距離
暗い廊下を歩く人影があった。月明かりが差し込んでいるので全く見えないということはないが、物陰はさらに暗くて何かが潜んでいても見えない。
暗い廊下を歩きながら思う。この木造校舎自体が、まだ構造が定まっていないのではないかと。
足を止め、窓の外を見る。景色は夜で空には星も見える。いつも夜の世界。
「この学校はやっぱり魔術によるものなのかな」
そう呟いて顔を正面に向けると再び歩き出しす。
突き当りまで歩き、右へ曲がるとその先に明かりが漏れている教室が見える。光の強さから蛍光灯の光だと予測した。予測すると人影はあれ? と、首を軽く傾げた。
「……」
足音を忍ばせつつ歩く。耳も澄ませるが特に気になる音はしない。一応警戒しながら歩くが特に何事もなく明かりの漏れている教室のまで辿り着いた。
「こんばんは」
挨拶をしながらゆっくりと教室のドアを開ける。
「よぉ、こんばんは」
「虚無さん……早いですね」
「そうか? まぁ、いつもはお前らが先に来ているから、そうなのかもな」
窓の近くに置いた椅子に座っている虚無はそう言った。
「虚無さん、何か良いことありました?」
孤独は無造作に置かれている椅子に座ると、虚無の雰囲気がいつもと違う気がして聞いてみた。
「そう見えるか?」
「口元が笑ってたように見えました」
「そうか、まぁ、そうかもしれないな」
軽く首を振る虚無を見ながら、孤独は人差し指を口に当てながら仕切られているカーテンの向こうに注意を向ける。実は魔術師が潜んでいるのではないかと思い直して。
「……」
「あいつは確かに同じ人間だ」
「……うーん」
虚無の話を聞きつつ、魔術師が潜んでいないようだと判断した。
「衰えに抗うだけしかできないと思っていたが、違ったようだ」
虚無は笑みを浮かべた。
「あの人のことですよね?」
「そうだ。あのポンコツだ。魔術師か……ある意味、自分に呪われた人間だな」
「自分に呪われた?」
「呪われたといっても、良い面と悪い面がある。あの頃という時間の中でが影響しているものとして、自分のことは誰にも解ってもらえない、精神面で誰にも助けてもらえない、という類のことがある。それは無意識部分で強く影響している。それが良い意味で自分自身の力を求めるところに繋がっている」
「うーん、とりあえず今のあの人を見る限り、変態だけど……解ってもらえないとか助けてもらえない感じの人じゃない気がするけど?」
孤独は魔術師との付き合いでの印象を口にした。
「距離を置かれるというよりは、距離を取る方だな。あいつは臆病者だからな。元々もあるがやはりあの頃というやつの影響も大きいだろう」
「私にも実は距離を取ろうとしてるのかな」
「臆病が顔を出してはいても、距離を縮めようとしているように思えるが?」
「変な意味でかな?」
冗談交じりに言う。
「さてな、だが必要としているのは確かだ」
「そうなんだ……そっか」
本人からではないところから得たことを、記憶を掘り起こして照らし合わせてみる。
「そういったあの頃の影響を、あいつは捨て去る気はないのだろうな」
「……え?」
孤独は虚無の台詞を聞き間違えた気がして首を傾げた。
「あいつは、あの頃の影響を捨て去る気がないだろう。と言ったんだ」
「それって、あの人にとっては不都合なんじゃ……?」
「あいつは妙な天秤を持てっている。それを使ってあの頃の影響と釣り合うモノをつくり出すという方法をとるはずだ。今のあいつは、あの頃の影響をある程度解くことが出来る。解いたことで精神バランスがやや崩れたりもしていたようだが……それも材料にするのだろうな」
答えとしてなんとなく解る気もすると思いながら、窓の外へ視線を向けた。
「妙な天秤か。妙なってどういうことなんだろう」
「釣り合うはずがないのに釣り合うという感じだな……。……俺としたことが少し喋りすぎている気がして来た」
「確かに、本人がいないところで色々話すのはよくないかもね」
そう言って教室のドアの方へ視線を向けると、小さな足音に気づいた。
「来たか」
虚無がそう言うと教室のドアが開いた。
「こんばんは、早いじゃないですか」
「こんばんは。来た順番は私はいつもと同じだけどね」
足音に気づいてから、魔術師がドアを開けるまでが思ったよりずっと早くて孤独は動揺していた。
「こんばんは、何となく早く来てしまった」
虚無はいつもの興味なさそうな表情で言った。
それを見て孤独は口元が緩んだ。
「だいぶ気温も上がってきたようだね。まぁ、夜はまだ涼しいけど。……お隣失礼します」
2人に合わせて無造作に置かれている椅子を持って来て孤独の近くに座る。孤独は先ほどの虚無との会話を思い出しつつ、意味は違う気がするけれど距離を意識した。
「どうぞ」
「ありがとう!」
嬉しそうにお礼の言葉を言う。それに対して笑顔を見せると、表情の中に安心した感じが微かに浮かんだ気がした。
「……」
「久しぶりというのもあるけど、笑顔で見つめられると照れるというか」
魔術師は一度目をつぶり表情を普段に戻してから、見つめ返しつつ笑みを浮かべた。
「ふふっ!」
「なんだい?」
「なんでもないよ。ふふっ!」
孤独のなんでもない、と言いつつの笑い声の意味を探そうとしたとき、虚無が口を開いた。
「で、一部を再現した魔術はどうだった?」
魔術師は虚無に視線を向けると、少し考えて答える。
「……出来て安心したかな。日における単純な回数で考えれば4分の1……元の方は残り時間の関係でそうなったわけだけど。その記憶からすれば出来るはずのことなだけに、出来て安心した」
「内容も加味すれば、たいして力は戻っていないんじゃないか?」
「単純なその力としてはそうかもしれない。でも、経験、知識、考えたこと、思ったこと、その他色々。人間の世界でというのであれば、上回っていると思う。それを踏まえてその力を見て3割という感じかな。それにその力は、それをやったから得た力じゃない。ただその頃それが出来た……というだけだし。その力に至るのに同じようなことはやっていたけど、カタチとしてあるのがそれだった」
「人間の世界で……か。アイツは自分が本来の自分に戻ることを求めていたな」
「僕という自分に戻りたくて、自分であろうと。おそらく離人症。……そうなる手前の自分がそのまま進んでいたら。そんな自分を理想として追いながら、自分であろうと再現しようと……馬鹿だな。馬鹿だからこそ彼は彼としての魂を創りだせた」
「その辺りが最も力があった時か。適当かは別として、自分に対する力といった感じか」
話す2人は懐かしそうな顔をしていた。
「それって、二重人格とかそういうのかな?」
「どうだろう、自分の再現。努力の果てに、ふと体の感覚のズレが治って苦悩の日々は終わった。でも僕という感覚は取り戻せていない」
「性格とかは?」
「基本的には違いはないと思うけど」
「性格というよりは性質は同じだな。思うに、アイツはこいつほど臆病ではなかった」
「痛いところを突いてくるじゃないですか。まぁ確かに、失うことのこわさに対する臆病は……ねぇ」
右耳の上あたりの髪を人差し指に巻き付けつつ視線が孤独の方へ泳ぐ。が、視線が合う前に首を傾げた。
「アイツはおまえより感情を抑えたり殺したりが出来た。その辺かもしれんな」
「そんな彼も、女の嫉妬というもので新たに作りかけていた人との繋がりが……。その時、怒りという感情を強く覚えてそれから急激に弱った。その怒りを特に振るうことをしないで、恨まれているわけでなはないのになぜ? と、答えを探し始めて、嫉妬と……答えを出した。そういう間柄じゃなかったから多少時間が掛かった」
「その怒りはどこに行っちゃったの?」
「彼の心は哀しいという感情で満ちていたので、そこに沈んで消えたかな。残るのは記憶だけ」
「記憶は残るんだ」
「彼は、どんなことでも忘れるのが嫌だったんだ。自分の記憶に自信が持てない時間が長かったのもあって」
「思い出して怒ったりしないの?」
「……」
「ちょっと、なんで泣きそうになってるの!」
孤独は魔術師の目が潤むのを見て言う。
「哀しいものだなって。怒るという感じにはならないかな……ダメ人間だし」
「ダメ人間か……あなたらしいね」
「そうだね。その記憶は思い出そうとしないと出てこないからとりあえずいいのだけれど、ダメ人間というところをどうしたものか」
と言いながら口元に笑みを浮かべる。
「強がってる?」
「いや、言葉通りで、どうしたものかと途方に暮れてみたりかもしれない。なるようにしかならない。なる切っ掛けやら星の巡りやら」
「……切っ掛けやら星の巡り……ロマンチストさんでもあったっけ」
「星の巡り……相変わらず星座に詳しくないロマンチストでございます。星座に詳しいとロマンチストかはわからないけど」
しばし黙って、2人の会話を聞いていた虚無が口を開く。
「この足音はエタナルか」
その声を聞いて2人は足音に注意を向けて距離を測る。孤独は先ほど魔術師の足音で距離を読み違えたのでより注意深くなった。
エタナルの足音はわかりやすく、教室のドアの前で止まると普通にドアがすぐに開いた。
「こんばんは。今回は蛍光灯なんだ」
「こんばんは。今回は俺が最初に来たんでな。普通に電気付けた」
「こんばんは。私も最初あれ? ってなりました」
「こんばんは。そんな感じです」
4人は挨拶を交わし合った。
「これはこれで、夜の学校って感じがする。蛍光灯に照らされる黒板とか」
そう言いながら適当に置いてある椅子を持ち、虚無の隣に移動して座る。
「何故わざわざ俺の隣に?」
「前も言ったと思うけど、バランスだよ」
虚無はそれを聞いて、ため息をつくと窓の方を向く。その反応にもめげずにエタナルは虚無に話しかけてる。
「ねぇ、前も聞いたかもだけど、さっきの話にエタナルさんって関係ある?」
「ないよ」
「そう?」
孤独は魔術師を見てしばらく様子をうかがう。
「そうマジマジ見つめられると、恥ずかしいような照れるような」
口元を緩めて嬉しそうな顔の魔術師を見て、嘘ではなさそうと思いつつ、そんな顔をされるとこっちも照れてしまうと思ったり。
「ほらほら、あっちはにらめっこみたなことやって楽しそうじゃん、こっちもやろうよ。バランス、バランス」
エタナルに見られていたと気付き、2人はどちらかというと恥ずかしい気持ちが高まった。
「なんというかあれだけど、僕はこういうのきらいじゃない」
「なんだか恥ずかしいけど、悪くないかな」
そう言い合うと、虚無とエタナルのやり取りを眺める。
「ちょっとこっちを向いてあたしの顔を見るだけでいいからさ~」
「……」
虚無はエタナルの方へ顔を向けた。
「………………あぅぅ、なんで目を逸らさないの? 照れるというか恥ずかしいというか大丈夫なのか心配になってくるじゃない!」
「見てるだけでいいと言ったじゃないか」
「愚直か!」
そう言って目を逸らしたエタナルを見て、虚無は窓の方へ視線を向けた。
「えっと、ちょっと扇風機を持ってこようと思うのだけど、探すの手伝ってくれるかな?」
「? ……いいよ」
魔術師の”探すのを手伝って”という部分の台詞に違和感を覚えたが、すぐにその意図に気付きつつ、気付かない振りをする。
「じゃあ、ちょっと扇風機持って来るよ」
魔術師は教室を区切っているカーテンを捲ってその向こうへ行き、孤独を招き入れる。蛍光灯が点いているので特に暗いということもなく、ガラクタの山を見ればすぐに扇風機は見つかった。元々、ガラクタの山から扇風機を探す必要は無く、どこにどう置かれているか決まっていないのですぐに取り出すことが出来る。そのことは孤独も知っていた。
「ほらそこにあるよ?」
「おお! 本当だ。他にもないかあのガラクタの山の角を曲がってみよう」
魔術師はあえて棒読み口調で孤独を奥へ誘う。
「1台じゃ足りないのかしら」
それに対して孤独も棒読みな口調で応える。先を進む魔術師について歩き、ガラクタの山の角を曲る。
「……その、下手な芝居に付き合ってくれてありがとう」
「ん、なんのこと? 他にも扇風機ないかな~」
魔術師に触れそうな距離で孤独は無防備に扇風機を探す振りをする。
そんな孤独の左肩に右手を軽く乗せて正面に立つと、左手を孤独の腰に回して抱きしめる。
「僕は臆病で、君は優しいな」
「私だって臆病だけど……。本当に臆病なんだろうね。明るいせいかな?」
孤独は天井の蛍光灯を見て目を細めた。
「明るさか……ないとは言えないかも」
「変なところ触ったりしないの? 明るいけど、カーテンもあるし角を曲ったところにいるよ?」
内心、自分っぽくないと思いつつ魔術師を挑発してみる。
「触りたくないということはないけど、こうしてただ抱きしめるのも好きだし、触れ合うのも好き。君とこうするだけでも、とても気持ちは満たされる。更にを求める気持ちもあるけれど、ここまでの満たされる感じも結構好き」
「ふーん、それは臆病とは違うの?」
「そうまで言うなら触っちゃいま……」
魔術師が言い終わらないタイミングで、孤独は魔術師に軽いキスをした。
「どうかした?」
孤独は魔術師の腕の中から滑るように脱出すると背中を向けたまま尋ねる。
「いや、あれ?」
魔術師は右手の人差し指を唇に当てて、今の孤独の動きを思い返す。
「じゃあ、扇風機を持っていこうよ」
「あ、うん。僕が持つよ」
「お願いね」
先を歩く孤独を見ると、両手を顔に当てて何やらやっている。そしてカーテンの前で立ち止まり振り返る。
「なんだい?」
魔術師が尋ねると、孤独は右手の人差し指を唇に当てながら笑顔を見せた。そしてカーテンの方へ向き直り、2呼吸ほど置いてからゆっくりとカーテンを開けた。
「扇風機ありました」
孤独の後に続いて扇風機を持った魔術師がカーテンをくぐる。くぐり終えると孤独が丁寧にカーテンを閉めた。
「なぜか向こうはアツそうな気がしたけれど大丈夫でしたかしら?」
虚無の周りをうろついているエタナルは、妙な上品そうな口調でゆっくりと尋ねる。
「そういえばエタナルさんは最初の頃は丁寧な口調だったような」
魔術師は少しおどけた感じに言う。
「その辺は紡ぎ手さんとやらがダメなだけじゃない? もしくは、初対面で猫を被る的なやつ?」
「紡ぎ手さんのダメさは……ねぇ」
魔術師は少し気弱になった。
「あはは」
そんな魔術師に微笑ましいという感じに孤独は笑いかける。
「あれ? なんだったかしら、そうそう、アツそうだったけど大丈夫かしら?」
「扇風機さんを連れて来たので大丈夫!」
「えっと、コンセント、コンセント」
置いた扇風機に手をのせて言う魔術師とコンセントを探す振りをする孤独。
「あなたたち、わかってやってるでしょ!」
「「なんのことです?」」
惚ける2人の声が重なった。
「なんだろう、虚無君。あたしなんだか疲れちゃった」
「座ればいいんじゃないか?」
「つめたーい」
と、言いながらエタナルは虚無の近くに置いてある椅子に座った。
「じゃあ、僕らもとりあえず座ろう」
「うん」
魔術師と孤独も先ほどの椅子に座った。
と、言う感じで今回を終わりに。