447話 彼女は、俯いている
(人間なんて不要だよ)
(そうそう塵芥だって)
(なぜ?)
朝だ。朝が近い気がする。ユウタは起きようとした。
だが、体が動かない。瞼も開かない。とすると、声はなんなのか。
夢で逢いましょうでもないのに、ひそひそと声がする。
(人間だからって何でもして、良いと思ってるんだよねえ)
(思い上がり)
(不遜)
だって、人間だもの。ユウタは、人間が嫌いだ。助けようなんて思うのは、誰かに吹き込まれた常識なのだろう。そうでなければ、全ての人を救う事ができるなんて考えもしない。人がいるかいらないかでいえば、要る。
(さあ、人間を殲滅しようじゃないか)
居なくなっていいはずがない。
瞼は、軽く空いた。頬に突き刺さっている突起物を掴むと、黄色い毛を擦った。
寝ているようだ。丸い体に黄銅色の角が生えている奇妙な生き物である。
ベッドに置くと、肩から白い毛玉が落ちる。これまた耳に黒い角が入っていた。
拾って枕に置く。
(まさか、こいつらの声なんじゃ)
しかし、そうだとすると言動と一致する。大体、人類が好きではないようで人と一緒に戯れている姿を見たことがない。せいぜい、妹であるシャルロッテに玩具扱いされるくらいだった。その彼女も、学校に通ったりして忙しい。
足をベッドから下ろして、布のスリッパを履く。柔らかい羽毛で包まれた高級感溢れたスリッパの感触。
不穏な声は、聞き流すに限る。部屋には、蜥蜴に蝙蝠、魚に狐、羊に白い物体。最近、猫科の生物まで増えた。動物の匂いでたまに吐き気がするのは、気の所為ではないだろう。
多すぎるのも問題だ。机の上を見れば、植木鉢はなくなっていて犬っぽい狼の仔が丸まっている。
尻尾が、朝日を浴びて煌めいていた。眩しいほどではない。掴みたくなったが、ぐっとこらえた。
朝から血まみれになるのは、どうかと思ったからだ。
起きていても一握り、ウン千万ゴルと言われてしまうのをすぐに忘れてしまう。
(どうしようか)
ユウタは、だいたい修行している。誰にも負けたくないからだ。剣であれ何であれ修行するのはいい。
朝から、木剣の素振りをするのもいいだろう。勉強するのだっていい。
魔方陣は、研究するにこしたことはないし体を休めるついでにポーションを作ったっていい。
ラジオがないので、音楽もしないが箪笥から服を取り出す。白いシャツだ。
ファンタジーのようでファンタジーっぽくないTシャツにはプリントもなにもなかった。
(そういえば、服飾が進んでないような)
冒険者でも簡素なものばかりで派手な衣装をしていない。
汚れるからだろうか。汚れると、派手な分だけ洗濯が大変そうだ。
身なりを整えて、扉を開ける。黒いローブの袖から肌が見えた。
健康な肌だ。農作業もするし、戦闘だってする。だが、ひび割れていない。
(別に、苦労したいわけじゃないしなあ)
若い内には、苦労しろ、なんて言うが嘘だ。苦労よりも必要なのは、努力と気付きである。
或いは、人脈か。勿論、金があるに越したことはないし金持ちの親なら何段階も成り上がるまでの過程をすっとばせる。なら、重要なのは運か。そうではないと証明したかったのだ。
(そして、結局のところ女ときた)
扉の向こうでは、左右に女の子が座っていた。扉の音で起きたのか。向きを変える。
「「おはようございます」」
2人だ。どうして控えているのか。わからないが、桜火はいない。説明してくれる人間はいないようだ。
フードに重みが加わる。重量からするに、狐か毛玉か。位置がなんとも言えない。
「おはようございます」
すすっと、廊下を進む。後ろにぴったりとくっついてくる。2歩の位置だ。剣は届かない。
腰には、剣を吊り下げているし偽物だったらユウタは斬られかねない位置だから警戒しておくべきだろう。
「お早いですね」
「ええ」
「稽古ですか」「稽古ですね?」
2人は、やる気だ。しかし、どうなのか。2人は、女の子だ。
剣を磨くよりも、また勉学や花嫁修業でもしてはと思う。古臭い考えなのだろう。
ユウタは、男尊女卑の思考になっている。
廊下を進むに、階段が見えた。
「稽古は、お二人でいかがでしょうか」
2人の足が、やや止まってから進む。わだかまりでもあるのか。
階段を降りて、玄関を出る。外は、雨だ。
肌寒い季節に、薄着の女の子が座っていた。
その隣で、白いエプロンとメイドの服が実に似合う女が傘を差している。水色の傘がくるくると回っていた。女の子は、足を抱えるようにして座っている。白い服は、シャルロッテンブルクからのものだ。臭いは取れたのだろうか。
ユウタは、しゃがんだ。
「どうしたの」
レナは、首を横に振った。顔を足の間に埋める。幼女は、気分が沈んでいるようだ。
さもありなん。ユウタにしてみれば、いやユークリウッドにしてみればシャルロッテが死ぬようなものだ。そっとしておくべきだろう。
「中に入ろう。外は寒いよ」
首を横に振った。頑なだった。桜火は、微笑みを浮かべている。奇怪だった。
なぜなら、黄色いのは人間嫌いで人前で笑みを浮かべたりなどしない。無論、その仲間とも言える桜火もまた鉄面皮であったから意外なというか奇妙さを感じるのだ。
「何か知ってる?」
「いえ。ですが、人は成長するものなのだと改めて思いを馳せました」
「レナが成長するということなのかなあ」
桜火からは反応がない。ユウタの後ろで控えている2人は、口を閉ざしていた。
口を出せばこじれるような気がして無理やりに連れてはいけない。
或いは、桜火が父親の行方を知っているからの笑み。なんて、妄想だと頭から打ち消す。
ユウタは、隈なく水晶玉を使った遠見で探した。しかし、見つからなかった。
(誰かに隠されたから、死体が見つからない。という線もあり得る?)
後ろにいたザビーネとトゥルエノが移動していく。芝生の上に立ち、得物を抜く。
片方は剣で、片方は、刀だ。迷推理を打ち切り、己もインベントリから取り出した木の棒を振るう。
立てに振る。一刀ごとに新しい自分、とはいかない。
「兄上、おはようございます」
「おはようございます」
弟だ。目つきがややもすれば悪い感じで、将来が不安になる。子供なのに、威嚇的な雰囲気なのだ。
レナには、気にも止めずにユウタの方へと歩いてくるあたり心配にはならないのだろう。
悪いとは言わない。人見知りをしているのだと思えば、警戒していると捉えられる。
木の剣を後ろでに持った幼児は、目を潤ませていた。剣の稽古でもつけてほしいように見えた。
「剣の稽古」
「うーん。いいけど」
ユウタは、地面に手をつく。魔方陣が、広がってスキルが発動した。区分でいえば、召喚系だろう。
土が、盛り上がり脈動するように模様がはいった。土の人形が、クラウザーの前に立つ。
女の子たちを見れば、両方共に目が輝かせて片方はうつむく。恥ずかしくなったのだろうか。
「こいつに打ち込んでみて」
目線が、ユウタの顔と土人形を交互させている。動かないクラウザーに、土人形をけしかける。
間合いを狭めて、やっと動こうとする。正眼に構える剣を土の腕が捕えて離さない。
弟は、なおも剣を引き抜こうとする。腕まで土に覆われて、胴を抱え上げられた。
魔物なら、クラウザーは死んだも同然だ。
「土人形と戦うのは、初めて?」
「はい」
意気消沈している。
「まず、どういう攻撃をしてくるのか。予想がつかなかったら、石を拾って投げる。これで、どういう反応を示すか、でも良いんだよ。もっと良いのは、安全な距離を取ることだね。或いは、味方の魔術師を側に置いておくとかね」
「これは、剣の稽古ですよ」
むっとした。剣であろうが、なかろうが稽古には違いないのだ。相手が人とは限らないのだ。
戦場であれば、とっくに死んでいるが責めてもやる気を失うだけだろう。
見つめる2人の視線を追い払うように、2体を追加した。土さえあれば、いくらでもつくりだせる。
つまり、土の術は強い。土の人形が、クラウザーを放す。
「剣だけど、相手が剣だけとは限らないよ。それじゃあ、構えて」
「兄上は、剣を」
「土の人形を使った稽古だよ」
木の剣を構えるに、土の人形もまた土の剣を作り出す。背後が気になっているようだ。
父親であるグスタフの姿もあって、クラウザーの気が散っている。
土の剣といっても、気を通せば鋼鉄もかくやとなる。クラウザーは、剣を正眼に構えた。
土の剣が、木剣を払う。つられて、戻そうとしたが土色の剣は、クラウザーの頭に添えられる。
「うっ。もう一度お願いします」
動きが鈍い。こんなものかと思いながら、弟が土まみれになっていく。
土の人形といえど、ユウタが操っているのだ。弱いはずがなく、後ろで稽古をつけている2人は様になっている。型を2人ともに持っているので、参考になる。ザビーネは、二刀流だが稽古では一本の剣しか振るっていない。
黒い具足に甲冑を纏って、兜だけないという。
横で間合いを取るのは、トゥルエノだ。こちらは、やや長く細身の刀を使っている。
木の剣でも刀でもなくて、土の剣がバターのように切り落とされてしまった。
放射状にも伸びる土の体を、華麗に躱すのだから素早いといっていいだろう。
「いくよ」
「はい!」
構えは、ない。土の人形に、渾身の振りかぶった腕が見える。間合いを詰められて、腕が押さえられた。
首を捩るけれど、腕も胴も動かない。勢いは、いいのだが相手が立ったままだと勘違いしていないだろうか。スキルは、使っているようでなくて温存しているとも思えなかった。
「クラウザーってさ。魔物と戦った経験ってあるの」
「学校の練武場で、見たことがあります」
「ない、んだね」
「恥ずかしながら、まだ、傷ついたゴブリンと」
言いづらそうだ。ゴブリンは、生け捕りにしたもの。貴族の子弟に、レベルを上げさせるためにしているのだろう。レベルだけは上がって、何の技能も持たない兵士になっていいのか。
ユウタには、良いとは思えなかった。ユウタは、男が嫌いである。ライバルだからだ。
(だけど、これじゃあいかんよ)
ユウタの土人形は、そんじょそこらの兵士だって太刀打ちできない。とはいえ、父親が甘すぎるのではないだろうか。案の定というか、心配そうにして巨大といっていい体躯を持て余しているではないか。
剣だけを修練していれば、クラウザーは騎士になれると、そう思っているのかも知れない。
「じゃあ、ゴブリンと戦ってもらおうかな」
「え?」
え? ではない。土人形の形状をそれっぽく変える。2体のゴブリン姿の人形が出来上がった。
ゴブリン人形が、短い槍を手に突きを放つ。クラウザーは、反応することができずに胸元に土跡を作った。
弱すぎる。動きが、鈍い。総合して弱い。一撃で死んで地面に赤い染みを作ることだろう。
「全然駄目だけど、癇癪を起こしたり逃げ出さないだけいいのかなあ」
「ぐっ、頑張ります」
顔が真っ赤になっている。ユウタは、ホモではないので逃げ出してもいいのではないだろうか。
無論、恥ずかしいからなのだろう。褒めて育てる、というのは難しい。
どう褒めればいいかわからないからだ。
「まずは、足元を把握することと切り払うことをやっていこう」
伸ばされる土の槍は、速いのか。打ち据えるタイミングも軌道を逸らそうとするが非力で合っていない。
「ふっ、うっ」
クラウザーの速度に合わせて、突きをするようにして早くしたり遅くしたり試みる。
汗が、僅かな時間で大量にでて3分と経たずに座り込んでしまった。
ゴブリンが、これほどの突きをやってくるとも思えないのだろう。無言だ。
「兄上、私もお願いできますか」
控えめな弟であるアレスが、にこやかに言う。だが、目が笑っていない。
咎めているようだ。わからなくもない。ユウタとクラウザー、アレスは血が繋がっていない。
やはり、血のつながりこそが重要なのだろう。
構えを見て、父親を見る。クラウザーを抱えて、汗を拭いてやっていた。
羨ましくある。ユウタは、ついぞそういう事にならない。
確信があった。構えをとるアレスに向けて、ゴブリン人形が土の槍で突く。
「はっ」
弾いた。ついで、弾く。踏み込んではこない。胴から足を払う。槍の軌道を見切ってか、ゴブリン人形を下がらせて打ち下ろしを避けた。斜めからの槍を切り落とすも自由自在と。そのように見えたから、突きを放っても、やり過ごされる。木の剣に土が削られる。
速度を上げて、右に左に散らしてみるも受けは上手。ぶつかるようにして、体当たりをしかけても当たらない気がする。振り子の連撃を左右からかけるも、反動と速度を乗せた攻撃をすっと避けるのだ。剣の才は、アレスにある。
あまり速度を上げられないのが、難点だ。アレスが怪我をしてしまう。
「速度は、これが限界でしょうか」
「怪我しちゃうからね」
「心配ご無用です」
そうは言っても、風聞がある。父親の前で、弟を打ちのめす兄にして限度というものが。
土の槍を打ち砕きながら、間合いを詰めてくるのだ。笑みさえ浮かんでいるのだから、気性が知れる。
アレスは、クラウザーに慮っていたのだ。目に見える形で打ち据えるわけにもいかず、格好の相手を得て剣を披露している。白い上下の服に上着を着た格好で茶色が多めだ。
木の剣で土の槍を短くして遊んでいるのだからたまらない。
「ここまでかな」
汗は、浮かんでいるものの体に土の跡がない。
「まだまだいけます。手加減をしないでください」
「それは、また今度かなあ。僕も用事があるからね」
「どんなですか」
「任務だよ。それ以上は言えないよ」
大体、輸送担当だったりする。
そうして、クラウザーへ近づき振り返って、もっとやりたいと、にんまりとした笑みを浮かべるのだ。
レナのほうを見れば、拳を突き出して型を試している。気合の声が聞こえてきた。
どうしたものかと悩んでいたのに、杞憂だったようだ。




