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S1E2「流刑地」- ①

冷たい風に頬を撫でられ、眼が覚める。

革張りのテントの天井が日光を通して黄金色に輝いている。

男は血と泥で汚れた衣服を身に纏ったまま、それをぼうっと見つめていた。


「……ここは…………」


自分を寒さから守る寝床となっている獣臭いなめした毛皮から、手足を引き抜いて出る。

身体を起こすと、額に乗っていたのであろう、冷たく湿った布が腹の辺りへ落ちる。

彼はそれを拾い上げると木桶の淵に戻し、テントの中から這いずって外に出た。


太陽の光に眼がくらみ、暫したたずむ。

天の輝きの幻惑に目が慣れて、それからようやくその落ちくぼんだ眼に景色を刻みつけた。


「ん……」


雪解けの大地、所々若草の萌ゆる大地は、雪の白と空の青、そして若々しい緑の三色に彩られていた。

男は呆気にとられたまま、背後で雪を踏む音が生じるまで、暫しその美しさに見惚れていた。


振り返ると、視線の先には毛皮と布で出来た暖かそうな服をまとった人影がおどおどと立ち尽くしている。

それは赤い果実のような色をした透き通った髪と、寒さで同じ色に鼻先と頬を染めた、まるで小動物のような可愛らしい少女であった。

男は彼女のいでたちに眉をひそめると、怪訝そうな顔のまま先に質問を投げかける。


「ここはどこだ?俺をどこで拾った?」


男はこの土地の出身ではない。顔立ちも服装も、全てがこの場に馴染まず、不釣り合いである。

質問の内容からも、気を失いテントに運ばれるよりも前には、どこか別の風景が記憶にあったのだろう。


確かに少女の中世的(メディーヴァル)な格好と異なり、男はとても近代的な服装を身につけていた。

黒のスーツにトレンチコート。ベスト代わりにボディアーマーを腹に巻き、紺色のマフラーをただ首に掛けている。

なるほど、男がこの土地に近しい者である筈もあるまい。


だが、少女は困り果てたような顔をするだけで男の質問には答えない。

暫く男の様子を観察ような素振りを見せて、やがておずおずとだが、男の顔色を伺うように口を開いた。


「Jdi aschon le pela ceto?」

「何て?」


鈴の音のような声で紡がれる言葉に、男は即座に突っ込みを入れてしまった。

今までに聞いたことのない言語に対して咄嗟に反応してしまったのだろう。

それが見るからに内気な少女を驚かせてしまったようだった。


起き(Jdi)……お、お怪我(a, alen)(o)よくなり(pìto lu)ましたか?(quenaß?)


「……ロシア語で頼んでもいいか」


戦々恐々といった様子の少女に対して、男は遠慮なくズカズカとその領分まで踏み込んでゆく。

男が話しているのはロシア語。それに対し、少女は明らかに異国の言葉を話している。

それも世界で話者の多いあらゆる言語と比べても、類似性のない不可思議な言語。それが男を悩ませていた。


えっと(Bua kato)……』

言葉が(Zudar ala)分からない(cequeto)のかな(tu naa.)


「全く言葉が分からん……」


男が少女の言葉を知らないように、少女もロシア語を理解することが出来ずにいるようだった。

結果として、お互い何を言っているのか分からず、呆然と立ち尽くすという状況が起こる。


困った(Lua wu)(cela)……』

「困ったな……」


ただ人間というものは面白いもので、どこか根幹では同じものを共有しているのだろうか。

この二者の、理解できない事象に立ち会った際の反応は一様にして同じものであった。

まず相手を理解しようとし、様々な努力をする。そして打つ手がなくなれば困り果ててしまう。

探求への原動力は好奇心である。それが尽きれば人間は未知を知ることを諦め、既知の安寧に閉じこもってしまう。

しかし幸いにも、好奇心尽きるよりも前、事態は進展を見せる。


「英語はどうだ?」


「!」


ロシア語が駄目なら英語はどうだろうと、男は少しだけ訛りのある英語で少女に語りかけたのだ。

それが功を奏したのか、少女は英語を聞くなり目を見開くと、先程までとは打って変わって足早に男へと駆け寄ってきた。

あまりの態度の変わりように男は身構えるが、少女はすでに鼻息荒く、男の状況など顧みずに距離を詰めたのであった。


大変(Segpa )騎士長様(Numbilan)(io)伝え(rembo)ないと(volpa)……何か(yvon)わかる(queto)かも(tu naa.)

「あなた、グリンゴのことばを話せるんですね!」


男の顔を見上げると、少女はその可愛らしい顔に驚きと興奮の色を浮かばせながら、異国の言葉で一人呟く。

それから辿々しい英語を使って、それは嬉しそうに男へ言葉を返すのだった。

対して男は若干の安堵を見せながらも、顔色を全く変えずに少女の言葉に疑問を呈する。


「グリンゴ……?」


「このキャラバンに不思議な道具をもたらした異国のひとです。あなたもおなじですよね?」

「彼のところに案内するので、ついでにキャラバンの人たちに挨拶して行きませんか?特に騎士長さまに……」


その疑問とは、グリンゴと呼ばれた人物についてだった。

グリンゴ……白人を意味する言葉。自分の他にもこの地に迷い込んだ異邦者が居るのだろうか、と。


英語を彼の言語と呼ぶあたり、彼は英語圏の人間なのだろうか。

彼女のたどたどしい英語を聞く限りでは、彼がこの地に英語を伝えたのだろう。


そして聞く限り、グリンゴは英語の他にもいくつかの贈り物をこの地にもたらしたようだった。

少女は嬉々として彼と会うことを男へ提案する。しかし男の反応はそう芳しくはなかった。


「なあ、悪いがその前に……こちらの質問に答えてくれないか」

「ここはどこで、どうして俺はここに運ばれた?」


「あ、すみません、つい……!あなたが倒れているのを、昨夜私が見つけたんです」

「私はアリオタです。そしてここはロコマ山の南、アスピナのキャラバンですよ!」


男の諌めるような態度と視線に、少女は気まずそうな笑みをうつむかせて頭を掻く。

しかしすぐに気を取り直して、少女は明るい声色で自分をアリオタと名乗った。

どうやら男はこの少女が属しているキャラバンの移動中、倒れているところを救助されたらしい。


「この先にアスピナ隊長の野営地があるので、そこへ向かいましょう

 あなたが目覚めた事を教えなければ……」


商隊長アスピナが統べるこのキャラバンは、この山を越えた北部の前哨地へ向けて交易品を運搬している。

グリンゴも一時的にキャラバンの一員として参加し、北部までの道連れとなっているらしい。

彼と接触するには、どうにも商隊長の野営地まで出向くしかないようだった。


とりあえず情報は多いに越したことはなく、生き残れるだけの装備も欲しい。

男は少女の勧めに従い、ひとまずこの隊商の本隊へ向かって進むことにした。



ここが広大なロシアのどこかで、自分は少数民族の少女に命を救われたのだと信じて――



――神歴614年 芽吹月33日

アビサリア国 ロコマ山南部 アスピナのキャラバン――

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