第3章プロローグ
雪がちらつく中、グラウの町に荷物を満載した馬車の集団が到着した。御者はもちろんのこと、護衛で雇われた傭兵も寒さをしのぐために厚手の外套、手袋、帽子を身に付けている。
町の入り口で手続きを終えた隊商は再び動き出し、中へと入る。街道よりは道幅が狭くなったが、往来する人の数はかなり増えた。これで盗賊に襲われる心配がなくなったと隊商の面々は胸をなで下ろす。
隊商の荷馬車はそのほとんどが倉庫街へと向かうが、一台だけ商人街へと馬首を巡らせて集団から別れた。そして、ラムペ商会グラウ支店と書かれた看板が掲げられた建物の前で止まる。
御者が扉を開くと、馬車から十代の少年少女三人が降りてきた。誰もが厚手の旅用の衣服に、外套、手袋、帽子をしっかりと身に付けている。
肩で切りそろえられた癖のない銀髪とやや切れ長で金色に輝く瞳が特徴の少女が、白い息を吐きながらつぶやいた。
「ここがラムペ商会の支店ね」
その背後では、やや癖のある赤毛のショートボブに茶色い瞳の少女が、御者が馬車から降ろした荷物を愛想良く受け取っている。それを黒い髪に黒い瞳の少年が手伝っていた。
御者との話が終わった少女は、その間に荷物を持った少年を眺めて笑顔で口を開く。
「こういうとき男手があると助かるわねぇ」
「普通はこんなに持てないだろうけどね」
少年は、背中に武具一式が収められた箱を三つ背負い、右腕に背嚢、左腕は鞄二つを抱えている。やや線が細いその姿からは想像できない怪力だ。
ラムペ商会本店の一階は雑貨店だったが、このグラウ支店は道具屋だった。三人が中に入ると所狭しと様々な道具が並べられたり積み上げられたりしている。しかもなかなか繁盛しているらしく、平民から傭兵まで多数の人々が店内で買い物をしていた。
三人は銀髪の美少女を先頭に店の奥へと向かう。途中、手の空いていた店員に言伝を頼むと、一通の書状を渡して別れた。そして、目立たない場所で待つ。
待っている間、手持ち無沙汰な美少女が少年に問いかけた。
「それ、持ってて重くないの?」
「これくらいだったら平気だよ。軽い手荷物持ってる感じかなぁ」
「その腕力が羨ましいわ」
ため息をついた美少女を見た少年が苦笑いで答えた。
それを皮切りに三人で雑談をしていると、赤茶色の髪に灰色の瞳の落ち着いた壮年の男が近づいてくる。そして、美少女の前に立つと一礼した。
「ようこそ、ラムペ商会グラウ支店へ。私はハンス・シュパン、この支店の責任者です」
「私はティアナと申します。こちらがメイドのアルマ、護衛のタクミ。本日お伺いしたのは、グラウの町に滞在する間、私の活動を支援していただきたいからです」
ティアナの紹介の言葉にアルマとタクミが一礼する。それを見たシュパンはうなずいた。
「紹介状を拝読しました。立ち話も何ですから、奥の応接室へどうぞ」
優しそうな笑顔を浮かべるシュパンが背を向けて歩き出すと、三人もそれに続く。
一部物珍しげに四人を見ていた来客者もいたが、その姿が奥へと消えると興味をなくして手元の商品へと視線を戻す。店内は再びいつも通りとなった。
-----
少しくすんだ白色の石を切り取って作られた建物の壁は見た目も手触りも冷たい。しかし、床は全面に長細い板を貼り合わせてあるおかげで、足下からの冷気はそれほど感じないようになっていた。
廊下を靴で響かせながらティアナ達がシュパンに先導されて応接室へと入る。
椅子を勧められたティアナは二つあるうちの手前に座り、アルマとタクミはその背後に立つ。シュパンはテーブルを挟んでティアナの対面に座った。
「いきなり押しかけてきて申し訳ありません」
「いえ、実はおじさんから事前に連絡をもらっていましてね。私は皆さんのことを知っていたんですよ」
あっさりと開陳された内情を聞いたティアナ達は驚いた。てっきり差し出した書状を見て判断していると思っていたからだ。
そんな三人の様子を面白そうにシュパンは眺める。
「ここグラウとガイストブルク王国の王都は隊商の往来が活発で、我が商会以外の隊商も含めると毎日のようにやり取りしてます。ですから、皆さんがここへ来ると決めたのを知って、おじさんはすぐに手紙を知り合いの隊商に頼んで寄越したんですよ」
そんな事情を知らなかったティアナ達は再び驚く。商人達の情報網の一端を垣間見た気分だ。
シュパンはそのまま言葉を続ける。
「皆さんもある程度ご存じかと思いますが念のため説明しておきますと、このグラウは街道の交易の町として栄えています。それは今も変わらないんですが、今年に入ってから別のことで注目を浴び始めました」
「グラウ城の地下ですね」
「その通りです。元はこの辺りを治めていた貴族様の居城でしたが、戦乱の時代が終わって町に居城を移してからは長らく廃城になっていたんです。しかし、物好きな者が中に入って金細工の首飾りを発見してから状況は一変しました」
テーブルの上で手を組み合わせたシュパンはグラウ城の話を続ける。
「今では探索者を名乗る連中が小さな徒党を組んでグラウ城の地下へ毎日潜っています。人が集まればそれだけ商売の種も増えるんで我々も嬉しいですが、正直なところ、あそこへ行くのはお勧めできませんよ」
「どうしてでしょう?」
「あの地下にどんな危険な魔物がいるかすべてわかっていないこともありますが、探索者が別の探索者を襲うなんてこともあるみたいですから」
立ちっぱなしのアルマとタクミが顔を見合わせた。その表情から予想外の話を聞いた様子だ。
少し首をかしげながらティアナが質問する。
「そんなことをしたと知れたら、他の同業者から排撃されませんか?」
「ばれなければ問題ないですし、グラウ城の地下は町の法が及ばないので、誰も罪に問えないんですよ」
「無法地帯というわけですか」
「その通りです。あそこでは同じ人間もまったく信用できません」
断言するシュパンを見てティアナは内心頭を抱えた。お互い不干渉ならばまだしも、隙あらば襲いかかってくるというのなら、それはもう魔物と変わりない。
眉を寄せたティアナがつぶやく。
「他の人がいるから安心、というわけではないということですか」
「ええ、魔物と違ってすぐに斬りかかるわけにはいかない分だけ厄介ですよ。特にティアナ嬢は若くて美しいですから、尚更狙われやすいでしょうね」
つぶやきを拾い聞いたシュパンが律儀に言葉を返した。
またもや美貌が自分の足を引っ張ることを知ったティアナが嘆息を漏らす。思えば前世はもっと容姿に優れていたらと嘆いたものだが、今世ではその優れた容姿が役に立ったことがほとんどない。
そんなティアナに対してシュパンが声をかけてくる。
「どのような目的であの地下へ潜るのかはわかりませんが、代替手段があるのでしたら、面倒でもそちらの方が良いと思いますよ。私にできることでしたら、協力もいたしますし」
「お心遣い、感謝します」
シュパンの親切心を嬉しく思いながらも、ティアナの決心は変わらない。代替手段が見つからないからこそ、危険を冒してグラウ城の地下へと潜ろうとしているからだ。
そんなティアナの様子を見て決心を変えていないことを知ったシュパンは、小さくため息をついてから提案した。
「グラウ城の地下へ潜るのに必要な装備や道具の調達は私が引き受けます。さすがに無料というわけにはいきませんが、ある程度の値引きはいたしましょう。それと、もしグラウ城の地下で何か価値ある物を手に入れて売りたいのでしたらご相談ください」
「ありがとうございます。差し当たって必要としているのは、情報です。例えば、必要な装備は何か、どんな危険な動物や魔物がいるのか、特に危ない探索者は誰なのか、などです。あ、それと、グラウ城の地下の地図もありましたら、いただきたいです」
「随分と大きく出てきましたね」
ティアナの要求を聞いたシュパンが苦笑した。本当に何も知らずに言ってるのか、それとも理解してふっかけているのか、ティアナの笑顔から判断するのは難しい。
さすがにその真意を知りたく思ったシュパンがティアナに問いかける。
「その情報をすべてお渡しするとなると、結構な金額になりますよ?」
「承知しています。しかし、どこまで協力していただけるのか私にはわからないので、こちらが必要としているものをすべてお伝えしました」
「なるほど」
一言つぶやいてシュパンは考え込む。常識的にはいくらか応じれば充分だが、本店から可能な限り支援するようにと要請があったので判断が難しい。
しばらく考えてからシュパンは口を開く。
「本店の危機を救ったとは聞いています。そして、こちらはまだその恩も充分に返せていません。ならば、我々はあなたの期待に応えなければならないでしょう」
本店が倒れてしまった場合の影響は甚大だ。独力でもやっていける自信をシュパンは持っていたが、避けられる苦労は避けたいという気持ちの方が強い。
そうなると、この程度を支援するのは大したことに思えなかった。少なくとも、シュパンは自分がその情報料と同額で本店を救えるとは考えていない。
「グラウ城の地下へ向かうのに必要な装備、危険な動物や魔物の存在、要注意の探索者についての情報をご提供します。グラウ城の地下の地図も、こちらで把握している分についてはお渡ししましょう」
「ありがとうございます」
「他に何かありますか?」
「そうですね。私達の貴重品を預かっていただきたいです。これから宿を探すんですけど、どこも安全ではないと聞いていますから」
「確かに、物騒な世の中ですからね。安宿はもちろん、そこそこの宿でも安全とは言い切れませんから」
身の危険はなくとも、宿の部屋で価値ある物が消え失せてしまうことは珍しくなかった。中堅の宿でもそんなことが起きるのは従業員の質の問題である。そのため、金目の物は常に携帯するのが常識だった。
シュパンもそれは知っていたのでティアナの要求を快諾する。
「お預かりするのは構いませんよ。何でしたら、信用できる宿も紹介しましょう」
「それは助かります。どこが信用できる宿かなんて、私達にはわかりませんから」
懸念事項がまた一つ解決したティアナが喜ぶ。
そんな笑顔のティアナに対して、シュパンも微笑みながら問いかけてきた。
「グラウ城の地下に潜る探索者達は誰もが一攫千金を狙ってますが、ティアナ嬢はとてもそうには見えませんね」
「確かに、お金のためだけでしたら、命を賭けてまで手に入れたいとは思いません」
「そうですよね。いや、我々商売人がそんなことを言えた義理ではないんですが、お金儲けなら、同じ命を賭けるにしてももっと別のやり方がありますし」
「探索者の皆さんが一攫千金を狙っているということですが、何かまとまった財宝が眠っているなんて噂でもあるんですか?」
「ええ、ありますよ」
曖昧な表情の中にも呆れたような色を浮かべたシュパンが軽くうなずく。
興味が湧いたティアナは尋ねて見た。
「ここに来るまでだと、近くの古城に山のような財宝が眠っているというくらいしかわからなかったんですが、もっと具体的なお話が出回っているんですね?」
「グラウ城の地下には地下牢がありまして、その下に天然の洞窟が続いています。そして、その奥に遺跡があるらしいのですが、そこに莫大な財宝が眠っているという噂ですよ。まだ誰も持ち帰ってきてはいないようですが」
「グラウ城の記録にもないんですか?」
「はい、ありません。城が放棄される前は、そもそも洞窟は発見されていなかったみたいですしね」
「記録はないし、到達した者もいないのに、誰が確かめたのかしら?」
「同感です。しかし、まったくの与太話とも言い切れないんですよ。たまに宝石や金細工の装飾類を持ち帰った探索者がそれを売りに来るんです」
シュパンの話を聞いたティアナは驚く。そして、誰もが莫大な財宝を期待して潜るのに納得した。
財宝はともかく、ティアナは自分が欲しいものがあるのかその可能性を探ろうとする。
「その持ち帰ってきた物の中には、魔法の道具みたいなものもあったんですか?」
「いえ、今のところは金銭的な価値があるものだけですね。遺跡から魔法の道具が出てきても不思議に思いませんが、そういった物をお探しなんですか?」
「まぁ、そうですね」
ティアナとしては、男になれるのであれば魔法だろうが科学だろうが何であっても構わない。グラウ城の地下にあるのが魔法の道具なのであれば、今回の探索対象はそれである。
その話を聞いたシュパンは少し眉を寄せて返答する。
「グラウ城の地下から持ち帰って売られた物については、同業者の物についても大体は把握しています。しかし、今のところ魔法の道具については話を聞いたことがありません。あるかどうかもわかりませんよ?」
「そう言われると不安になってしまいますが、ともかく一度は挑戦してみようと思います」
「わかりました。私も可能な限り支援いたしますが、くれぐれも無理はなさらないでください。あの城の地下に、ティアナ嬢が死ぬ価値があるとは思えませんから」
この壮年の商売人からすると、目の前の少女には他にいくらでも選択肢があるように思えた。それだけに、食い詰めた連中と同じことをすることが不思議で仕方ない。しかし、あまり相手の事情に深入りするわけにもいかなかった。
そんなシュパンの心情をある程度理解しつつも、ティアナは苦笑いしつつうなずくだけだった。




