514話 黒い帽子の少女
黒い帽子は、魔女の印のようなものだ。
黒い外套も然り。木の箒に跨り、茶色い鞄で郵便の仕事をするのも魔女らしい。
灰色の空に夕日が沈む。
ユークリウッドは、寝る頃だが仕事がある。向かったのは、フィナルのところだ。新人2人を連れて。
(よくやるよな)
2人がどこまで本気なのか知れないが、ユークリウッドと関わるということはいきなり殺される事態だってある。彼女たちは、何処吹く風といった風体で飛び散る血を見ても慣れているのはわかる。
崩れかかった石積みの壁から夕陽が差す。首都だった頃の賑わいは、無く闊歩しているのは獣人だ。
真っ赤に染まる地面は、フィナルの血で狼人の少女は怪我した風でもない。
旧ヘルトムーア王国の首都だった場所で、肉を裂く音と飛び散る血を見ながら何故、と考えた。
崩れかかった外壁にぽつぽつと灯のつく町並みに中央の広間は人で囲みが出来ている。
2人の少女が殴り合いというか、殺し合いにしか見えないそれをしていた。
「あの人族のお姫様、うちの大将とよくやるけど、戦いというかねえ」
「しっ。言うなっての、お前も肉になりたくないだろ」
ひそひそと喋るのは、獣人らしくない。無作法に酒盛りをしている者はいる。
白いローブは、真っ赤なローブで。2人とも攻撃を止めは、しないのだ。
「大将じゃ、賭けになんねーからなー」
「それ言ったら、あの御2人と俺ら殴り合い出来る方が居ねえだろ」
「がはは、ちげえねえ」
実際、そうなのだ。一方的に殴られる局面と絵面の悪さで、見たいものでもないというか、結界を張りながら何処でもやり合っている。何故? というかエリアスにはわからない。十文字を描いて飛ばす光の術と影の術は五分の勢いだけれど、殴り合いで押し負ける。
「ま、きれーな光じゃあ」
「聖女さまもやっぱ相性が悪いんじゃねーのかねえ」
悪いに決まっている。そもそも前衛で格闘タイプと後衛で僧侶タイプが殴り合っているようなもので、フィナルでなければ1秒で戦いは、終わっている。術は、途切れないけれど飽きたセリアに間合いを狭められるともういけない。脇腹と見せて、顎を撃ち抜かれたり顎と見せかけて正拳だったりと反応しきれないのだ。エリアスは、というと・・・
(俺じゃ、持たねえ)
そもそも1発殴られたら頭が有ることすら怪しい。セリアと殴り合いをしているのは、フィナルくらいで他に面子というと犬人も狼人も神妙な顔をして眺めているだけだ。ローブから皮鎧に装束を換えて、光の束で横なぎ、穿ちと変えても当らない。
結界はというと、茶色い髪を短くした牛人が張っているのか。1人だけ油汗と湯気が出ていて、左右の猫人は、泡を吹いている。
一緒に結界を維持することにしたが、十文字の光をいくら撃っても相殺されるばかり。
周囲は、既にいつものパターンと飽きた空気だがシルバーナは違う。あまり見ないのか。
シルバーナは、転移門を使えないのだ。それに気が付いたものの環境の違いは、己でなんとかするしかない。
「こいつら、いつもやってんのかい」
「まーな。シルは、ユークリウッドのお気に入りだしもう逃げ出せねえよ」
エリアスには、到底理解し難いがユークリウッドは私腹を肥やしている者が大嫌いだ。己が圧倒的強者だからか、自らを鏡で見ることがない。食い物をばら撒いて一体、何をしようというのかというと何も考えて居ないのだ。そうでなければ、金を回収していることだろう。軍というものは、とにかく金がいる。維持費に、食料、武器と金、金、金だ。
「シルは、周回遅れの上に前衛だからきついぜ。あれ見て追いかけねえといけねえんだからよ」
「見てって、見えないよ」
「だろうな」
エリアスが加勢したおかげか。結界の揺れが収まり、なお一層の術と技を出し始める。地面から浮いて移動しながら光の束と影の束のぶつけ合いに興じていく。1分、2分、3分・・・そこで終わった。
地面に倒れているのは、白いローブと鎧が襤褸と化した半裸の少女だ。
「駄目だったかー」
「毎回、なんで戦うのかわかんねえけど、根性だけは一級品だぜ」
と、まあ、エリアスも同意するところだ。世の中、根性だけでどうにかできれば苦労しない。地位や権力が通用しない剥き出しの暴力の前には、理屈ではない本当の力というものがある。何がどうであれセリアにフィナルの攻撃は通じていなくて、セリアの攻撃は確実に当たっているということだ。考えるに、フィナルが戦うのは、価値を示そうとしているのかそれとも、たった一つしかない席の奪い合いに参加するということか。
手招きをエリアスに向けて、鈍色の籠手を動かす。
「偶には、どうだ」
「良いけどよぉ」
無言で、間合いを詰めると氷結の術を放つ。2mの間合いも無視して、フィナルが運ばれるのもやはり無視だ。先出しぶっぱが強いのは、間違いない。大抵の魔物は、凍る。人が凍ると、死ぬのだが・・・
「効かないな。どうした。もっと本気を出せ」
「・・・」
冗談ではない。地面は、つるつる。滑る路面のスキルを使って、術を放っているのだから飛ばされておかしくないのに、屈むでもなくて普通にセリアは立っている。半径30mほどだった離隔も、50mほどになっていて辺り一面は、白く染まって固まっているというのに。
「効いてねーよなー」
「ああ。別に、凍結無効とかスキルは存在しないようなので単純に耐えてるだけだな」
「おかしーだろ。凍るって」
建物も凍る。殴り合いをしたらまずセリアに勝てないので、術比べで押し勝つしかない。どうしたら勝つかというと勝ち筋が見ないので、戦う意味があるのかというと無いような。相手はユークリウッドと比べているに違いなく、無性に腹の立つ。10秒、20秒と押し合いをしているようでエリアスは全力で歯を食いしばっているのに対して、狼人は涼し気な顔をして口の端を上げる。
「フッ」
一気に間合いを詰めて、正拳だ。左腕で逸らして右膝を右足で受ける。障壁を展開していてもすぐに割れたら詰むのだが、もうそれしかないわけで・・・
「参った。降参」
「ん。もういいのか」
「そりゃ、フィナルみたく戦えたらいいんだけどな」
考えても、氷結の術が効かない理由なんて相手の抵抗力を上回らない限り魔術師に勝ち目がない。
肉弾戦が、得意でないというわけではないけれど一発で昇天するだろう。エリアスの魔力が切れているわけではないけれど、圧力というのか。それが無いせいで、セリアが自由に行動しているから妨害をかけるのも当然だけれど・・・
「俺とさー、フィナルに差があるってことか」
「フィナルは、しぶといだけでな。ちょっと考え無しだ。教えてやっても、こればかりは性向だろう。かといって、光の術でフィナルが相手を混乱させたり幻惑させたりというはますます向いていない。強くなりたいというのはわかるが、敵というものはもっと狡猾なものだ。弱った時にこそ、やってくるからな」
「まあ、そんなもんだろうけど」
敵に遭う時には、もっと味方がいる。敵が、10なら味方は100だ。そういう戦争がいい。
察するに、セリアは治安維持なんて考えていないし敵の首都が崩壊しようが破滅しようが気にしていない。気にしているのは、王子とユークリウッドくらいだ。国内の貴族ときたら外の事など放って、明日の収穫がどれくらいしか興味がない。
夜会も盛んだ。エリアスは、興味がないものの社交界デビューというものはある。
(ま、意味はねえな)
弱ければ、死ぬ。そういう世界なのだ。ましてや、エリアスは魔術を極めようとする身の上。
魔術の神など居ないけれども、人にスキルを授けた機神は信じている。
ジョブやスキルがなければ、人が獣人に勝る点がないのだ。
周りにいる兵士を描き分けて移動すると、シルバーナとトゥルエノが待っている。
「お疲れさん。つか、エリアスも術比べするんだねえ」
「まーな。このまま行くと、やばいってのはわかる。そして、お前らはもっとやばいしシルは止めといたほうが良かったと思うけどな」
輪がさらに開いて牛人とセリアが武器をぶつけ合いだした。破片が飛んできては大変で結界が薄いので術は使わないけれど、鈍器をぶつけ合う音だけが響く。当然、人の数だけ分け前も減る。セリアだけならいいが、フィナルとそれに獣人もユークリウッドを狙っているので時間が分割されることだろう。今のようにエリアスが遊びに行っていつまで相手をしてもらえるやらだ。
エリアスは、頭を抱えるようにして転移門を開く。
「戻ろうぜ」
「もう帰るのかい」
「見てたってなあ。時間は、有限だしお前らも支度だってあるじゃん。まさかそのままユークリウッドんちに押し掛ける気か」
「ですね」
同意した2人とユークリウッドの家の前へと出た。とっぷりと日は暮れていて街灯の明かりを頼りに帰宅する人間がまばらだ。黒色で長く高い鉄格子をした塀の傍にある椅子に腰かけると、店じまいをした姉妹が両手に肉の刺さった棒を持ってきた。彼女たちも諦める気などさらさらない。ただのパン屋が今や都一の金持ち商店だ。婿の話は、それこそ腐るほどあるだろうに・・・
「お疲れっす。その様子だと何も進展なさそうでありますね」
「まーな。あいつの玉無しぶりにはマジで参っちまうぜ」
肉を受け取ったまま対面で5人。まるで、道端会議だがそのままだ。
「シルバーナの女衒狩りには、うきうきしてんだよな。一体全体、あいつの好きってなんなんだか。想像もつかねえよ」
「女衒が嫌い。それで、十分では?」
嫌いなものを集めてもしょうがない。好きを集める方がいい。ということは、女衒狩り、壺狩り案件を探してくるシルバーナのポイントは必然的に高くなる。そういうことだ。エリアスの仕事は、魔術師を鍛えることにあって金でも権力でもない。ユークリウッドが逃げ出さないようにするのはオマケである。といったものの、なんら進展はないし顔面だとか何だとかの自信はすっかり打ち砕かれている。
「女衒全てを皆殺しにしたって、また出てくるだろうにな。あんなん蟻みてえなもんじゃんか」
「それでもなんじゃないのかねえ。こっちは、仕事に困らなくていいけどさ」
この世の全てから女衒を消さずには、居られないというのか。面と向かって言うには、危険すぎる。
ユークリウッドは、昔から変わらない点があるとすればやりたい事は何が何でもやるという。
やる気を失って、無職にでもなった好都合。養うのだが・・・
(さすがに、この二人も諦める・・・訳ないか)
ちきちき焼き鳥競争さながら。街灯に照らされた金髪の下にある眼は、見透かすかのようだった。




