重ねる
月の光が窓から入り教室も薄暗く照らしていた。その教室で魔術師は両目に月を映している。その表情はどことなく寂しげだった。
エアコンの音が響く中、足音が教室へ近づいてくる。それに気付いた魔術師は足音から距離を推測する。その足音がドアの前に来るとゆっくり振り向く。開いたドアの向こうにいたのは――――。
「こんばんは……電気点けないの?」
「あぁ、月明かりを楽しもうと思ってね。こんばんは、会いたかったよ」
ドアの近くにある電気のスイッチに手を伸ばしかけていた孤独はその手をおろす。
「何か罠とか仕掛けているわけじゃないよね?」
薄暗い教室の中を軽く見まわしてからドアを閉めて、慎重にゆっくり進む。
「さて? どうだったかなぁ」
とぼける魔術師の声色から特に何もないと確信して肩の力を抜く。
「罠があったとしても、びっくりさせる感じで危ないのとかはないのはわかってるけどね」
付き合いから魔術師が自分に対して明らかな危害を加えてこないことを認識している。
「その、君を抱き締めたいのだけれどもいいかな」
「えぇ? なんか急でちょっと戸惑うんだけど……それに、みんなも来ちゃうよ?」
明確に応えてはいない孤独の腰に左手を回して抱き寄せると右手を背中に回して抱き寄せる。
「君を感じ取りたくて仕方なかったんだ」
「そ、そうなんだ」
耳元で囁くように言われて、孤独は体の力を少し抜きながら応えた。
「うん」
「満足できた?」
「いやぁ、まだまだ足りませんなぁ。というか正直なところこのまま離したくない」
腕に込める力を強めつつ気持ちを伝える。
「でも、みんな来ちゃうよ」
目を閉じて腰と背中に意識を向けつつ魔術師の反応を探る。なんだかんだで人前での魔術師の行動が気になっていた。人前であからさまなイチャつき方をされるのはさすがに……と思いつつ。
「……」
「……、……」
魔術師が少し離れて、触れるその手がそれぞれ両肩に軽く置かれたのを感じて目を一度開けると目が合い、その意味を感じ取り再び目を閉じた。そんな孤独の唇に魔術師は唇を重ねた。重ねたまま適度に時間が過ぎる。
「とても君とキスがしたくなってしまった」
「そうなんだ、そっか」
「まだ……足りない」
そう言うと短くキスを繰り返す。孤独も流れに乗せられて同じ感じに繰り返した。そうしていると、足音に2人は気付いた。
「誰か来ちゃうね……」
「もうちょっと」
再び静かに唇を重ねる。近づく足音を気にしつつ唇を重ね続ける。孤独は魔術師がどうするつもりなのかわからないまま、魔術師に応え続ける。足音が教室のドアの辺りに来た時、魔術師は唇を離し、囁くように「君が好きだ」と言った。
魔術師を見つめる孤独の背後で教室のドアが開いた。
「よぉ、こんばんは。電気くらいつけろよ」
「こんばんは」
教室に入って来た虚無は、教室の電気をつけると2人を訝し気に見ながら自分用の席に着いた。
「あの、こんばんは」
孤独は虚無に挨拶を返すが、その声はいつもよりやや高い声色だった。
「なんだ、いつものイチャイチャってやつでもしてたか」
「そんな感じかな」
「……」
孤独は先ほどのやり取りを思い出して表情を見られないように俯く。
「俺にとってはどうでもいいことだがな」
虚無は孤独の様子に気を留めることなく、窓辺の席へと歩いていった。
「ごめん、嬉しくて調子に乗ってしまった」
俯いたままの孤独に魔術師は声をかける。
「うん」
俯いた状態で小さく頷いて自分の声の状態を確認しつつ、顔を上げた。そして魔術師と目を合わせて微笑む。
「ぉぉ、ぉぉ」
あから様に照れて顔がにやける魔術師を見て、優しい気持ちが湧いた。
「元気出たみたいだね」
「やっぱり僕には君が必要だ。どうにも君を感じると沈んだ気持ちが上がりますな!」
「仮に私で気持ちが沈んだとしたら?」
少し意地悪なことを聞いてみる。
「ふむ、そうだな……上手に受け入れて、一緒に笑えるようにしていきたいですな。そもそも君を大切に思うという気持ちは魂に組み込まれているので……。えっと、あれだ……いい答えが見つからなくても一緒に歩いていれば何とかなるってやつですよ。そもそも何に沈んだかで上がり方も変わるわけで……上手くやりましょう。……というか、僕のダメダメさ加減に君が愛想をつかしてしまうんじゃないかというのが気になってしまったり」
魔術師は台詞の途中でかなり弱気になった。
「あなたのダメダメさは今に始まったことじゃないし、上手く一緒に道を進めばいいんでしょ? 出来れば手を繋いでほしいけど」
孤独は台詞の終り際を恥ずかしさから早口で言った。
「うん」
噛みしめるように頷いて応える。
「それにしても、暑い日が続いてるよね」
孤独は話題を変えようと無難なことを言う。
「長い梅雨がいつの間にか終わって暑い暑いの日々が……いつまで続くんだろう」
「エアコンないと生きていけないって感じ」
「まったくだ。エアコンの効いた部屋で普通に水分取っていて、暑い外に出ると汗がポタポタ落ちるからね。一気にそんな汗でなくても、しっとり出る感じで気化熱的なので冷やしてくれればいいのにって思うよ」
「気化熱ってなんだっけ?」
「ん? あぁ、えぇぇっと、確か気体になる時に熱を奪う的なやつだったような……うろ覚えだけどそんな感じのじゃなかったかな」
「ふーん。どっちにしても汗がいっぱい出るのはヤダなぁ。服とか張り付く感じになったりするし」
「そうそう、汗だくで帰って来て着替えようとするんだけどTシャツが脱げないとか。……一人で『いや、ふざけてるわけじゃないから』とか言ったり」
「ははは」
孤独はとりあえず乾いた笑い声を出してみる。
「ここはこの広さだけど、ちゃんと冷えてる感じでよかった」
「夜でも暑いからね。今のところ私にはちょうどいい温度に感じるかな」
「そっか、もし寒いと思ったら言ってくれたまえ」
「うん」
魔術師が虚無の様子をうかがおうと視線を向けると、走る足音が聞こえてきた。
「エタナルさんまた廊下を走ってるなぁ」
「そうみたいだね、ん、んん」
孤独は咳払いをして先ほど虚無に挨拶したときのようにならないように、声の調子を確認した。
足音が止まると教室のドアがゆっくりと開き、落ち着いた足取りでエタナルは教室へ入った。しかしその頬を汗が一筋流れていた。
「こんばんは」
息を押さえて挨拶をする。
「こんばんは、何か霊的な何かにでも遭遇した感じっすか?」
魔術師は挨拶を返しつつ砕けた口調で聞く。
「なんていうか、道に迷ってちょっと焦ってただけ」
額の汗をぬぐいながら答える。
「あの、こんばんは」
落ち着いた口調で孤独は挨拶をする。
「うん、こんばんは……」
エタナルは改めて孤独に挨拶を返すと、孤独をじっと見てから視線を少し動かして魔術師を見た。
「とりあえずエアコンの近くに行って涼んだ方がよさそうだ」
「確かに、走ったら暑すぎる。――――ところで、口紅なんてつけてどうしたの」
エタナルは軽く笑みを浮かべながら魔術師にそう言った。その言葉に魔術師は孤独の唇に視線を向けたが、首を小さく横に振っている孤独を認識する前にエタナルの意図に気付いた。
「やられたというやつか……」
「ふーん、へぇ~君たちはそういうことをしていたわけかぁ~」
エタナルは両手で口元を隠しながら言う。
「う~ん、なぜ?」
魔術師は何故そう思ったのかをエタナルに聞いた。
「勘? なんとなく孤独ちゃんの立ち位置と体の向きとかかな。ここで何度か会ってるけど、今回は今までとなんとなく違うなと思ったからかな。本当になんとなくなんだけどね。あなたの反応から確信に変わったって感じだね。どこまでしてたのかしらね、おほほほほ!」
エタナルは2人にウインクすると虚無の方へ歩いて行った。
「すまない、思いっきり罠にかかった」
「うぅん、私も自分で気付かなかったし。それに別に悪いことしてたわけじゃないし」
「お、おう。そうそう、そうだ。うん」
思いっきり動揺している魔術師を見て、孤独は逆に落ち着いてきた。
「大丈夫?」
「ふぅー、大丈夫。あえてじゃないが、こういうの結構好きなもので効果大って感じになってしまった」
「こういうベタな感じのが好きなんだ。ふーん」
「引きましたりします?」
「んーん、あなたの好きなことを知って、そうなんだって思っただけだよ」
孤独はあごに指をあてて何やら考え始めた。
「わたくし何か他にも粗相をしてしまったのでしょうか?」
魔術師は不安になって丁寧に聞こうとした。
「え? あー、そういうわけじゃなくて。……あなたがそういうの好きなんだっておぼえとくね」
孤独はニッコリと笑った。
「ねー、エアコンの近く寒いからあっち行こうよ」
エタナルは虚無の右手を軽く引っ張りつつ言っていた。
「お前はエアコンで汗が冷えただけだ。俺は問題ない」
「問題はそこだけじゃなくて、一緒にあっち行って話をしようってこともあるの」
「話か……。それなら、そうだな」
虚無は立ち上がると、魔術師たちの方へ向かった。話が聞こえていた魔術師は近くに無造作に置いてある椅子を素早く4つ用意した。孤独も手伝おうとしたが魔術師の動きが思いの他早くてタイミングを逃した。
「何その手際の良さ」
「よくわからないけど体が勝手に……」
魔術師は肩をすくめながらエタナルに答えた。
「気を利かせたというやつだろ」
虚無は興味なさそうに言いながら座った。他の三人もなんとなく視線を交わしてから座った。
「で、何を話そうか」
エタナルはさりげなくを装いつつ、魔術師と孤独に視線を向ける。その視線には先ほどのことを話題にしたいという意図が零れていた。
「こいつについてだ」
虚無は魔術師を指さして言う。
「ぼ、僕ですか!?」
「あぁ~、いいんじゃない」
エタナルは虚無に話の進行役を取られたと思った。
「最近のこいつはダメすぎる。最近に限ったことじゃないが」
「それを言われると……。面目ないです。暑かったり日が長かったり……その他、不自由な状態での出来事などで」
「言い訳だな。そこはどうでもいい。俺が言いたいのは、その状態に甘んじていることだ。俺の知っているお前は今よりはるかに絶望的な精神状態で、その状態をどうにかしようと頑張っていた」
「それは、僕もそう思います。いつだったか体調が悪くてこれは倒れるって時に、一時的にあの頃の精神状態と同じ感じになって、自分でも、こんなにもだったのか……と、かなりショックを感じたりもした。常にあの精神状態って、嘘だろ……と思う」
「それをお前は……いや、アイツはその精神状態を色々な努力の果てに自力で従えた。今のお前が同じことをしたところでアイツのした努力には遠く遥かに及ばない」
「同じ条件でなら……どうだろう。出来ないかもしれない」
「出来ないだ」
虚無はそう言い切った。
「……」
魔術師は目を伏せる。
孤独とエタナルは2人の会話に口をはさめなかった。
「俺はお前にはガッカリしている。アイツが必死に取り戻そうとしていた自分というお前がこんなものとはな」
「確かに、今の僕はあの頃の果てに得た力をたくさん失くしてしまったと思う。それは今の僕が持っている知識やら経験では釣り合わない……釣り合わないな。でも、今の僕が欲しいのは……」
魔術師は隣に座る孤独をみて、表情を緩めて微笑む。
「別に俺はお前に、アイツと同等の力を持てといいたいわけじゃない。なんというか……気をしっかり持てと言いたいだけだ」
虚無は最後の部分を面倒くさそうに言った。
「なんというか、回りくどいっすね」
魔術師は今までの虚無との会話を噛みしめつつ丸めた。
「なんだかすごく重そうな感じだったけど、そうでもなかったのかな?」
エタナルは少し声を潜めつつ、孤独に聞くが普通に全員に聞こえていた。
「重い感じだったみたいですよ」
孤独は自分にだけ顔を向けている魔術師の目が潤んでいるのを見て小声で答えた。
「気を付けて頑張ってみますよ」
魔術師は孤独の方を向いたまま立ち上がり、ガラクタの山の影に姿を消した。孤独は残る虚無とエタナルから逃げるように魔術師を追った。
「あんまりいじめたら可哀そうだよ」
「ガッカリしているのは本当だ。今のアイツはただの人間……だが、名残は色々とある」
そう言うと、虚無は元の席に向かった。
「名残って、どんなところ?」
エタナルは虚無を追いかける。
ガラクタの山の陰で、魔術師は右手を目の辺りに当てていた。
「大丈夫?」
「うん、なんともないよ」
そう答える魔術師の背中を見て、孤独は右手の人差し指を自分の唇に当て、目を閉じて何やら思い浮かべてから目を開けると、魔術師の背中を抱き締めて耳元で優しく囁いた。
「大丈夫?」
「なんともないんだが、元気出たよ。ありがとう」
「こういう感じ好きかなぁと思って」
「こういう感じも好きだな。それ以上に僕は君のことが好きだ」
魔術師は振り返り、孤独の左手を右手で軽く握り、右肩に左手を軽く乗せた。魔術師の次の行動を感じ取り孤独は目を閉じると、唇に思った通りの感触を感じた。
「みんないるのに」
「君の優しさが嬉しくて」
魔術師はもう一度唇を重ねた。
「あれぇ~、2人でなにしてるのかなぁ~」
なかなか戻らない2人を心配しつつ、エタナルはわざわざ二人が見えない位置から声をかけた。
「絶対に怪しまれてるよね」
「これは、エタナルさんを目の前にして、君のスカートに手を入れてお尻を触るという実践的な特訓が必要かもしれんな」
「それは必要ないと思う。というか、どうしてそうなるの?」
「もちろん単純に触りたいから。じゃあ、まずはエタナルさんを目の前にせずに、いる場合を想定して」
「いや、ハードル下げても。……そうだったね、ちょっと忘れ気味だったけどあなたは変態さんだった」
「ははは、やや冗談だよ」
「冗談じゃなくて、やや冗談かぁ」
「そう、やや冗談。ここ大切」
2人は笑いながら戻った。