人狼騎士×少女 / 月下砂漠②
■3 ライラ ■
「誘拐だと?」
あんぐりと開いたダンの口から、タバコがポロリと落ちた。
魔法に依って身体の自由を奪われた少女は遂に観念して、ダンの指示に従うとため息を吐いた。その代わり、彼女は馬の分も含めた水と食料を要求した。なんでも、一日以上何も食べていないらしい。身柄は既に拘束したも同然なので、彼女の要求を飲む道理などないのだが、しかし彼はそれを快諾した。
理由は単純だ。騎竜に乗って隣国を飛び立ってから、既に数時間経過している。自分にとっても、騎竜にとっても丁度よい休憩になると踏んだのだ。
元々、砂漠の上空を通過する最短ルートのため、到着予定地まではぶっ続けでフライトの予定だったのだが、このような予定外の事態に遭遇したのだ。少しぐらい休んでも誰も文句は言うまい。
「だが、逃げようとする素振りがあったら、今度はふん縛って連れて行くぞ」
「や、そんなことしない……わ、うん。たぶん」
かなり怪しい返事だが、ダンは彼女の身体を馬から降ろしてやると、魔法を外して彼女の拘束を解いた。それは油断でも慢心でもなく、子ども程度に遅れは取らないと言う自信の表れである。
その時、彼女の羽織る外套のフードが外れ、彼女の頭が露わになる。この辺りではあまり見かけない黒く細い髪をしている。まぁ、アスラの国土は大きい、そういった民族もいるだろう。
彼はそう判断して、騎竜の背に括り付けた大きな鞄から水と携帯食料、器を取り出すと、少女の前に放って渡した。そして懐から紙タバコを取り出して口に含むと指を鳴らし、魔法で火を付け最初の一口をゆっくりと肺に入れて、地面に置いた鞄に腰をおろした。
彼女はというと、立ち膝をつきながら、手を開いたり結んだり振ったりして身体の自由を確かめていたが、それらを渡されるとすぐ、器に水を注いで馬の眼前に置く。
ペチャペチャと音を鳴らして美味しそうに水を飲む馬を見て、ダンは少女に「食料の中に砂糖も入ってる。水に溶かしてやれ」と教えると、彼女の顔が明るくなった。
「ありがとう!キックスは昼間ずっと私を乗せて走っていたから、疲れているのよ」
「キックスってのは、その馬の名前か?」煙をふかしながら、ダンは砂糖水に口をつける馬の身体を確認する。さすが重種馬、どっかりと筋肉がついた強靭な脚を持っている。「似合ってるな。いい名前だ」
「うん。彼も気に入ってるわ」
「んで、お前の名前は?」
「何だと思う?」
「じゃじゃ馬」
「名前じゃないし」
「似合っていると思ったんだがな」
「ライラよ」
「なんだ、いい名前じゃないか」
「本当に思ってる?」
「さぁな……で、なんでこんなところに?お前みたいな子どもが」
そして、話の流れで彼が単刀直入にその疑問を彼女に訊ね、返ってきた言葉が冒頭である。
「気づいたのは、数日前だけど」タバコが落ちたことにも気づかないほど驚く彼に、彼女は続いて事の経緯を説明した。
彼女はアスラ王国の辺境に暮らす農家の娘で、家族で綿を育てている。しかし数週間前に『教育大臣の部下』を名乗る謎の組織によって誘拐されたのだという。
なんでも、格式高く清潔な服装に身を包んだ彼らは、ありがたいサイン付きの書状を携えて彼女の家に来ると、「ライラさんにはこの度、国王陛下から無償で高等教育を受ける権利を与えられたので、我らと共に都に来て頂きたい」と、彼女たち家族に伝えたのだそうだ。
聞けば聞くほどに滑稽な誘拐事件だとダンは呆れ返った。しかし、どうやら彼女の言っていることは正しい。恐らく、その組織とやらの連中はライラを追ってきているはずだ。
「んで、お前と両親は、そのアホみたいな誘いを受けちまったのか?お前農家だろ。畑はいいのかよ」
「そうなの!あの人達、補償金だっていってお金もくれたのよ!」
彼女は手を広げて「それも5枚!」とどこか誇らしげに行った。この国の場合、都市労働者の平均年収が金5枚である。アスラ国とは多少レートは異なるだろうが、それでも辺境に住む農民からすれば莫大な金額だろう。
「それに、書状には国王のサインも入っていたのよ?教育大臣の部下だって言ってたし」
「お前の国に教育大臣なんていないぞ」
「嘘っ!?」
彼女は目を丸くした。自国の政体くらい把握しろと一瞬思ったダンであったが、そもそも彼女たちは辺境暮らしの農民だ、彼自身も長い他国暮らしによって、自国の大臣各位の長ったらしい名前など忘却してしまっていたので、口をつぐんだ。それに、少なくとも国王の名前は知っているようだし、書状の文字や署名を読める程には学もあるらしい。
「でも、国境を越えた辺りから、私だって怪しいと思ったのよ?いつまで経っても学校には着かないし……騙されたんじゃないかって。だから、隙を見て逃げてきたのよ」
「よく逃げ出せたな」
「キックスのおかげよ」彼女は馬の脚を撫でる。「あの人達、逃げ出そうとしてるって感づいた途端、私を馬小屋に閉じ込めたのよ?酷いと思わない?」
「いや、確かに酷いとは思うが……閉じ込められたのに、どうやって逃げてきたんだ」
「子どもの力じゃ無理でも、でかい馬の力なら、その気になれば馬小屋くらい壊せるわ」
「はぁ?じゃあ、なんだ?そいつに『小屋を壊して』って頼んだってことか?」
「おっ今度は鋭いわね、当たり!」
「……あ?」
「私ね。動物と会話が出来るのよ。すごかったわよ彼。前足を振り上げて、小屋の壁に穴を開けちゃったんだから」
「はっ!ほんとかよ」
しかし、ダンは疑いの眼差しを彼女に向けた。この世には魔法という先端技術があるが、当然、技術には限りがあり、出来ることと出来ないことが存在する。
「動物と会話が出来る」なんて魔法が使えるのは、おとぎ話に出てくるお姫様くらいだろう。
「疑っているでしょ?キックスって名前も彼から聞いたのよ?」
「誘拐した奴らの会話を盗み聞いたんだろ?」
話を信じずに笑うダンに、ライラは顔を膨らませたかと思うと、何か考えついたように立ち上がり、ダンの後ろで翼を畳んで休んでいる騎竜へと走り寄った。
だが、竜は警戒心が強く、見知らぬ人間に危害を加えることもある生物だ。騎士以外の人間が竜に乗ることを許されていないのには、こういった理由がある。
「おい!近寄ると危な……ッ!?」
ダンは咄嗟に声を荒らげるが、しかし、彼の騎竜は初めて会ったばかりのライラを前にとても落ち着いており、さらに言えば、彼女に頭を優しく撫でられて気持ちよさそうな表情で目を閉じている。
「彼女、ラストって言うのね。とても疲れているって。帰ったら労ってあげた方がいいわ」
ダンは押し黙った。なぜなら、彼女の言う通り、この騎竜は『ラスト』と言う名前なのだ。しかし、一度も竜の名前を口にした覚えなどない。
当てずっぽうか?いや、ヒントも無しに名前など当たるはずがない。それに、何で雌って事まで分かるんだ。
あるいは『読心魔法』?いや、学校へ行っていない彼女にそんな高等魔法が使えるはずがない。
「……もしかして本当に動物と話せるのかッ!?」
驚きのあまりダンが立ち上がると、その弾みで緩んでいた包帯が解け、隠されていた銀色のマズルが飛び出した。
「だから言ったじゃない……って、アナタ、その顔!!」
ライラが見たものは、ふさふさとした銀色の被毛に覆われ、頭頂部にとんがった獣耳を生やし、琥珀色の瞳を持った、気高く凛々しいオオカミの顔だった。
「じ、人狼ッ!?」