第35話 その絶望は誰が為に
マスター協会の四階にあるバトルスペース。
クロハル君に遅れてやっと到着した僕を迎えたのは、何故かたくさん集まった人たちの背中だった。
(あれ、どうしたんだろう)
何かあったのかな。
そう思った僕は、近くにいた男の人にそっと声を掛けた。
「あのー、すいません」
「ちょっと待ってくれ。今いいところなんだ!」
「へっ?」
教えてもらえなかった。
男の人はすぐに僕から目を離すと、奥の部屋に目が釘付けになった。
本当に、何があったんだろう。
僕は少し身長が低いから奥の部屋は全然見えない。
どうしよう。
そうやってウンウンと悩んでいると、不意に後ろからタタタッと誰かが来る音が聞こえてきた。
(誰かな?)
ちょっとだけ後ろを振り向く。
すると、そこにいたのは、
「あら、アルスじゃない」
「メリルさん!」
青い髪を揺らして、半袖半ズボンの涼しそうな恰好したメリルさんが僕の隣までやって来た。
「何かあったの? すごいバトルをしてるって騒ぎになってたからここまで来たんだけど」
「僕も今来たところだからよくわからないんだ……」
「そう。……なら仕方ないわね」
「えっ?」
メリルさんが急に僕の腕を掴んできた。
すると、メリルさんは「ごめんなさい」とか「失礼」とか言いながらわさわさと前に向かって進み始めた。
「うわわっ!? 前に出ても大丈夫なの!?」
「こういう時は大丈夫よ」
すごい。
ガツガツ進んでいくよ、メリルさん。
そんなこんなで前まで出ると、そこで僕とメリルさんは一緒になって思わず「あっ」と声を上げた。
「あれってクロハル君?」
「みたいね」
奥の部屋にあったのはものすごく広いバトルスペースだった。
本当に広くて、僕たちがいつも行ってる『カードオフ』のバトルスペースよりも広い。
その一番端っこにあるコースで、クロハル君が女の人とバトルをしていた。
けど、
「メ、メリルさん! あ、あれ……!」
「なに? どうしたのよアルス。一体なに、が……!?」
驚いた僕が指差すその先に。
切れ長の目を向けたメリルさんは、その瞳をジワジワと大きく見開いた。
「クロハル!?」
メリルさんが、信じられないものを見ているかのようにジッと見つめている。
それはそうだろう。
何故なら、
(クロハル君が負けそうになってる……!)
息を荒く切らして、汗をたらたらと滴り落としている。
そんなクロハル君の頭には、残りのライフを示す数字――『6』という数字がくっきりと浮かび上がっている。
(どう、なるんだろう?)
はっきり言って、あそこまで追い詰められたクロハル君を見るのは初めてだ。
しかも、状況だけを見れば圧倒的にクロハル君が不利だ。
けれども、闇属性はライフが少ない時に本当の強さが出てくる。
(がんばれ……クロハル君!)
ゴクン、と口の中に溜まったものを飲み込む。
ピリピリとした痺れるような張り詰めた緊張感。
その中で。
クロハル君が、ピッとデッキからカードを引いた。
☆☆☆
「俺の、ターン! ドロー!」
天見黒春
マナ2→4
手札4→5
(頼む……)
先行の四ターン目。
少しの間を置いてから。
引いたカードをゆっくりと翻す。
一体、何が引けただろうか。
「このカードは……っ!」
ドローしたカードを前に、俺の瞳孔が大きく開く。
まさか、こんな時に。
こんなタイミングで、コイツが来るとは。
「どうかしましたかー?」
「……いえ、何でもないですよ」
落ち着け、俺。
ドローしたカードを手札に加えて、静かに目を閉じる。
(……どうする。こうするべきか? いや、こうした方がいいのか?)
今、使うことのできるカードを思い起こしながら目まぐるしく頭を回転させる。
カード同士の組み合わせ方。
使用するマナの計算。
このターン中に与えられるダメージの合計。
次に来るであろう相手の動きの予想と対策。
あーでもない、こーでもない、と。
思考回路を最大限に働かせ、一つ一つの流れを頭の中で再現していく。
(……そうか!)
激しい逡巡の最中、俺の脳裏に一つの最善手が浮かぶ。
そして――カッと目を開いた。
「俺は1マナを使い、ドロップゾーンから『死皇帝の愛猫』を召喚! そして、『死皇帝の愛猫』の効果を発動! 『死皇帝の愛猫』を破壊し、デッキから『死皇帝の家臣』をドロップゾーンに送って自分のライフに2ダメージ与える!」
天見黒春
ライフ6→4
マナ4→3
「さらに! 俺は1マナを使い、もう一度ドロップゾーンから『死皇帝の愛猫』を召喚! そして、もう一度『死皇帝の愛猫』の効果を発動し、デッキから『死皇帝の家臣』をドロップゾーンに送る!」
天見黒春
ライフ4→2
マナ3→2
(これで……準備は整った!)
もう、次のターンが回ってこないことなど知っている。
今の俺に、次がないことはすでに理解している。
だから、俺は――ここで、決める!
「俺は、ドロップゾーンにいる二体の『死皇帝の家臣』の効果を発動! 『死皇帝の家臣』を全て裏向きにすることでこのターン、俺は闇属性ユニット1体の召喚コストを4減らすことができる!」
「4ですかー。大きいですねー」
やはり、そのぽわぽわとした表情を崩すことはできないか。
でも、いい。
俺は手札から一枚のカードを選ぶと、それを相手にも見えるように高々と掲げた。
「行くぞ! 俺は手札から『絶望龍ベルギア・クライム』の効果を発動!」
「ベルギア……クライム……?」
ここに来て初めて、受付嬢がその穏やかそうな表情を崩した。
どうやらこのカードのことは知らないようだ。
けど、今はそんなことなど関係ない。
「『絶望龍ベルギア・クライム』は自分のライフが相手のライフよりも少ない時! その召喚コストを4減らすことができる!」
「4……」
「そして! ここに『死皇帝の家臣』の効果を使い! 『絶望龍ベルギア・クライム』の召喚コストをさらに4減らす!」
「……っ!」
高々と掲げたカードが、突如として黒いオーラに包まれる。
そして。
そのカードを自分のバトルゾーン目掛けて勢いよく振り下ろして――叫んだ。
「大いなる黒龍よ! 新たなる苦痛を以てその絶望を体現せよ! ノーコスト召喚! 全てを震わせろ! 『絶望龍ベルギア・クライム』!」
バトルゾーンに叩き付けられたカードが勢いよく闇を噴出させる。
まるで噴水のように。
噴き出た闇から、深紅の双眸を煌めかせた漆黒の龍が姿を現した。
天見黒春
手札5→4
『絶望龍ベルギア・クライム』
コスト8/闇属性/アタック6/ライフ6
その黒龍、絶望につき。
『苦鳴の龍ベルギア』のような細い体はそのままに。
背中から枯木のような四つの翼が空を覆うように広げられる。
その姿を目にした受付嬢は、何かに押されるかのように、一歩後退りした。
「コスト8のユニット……」
「ここで俺は『絶望龍ベルギア・クライム』の効果を発動! このユニットはバトルゾーンに出た時、相手と相手のユニット全てに6ダメージを与えることができる!」
「くっ……!」
「喰らえ! ディストーション・クライム!」
『ギアアアアアアアアアアアアガアアアアアアアアアアアアア!』
『絶望龍ベルギア・クライム』の口が大きく引き裂かれる。
そして、そこから放たれたのは、あの『苦鳴の龍ベルギア』を彷彿とさせるような咆哮。
黒い衝撃を纏ったその力は、受付嬢とそのユニットたちに瞬く間に襲い掛かった。
「きゃあー!?」
受付嬢
ライフ20→14
『アークナイト・スライム』
アタック6/ライフ2→アタック6/ライフ0
『バリアン・スライム』
アタック1/ライフ2→アタック1/ライフ0
『絶望龍ベルギア・クライム』の咆哮を浴びた受付嬢が後ろに一歩二歩と退き。
バトルゾーンにいた相手のユニットは吹き飛ばされるようにしてドロップゾーンへと飛んでいく。
しかし、
「……さすが、ですねー。噂はただの風のお手紙さんじゃなかったってことですねー」
「……はっ?」
急に、何の話だろうか。
まるで意味がわからんぞ。
そう思って、受付嬢の方を見ると、
「っ!?」
不意に、ゾワリと身の毛もよだつような怖気が体の隅々まで駆け巡った。
小さく体が震えて、呼吸さえも窒息しそうなくらいに細くなって。
けれども、俺はその目を動かすことができない。
目を、離すことが、できない。
何故なら、
――受付嬢の恐ろしく黒い瞳が、深淵のように俺のことを捉えていたのだから。
(なん、だよ……その目は……)
さっきまでのような丸い瞳、ではない。
威圧という言葉さえも温く思えるような、言葉にできないような圧を持った三白眼の目だ。
今の衝撃で負傷したらしい左腕を右手で押さえて。
ジッと俺のことを捉えたまま、受付嬢の口が開いた。
「マネーハンターさんー、でしたっけー。……噂にたがわないバトルタクティクスですねー。素晴らしいですよー」
「ど、どうも……」
こ、このままだと、押しつぶされてしまう。
見えない何かに。
上から。
押しつぶされて、しまう。
「でも、召喚したばかりのユニットは攻撃できないのでー、次のターンで終わっちゃいますよー?」
本当に、何なんだこの圧力は。
これが心胆を寒からしめる、というヤツなのか。
(クソっ! 押されるな! 俺!)
今までに感じたことのないような圧力に包まれながらも、グッと歯を食いしばる。
ここで、押しつぶされるわけにはいかない。
「……いいえ。次のターンなんて、ないですよ」
「……はいー?」
そっと手を伸ばし、震える指先で一枚のカードに触れる。
「俺にも、あなたにも、もう次のターンなんてないですから」
「それはどういう……」
見栄っ張りに近い言葉だったが、圧の勢いが少しだけ緩む。
俺の左手にある二つのマナが強い光を放った。
「俺は! 2マナを使い、手札からスペル『死の亡命』を発動する!」
天見黒春
手札4→3
マナ2→0
二つの光を受けたカードを、スペルゾーンに叩き付ける。
すると、立ち尽くしていた『絶望龍ベルギア・クライム』の足元が深い闇に覆われ始めた。
「『死の亡命』の効果により、相手か自分のユニットを1体選んで破壊する!」
「自分のユニットを破壊ですかー?」
疑問に首を傾げる受付嬢。
その目の前で、『絶望龍ベルギア・クライム』が深い闇に飲み込まれ、
「そして、ここで俺は『絶望龍ベルギア・クライム』の効果を発動! このユニットが破壊された時、相手のライフと相手の全てのユニットに6ダメージを与える!」
「へぇ……」
受付嬢
ライフ14→8
「さあ、行くぞ! アタックフェイズ! 俺は『死皇帝の愛犬』と『死皇帝の細工人』で相手のライフに攻撃!」
「うくっ」
受付嬢
ライフ8→6
黒い犬の小さな牙と、男の片手に握られていた短剣が受付嬢を裂く。
そして、
「これで俺はターン、エンドです」
「そうですかー。じゃあー、私のター……」
「まだだ!」
「っ!?」
俺のデッキが光を失うその瞬間。
突如、俺のドロップゾーンから一枚のカードが光を放つ。
相手からの圧を振り払うように。
横に向かって右手を振るった俺は、大きく言い放った。
「スペル『死の亡命』の効果を発動! このカードの効果で破壊したユニットをエンドフェイズにドロップゾーンからノーコストで召喚する!」
「なっ……」
そう言い切ると同時に。
ドロップゾーンから、大量の闇が噴き出す。
「さあ、蘇れ! 『絶望龍ベルギア・クライム』!」
大量に噴き出す闇の中からのっそりと。
ゾンビが這い上がってくるように手を出し、頭を覗かせた黒龍が大きく息を吸った。
「これでトドメだ! バトルゾーンに出た『絶望龍ベルギア・クライム』の効果を発動! ディストーション・クライム!」
『ギアアアアアアアアアアアアガアアアアアアアアアアアア!』
再び、その口が大きく裂けて、黒き咆哮が放たれる。
それを目にした受付嬢は、静かに目を閉じて俯いた。
「なるほど……これは見事ですねー」
小さな呟きが流れる風に乗って俺の耳に聞こえてきて。
(っ!)
最後に。
黒い衝動に飲み込まれる、その直前に。
俺は、
――小さく曲線を描いた受付嬢の微笑みを見たような気がした。
2022/7/30 少しだけ修正入れました。
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