げる。
意識は結構前から覚醒していたから体の調子も少し戻ってきたのだろう。
俺の体は、一リットルのガソリンで五十メートルしか進めないような体だから本調子になるまでは時間が掛かるんだ。
「とりあえず、上着とハンカチ……あとはティッシュと帽子……とデッキだな」
上着は生地が薄くて風通しの良いジャケットで、帽子は深く被ると目元まで隠れるような地味目なもの。
俗にいう陰キャップだ。
あと気分転換するのにデッキを持っていくのは、ちょいと理由がある。
それは何かというと、マスターライセンス持ってるのにデッキを持ってないと軽くしょっ引かれるからだ。
嘘だと思うだろ?
これ、本当なんだぜ。
いや、本当に。
薄い本にそう書いてありました。
「さあ、行くか」
まずはアルスに今日は別の用事がある、って伝えておかないと。
部屋の鍵をスッとポケットにしまっておく。
こうして身支度を終わらせた俺は、半ば自室と化した宿の一室を後にした。
☆☆☆
「……」
帽子を目が隠れるほどに被って、暗そうな雰囲気を出しながら人達の横を通り抜けていく。
朝食はそこら辺の出店で適当に済ませたので今はまだ小腹が空いている程度。
やはり陰気っぽく振舞うと人は近づいてこない。
若干ピリリとした空気を感じつつ、俺は一人寂しくシトラシティの街を散策していた。
(意外と悪くないな、これ)
何人か俺に目を向けてくる人がいる。
そういう時は少し頭を下げて絶対に目を合わせない。
目さえ合わなければバトルを挑まれることはない。
でも、思ったより外は暑い。
そのせいで汗は出るものの、流石に汗の味を確かめようとする変態はいないだろうからセーフ。
いきなり顔をペロッと舐められて「この味は! ……バトルをしたがっている味だぜ……!」なんて言われたらさ。
もう、どうしようもないでしょ。
「あちぃ……脱ぐか」
まだ少し我慢はしたけれども。
汗でついに服の中までジメジメしてきた。
日焼けなんかすると色々と嫌だから上着を持ってきたんだけどちょっと失敗だったな。
一応前をチラチラと注意しながら、まず右腕側から脱いでいく。
しかし、
(ぬ……脱げんッ! ば……バカなッ! 全く上着が脱げん!)
生地の薄さが仇となってしまった。
あと伸縮性がそこそこあるのもポイントかもしれない。
いざ上着を脱ごうとしたら汗のせいで腕が袖を通らない。
おのれ、汗め!
なんて。
そういう風に一人で勝手に上着と格闘していた――その時だった。
「うわっ!?」
「おっと」
勢いのままに。
ドン、と誰かにぶつかった。
その反動で尻餅をついてしまったが、今はそんなことどうでもいい!
急いで立ち上がった俺は、上着を脱ぐことなんかやめてぶつかった人に近寄った。
「す、すいません! 大丈夫ですか?」
「あぁ、うん。ありがとう」
ひどく落ち着いた声で、俺の伸ばした手にそっと細く白い手が置かれる。
そして、ゆっくりと起き上がったのは――
(っ! ……うっわぁ……)
パラパラと。
艶やかに流れる黄昏色の髪は腰まで長く。
半袖から伸びた細い手足はきめの細かい肌に白い輝きを照らして。
「そっちの方こそ大丈夫なのかな?」
「っ、え、えぇ」
「そっか。なら良かった」
静かに立ち上がって、スッとしなやかな手が離れていく。
その振舞いを見ながら、俺はゴクリと見えない何かを嚥下した。
(この子……すっごい美人だ……)
美しく整った顔立ちに、何かを見透かしているような澄んだ眼差しを添えて。
俺の前に起き上がった見たこともないような美しい少女は、にこりと微笑んだ。
その口の端に、お菓子のようなものを咥えて。
「…………えっ?」
思わずこぼれる俺の声。
一瞬、思考が止まってしまって何かはわからなかった。
だけど、もう一度見返して。
(お、お菓子……? お菓子だよな、あれ……)
それがお菓子であることに気付き、ヒクヒクと俺の口角が引きつる。
そんな俺の様子を知ってか知らずか。
金髪の美少女は目の前でお菓子を摘まみ、パキッと鳴らした。
「あ、えっと、お菓子……食べてたの?」
「そうだよ。あー、でも」
ちょっと待って、と言われて俺の体が縮こまる。
その内に、名前も知らない美少女はポケットを叩いたり、ポーチを覗いたりしている。
それはまるで。
何かを確かめるかのようで、
(え、何か要求されるの……? 請求、されるの……?)
まさか、と思いつつ。
もしや、と戦慄する。
そんな俺に向かって。
美少女はポーチから小さな何かを取り出すと、それをプランと見せつけるように揺らした。
「やっぱりか」
「あ、えっと……」
「お菓子、潰れちゃったなー。困っちゃったなー。さっき買ったばかりなんだけどなー」
「えぇ……」
やっぱり請求された!
しかも、コイツ、俺にお菓子を集る気じゃねぇか!
俺の中で目の前にいる少女の印象が、美少女から、残念美少女に変わる。
(厄日か!? 今日は厄日か何かなのか!?)
今回ぶつかったのは間違いなく前を見てなかった俺のせいだ。
だから、何かお詫びみたいなものを要求されたらものすごく断りづらい。
だけどさ。
普通さ。
こういう時にさ。
何か集られたりするとは思わないじゃん。
「あ、大丈夫ですよー。次は気を付けようねー」みたいな感じで終わるのがほとんどじゃん。
嘘じゃん。
そうやって内心、頭を抱えた俺に残念美少女はにっこりと微笑んできた。
「あー、急に肩が痛くなってきちゃったなー。どうしようかなー。これは慰謝料が必要かな? あー、でも、お菓子を買ってくれたら治るかもしれないんだけど」
「当たり屋かっ!」
「でも、前を見てなかったのはそっちだよね? 私は見てたと思うんだけど」
「うぐっ」
痛い所を突かれた。
何で前をちゃんと見てなかったのかな、俺。
あー、もうわかったよ。
お菓子を買えばいいんだな。
オーケーオーケー。
買ってやるよ。
お金あんまりないけどな!
「……お菓子買えばいいんだな」
「そういうことだね。ってことでエスコートよろしく」
「はぁ……」
君のオススメを買ってよ、と俺の耳に変な言葉が入ってくる。
なんだこの、嬉しいんだけど嬉しくないこの気持ち。
美少女と一緒にいれるのは嬉しいんだけど、なんだこの気持ち。
というか、
(これって、もしかして……デートか?)
デートなんかしたことないからわからないけど、こういうのもデートに数えていいのだろうか。
だとしてもすごく複雑だ。
そう思って、チラリと美少女に目を向けて、
「どうかした?」
「いや、何でも」
「あっ、そうだ。『パスカラ商店』と『ショップ・ブリミル』のお菓子はさっき食べたから別のとこにして欲しいかな」
「知らねぇよ!?」
やはり、俺の隣に並んだ女の子はどう見ても美少女だった。
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