恋愛禁止ゲーム
「恋愛禁止」でワンライです。性懲りも無く10分オーバーしました。すみません。
「ダメですよ、せーんぱいっ」
くすりと笑って彼女は僕の顔を自分の方へと向ける。
視界いっぱいに広がる小悪魔的な彼女の顔。
可愛さを詰め込んだ人形のようなあどけない顔をしてるくせに、
そこに浮かんでいる表情は色気があって僕を惑わせる。
「もうっ、よそ見したらダメって言ったじゃないですかあ。ほら、あと10分間、このままですよ!」
「なあ、これ何か意味があるの?」
「ありますよう。先輩が私に恋をしなかったら私が、恋をしたら先輩がジュースを奢るっていう話じゃないですか」
極めて大真面目な表情で彼女はそういうけれど、この状況は意味がわからない。
放課後の誰もいない教室。外からは運動部の掛け声というか叫び声が聞こえてくる。
夕日に照らされた教室は静かで、こんな空間で本を読めばきっと捗るだろう。
そもそも僕たちは文芸部なのだから、まさに今、本を読んでいるべきだと思う。
それだというのに、僕とこの困った後輩は今僕の膝の上に座り、お互いの顔を見つめ合っているというのだから謎だ。
「ジュースくらいなら奢ってあげるからもう止めにしない?ほら、折角だから本を読もうよ。昨日ちょうど新刊を買ったから貸してあげるよ?」
「ダメですー。先輩の今日の仕事は私と一緒に遊ぶことですよ」
「意味わからないし。そんな仕事はないよ」
「えー。先輩、私と遊ぶの嫌なんですか?」
「いや、嫌じゃないけど……」
「じゃあ、いいじゃないですか。ね、もうちょっと、もうちょっと」
そう言って目の前の可愛らしい小悪魔は笑った。
辛うじて活動的だった先輩方が卒業し、廃部寸前の文芸部に入部したたった一人の新入生が彼女だった。
これからどうしようか、なんて悩みをぼんやりと考えながら本の世界に没頭していると、教室のドアを叩く音がし、そこに彼女は立っていた。
「ここが文芸部でいいですか?って、うわあ、本当に誰もいない!」
開口早々失礼な人だ。第一印象は決して良くはなかった。
来る場所を間違えたんじゃないか、そう思ったが文芸部とはっきり口に出していたので間違ってはないだろう。
そう思うくらい、言ってはなんだが、本を読むようには見えなかった。
「えっと、ここは確かに文芸部の部室だけど、何か用?」
もしかして。廃部だから教室を明け渡せ、なんて言われるのではないかと少し怯えた僕は、次の言葉で呆然とすることになる。
「あ、そうでした!私新入生の白神栞です、文芸部に入部しにきました!」
「え、なんで?」
つい口をついて出てきたのはそんな言葉。けれど、しょうがないだろう。
何せ今はもう五月。新入生の大半はとっくに入る部活を決めていて、今更入部する人なんて滅多にいないのだから。
僕は鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていたのだろう、栞と名乗った後輩はプフッ、と笑った。
「先輩、変な顔っ!」
「失礼だなっ!」
さっきから一体何なんだ、この子は。
気づかないうちにいつの間にかペースを乱されている。
このままではいけないと思い、わざとらしく咳払いをする。
「それで、入部したいって言ったけど、どうしてこんな時期に?」
「えーっと……その、秘密です」
「……」
「……」
「良い結果をお祈りしています」
「わーっ、わーっ!それダメなやつじゃないですかあ!」
「帰りのドアはあちらです。どうぞお気をつけて」
僕は彼女が入ってきたドアを手で示す。
「冗談はやめてくださいよ!……冗談ですよね?」
「え?」
「え?」
「……なんてね。さっきからからかわれてばかりだったから仕返ししただけだよ」
「ほっ……」
彼女の反応があまりにも面白いからついやり過ぎてしまい、
少し申し訳ないことをしたかなという気持ちになる。
ふざけただけだと教えると彼女は心底安心したように胸を撫で下ろした。
その仕草で、つい、たわわに実ったそれに目がいってしまう。
一瞬だけ目を奪われた僕は、慌ててそれから目をそらす。
「そ、それじゃあ入部届を出してくれるかな?」
「あれ、先輩どうしたんですか?顔、真っ赤ですよ?」
「な、何でもないよ!ほら、早く」
「変な先輩ですねえ」
ガサゴソとカバンの中を漁った彼女は、すぐに一枚のくしゃくしゃになった紙をファイルから取り出した。
「何だか随分とシワシワになってない?」
ファイルの中に入れてたにしては変だ。まるで何日も、あるいは何週間か入れっぱなしにしてたような。
「私プリントとかすぐこうしちゃうんですよねえ」
軽い調子でそう言って彼女は入部届を差し出した。
その時、彼女は僕に顔を近づけて、ぼそりと呟いた。
「先輩の、エッチ……」
「なっ……!!」
まさか、気づいてたのか!?恥ずかしいやら罪悪感やらで一気に頭がショートする。
何と言い訳すればいいのだろう、混乱した頭で必死に謝罪の言葉を探していると、
彼女はくすりと小悪魔的な笑みを浮かべる。
「……女の子は、そういうの敏感なんですよ?」
「ご、ごめん」
結局言えたのはそれだけだった。
「先輩が私をからかったから、私も仕返ししちゃいましたっ」
なんて可愛い顔で言うのだから、きっと僕はこの小悪魔に勝てる日はこないんだろう、僕はそう思った。
「はあ……敵わないな」
「ふふん、勝ちました!」
どやあ、と勝ちほこる栞。憎たらしいことに、それすらも可愛らしいのだから反則だ。
「……僕は新書総士。よろしく、白神さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします、先輩っ。それと私のことは気軽に栞って呼んでください」
これが、彼女との出会い。
ある日の夕方、奇しくも今と同じような時間だった。
あれから、半年。季節は晩春から初冬へ移り変わり。
生い茂る草木は次第に静寂を伴て茶色に枯れはてていく季節へとなった。
教室には今時珍しい灯油ストーブが置かれるようになり、僕は寒さをしのぐため一層部室に入り浸るようになった。
栞以外の新入部員は結局一人も入ってこず、もしかしたらあと二、三人、なんて期待していた僕は少しだけ落ち込んだ。
それを彼女に話すと、
「それはそうですよ。あんな時期に新入部員なんてくるわけないじゃないですか。……だから、先輩は私を目一杯甘やかさないといけないんですよ?」
とジュースを要求してきた。理不尽。
しかし、意外なことに彼女は印象とは違い結構これが本を読むのだ。
一度、「やんっ、エッチ」なんてふざける彼女を無視してカバンの中身を見せてもらうと、二冊の本が入っていて彼女も中々本を読むんだな、とどこか感心した。
その日は、いつものように放課後いそいそと教室を抜け出し部室へとやってきた僕は、これまたいつものようにストーブに灯油を入れる。
暖かくなるには少し時間がかかるのは難点だけど、部屋全体が暖かくなるのでなんだかんだこれは気に入っている。
持参した毛布にくるまって暖かくなるのを待ちながら本を読んでいると、マフラーで鼻まで覆い隠した彼女がやってきた。
彼女は部室に入るなり、
「寒いい……。まだストーブ入ってないんですかあ?」
と僕の毛布の端にくるまる。偶然触れた手は冷え切っていた。
「もう少し待てば暖かくなるよ。ついさっき入れたばかりだから」
「うう。私、寒いの苦手なんですよう」
「みたいだね」
一年生の栞は教室が3階にあるので、一階の僕よりも少し遅れてくる。
早くきた僕がストーブに火を入れて、後から来た彼女が僕の毛布の端に潜り込む。
最初こそ驚いて焦ったけど、今となっては慣れた日常だ。
「あ、そうだ。先輩、おかし食べますか?」
彼女も平然とした様子でカバンからお菓子を取り出したように、
お互いこれを最早何とも思っていない。それに、暖かくなれば彼女は勝手に出て行くのだし。
ただ、その日だけはいつもと少し違った。
ストーブが働き始め、部屋全体が暖かくなると彼女は何事もなかったように毛布から出て行く、
いつもならそのはずだった。
「ねえ、先輩。ゲームしませんか?」
「ゲーム?」
食べ終わったお菓子のゴミをカバンの中に放り込み、彼女はそう言った。
窓の外では山の向こうへと沈んでいく夕日が輝いている。
何だか彼女の様子が少し変だと、僕は気づいた。
「15分間の道具とかも要らない簡単なゲームです。負けた方は買った方にジュースを奢る、でどうですか?」
栞は僕の目をまっすぐに見つめている。
いつもの少しおちゃらけた雰囲気ではなく、何か一大決心をしたような雰囲気だ。
いや、本を読んでるから遠慮するよ、と軽くあしらう気にはなれなかった。
「いいよ。どんなゲーム?」
すると、彼女は突然僕の上にのしかかってきた。
「うわっ。ちょ、何するんだ!」
「だから、ゲームですよ。……このまま15分間、先輩は私の顔を見つめ続けてください」
「それがゲーム?」
聞いたこともない遊びだった。何より、この姿勢は色々な意味でまずい、主に僕の理性的な意味で。
押し付けられた柔らかいそれがゴリゴリと僕の理性を削っているような錯覚を覚える。
だというのに彼女は素知らぬ顔で僕の肩に手を預けた。
「はい。その間、先輩が私に恋をしなければ先輩の勝ち、恋をすれば私の勝ち。恋愛禁止のゲームです。ね、簡単でしょ?」
簡単でしょ、というが彼女の様子はどう見てもおかしい。
なにか無理をしているような、そんな空気を感じさせる。
「……何か悩みでもあるのかい?僕でよければ相談にのるよ?」
「っ……!いいえ、大丈夫です。さあ、ゲームを始めましょう?」
そして、この奇妙なゲームは始まったのだ。
残り五分。時計の針はあれから少し進み、太陽は完全に落ちた。
まだ下校時間ではないが、冬のこの時期ともなれば暗くなるのは当然早い。
僕たちは電気をつけることもせず、暗い部室でただお互いの顔を見つめ合っていた。
「……」
「……」
カチコチと時計の音だけが部室に響く。運動部の掛け声は聞こえない。
最初は余裕そうだった彼女は、今や泣き出しそうな顔で何かを堪えている。
月が雲間に隠れ、部室が完全な暗闇に包まれた。同時に彼女が顔を俯ける。
「先輩」
「どうしたの?」
か細い、今にも泣きそうな声がする。
「……私は、可愛くないですか?」
「いや、可愛いと思うけど……何かあったのかい?」
「本当に可愛いって思ってますか?」
「う、うん。思ってるよ」
バッと彼女が顔を上げる。彼女は静かに泣いていた。
「じゃあ、どうして先輩は私を好きになってくれないんですか!私は!私はこんなに先輩のことが好きなのに!」
それは突然だった。悲痛な叫び声が僕の心を揺さぶる。
「僕が、好き?ど、どうして」
辛うじて出せた言葉はこんなものだった。言葉は全然足りてない。
「初めて先輩を見たとき、初めて先輩の書いた本を読んだとき凄く感動して、それで好きになっちゃったんです!同じ部活に行くかだってずっと迷ってた……」
そうか。あのしわくちゃになった入部届は、そういう……。
「ずっとアピールしてました。恥ずかしかったし、変に舞い上がっちゃうこともあったけど、それでも精一杯頑張りました。でも、先輩は全然振り向いてくれない!」
「栞……」
「名前だって、男の人に自分から呼ばせたのは先輩が初めてなんですよ?……なのに、どうして?」
月が顔を出す。月光に照らされて彼女の涙が宝石のように輝いた。
「教えてください、先輩。どうやったら先輩は私を好きになってくれますか?」
もう我慢の限界だった。僕は力いっぱい栞を両腕で抱きしめる。
「きゃっ」
驚いた短い悲鳴が聞こえる。それを無視して僕は話し始めた。
「……栞こそ、僕の気持ちを知らないで。僕が、今までどれだけ君に、君のことで悩んだと思ってるんだ!」
「え?せ、先輩?」
栞が戸惑ったように震えた声を出す。
僕は一層彼女の体を強く抱きしめた。
「今この場所が居心地がいいから!それを壊さないように必死に恋心を押し殺してきたのに!それなのに、どうして栞はそんなことを言うんだよ!」
「今、恋心って……」
「そうだよ!あんなに一緒にいたのに好きにならないわけないだろ!気づけよ!ずっと栞のこと目で追ってたんだよ!」
「そんな、先輩……私」
ポロポロと滝のように涙が栞の目から溢れ出す。
言葉が見つからないといったように、彼女は口を開いては閉じる。
「……好きだよ。好きだ、栞。大好きだ」
「わ、私もっ。私も先輩が好きです!」
「だから、どうか僕と付き合ってください」
「ーーはい」
再び月は雲間に隠れ、重なる二人の影を見る者は誰もいなかった。