う
古ぼけたその屋敷は、幽霊が出ると専らの噂だ。昔はかなりの大金持ちが住んでいたというだけあって、広い母屋に離れが二つ。部屋のあちこちに荒らされた形跡があって、肝試しにはうってつけだ。
「ねえ、治彦。やめましょうよ。怖いわ。」
「なんだ、麻子は怖がりだなあ。」
ぎしぎしと軋む板張りの床を歩きながら、ぼくは平気なふりをする。本当はぼくだって怖い。この家は本当にでるんだっておじいちゃんが言っていたんだもの。
ぎゅっと汗ばむ麻子の手を握って、屋敷の奥へと進んでいく。屋敷の奥にある赤い着物の切れ端を持ってくれば、ぼくを一人前の男だって認めてくれるってお兄ちゃんが言っていた。でも一人で行くのは怖くて、麻子を無理やり引っ張ってきたんだ。
「治彦。お願い。」
「あともう少しだから。」
帰りたがる麻子にイライラしながら、僕は屋敷の奥へ進む。
布の切れ端があるのは、桜の木の左側にある離れだってお兄ちゃんは言っていた。誰も住んでいないから埃っぽくてみすぼらしい屋敷なのに、桜の木だけが異様に立派だ。今年も爛々と花をつけていて、風に乗って花びらが屋敷の中まで入り込んでる。
一度屋敷を出て、石畳の上を歩けばそこがお目当ての離れだ。つっかえ棒を外して引き戸を思い切り引くと、ぶわっと埃が立ち上る。服で口の端を抑えて、蜘蛛の巣を払いながら中に入った。
「ねえ、あった?はやく帰ろうよ。」
「わかんない。ちょっと待って。」
暗くてよく見えない。夕暮れ時に来たのが間違いだったかもしれない。目が慣れるのを待ちながら、離れの中をきょろきょろと見渡した。
お兄ちゃん曰く、押し入れの中に布の切れ端はあるらしい。けれどここには押し入れなんて見当たらない。土間に格子戸。足を深く踏み入れると、格子戸の向こうに布が落ちているのに気付いた。
「あった!ねえ、麻子。ちょっと待ってて。ぼく取ってくるから。」
「いや。手を離さないで。麻子も参りますから!」
腕に絡みつく麻子に足をとられながらも、格子戸の中に入る。南京錠がついていたけれど、もうずいぶん前のものみたいで簡単に壊れた。
落ちていた赤い切れ端を取って、僕は胸をなでおろす。よかった、これでお兄ちゃんにも認めてもらえる。麻子と来たことは内緒だ。埃を落とし、袖の下にしまう。
「よし、帰ろう。麻子。」
振り返ると麻子は固まっていた。じっと格子を見つめて、小さく震えていた。
「麻子?」
麻子の顔を覗き込む。
「・・・ねえ、治彦。これはなあに?」
そう言って麻子が指を伸ばしたのは、傷ついた格子。何を言っているんだと言おうとして、その傷がすべて正の字であることに気が付いた。ぶわりと全身から汗が噴き出す。鼓動が体中をたたいていた。
数えている。何かを。そうして、この部屋が牢屋の作りをしていることに、僕はようやく気がついた。
『運命の人を見つけたよ。』
ぞくりと悪寒が背中を走る。ぼくは麻子の手をとって、思い切り離れから駈け出した。屋敷の門を出てようやく手を離す。
「どうしたの、治彦?」
思い切り走ったせいで脇腹が痛む。麻子が執拗にぼくを心配するが、何も言うつもりはなかった。麻子には見えない、格子の一番高いところ。
『老いない私が好きなのね。』
袖の下にしまいこんだ布を取り出す。よくよく見ればその布は切れ端でなく、赤く染まった名札であった。
『ヤナギ』
ざわりと桜が揺れた。