人狼騎士×少女 / 港街②
■8 一蹴 ■
それは『戦い』と称するには、あまりにも一方的だった。
挑発に熱り立った男の顔面に渾身の拳を叩き込み、一撃でダウンさせたダンは、続いて襲い来る二人の攻撃をひらりと交わし、代わりにそれぞれの頭頂部に拳骨をいれてやる。
激痛に顔を歪ませる二人。しかし、突き方がイマイチだったのだろうか、失神までは至らなかった彼らは、咄嗟にダンとの距離をとる。だが、リーダー格を失ったゴロツキ共は、さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、想像以上の力を持った男に対しすっかり及び腰になってしまった。
「こいつ、強えぇっ!どうするよッ!?」
「ひとまず退散よ!アポリアさんに連絡!」
そう言って二人は夜の街をダッシュで逃げ出した。余りにも早い、もしかしたら彼らは短距離走の選手なのかもしれない。
「あ、おい!お前ら、逃げんな!」
「逃げるなと言われて止まる馬鹿は居ねぇよッ!」
捨て台詞を吐いて散り散りに遁走するゴロツキ。組織の目的を知りたいダンは、彼らを追って駆け出そうとした……その時。
暗闇からライラの短い悲鳴が聞こえ、コンマ数秒の逡巡の後、ダンは踵を返した。
敵の身柄も重要だが、今はライラを守ることを優先しなければならない。加えて、一人は既に失神させている。ソイツからたっぷり話を聞けばいい。そう判断したからである。
「どうしたッ!?」
「い、いや……すぐそこで物音がして、男の人が……」
しかし、ライラがそう言って指した場所には、もう誰の姿も見えなかった。
「……獲物よりも情報を優先したのか?……強かな野郎だ」
死んだふりのような技術だろうか。男は失神からすぐに回復すると、ダンに敵わないと見抜き、ずっと逃走の機を伺っていたらしい。ライラを連れ去らなかった理由は、恐らく組織の素性を秘匿にする為。彼らにとっては、彼女の身柄よりも、そちらの方が優先すべきなのだろう。それとも、他になにか、狙いがあるのだろうか?
「ね、ねぇ……私の身体を止めた、あの魔法は使えなかったの?」
まだ身体を強張らせたままのライラがダンに訊ねた。
「使ったが、あの魔法は結構弱くてな。防魔装備さえあれば簡単に打ち消される」
お前のような子どもには効果てきめんだがな、と彼は鼻を鳴らす。
「……でもあれだけやれば、もう追ってこないよね?」
「いや、ありゃ木っ端の下っ端だ。それに、逃げ足が速い奴は、得てして諦めが悪い」
ダンは震える彼女の手を握ると、早々にその場を後にした。
■9 朝 ■
カラケシュの駅は港近くの高台に建てられており、そこから灯火と船乗りで溢れたカラケシュの港が一望できる造りとなっている。
入り口にいた守衛はダンの顔を見ると顔を引きつらせたが、彼が騎士であると分かった途端に態度を翻し、二人を貨物駅構内へと引き入れた。どうやら、ここでもユートと呼ばれている彼の同僚が、気を利かせたようだ。
そこでライラは、生まれて初めて汽車を見、簡単の声を上げた。黒光りしている無骨で無機質な、車輪の付いた鉄製の……よく分からないものだ。
「すっごい!これが汽車なのね。なんだか、思っていたのと違うわ!」
「どう思ってたんだ?」
「機械の馬が引いてくれるんだって思ってたわ」
「はっは!俺のガキん時の同じだな!あんときゃ未だ汽車はなかった!」
最後尾の車掌車両に乗るよう案内されたダンとライラだが、中には既に車掌が居たので適当にごまかしつつ、外のデッキに立ったまま王都に向かうことにした。発車まであと数分と言われたので、ダンは荷物を下ろすと、なんとはなしに外の景色を眺めていた。
既に今回分の積み荷の終わっている駅には係員程度しか居ないが、港では多くの人が船から地へ、地から船へと積荷を動かしている。マナ王国の主要生産物は麦と米。河川の多いこの国では質の良い穀物がよく育つのだ。
「すごい……こんな深夜なのに、人が沢山」
「ああ、『カラケシュは眠らない』なんて言われるこの国の心臓だ。南にアスラ王国、東にルーシと、大国に囲まれているこの小国が、商業国家として成立しているのも、この港あってのことだ」
そうダンは説明してやるが、ライラにはどうもあまり理解できていないらしい。彼女は羨ましそうにダンを見つめる。
「ダンって、やっぱり騎士だから、色んな事を知っているのね。学校に行ってたの?」
「ん?いや、自分は叩き上げだが、外交としてアスラに行く前、自分の国のことは勉強したのさ。学者に知り合いも居るしな」
「ふぅん」
「なんだ、学校に行きたかったのか?」
「そりゃ……でなきゃ騙されないわよ」残念そうにため息を吐くライラ。
それでなくとも騙されていただろうとも思うダンであったが、口には出さなかった。世の中には言わなくていいことがたくさんある。
「でも、ダンって、その、あまり狼の顔を見られたくないんでしょう?それなのに、なんで外交官をやっているの?」
その質問にダンは少し顔を歪めた。どうやら外交官は彼にとってあまり面白くない仕事らしい。
「正式には俺は外交官でも使節でも無い。国王親衛隊の騎士だ」
「親衛隊?って事は、王様を守る騎士ってこと?」
彼はデッキの手摺に肘を置くと、港を眺めながら口を開いた。
「この国の王、イシュと言うんだが、すこし変わったジジィでな。こんな姿の俺を"珍しい"とわざわざお抱えの親衛隊に取り立てたんだ……それについては大歓迎、親衛隊は花形の役職だ。んで、しばらく王宮勤めが続いたが、二年前、ある勅命が下った。ライラ、お前の国の王に『世にも奇妙な人狼を見たい』と言われたそうだ」
ライラは思わず口に手を当てて驚いた。
「私の王様も、犬が好きなのかしら?」
「そんな事は知らんが、アスラは大国だ。断るわけにもいかんだろう。結局、特例外交官として派遣されて、お前の国に二年も駐在していたんだ……ったく、人は見世物じゃねぇってのに」
渋い顔になるダン。ライラは彼の内から漏れる怒りの感情をひしひしと感じた。
「それは、あまり気分の良いものでないでしょうけど……」
「……最初は半年だけの約束だったんだ」
「え、なにが?」
「駐在の任期だよ。だが、まずアスラ王がえらくこの姿を気に入って、任期が半年から一年に延びた。そして、一年前にマナ王国が台風に襲われて帰れず、もう一年延びたんだ。合わせて二年だぞ……二年!」
ダンは拳を握り手摺を強く叩いた。
「いくらなんでも長すぎる!俺には家族だっているんだぞ!しかも娘のエレナは今年で十歳だぞ!?」
ライラは唖然とした。どうやら、彼の怒りは自分の待遇ではなく、最愛の娘に二年間も会えなかった事に端を発していたのだ。いや、それよりも……。
「あ……え?アナタ家族が居るの!?」
「……なんだ?そんなに不思議なことか?」
ライラの視線に混じる驚きと疑いを感じ取ったのか、ジトッとしたダンの目線を受け、彼女は慌てて取り繕う。
「いえ、ちょっと驚いただけよ。ちょっとね」
「……ま、そんなところで、家族が少し心配でな……いや、本当、少しな」
本当はこれ以上無いくらい心配なんだろうな、と呆れるライラ。
しかし、ここで彼女に一つの疑問が浮かんだ。
(人狼の娘も、彼みたいにモフモフしているのかしら?)
彼女が妄想を膨らませていると、ダンは何かを思いついたように手を叩いた。
「……そうだ!ライラ、王宮へ行く前に俺の家に寄っていけ。ほら、お前はこれから王に会うんだ。服装くらいキチンとしないとな」
「いや、私はいつもこんな感じだけど……え?王様に会うのッ!?なんで?」
「そりゃ、俺の上司は王しか居ないからな!……うん、俺の家には娘の服もあるし、大丈夫だろう!俺の娘のほうが年は小さいが、お前もちっこいしな!それに今はもう朝、娘が起きる時間だからな!」
ライラはため息をついた。ダンは力も強いし賢いが、ひどく子煩悩(親バカ)のようだ。しかし、まぁ、これほど想われていれば、家族も嬉しいだろう。
そして、彼女はダンの言葉で、最早夜が明けつつあることに気がついた。
山の向こうが白んで朝日が顔をのぞかせると、暁闇の中ぼんやりとしていたカラケシュの港が、くっきりとその全容を見せるようになる。
東に聳える高い山脈、煙を上げる港の工場、波止場に止まる無数の商船、穏やかに波打つ海。
どれも彼女の故郷には無いものばかり、初めて見るものばかりだ。
不意に太陽の強い光を浴びたせいか、彼女の目から涙が零れた。
南の青空に、月が消えかかっている。
汽笛の轟音。
二人を乗せた汽車が、ゆっくりと王都に向かって走り出した。