緊急スイッチ的なの
冬の空気が木造校舎の中まで冷やしていた。そんな中、1つの教室の一部はストーブにより温められている。広い教室ではあるが、正面の黒板側が3分の1ほどの広さで天井から吊るされたカーテンで区切られていた。畳を5畳敷いて、4畳の大きさの絨毯をその上に敷いた区画がある。黒板のある壁と窓側の角の部分には畳が敷かれておらず、黒板の方へ長く床が見えていた。その床の部分の黒板に近い位置に机が置かれ、そこにアロマキャンドルの炎が揺れている。
「教室を仕切るカーテンのところまで畳を敷いた方がよかっただろうか。前回の後、カーテンで仕切ってストーブの熱効率を上げたところまで……ということで」
後半の台詞を説明口調で言った人影はストーブとアロマキャンドルの光の中、絨毯の上を歩き回る。広さはさほどないので、すぐに方向転換していた。
「いや、橋のような感じで、カーテンの向こうのテーブルのある所を繋げるのが良いんじゃないか! 秘密基地っぽさが出て良いじゃないか!!」
思いついたことにニヤけていると、足音が近づいてくるのに気付いた。方角と距離を推測しつつ、足音の主が誰なのか予測を立て、嬉しそうに顔を緩めた。そして、足音が教室のドアの近くまで来ると、両手で自分の顔を強く揉み解して表情をリセットする。
「こんばんは」
足音の主は教室のドアを開けると挨拶をした。
「こんばんは」
ストーブとアロマキャンドルの灯りだけなので、挨拶を返した魔術師の表情はよく見えないけれど、嬉しそうな声色なのを聞いて孤独は自分も何となく嬉しい気持ちになるのを感じた。
「また一人で色々模様替えしちゃって……一緒にやろうよ」
「ごめん。ついやりだすと」
「まぁ、いいけど」
上履きを脱いで上がると魔術師から視線をそらしつつ歩き、魔術師を一歩分通り越して立ち止まっる。ただ正面に近づいたら、一人で模様替えしたことへの抗議にならない気がして。
「なんだか背中合わせという感じの立ち位置も悪くない」
一歩横に動いて孤独と背中合わせになりつつ言う。
「……」
「けど、向かい合う方が好きだったりもする」
振り返り、孤独の後姿に目を細めつつ、右手で孤独の左手をつかんで軽く引いて振り向かせた。
「引っ張られちゃった。……そういえば今回も蛍光灯つけないの?」
魔術師のやや強引な感じに抗議という意識を見失う。
「アロマキャンドルの炎を横目にっていうのもロマンチックじゃないかな」
「それはそうだけど」
目を閉じて答える孤独に魔術師はキスをした。
「雰囲気は大事かなって」
「大事だけど、みんなも来るのにエスカレートして行きそうで危ない気が」
「大丈夫。僕はシャイだから二人きりじゃないと。……そう、今は」
「だ、だから誰か来た時どうするの? ってこ……」
孤独が喋っている途中で魔術師はもう一度キスをした。
「君を感じられないのが寂しくて」
「喋ってる途中はだめ……だよ」
舌の触れた感触を反芻しつつアロマキャンドルの炎を目に映す。
「横顔も可愛い」
「お世辞でも照れちゃうじゃない!」
「思ったことを素直に言っただけだけれど?」
「あなたって本当にシャイなの?」
「シャイだよ」
嬉しそうにそう答える魔術師を見て、なんだかんだで自分が魔術師の要求に何でも応えてしまいそうに思えてきた孤独は、虚無やエタナルが来るのを意識して、手を打つことにした。
「またマッサージしてあげるね。とりあえず肩揉みを」
「おお、肩揉みか、お願いしよう。ついでに首のあたりもお願いしたい」
「首? 締めればいいの」
「ご冗談を……。いや、なんだか首の後ろが張っているような気がしないでもなくて」
「ふーん。いいよ、じゃあ座って」
「お願いします」
魔術師は背中を向けて座った。
「では失礼します……んん? 気のせいか肩の周りというか触った感じが違うような」
「最近の運動の影響ですかな」
「そうなんだ。重いものを持っているとか?」
「僕は物を使った運動は苦手な傾向があったり」
「そんな苦手があるんだ。へー」
「使い慣れてないという感じかもしれないけど、どうにも力加減に自信が持てない自信がある」
「あぁ、またそういうタイプの自信か。ダメな自信だね」
「てへり。まぁ、もっとも筋力を付ける為にやっているわけじゃない。かつて――」
魔術師は台詞を中断して耳を澄まして音を探る仕草をした。
「足音だね」
「うん。お返しに僕も君にマッサージしたかったのだけど」
「変な意味のマッサージでしょ?」
「否定はしないけど、普通のもしたかったな」
「本当かなぁ」
「例えばこういう感じの」
魔術師は両手を後ろ斜め下に動かして孤独の腰辺りに軽く添え、骨の位置を確認しつつ親指をゆっくり回すような動きをした。
「やだ、ちょっと気持ち良いじゃない。あ、変な意味じゃないからね」
「僕も今回はそういう意味じゃないつもりでやっているのでオーケーですな」
「そのあたり、ちゃんと区別出来るんだ」
「そりゃ、出来ますとも! 僕は君と色々やりたいし」
「その色々ってところが怪しい気がする」
「まぁ、色々さ」
そんな話をしていると今回も油断していて足音から気がそれていて、ドアが開いたとき二人はドキリとして固まった。
「こんばんは。……えっと、どういう状況?」
エタナルは、ストーブとアロマキャンドルの灯りの中、背後から魔術師の肩をつかんでいる孤独と、後ろ手に両手を孤独の腰のあたりに手を添えている魔術師。そんな二人の状態を見て困惑した。
「こんばんは、なんらかのフォーメーションについて探求を」
「こんばんは、肩揉みをしてあげてたら、お返しされてたところです」
食い違っている説明を聞いたエタナルは、孤独の説明のほうが的を射ているように感じた。
「普通? にマッサージをしあっていただけ。という状況ね」
「フォーメーション……何でもないです。肩を揉んでもらってました」
ただ向けられるエタナルの視線と、振り返って合った孤独の優し気な視線に耐えられなくなり正直に言った。言いながら冗談の危険性について思いを馳せた。
「この前、カーテンで仕切るところまでは一緒にやったけど、その他は二人でやったのかしら?」
「違うんですよ、この人また一人で進めちゃってたんです」
孤独は燻っている不満を込めて言う。
「こうして会うんだから力を合わせてっていうのは大事よ」
「わかってはいるんだけれど、頼みごとをするのが苦手というか経験値が足りないというのもある」
「経験値か……じゃあ、適当にあたし達に何か頼んでみてよ。ね」
エタナルは、孤独にウインクする。
「そうそう、頼んでみてよ。変なのはだめだけど」
孤独は一応、釘は刺しておくことにした。
「うーん、ではエタナルさん。教室を仕切っているカーテンのその辺を開けてもらえますかな」
魔術師は教室を仕切っているカーテンの窓側を指さした。
「了解」
エタナルは返事をすると魔術師が指さした方へ向かう。
「では僕らも行きましょう」
魔術師はさりげなく孤独の手を引いて歩きだした。
「とりあえず開けるよ」
エタナルは背後の会話を聞きながらカーテンを開けた。その先は灯りがないのでよく見えない。アロマキャンドルとストーブから離れるにつれてその暗さは増している。
「どうも、どうも。ありがとう。では、君には僕と一緒にあの暗がりに来てもらいたい」
魔術師はいたずらっぽい笑みを浮かべながら言う。
「なんだろう、この怪しくて危ない感じは。私、暗がりに連れ込まれちゃうの? ここでも十分暗がりではあるけど」
孤独は惚けた感じに言う。魔術師が自分に基本的に危害を加えないし、変なことをするにしても自分の反応をみてからという感じがして余裕があるから。
「安心して、悲鳴が聞こえたらその辺の机か椅子で、加減なしでケダモノを退治するから」
エタナルは近くにある机の椅子を持って重さを確認しながら言う。
「間違えて悲鳴っぽいの上げちゃったらごめんね。悲しい事故だったと思って諦めて」
「悲劇が起こらないように、とりあえず悲鳴をあげさせないように気を付けないと」
仮想の孤独の口を背後から抑える動作をする。
「命の危険のある頼みごとの方がきっといい経験値が得られる……はずよ」
「やっぱり、頼みごとをするの怖い!」
頭を抱えている魔術師の背中に軽く手を添えながら孤独は言う。
「頼まれたし、一緒にあの暗がりに行ってあげるから頑張って」
励まされた魔術師は一歩を踏み出した。魔術師と孤独は上履きを脱いでガラクタの山へと続く道を行く。
頼まれごとの一緒にを意識して、孤独から魔術師の手を握った。
暗がりを進み、ガラクタの山でできた通路を進む。
「頼みごとの経験値になってるかな?」
「ふっふっふっ。頼みごとの本質はここからだよ」
立ち止まり、怪しげな笑い声を出す魔術師に対して孤独は普通に落ち着いていた。
「明らかに怪しい感じを出しているときって、変なことじゃないよね」
付き合いの長さから孤独は言う。
「まぁ、この畳を運ぶのを手伝って欲しいだけだけどね。一人でも持てるけど二人で持った方が楽……。一人でも持てる……頼むほどのことではない……」
「ほどのことじゃなくても、頼んでくれた方が嬉しかったりするんだよ」
「嬉しい?」
「そんな意外そうな口調で言っちゃって、本当はわかってるでしょ!」
「さて、ね」
魔術師は惚けた感じに言う。
「まぁ、いいけど」
「ありがと。さて、まずはこの畳の中央辺りを持って、よいしょ! と持ち上げて……そちら側を持っていただけますかな」
持ち上げられた畳の上と下の角に孤独は手を添えた。
「持ったよ」
「では僕は前の方を……水平のほうが握力的なの必要ないけど、色々ぶつけそうだから。ちょっと重いかもだけどお願いします」
「大丈夫、私だって結構力あるから」
実際、魔術師が心配するほど孤独は重いと感じていなかった。
ガラクタの山の角に気を付けつつ進み、エタナルの待つところまで特に何事もなく進んだ。
「なんだ、椅子や机の出番はなかったのね」
少し残念そうなエタナルに魔術師はわざとらしく怯える。
「ひぃ、こわいよぉ~」
と、言いながら上履きを履いて畳の大きさを意識しながら進み、適当な位置で止まると持っている畳の中央へ落とさないように移動する。
「この辺に置くの?」
「うん、手を挟むから放していいよ」
孤独が畳から手を離すのを見てから、畳を床に下した。そして位置を調整しながら倒す。
「隙間空いてるよ?」
黒板の近くの並べられた畳エリアと、ガラクタの山へ通じる畳が並べられたエリアとの間に置かれた畳を見てエタナルは聞く。
「この隙間がいいのだよ。ねぇ」
「え? あぁ、うん。いいと思うよ」
急に同意を求められて、特に考えずに孤独は答えた。
「子供が好きそうな……と、思ったりもしたけど、飛び石っていったっけ? それを意識した感じかな」
「えっと、そう……そう」
胡散臭そうに魔術師を見るエタナルと魔術師をみて孤独は何やらうなずいていた。
「そういえば今回、虚無君来るの遅くない?」
エタナルはふと思い出したように言う。
「遅刻ですかな」
「遅刻なんてあるの? 自由登校的なのだと思ってたけど」
「ないけどね」
「ないんだ」
そんな二人のやり取りを見ながら、廊下の方へ意識を向けて耳を澄ましていた。
「ああ、そうだ。お二人ともありがとう。頼み事の経験値を得られたよ」
「どういたしまして。で、どう? 経験値は足りるようになった?」
「足りないかな!」
「ダメじゃん」
孤独は思わず手の甲で魔術師の胸を軽く叩いた。
「僕はすぐにすぐ出来るタイプじゃないのでね」
「まぁ、あたしはカーテン開けただけだし。そもそもそんなことくらいで経験値になる方がってやつね」
両手を上にして目を閉じながらそういい、その姿勢から目だけを開けた。それを見て魔術師は廊下を歩く足音に気づいた。
「虚無さん来たみたいだね」
孤独も足音を聞きながら言う。
三人が扉を見つめていると、普通にドアが開いて虚無が入ってきた。
「よぉ、こんばんは。……なんだ」
「こんばんは、何でもないですよ」
「こんばんは、ないです」
「こんばんは、ないけど、今回は遅いじゃない」
それぞれ挨拶をした。
「遅い……遅いかもしれんな。ストーブが必要なのか? というくらい」
魔術師は苦笑いを浮かべた。
「現実での時間が思ったより過ぎちゃったんだ」
孤独は魔術師の苦笑いを見ながら遠慮がちに言った。
「あぁ、例のそういうことってやつね。って、どうしたの?」
エタナルはどことなく真剣な感じで魔術師を見る虚無に尋ねる。
「いや……コイツ。どうした?」
「どうしたといわれても、どうかしましたか」
魔術師はわざとらしい驚いた仕草をした。
「アイツと同種の力がそこそこ戻っているじゃないか」
いつも何事にも興味がなさそうな虚無が笑みを浮かべた。
「同じ人間ですし、僕だって最初は……復活した辺りにはあった力だし」
「お前には無理だろうと思っていたが」
「魂に刻まれている魔術の再現。一部だけど。そもそもの原型は僕には出来ないことかもしれない。でも、今再現しているのは彼から僕が引き継いで達成したモノの一部。達成させたのは僕……それなら僕に出来るはず。実際、虚無さんが喜んでくれるくらいには力が戻っている」
「そうだったな、あまりにその力を失っていて、俺としたことがみえていなかった」
苦笑いを浮かべてから虚無はいつもの表情に戻った。
「でも出来れば違う力が欲しかった。俗にいう変わりたかったというやつだったのかな。成長ととらえたかったが……。なんというか人間の世界に阻まれた感じだ」
「それがお前の運命というやつじゃないか」
いつもの表情になった虚無だが、口調はどことなく嬉しそうだった。
「そういわれるとなんだか哀しくなってしまう。でも今の僕には彼が自分に掛けた魔術やら呪いを解く……というか外すことが出来る。精神面の防御力が結構落ちたけど。……弱りすぎて、精神面の緊急スイッチ的なのが入って去年から……というのが自分に対する今の考え方かな」
「違う力を求めても、オマエは結局はその力を求めるのだろう」
「順序が変わっただけだよ。諦めたわけじゃない」
「順序か……。まぁ、どの程度戻せるか。”無理じゃない”をみせてもらいたいものだ」
「やれるだけしか出来ないけどね」
虚無は鼻で笑うと上履きを脱いで黒板の近くの畳に絨毯を敷いたところに座って目を閉じた。
「えっと、何か変わったところあったの?」
孤独としては魔術師はいつもと変わらないようにしか感じていなかったので、とりあえず聞いてみた。
「基本的には変わりはないよ。僕は僕だし」
「う~ん」
眉間に少し皺を寄せて注意深く魔術師を見る。
「そう見つめられると照れてしまうのだが」
「いわれてみると、雰囲気が落ち着いているような、余裕があるような……。でもシャイって感じ?」
「うん。……今の僕として、君に出会った頃にあった力を取り戻して来ている感じかな。その力と、哀しい寂しいという色が無ければ出会うことはなかったかもしれない」
「案外、私はあなたのことを知らないんだね」
「世界は知らないことばかり。僕は君のことをもっと知りたい」
二人はしばし見つめ合った。
「ごほん、ごほん。なんだか二人の視線が熱い……というのは冗談で、なんだか暑くない?」
エタナルはわざとらしい咳払いをしつつ、額にうっすら滲んだ汗をぬぐう。
「確かに。ストーブの火を消そう」
魔術師はストーブの火を消し、孤独は窓を少し開けた。
「外の風が涼しくて心地良い」
孤独は体が熱いと感じていたのが、魔術師と見つめあっていたからなのか普通に暑かったのか少し考えて、両方混じっていたかなと何となくの答えを出した。
「えっと、これは現実の世界でまた時間が過ぎた。……そういうことってやつ?」
「そのようですな。……やれやれ」
「忙しかったのかな?」
「色々とだね」
魔術師は窓際の孤独の側へ向かいながら答えた。
「ところで、虚無君は座ったまま眠っちゃったのかな?」
エタナルは目を閉じて座って動かない虚無を見ていった。
「眠ってはいない。俺としたことがコイツを見誤っていたからな。少し考え事だ」
同じ姿勢のまま虚無は答えた。
「起きてた!? 虚無君て意外と自分に厳しいタイプ?」
「さあな」
煩わしそうに応える虚無に顔がニヤける。
「やっぱり虚無君ってツンデレ? ツンデレの才能あるよ」
エタナルは虚無の隣に座ると顔を覗き込みながら言った。
「季節も進んでいるようだし今回をこの辺で終わりにしようか」
魔術師は孤独にそう言うと、孤独は「そうだね」といった。