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木造校舎にて  作者: 淡月優水
4/13

お約束

 夜の木造校舎の廊下を歩く音があった。その足音には軽さがあるが、そのリズムには迷いを感じさせる。その迷いはこの場所に慣れておらず、目的地の場所をよく把握していないからだった。

 蛍光灯の明かりはあるが、窓の外の暗さと自分の足音しか聞こえない状況に不安が募る。その不安から歩く速度が上がり始めた。突き当りを右に曲がり、先を見ると明かりの点いている教室を見つける。その教室だけ電気が点いているので、そこに誰かがいると意識して落ち着いた足音で歩く。しかし不安なのはかわらず、振り向いて何かがいたら怖いと思いまっすぐ前だけを見て歩いていた。明かりの点いた教室に着いても同じ方向を見たまま教室のドアを開けて横向きに教室へ入り、廊下の方へ視線を向けずにドアを閉めた。

「こんばん……は」

 教室の中にあった人影に向かって挨拶をするが、いると思っていた相手とは違ったので挨拶の言葉に戸惑いが出る。

「おう、こんばんは」

 虚無は孤独に向かって挨拶を返すと、すぐにまた窓の外へ視線を向けた。

「あの人はまだ来てないんですか?」

「あぁ、アイツはまだ来てないな。その内来るだろ」

「そうですね」

 孤独は虚無のことをまだよく知らないので声音に硬さがあった。

「虚無さんは、あの人との付き合い長いんですよね」

 その問いに虚無は、孤独の方へしっかり視線を向けてその真意を探る。まじまじと見られて孤独はまずい事でも聞いたのかと思い視線をさりげなくそらした。

「今のアイツというより、アイツの前のアイツとの付き合いだな。そもそもアイツはどこまでかはわからんが俺のこと忘れていたしな」

「それは今のあの人とは別の、あの人がいたってことなんですか?」

「別人ということはない。あいつの記憶の流れにも空白があるわけじゃない。アイツの言葉をつかうなら、魂の違いだな。心は体に蓄積した記憶を材料に魂という設計図で出来ているってやつだ。愚かなアイツは馬鹿な生き方をしてきたツケで自分の魂を失くしてしまったからな」

 孤独は魔術師が馬鹿なのはなんとなく理解しているが、本人が言うほどなのかは疑問があった。

「あの人が馬鹿なのは知ってるけど、いうほどなんですか?」

 思いの外、孤独が色々聞いてくるので虚無は近くにあった椅子に腰を下ろすと、適当な距離にある椅子を指さして座るように促す。

「アイツの頭は性能としてはそれほど悪くはない。馬鹿なのは性格面だ。性質としては善人で臆病者だな。その上、俺と付き合いの長いアイツはその長い時間の中で慎重さも身に付いている。ただ、今のアイツを見るに……慎重だが臆病からその慎重さを台無しにしたりもする。馬鹿なやつだ」

 虚無は残念そうにため息を吐く。それを見て孤独は”今の”ではない魔術師はどうだったのかが気になった。

「虚無さんと付き合いが長かったあの人は違うんですか」

「根本的にはそれほど変わらんな。ただ……俺と付き合いの長いアイツには無謀さがあった。もっとも後半の方のアイツだがな」

「前半の方は……どんな感じだったんですか?」

「哀れなものだ。魂という設計図を失って崩れる心を繋ぎとめるに精いっぱい……本来のアイツを知る者もいないから、誰の助けも期待できない。だが、幸か不幸かアイツの頭の性能はそれほど悪くない。周りの人間から見れば特に変わったようには見えなかっただろう。だがアイツの内面は不安と恐怖と絶望で満ちていた。それでも何事も無いように日々を過ごす」

「それを虚無さんは見てたんですか」

 孤独の声に責める色が隠れていた。隠れてはいるがそれに気付いた虚無は笑いだす。

「そうだな、そう……見ていたさ。だが、お前もだ」

「え? 私……も??」

 虚無の言葉に、孤独は自分の記憶を手繰るが見つからない。そもそも、魔術師と出会ってすらいないと更に困惑する。

「悪い悪い、孤独ではあるがお前でなかった」

「……」

「虚無ではあるが、ある意味俺ではないよ見ていたのは」

「なんだか、頭がこんがらがってきた」

 ここでの自分たちの呼び名の意味を意識して、なんとなく落ち着く。

「えっと、なんでしたっけ?」

 孤独は自分の記憶を結構真面目に手繰った影響で、話の流れを見失っていた。

「前半のアイツは哀れだったってことだ。本当は一人で放っておかれた方がずっと楽だったろうに。内面の状態とは裏腹に日常を演じていたのだから。魂を失くしているアイツは記憶に頼って日常を演じていたが、その記憶さえ本当にあったことなのか信じ切れていなかった。記憶が魂との繋がりを失っていたとも視れるが。記憶に頼るがゆえ、忘れることにひどく怯えていたな。そんな長い日々の果てに悟りの領域に迷い込んで得た力で、記憶から自分の魂を再現して創り上げた。が、愚かしいのはその悟りの領域で得た力を女の嫉妬で失ったことだな。迷い込んで仮初かりそめに得た力だったのか……」

「女の嫉妬……あの人が何かしたんですか?」

「しいて言えば、ただ優しかったから……だろう」

「……」

「それなりにいろいろ繋がりを失ったり、その嫉妬が悪意からではないと理解したりで哀しんでいたな」

 虚無の話を聞きながら今の魔術師を思い浮かべる。そしてふと、魔術師のことを本人がいないところで色々聞いていいものなのかと罪悪感のようなものを感じる。

「今のあの人は大丈夫ですよね?」

「さてな、アイツの精神面はかなりの豆腐っぷりだ。ただ……修復力は高く適応力もまぁまぁ。ただ、最近は適応ではなくて強めの自分への修正を覚えたのが心配でもある。もっとも、臆病者の豆腐の善人だからその修正力の持続時間は怪しいが」

「善人なんですね」

「正義感は無いがな――」

 話をしていたところに、教室のドアが開く音が響く。

「こんばんは」

 魔術師は教室に入り挨拶をしつつ状況を目に映す。

「こんばんは」

 孤独は笑顔で挨拶を返す。

「おう、こんばんは」

 虚無は興味なさそうな顔で挨拶を返す。

「なにやらお話声が聞こえていたけど、どんなお話ですかな」

「えっと……」

 孤独は少し後ろめたさを感じて言い淀む。こっそり魔術師のことを知ろうとしていたように思えて。

「なに、お前の哀れな人生の一部を話してやってただけだ」

 こともなげに言う虚無に、孤独は口を開けてなんとも言えない気持ちに襲われた。

「ある程度包み隠していただけると嬉しいのだけど」

 何を話されたのか心配になりつつ孤独へ視線を向ける。孤独は一瞬困ったような表情を浮かべたが、すぐにニコリと笑顔を浮かべた。

「まぁ、そういうことだ」

「どういうことっすか!?」

 やや、わざとらしく取り乱す魔術師を見て孤独は優しく言う。

「大丈夫だよ」

「……大丈夫なのか。ぅ~ん」

 座っている孤独に魔術師は右手を差し出す。やや上に手の平を向けているその右手と魔術師の顔を交互に見て、その右手に自分の右手を乗せる。するとそのまま手を引かれたので、自然と立ち上がっていた。

「どうしたの?」

「ちょいとこちらに来ていただけますかな」

 孤独は手を引かれるまま魔術師の後ろをついて歩く。繋いでいる手に強引な力を感じないこと頬を緩ませつつ、もっと強引な感じでもいいのにと思ったりもする。

「この前のガラクタ……の山だっけ。何か手伝うの?」

 孤独は色々積まれているガラクタの山を見ながら聞く。

「それとは別に、その……君を抱き締めたくて」

「へぇ?」

 急に言われて変な声を出してしまった孤独は色々な意味で心臓の鼓動が早まった。

「ダメかな?」

「でも、虚無さんが……」

 虚無のいる方へ視線を向けた孤独は、この場所が上手く死角になっていることに気付いた。

「前回から結構時間が経っていて、急に言っている感じがしてドキドキなんだけれど」

「うん」

 孤独は自分でもあざといと感じつつ目を閉じて魔術師の方へ小さく近づく。先ほど虚無に聞いた話と、魔術師が自分のことを好きと言っていたことを思い浮かべたりもしながら。

 魔術師は孤独を腕の中に抱きしめると胸の辺りが楽になるのを感じた。

「うむ、間違いなく僕は君のことが好きだ」

「じゃあ、もっと強くしてもいいよ」

 孤独のその言葉に腰に回していた左手の力を強めた。その感じに孤独は気持ちが上がる。

「好きって言われるのやっぱり嬉しい」

「ぉぉ、そんなかわいい事言うから君を好きな気持ちがより高まって我慢できなくなってしまうじゃないか」

 魔術師は少し孤独を抱き締める力を弱めて孤独の目を見る。孤独はすぐに目を閉じてしまったが、その前にお互い何かが通じ合い、魔術師は孤独の唇へ自分の唇を近づける。

 しかし、その数舜後に廊下を走る音が響きだす。唇が重なる前に教室のドアが開いた。

「こんばん、は! 迷った。理科室っぽいところをちょっと覗いてみたら不気味過ぎて走り回っちゃった」

「おう、エタナル。こんばんは。廊下は走るなと教わらなかったのか」

「どうだったかしらね。あら、お二人もこんばんは」

 魔術師と孤独に気付いたエタナルは挨拶をする。

「こんばんは」

「こんばんは」

 2人は何事もなかったようにガラクタの山を見ていた。

「お約束というやつだね」

「そうだね……」

 エタナルは2人の方へ行こうか虚無の方へ行こうか一瞬迷ったが、なんとなくの雰囲気を察したのか虚無の方へ歩いて行った。

「とりあえず戻ろうか、変に気を遣わせるのも悪い」

「う……ん」

 魔術師の後ろ姿に返事を返すも声にはどことなく不満な感じがあった。

「あぁ、そうだ……。ありがとう、君を抱き締めたら元気が出たよ」

 しっかり振り向いてそう言った魔術師に笑みを返して、孤独はまぁいいかと思った。

 退屈そうに椅子に座って外を見ている虚無の近くの椅子にそれぞれ座る。

「わざわざ俺の近くに座らなくてもいいだろ」

「いやいや、なんだかんだで前回からあのガラクタの山が片付いていないままになっていまして。秘密基地計画を進める段取りを」

「各々適当にやるでいいだろ?」

「まぁ、それでもいいのだけど。とりあえず基礎的な部分は決めておこう! みたいな」

「そもそもこの状態でも十分秘密基地とやらみたいじゃないか」

 虚無の言葉に改めて周りを見た魔術師は”ある意味そうだな”と思ってしまった。

「なるほど確かに……ん~」

 どうしたものかと思っていると、エタナルが口を開いた。

「ねぇ、理科室すごい不気味だったけど、肝試ししない?」

「う~ん、肝試しか」

 魔術師の表情が曇った。

「あれ、怖いの苦手だった?」

 エタナルがそう言うと孤独は首を小さく傾げた。

「好きな方じゃなかったっけ?」

「なんていうかですね、この建物の構造がまだちゃんと決まっていないわけで……いたずらに肝試しをするとこの先、建物の構造に矛盾が出てしまう可能性が。それはそれでホラーな感じで悪くはないけれど。いや、そこまでしっかり建物の構造を描写する力はまだないからガラクタの山の応用でいかようにも……」

「なんかよくわかんない」

「この人が扱う魔術関係のことだと思います」

 孤独はエタナルになんとなく解説した。

「とりあえず肝試しをするとしても、また今度ということでお願いします」

「そっか、残念。まぁいいわ。あたしの理科室での恐怖の鮮度が落ちちゃうけど」

 そう言いながらもどことなくホッとしたような声で言う。

「肝試し……小学校のを思い出すな。宿泊訓練とかいったか、それの時のレクレーション的なのであった。校長先生が怖い話をして雰囲気を盛り上げてからの肝試し。何事も雰囲気というのは侮れないものだ。もっとも、僕はといえば先生方が驚かそうとしてくれていたのに驚きもしなくて、今となってはサービス精神がなかったと反省する今日この頃」

「いや、そこはサービス精神とかじゃないでしょ」

「そうかもだけど、大人の対応としては……ねぇ」

 魔術師は孤独に同意を求めてみる。

「ぅ~ん、でもその時は子供だったんだし大人の対応は必要ないんじゃないかな」

「そうだった。なるほど……反省することではないが成長したという感じはある。ちゃんと子供だったのだなぁ」

 なぜか悔しそうな表情を浮かべている魔術師を見て、孤独は今も子供っぽいところあるよ……と言おうか迷ったが言わないことにした。

「また今度という肝試しの時は、怖い話でもしてからするの?」

 エタナルに聞かれて魔術師は少し考える。

「怖い話……。そういう系の怖いってなんだろう。僕はずいぶん前からそれがよくわからなくなってしまっている。怖いというより、かわいそうとか救いがないとかそう感じてしまう」

「そういう人って取り憑かれやすいんじゃないっけ?」

「ははは、僕は霊能者という類じゃないが魔術師だ。法力やら霊力ではなく魔力で対応しようじゃないか」

「この人大丈夫なの?」

「大丈夫だと思います。よくわからないことを言ったりするけど、基本的にはまとも……な、はずなので」

「こいつは馬鹿ではあるが現実的に見ることを重要視する傾向が強い。それゆえ臆病で慎重だ」

「あんまりそいう言われると無理して演じてるみたいになるじゃないっすか! 僕としてはそれに根差したうえで咲いたものなんですがねぇ」

「確かに無理はしていないが、孤独の前ではカッコつけたがるところがあるよな。それで1人で空回りしたり……」

「くっ、それを言われると……。って、今言うことじゃないでしょうに!!」

 恥ずかしさに耐えつつ孤独に視線を向けると、笑顔を返された。

「あれだ、口が滑った」

 虚無は感情のこもらない声で言った。

「いや状況によっては空回りしないし、しないはずだし、してないはずだし」

 わざとらしそうで、わざとじゃない感じがして、孤独はこれは本当なんだと思った。それを踏まえて先ほどのやり取りを思い出してなんとなく優しい気持ちになる。

「状況によってはそうだね」

「ほ、ほら我が愛する孤独さんもこうおっしゃられておられるます」

「語尾が変になってるし、動揺しすぎ」

 エタナルの落ち着いた声を聞いて、孤独もなんだか恥ずかしい気持ちが出て来た。

「……ふっ」

 珍しく虚無は笑みを浮かべると、再び退屈そうに外を眺め始めた。

「よし、今だ! ここからは自由時間でガラクタの山を駆使して各々秘密基地計画を進めてくだされ!」

 魔術師は強引話を切り上げた。

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