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深淵の華  作者: くわひら
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 「愁ももう成人、そろそろ所帯を持たなければな。」


 だいぶ酒の進んだ赤ら顔でおじさまは豪快に笑った。猪口を持てばあちこちから銚子が差し出され、困ったながらも一つの銚子から酒をいただく。


 「僕にはまだ早いと思います。」

 「そんなことはない。はやくに嫁をもらい、子を成すことも大事な務めだ。妾はどうのととやかく言われる世の中ではあるが、母親なぞどうでもよい。大事なのは男の血と、男が生まれるかどうかなのだから。」

 「まあ、ひどい。」


 ころころと女が笑い、僕はうまく笑えず酒を飲み下した。


 「しかしそんな軟弱な体で、果たしてこの家の仕事をうまく継げるのか?聞けば離れに籠りきり、剪定ばかりしているという話。花いじりなぞ庭師にでもさせ、体の一つでも鍛えたらどうだ。」

 「まあ、愁さまはお花がお好きなの?」

 「わたくし、見てみたいわ。愁さまのお庭。」


 ぐらりと腹の中のものが煮え立った。妹を入れるだけでも沸き立つ怒りをどうにかして収めたくらいなのに、赤の他人を誰が入れるというのだ。その顔で。その身なりで。よくもまあ言えたものだ。考えるだけでおぞましい。

 しかしそんなこと、面と向かって言えやしない。


 「今は蜂が出るんです。危険ですから、ほかの人は入らないほうがいい。」

 「まあ。」


 それだけ言って、手水場へと席を立った。酒と食物と体臭の混ざり合う鼻の曲がるような空気の広間から出て、人気のないところに座り込んだ。吐き気はひどくなるばかりだ。


 「お兄さま、大丈夫?顔色が悪いわ。」

 「ああ、夕子。僕は少し部屋に下がるよ。気分が悪いんだ。」

 「わかりました。あとは夕子が上手く言っておきますから。」


 見つかったのが妹で幸いだった。妹は頼もしく頷くと、膝をそろえて立ち上がり広間に消える。その姿を少しだけ見つめてから、僕も立ち上がって離れへ向かった。


 「・・・まあ、はやかったのね。」


 また襖からヤナギを連れ出して、その胸に頭を預けた。体中を渦巻いていた気持ち悪さがすべて消え去り、その体にひどく安心する。


 「耐えられなかった。僕は・・・もう、駄目だよ。」


 普通の人間であれば、あれくらいの話などどうも思わずに笑顔で話せるのかもしれない。それでも僕は駄目だった。どうして人は色恋やそれらをにおわす話をしたがるのだろう。それがさも当り前だと言わんばかりに、にやにやといやらしく気味の悪い笑みを浮かべて。

 深く話せなくてもいい。表面だけでもさらりと流せることが出来たらこんなにも苦労しないのに。


 「ねえ、愁。深く考えるのはやめましょう。今はこうして、二人でいましょう。考えるのは、また明日にしましょう。」


 先延ばしにしたって、何一ついいことなどありはしない。そんなこと重々よくわかってる。それでも、僕には休息が必要だった。ヤナギの胸に頭を預けて、しばらく目を閉じていよう。今はこうして薄暗がりの中、誰にも邪魔されない二人だけの時間を過ごして――――


 「ひいっ!!」


 足音に気付かなかったのは迂闊だった。目を開けばそこにはひきつった顔の醜い女。僕がヤナギに身を委ねているその姿を、醜い顔をさらに歪ませて固まっている。それからゆっくりと口が開いていくのを、僕は茫然と眺めていた。

 甲高い悲鳴が、穏やかな夜を引き裂く。煩い、煩い、煩い、煩い。不揃いな黄色い歯、粘度を持った唾液、何もかもが醜い。おさまっていた吐き気が、再びぶり返す。煩い足音がこちらへ向かってくる。ああ、ヤナギが危ない。


 「どうした!!どうしたのだ!!」


 一目散に飛び込んできたのは赤ら顔のおじだった。襖が開かれ電気がつかれ、全てがその無機質な白い灯りの下に晒される。赤い着物を着たヤナギ。のっぺりとした肌。支えていなければその場に崩れてしまう力のない体。何一つ変わらない表情。光のない瞳。僕にしか聞こえない声。

 赤い顔を真っ赤にしたおじが激昂し、僕を殴った。弱い僕の体なんか容易に吹っ飛び、背中を柱にしたたかに打ち付ける。


 「な、なんだ、これは!!!人形、人形か!?!?愁、お前、人形遊びなぞしておったのか!!」


 煩い。人形じゃない。ヤナギは生きている。僕の中で、僕だけのヤナギ。


 「わたくし、見ましたの!愁さまがこの人形の胸に頭を寄せているその姿を!!ああ、なんということでしょう!!気味が悪くてたまりませんわ!!」


 自分の顔のほうがよっぽど気味が悪いというのに。どうしてヤナギをそこまで言う。ヤナギのほうがずっとずっと美しいというのに。


 「本家長男が人形にうつつをぬかすなど言語道断!あってはならぬことだ!!」

 「っ、やめろ!!」


 おじがヤナギに手を伸ばす。その汚い節くれだった手で、僕のヤナギに触れる。痛む体を無理やり動かしておじに掴み掛るが、容易に払われて畳につんのめった。


 「気色の悪い人形だ!」


 顔を上げた僕の目の前で、ヤナギが散っていく。

 腕をもがれ脚を引き裂かれ、乱雑に扱われて庭先に投げられた。痛みで軋む体に鞭打って、泥だらけになったヤナギの破片をかき集める。


 「ヤナギ、ヤナギ…。」


 シリコーンの肉片。作り物の髪の毛。ガラス玉の双眸。すべてを集めたのに、ヤナギはどこにもいない。僕のヤナギはどこへ行ってしまったのか。顔を上げると、満点の星空が僕の庭をあばき出す。

 美しい庭などありはしない。剪定のし過ぎで枯れた木々。水のやり過ぎで腐った花。大切にしようとして、全てを僕は殺してしまった。それならばいっそ。愛用の剪定鋏に手を伸ばす。


 「何をしている、止めろ、愁!!」


 誰の制止も聞こえない。


 

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