487話 灰色の世界(老婆、シルバーナ、トゥルエノ)
染みに触った瞬間、世界が灰色に変わった。
異常だ。夢を見ているのか。
人の形をした染みから影がうねうねと動きだす。夢だ。ユウタは、現実感がまるでない。
(なんだ? 敵の攻撃か? 一体何が・・・)
隣にいたはずのシルバーナの姿はない。顔を上へと向ければ空は、真っ黒だ。
夜ではなくて、星がない。昼間だったのに、夜になっていたらもう正気ではないだろう。
影は、顔もなく手足もない。ユウタと同じかそれ以上の背丈だ。
(倒す、それはないな。どうするべきか)
魔物なら、倒して終わりだ。だが、灰色の壁と木箱まで灰色をした世界で倒して終わりになるのか。ユウタの命は1つで失敗してまたやり直せるとは限らない。死ねば終わりだ。死んでも続きがあるなら幸いだが、あり得ない。誰かに蘇生してもらえる保証もない。
色彩が灰色に染まる世界など、見た事もなかった。似ているのは、冥界だかなんだかである。
(ひょっとして、精神世界だったりしてな)
あり得ないことなどなんだって起きるミッドガルドだ。死体が歩き、骨が踊り霊が漂う。
死んだ者が、目を開けるようになることだってある。ならば、影は何なのか。
死んだ少女のなにかだとは推察できる。シルバーナの話から導きだすのなら、残留思念というところか。
(誰だ?)
町へ出る通りから三人の男と三人の女が歩いてくる。容姿格好からすると10代で、顔が黒塗りだ。
顔がわからない。これは、どうしたことか。接近を許さないように土の術を放つ。しかし、何も起きない。スキルが発動しない。術も使えない。灰色の世界は、現実ではないのか。それは、それとしても接近を止めるべく近寄る。
(これは、どうしたらいいんだよ)
すかった。掴めない。ユウタの手は、はたして男の足も体も掴めない。ならば、影を掴むべきだ。
影は、掴めるのか。掴めなければ、終わりかもしれない。影に手を伸ばす。男女よりも先に影を掴んだ。すからない。手応えが、ある。抱え上げると、反対側へと走る。影は、軽かった。
振り返れば、男達が走りよって来る。壁を登れるだろうか。助走をつけて反対側へと走る。
当然、反対側から人が来る想定だ。上へと登る木箱らしきものもないが、人が前方に見えるや地を蹴る。壁から壁へと上へ上がって行けば屋根の上だ。
(うーん)
屋根の上は、人がいない。が、斜めになった屋根だ。そして、いつまでもいるわけにはいかない。幸いにして、身体能力は失われていないようだ。空には月も星もなく、町の灯りだけが頼りである。そして、灯りがある家は、少なくてその順を示すかのように連なっている。
飛び移る度に、音がする屋根から人が出てくることもなくて下を見るに追いかけてくる人間は増えていない。6人の男女の姿も見えない。しかし、油断できない。灰色の世界が、いつ殺しにくるか知れたものではないからだ。
ユウタには、死に戻りの能力なんてないし死ねばそれまでだ。たまたま生きているだけで、頭が吹っ飛んで生きているとは思えない。スキルが使えない以上、隠れることも見えなくなることもできていない。鍛えた身体だけが頼りで、伝っていく屋根から見える最後の灯りまですぐそこだ。
あるとすれば、家が終点だろう。男女の姿は見えない。一体、何をすれば終わりになるのか。わからないままに、家の前に立つ。人の姿はない。扉の取手は、軽く開いた。光が扉の内側から溢れてくる。ということは、家が終点のようだ。影を立たせると、体を振って入っていった。
(これで終わり? しかし、帰れる様子はない)
セーブも何もない。元にも戻らない。どうしたことか。ユウタは、戸惑った。
原因がある。つまり、少女が死んだ場所から死ぬ原因を取り除くかどうにかする。
それが、必要なのではないか。と門扉から離れる。通りを馬車が進んでくるのが見えた。
他に人は、居ない。馬車と馬に乗った3人組とは違う男が見える。灰色の鎧に顔は兜で見えない。
馬を止めるべく前に立てば、馬に手応えがない。馬車もユウタの体を通過して馬車の中が見えて、それから地面が割れた。割れる地面を蹴ってくるくると塀に乗ったものの、馬車から降りた男の服が見える。空も割れて、光が溢れてきた。
(あの男こそが、首魁なんかな。しかし。これだけじゃ)
真っ暗だった空は、青い。
「どうした。ぼうっとして」
「いや」
染みを確認する。黒い靄は、見えない。なくなってしまった。
影が、亡くなった少女だとしたら何を伝えたかったのだろうか。絶望の世界だというのか。
世界は、絶望で溢れている。ミッドガルドでの普通で、日本ではないし戦争で死ぬか魔物で死ぬか。
兵士なら、死は間近にある。
「ふむ」
「何がふむ、だ。何かわかったのかい」
世界の危機ではない。しかし、放っておけない。ユウタは、知ってしまったのだ。
何かがあって、少女は死んだ。それが、いじめによるものなのかそうでないのか。
ミッドガルド人は、気にしたりしないだろう。強ければ生き弱ければ死ぬ世界なのだから。
「いじめがあったっていう塾に行ってみるかな」
「そうするかい。ここに居ても証拠は、残っていないしねえ」
証拠、証拠か。時代劇のように、悪党が襲ってきてくれればいいのだが襲ってこない。
様子を伺っている人間は、いるようだ。
暴力大好きミッドガルド人とは思えない慎重ぶりである。
「転移門で移動しよう」
「歩くのも重要さね。見えてくるものもあるだろうしさ」
それもそうか、と歩く。狭い町だ。家が密集している。盗賊を防ぐ為だろう。周囲は石で作られた壁で町は守られている。少女の死もありふれているものだが、
盗賊に襲われて村ごと皆殺しなんて話もある世界でどちらが残酷かと比べられない。
シルバーナとトゥルエノが目を引いている。
「それで、落とし所は何処らへんなんだい」
「いじめが、有ったのかなかったのか。塾の先生は、なんて言っているの」
「いじめは、無かったって言っているのさ。だから、問題でねえ。有ったものを無かったっていうのなら、潰して閉門にしちまえって言うのとよくあることだっていうのとね。真っ二つさ」
栄養失調でも死ぬし、いじめでも死ぬ。いちいち生徒一人に関わっていられないというのか。
小さな町だから、評判に関わると考えられる。黙殺した方が、利益になる。
それは、加害者の味方だ。味方でなくとも利になっている。石の床面が続く。狭い町だから可能だったのか。それとも、石を加工する術者がいたのか。器用だ。
「死んだことは、重要視されていない?」
「重要視するも何も、この町に限らず権力を持った貴族連中が、平民一人死んで気にしたりするとでも思ってるのかい? そいつは、おめでたい考えさ。少なくとも余計なパンを消費しないで済む、なんてのがいてもおかしくないよ」
日常が、死で溢れている。貴族がいるのだ。
ミッドガルドは、上級国民の横暴がまかり通っている。つまり、ユウタもその一人だ。
女の子が死んだら悲しいと思うのも、ユウタだけの世界だ。価値観が違いすぎる。
「襲ってくるのもいないようだし、上手くいかないもんだね」
「仇を討つ者もいないのですか」
「女親だけでは、難しいねえ。仮に、助力するやつがいても騎士から魔術師まで揃えてる連中に挑むってのは無謀さ」
仇討ち。有りだ。しかし、ユウタは関係者ではない。塾に向かう通りは狭く、石の階段を上がった広場に面していた。中央には噴水と神殿がありとてもいじめがあったように見えない。というよりも多くの人間は、知らないのだろう。噂で聞いても、という事だ。
壁の外から中を伺う。生徒たちの声がする。
「さて、対象の聞き込みをしてくるけど、おとなしくしてるんだよ」
「へいへい」
扉の輪っかを打ち付けて、中へと案内されていった。
「お前さん」
トゥルエノの声ではない。やや、離れた家にぽつんと立つ老婆が一人。黒いローブは、擦り切れていてどこか不気味だ。顔もまたぼんやりとしている。
「聞いておくれよ、坊や。わしゃ、見たんだ。あの子が、川に入っていくのをさ。間違いないよ、素っ裸で川に入っていけば大人だって凍えちまう。あやつらをわしが止めなきゃどうなっていたか。わしゃ、悪いことなんてしていない。聞いておくれよ。ばばあの頼みさ」
姿が薄れていって、何もない。死体か幽霊か。どちらともとれる。ユウタは、頭が痛くなってきた。
川に、入っていく。あるのだろうか。あやつら、というのは3人組男女のことと思われるが、イコールとも限らない。
男の前で女が裸になるのは、普通ではない。と、思うのだがヒカワでは普通の事なのかもしれない。
「今の霊、気になることを言っておりました」
「うん」
「あの子、あやつらを突き止める必要があるかと」
「そうだねえ。ちょっとシルバーナの様子を見てみようかな」
それよりも老婆の霊が気になる。どうして出現していたのか。どうして見えたのか。どうして消えたのか。そして、壁歩きのスキルは使える。隠形も使える。石の壁でも難なく歩いて、小窓のある部屋を見つける。1階と2階に複数あったので近寄って聞き耳を立てる。一つは開けっ放しで声は、生徒の物だ。
閉まっている部屋を覗く。はたして、やや太りぎみな男の後頭部が見える。窓は、頑丈で簡単には外れない。壊せば入れるが、話をしている男は灰色の背広をきていて椅子に座っているのが太り気味の男だ。腕まくりした白いシャツと葉巻を加えているのが見てとれる。灰皿は、吸い殻で埋まっていた。
「それでは、失礼する」
「待て、話は途中だ」
「これ以上、迷惑をかけられるのは御免だ、と主人は言っているのですよ。おわかりになりませんか。あの小娘は、先触れに過ぎませんがまず目をつけられている。大人しくしておくことです。ではお大事に」
「話は、終わってないのだ。聞け。こちらの話をだな。いじめなどない」
黒い髪を後ろに流すように固めた男は、一例して出ていった。いじめがなかったと言っている男が眼下にいる。
「わたしが何をしたというのだ。学校の中では、そのようなこと無かったと報告を受けているからそのように返事をしているだけだというのに、やつめ。生徒には未来があるのだ。平民の小娘一人死んだくらいで、なんだというのだ。おのれえ」
これは、駄目だ。駄目な大人だ。話をしてどうにか改善するように思えない。
そして、平民の下りは気に食わない。貴族は、偉くて何をしてもいいと思っているタイプなのだろう。
ない髪を撫でている男は、新品の葉巻に火をつける。煙で部屋が白く見えるほどだ。
(加害者にも未来があるって言うやつねえ)
貴族も平民も同じ人間なのに、特別だと思いこむのが気に食わない。
貴族の生活にどっぷりと浸かっているものの、ユウタはどこにでもいる人間だと思っている。
そっと窓の硝子に術で穴を開ける。飛ばすのは、木片だ。インベントリから取り出して、構える。指の上に乗せて、弾く。飛んでいく肌色の欠片が赤身を帯びた首にめり込む。禿げ頭の男は、血潮を上げる首を押さえて自らの腹を見ている。
「痛つっ、は?」
腹が血が溢れている。
老婆を追いかけるべきだっただろうか。壁を歩いて、トゥルエノが立っている場所まで戻る。
そこには、男が3人いた。ついでに女も3人。塾の入り口からはシルバーナが出てくる。
「こいつもあんたの連れか? 一緒にあそぼーぜ。いいとこ知ってるからさ。案内してやるよ」
一人は、やけに日焼けしたツーブロックの男だ。服装は、制服を着崩しているといった風体。
「待ち人が来たので失礼します」
「そんなガキより、俺らと遊んだ方が楽しいって」
一人は、ロン毛だ。顔のほくろが特徴的だ。それ以外は、普通に紺色の制服を着ている。
「何を絡まれているんだよ。帰るぞ」
「お嬢さんは、騎士なのでしょうか」
シルバーナに目を向けたようだ。幼女は、面倒くさそうに胡乱な目をする。
「答える義務は、ねえ。話かけるんなら、相手をよく見て話しかけろよ。冥界の入り口に突っ立ってるのに気が付かねえパウロだぞ、てめーら」
「行くぞ」
「ちょっと、待てって、あいつら」
仲間の男に引きずられるようにしてツーブロックが去っていく。惜しい。もう少しで、有罪が確定するところだった。そうでなくとも処刑して良しと思えた。ユウタは、イキったのが大嫌いだ。簡単に殺せる世界にいるのだから躊躇う理由がない。
日本ならば、殺せば殺される世界だから親兄弟がいるなら怒りを堪えて踏みとどまる。
ユウタを察してか、
「殺すなよ」
と、シルバーナが言う。黒い帽子の鍔を上げて、目を大きくしている。
「なんで?」
「証拠もなしに決めつけて殺しまくってたら、人が居なくなっちまうだろ。ちゃんと調べてから、火炙りでも断頭台でもいいじゃねえか」
ユウタが見て、聞いたもので十分ではないか。そもそも、3人組の馬鹿にしていた視線が気に食わない。
普段は、我慢しているが灰色の世界を体験してから妙に後押しされる。
貴族だろうが、なんだろうが気に食わない相手というものは居いるものだ。
「真実の鏡にかければよろしいのでは」
「神殿が、貸し出すのならなあ。貴族同士ならそうなるんだろうけど。平民だと金もないだろうし」
ユウタが、金を出してもいい。しかし、そこまでする必要があるのか。かえって女親が町で生きづらくなるのではないか。
「帰ろうかな」
「何か分かれば、また連絡する。進展もあるだろうし。そんときは、また来い」
ユウタが、転移門を開く。と、同時に塾は生徒の悲鳴と騒がしさを増した。




