表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

転生できることを証明しよう。

作者: 赤座タナ2

 時間や空間に終わりはあるのだろうか?

私はどちらも無限に続くものだと思っている。


 宇宙空間の外にはなにも無い世界があったとしても、その遙か先にはまた別の宇宙空間や、またこの宇宙を包み込むほどでかいさらに大きな宇宙が永遠に続いてると思っている。


 時間にも終わりはないと思う。

この宇宙が終わったとしても時間は動き続けるし、仮に時間が止まったとしてもそれはゼロであるから一瞬のできことに過ぎずまた時間は動き出す物だと思っている。



 さて本題に入ろう。

時間や空間のどちらか片方でも終わりがない、つまりは無限であるとどうなるのか。

原子や分子、あるいはもっと小さな単位の物体のランダムに配列する試行回数が無限になるわけだ。


 その試行回数が無限になると言うことは、つまり可能性が完全にゼロではない、ありとあらゆる事象が無限に繰り返し生じることになるのだ。

本来超低確率でしか生じない事象も起こる。



 たとえば人間という生命が居る。

これも原子や分子のたくさんの集まりなわけで、今ここにこうしているのも極めてゼロに近いような偶然に偶然が重なって存在しているわけだ。

地球の誕生や生命の進化と言った物も極低確率でしか起こり得なかった奇跡。


 しかし試行回数が無限であるならば、そういった極々低確率でしか生じないようなことも必ず、いつか、どこかで、このように実現するのである。

そう、時間か空間のどちらか片方でも無限であるならばだ。

それも試行回数無限であるから、無限回生じるのだ。


 また試行回数無限であるならば、転生やアニメの世界の実現も肯定される。

なぜならば、その世界を構成する分子や原子の配列とそっくりそのまま同じ構成と言う、本来限りなくゼロに近いような確率でしか生じ得ない事も、試行回数無限であるならば必ず起こるからである。



 しかし、ここで一つ疑問が出てくるのではないだろうか?

全く同じクローン人間が居たとしてとそれは自分とは違う存在である。

魂が違うのではないか?と。


確かに魂が何であるかを定義するのは非常に難しく、クローンなだけと言われてしまえば反論は難しい。

しかし魂も原子や分子、あるいはそれよりも小さな物質の集まりによって構成されていると考えれば、自分と同じ魂と呼ぶべき存在が生じてもなんらおかしくはないのではないか?


 また、記憶はどうなるのか?と言われればこれはもっと簡単である。

試行回数無限で無限回繰り返す内の中にに、偶然前世と同じ記憶を持った、あるいは精神疾患のような形で偶然同期されてしまえば良いだけである。

どんなに低確率であっても試行回数が無限であるからにはどんな事象も起こるのだ。


 どこか遠くの美少女キャラの世界で美少女になっている自分や、遙か未来で魔法を使いこなす自分が存在する事はなんらおかしなことではないのである。

試行回数が無限であるならばだ。



 さて賢い人ならばいくつか反論も出てくるだろう。特にエントロピーの法則やシミュレーション仮説について思うところがあるのではないだろうか?


 エントロピーの法則によってこの宇宙はいずれゼロになる。だから、試行回数無限は有り得ないと。


 なるほど確かにエントロピーの法則によればそうなるだろう。しかし私はそうはならないと思っている。

 一つは先ほども述べたように時間がゼロになったとしてもそれは一瞬の事で、また動き出すからだ。


 そしてもう一つは、一度ゼロから生まれた宇宙で時間が無限であるならば、いつか再びビッグバンを起こすであろうからだ。

 どんなに低確率なことも試行回数無限であるならば必ず生じるのは再三述べている通りである。

 またゼロとなってもプラスの世界とマイナスの世界と言うように再び空間が構築され宇宙が生まれるのではないかとも思っている。



 シミュレーション仮説ならばどうだろうか?魂という物は定義され一度しか使えない。そしてこの世界は有限であるとされているシミュレーション世界ならばだ。

 なるほど、たしかにこれならば試行回数無限にはならない。


 しかし、シミュレーションしている側の世界はどうだろうか?

そこの世界は無限に続いてるのではないだろうか?

その世界すらもシミュレーションであるならば、さらにそれをシミュレーションしてる側の世界に目をやればいい。


 どこかしらの世界は無限であるならば、試行回数無限となり、自分の生まれ変わりと言える存在がそちら側の世界には存在する事になるのだ。

なんの問題もない。



 さて、ここまで読んで共感してくれた読者ならば、あれ死んでも良いんじゃないかと思ってしまう人もいるかもしれない。

しかし、それは決しておすすめしない。

 

 試行回数無限で無限回世界を繰り返すならば、今の世界よりももっと辛い世界も存在するからだ。

虫になっていたり、地獄を彷徨わされていたりする自分も存在する。



 それにこの世界の科学技術が発展して延々と幸せに暮らせる日が来るかもしれないからだ。

永遠ではなく延々ではあるが…


 いや、試行回数無限ならば、永遠に幸せに暮らせてる世界も存在しなければおかしいのか。

この辺はパラドックスになりそうなのでおいておこう。



 この文章を理解し共感してくれた人は是非ともこの文章を拡散して欲しいと思う。

なぜならば、この文章は分かりやすく書いているとは言え、おそらく万人に理解できる、受け入れられる物ではないと思うからだ。

しかし、理解してる人が居て、その人達がさらに拡散することで、より理解する人も増えるし、そういう人達を見てこの文章の正しさを多くの人が共感する事になると思うからだ。


 最後に、最後まで読んで下さりありがとうございます。この文章があなたの人生の価値観をプラスにすることを望みます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] まとめサイトでみかけて、気になったので来ました。 哲学は最近学び始めた素人ですが、気になったことを述べさせてください。 [気になる点] 時間が無限だとすると、粒子が同じ配列になることはない…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ