修学旅行10日目 午前8時10分
午前8時10分……
幸久は女子トイレの中に突っ込んだ。その光景に目を疑い、足が自然と止まってしまった。
「どうなっているんだ……」
由美がナイフを突きつけられて脅されている。見知らぬ男達に。元太や梨沙などもいるが、そのナイフを前に為す術がなかった。
すると由美と幸久の目が合った。その瞬間、由美は捕まりながらも身体を一生懸命動かして幸久に叫んだ。
「幸久!助けて!!」
「由美……絶対に助けてやるさ!」
幸久は鬼の形相でトイレ用のモップを取り出し、強く握りしめた。そしてゆっくりと近づく。
一歩を踏み出すと幸久の顔にビビり、男達は由美に向けてナイフを更に顔へと近づけた。
「来たらこの女を刺すぞ!!」
「……」
怖がる由美の顔──その顔を見た途端、幸久の歩く速度は落ち、足が止まった。
「それで良いんだよ。
男は幸久が後退していくのを見て、安心したのかナイフを由美の顔から離して降ろした。幸久はその瞬間を見逃さなかった。
「オラっ!!」
「!?」
そっと靴のかかとを踏み、サッカーボールを蹴るように男の手元へと大きく振りかぶった。
靴は一直線に飛び、男が気づいた時には靴は目の前に飛んできており、対応する暇もなく手元に直撃した。
「ぐっ……!!」
幸久はナイフが男の手から離れて、地面に落ちた瞬間、一気に由美の元へと駆けた。
別の男がナイフを取り出して、幸久へと突きつけて駆けた。だが幸久は足を止めずに突っ込んだ。
「喰らうかよそんな物!!」
攻撃は避けたが、ナイフは頰を掠った。だが、幸久は男の腹部を殴りつけた。男は腹を抱えて倒れた。そして一気に由美の元へと駆けた。
更に男達が幸久の道を塞ぐが猪突猛進な幸久の前には意味を成さなかった。男達の攻撃を避けて腹部を蹴りつけ殴り、幸久は前進した。
「くっ……こいつ」
由美にナイフを突きつけていた男が由美を突き飛ばして、ナイフを拾おうとするが、目の前にいる幸久にナイフを取り飛ばされた。
元太達はすぐさま由美の元へと駆け、安否を確認する。
「大丈夫かい!?」
「わ、私は大丈夫……」
恐怖で身体が震えている由美。元太達がなんとか立たせて外へと運んで行った。由美の安全を確認し、ホッとした幸久。すぐに男の方へと顔を向けた。
「うっ……」
「よくも由美に怖い目に合わせたな……貴様!」
幸久は男の胸ぐらを掴み、自分の顔へと引き寄せた。そしていきなり全力で殴りつけた。倒れた男へと馬乗りになって、更に無我夢中で殴り続けた。
「この野郎!!この野郎!!」
「幸久!!」
その場に到着した雅宗が幸久の両脇を掴み、殴り続けるのを止めた。雅宗が止めるも、幸久はまだ男を殴ろうと抵抗した。
「落ち着け幸久!!もうこいつは気絶している!!」
「離せ雅宗!!こいつは由美を──」
「由美は助かっているんだぞ!もういいだろ!!」
雅宗の言葉に幸久は正気に戻り、拳を降ろした。目の前で殴り続けた男はもうぐったりと気絶していた。自分の拳を見た──人を殴った感触はもうない。青い痣が出来ており、痣を見た途端手が勝手に震え始めた。自分がした事をやっと実感し始めたのだ。
「はぁ……はぁ……くっ……俺は……」
「落ち着いたか幸久……」
「あぁ……嫌なくらい落ち着いたぜ」
その場に先生達も到着して状況を把握する事にした。
気絶した男達は店員達に別部屋へと連れてかれた。幸久達は人気がないデパートの隅へと移動した。
真沙美や優佳が雅宗と合流し、真沙美が状況を確認した。
「雅宗、由美や幸久君は大丈夫なの!?」
「大丈夫だが……二人とも心のダメージが大きいみたいだ。今先生達が話を聞いているみたいだ」
*
由美は南先生や梨紗が聞き、幸久は元太や西河先生が状況を確認した。雅宗らは一旦別の場所に待っていろと止められた。
幸久は二人の前に深々と頭を下げた。
「すいません……先生、元太さん……俺、カッとなってしまって……」
幸久に対して元太は優しく肩を叩いた。
「やった事は確かにダメだ。さっきの上手く手に当たって君が相手を全員倒したが、もし失敗したら由美ちゃんが被害が出ていたかもしれない……」
「そう……ですね」
「でも、男としては100点満点の行動だ。大事な人の為に自分の身を犠牲にするなんて、よほど由美ちゃんが大事なんだな」
「……はい」
顔を赤く染める幸久。西河先生も優しく幸久に語りかけた。
「由美も幸久も怪我が無くて良かった」
「俺のせいでこんな事に……」
「幸久のせいじゃないさ。あの男達も悪いさ。そう自分を責めるな」
「はい……」
*
由美も冷静さを取り戻し、先生達と話せるようになった。
「……せ、先生……幸久は?」
「幸久君は今、西河先生達と話しているわ。幸久君も大分冷静さを戻しているみたいね」
「……」
まだ何か怯えている様子の由美。震えてこれ以上話すのは無理だと先生は判断した。自分の不甲斐なさに南先生は軽く落ち込んでしまった。
この様子を見て、梨紗が落ち込んでいる南先生に語りかけた。
「さっきの出来事が心身共に根強くトラウマとして残ったみたいだな……」
「そのようですね……こんな状況で一人にさせてしまって……教師として失格です……」
「こんな状況だよ。誰も冷静に出来る事なんて無理だよ」
そして梨紗は持ってきた毛布を由美に掛けて、隣に座り込んだ。
由美の心の中はまだ恐怖に怯えており、ナイフを突きつけられた瞬間が何度もフラッシュバックする。
「まだ怖い?」
「……」
梨紗の問いに答える事なく、顔を埋めてしまった。梨紗はそのまま隣に寄り添ってあげた。
今の由美には暖かい心が必要だと、梨紗は優しく抱いてあげた。
*
その頃、今の状況を全く知らない由弘と龍樹の二人は雪が降る中、外の非常階段から駐車場を眺めていた。駐車場にも感染者がうじゃうじゃと徘徊しており、遠くの街から光は一切見えず、まさにゴーストタウンと化していた。
由弘が白い吐息を吐きながら、神妙な面持ちで話をしていた。
「たった数日でこんなにも街が暗くなるとはな……生きて歩いている人間なんて一人もいないぜ。地獄だぜ、本当に……」
「出たくて出れない。出たら死ぬ。生き地獄ってやつだな」
洒落た事を言う龍樹に思わず笑ってしまう由弘。
「ふっ……お前も洒落を言うんだな」
「……俺だって洒落くらい言うさ」
すると非常階段のドアが開き、二人は軽く身構えた。
「お前ら何やってんだ?」
ドアから現れたのは、火を付けていないタバコを咥えている雪菜だった。何処かイラついている様子で、何度も足踏みを繰り返していた。
そんなイラついている雪菜に由弘が返した。
「そりゃあこっちのセリフだ。タバコなんか咥えてどうした?」
「あぁ?せっかくタバコ拾ったのに、火がねぇんだ。火が」
「だからってこっち来なくても……」
「話し声が聞こえたら気になるに決まってるだろ。タバコ吸ってなくてイライラしてんだよ」
「タバコ吸って身体壊して知らねえぞ」
「大きなお世話──」
その瞬間、階段の真横から謎の横に大きく長い黒のビニールが真下へと落ちていった。人一人入りそうな大きなビニールであり、雪の上に落ちた瞬間、何かグシャっと生々しい音が響いた。
「!?」
黒いビニールから赤い液体が全方位に流れ出て、雪の上を赤く染めた。
三人は思った。中には人間が入っており、この赤い液体は──血。
「な、何だ!?」
この時、午前8時26分……