442話 鼻血が悪化する (トゥルエノ他 オデット設定
敵逃がす。
それは、間抜けの仕草だと思っていた。
敵と言葉を交わせば、殺せなくなる。だから、交えるのは剣だけでいい。
「よろしかったのですか」
そそくさと逃げるようにして、現場から離れた。事情を聞かれれば喧嘩両成敗になりかねない。
ユウタは、貴族の子弟で権力者側だ。ハイデルベルク公国は、ミッドガルドの属国になっているとはいえ好き勝手に振る舞っていいものではない。ザビーネと合流した。見失っていて、ユウタたちを見つけると顔面が蒼白から真紅だった。そっぽを向いている。寝ている間に犯されたらどうするんですか! という。
歩くに、夕日がさしていた。赤い光が白い雪に当たって眩しい。
「後悔はしてないよ」
「いえ、あの男の首を撥ねておかなくとも、という意味です」
「言葉ってさ、難しいよね」
「はあ」
解せないという顔だ。後ろでレナが息を荒げている。いまにも目を回しそうな顔だ。
口からは舌をだらりとだして、よたよたとユウタとトゥルエノの後を追う。
「さて、しょうがないですね」
すっと空間に虹の丸い穴が開く。槍と盾を光る穴に突っ込む。穴は、閉じた。
トゥルエノがレナを背負って歩きだす。ザビーネを見る。顔を背けた。
人の通りがあって転移門が使いづらい。
やがて、ハイデルベルクに構える冒険者ギルドの前に来た。
寒い。口からは白い煙が出ている。扉の前には、人が立っていた。一瞥を寄越す。
カードを見せれば、木製の扉を開く。抗争でもあったのだろうか。
ユウタは、想像しつつ中へと入る。
人の姿は、多い。夕暮れなので、一日の上がりを精算しようという人間が列を作っていた。
見知った人間は、いないようだ。日本人の姿は、まばらにいるものの活躍しているのか心配になる。
「どなたかお探しですか」
「うーん。そういう訳じゃないけど」
レナを椅子に座らせて、少女が横に並ぶ。空いている席があったので、同じように座ることにした。
軽食なら出るようだ。酒は、でないものの豚の腸詰めにパンを食っている冒険者の姿があった。
一日歩いていたのなら腹も空く。羊人の女は、注文をする。
人の金で、食う気だ。
(騎士があの有様じゃあ)
心配になってくる。だが、男という生き物は女を得て成長するもの、なんて聞いた覚えがある。そうでなくとも男女の色恋は、永遠の題名になりそうなのだし。ユウタだって、目が覚めた時には、次こそ女の子といちゃいちゃしたいと思ったのではなかったか。
「では、ここで一体何を?」
「休憩かな」
レナは、テーブルに突っ伏して寝息を立てている。余程疲れたのだろう。ユウタは、回復の術に加えて気合がある。とはいえ、眠気に勝てるかどうか。寝込みを襲われて殺されたなんて、間抜けになりたくはない。レナを一旦家で寝かせてくるべきだろう。ついでに、休憩したっていい。
ハイデルベルクにいるであろう日本人から最近の様子を聞いておきたかったのだが……。
「あの者、今からでも追うべきかと」
「どうして?」
「痴れ者にて、お手打ちになさるべきです」
「うーん」
水晶玉を取り出して、遠見の術を使う。鳥のように、滑るようにして馬を駆る男を捉えた。
魔の術一つで、男の背中に氷の槍を突き立てることはできる。だが、やる気になれない。
彼は、己だ。一生懸命に頑張って運命に押し流された彼。
どうして、殺す気になれようか。打ち合う内に、相手は勝手にやる気を無くしていた。
「誰もが思うように生きられるわけじゃないよ」
「であれば、夫婦の仲を切り裂いてもよいと?」
「それは、違う。でも、そうである者は何かを掴む。何もしない人間は、何者にもなれないんだ。それがわかっていてもできないって思うんだよね」
切れ長の瞳には、怒りが籠もっていた。斬られかねない。所詮、男は女を得るために生きている。
良い女を得ることができれば、それはその段階で人生の勝者と言っていいのではないか。
違うというのは、その後の結果くらいであろう。
ちん●を突っ込んで愛されるというのなら、なんと楽なことか。そんなことはないと、ユウタは信じている。
「承服しかねまする」
「やっていいことじゃないよね」
「左様です。首を取り、晒しましょうぞ」
もはや、蛮族だ。むしろ、蛮族が日本人だったか。首を上げるのは、手柄ではあるけれども軒に晒すというのも世界におよそない。ヴァイキングくらいではなかろうか。レナを抱えて奥へ歩く。転移門を開く為の部屋がある。鉄製の扉を開き、中へと入る。殺風景な部屋だ。入ってくるための部屋と出る為の部屋がある。転移門を開くと、家の前にでた。
赤い夕暮れ時だ。通りは、赤みを帯びた建物が眩しい。
幼女を抱えた子供は、これまた幼女2人と話す。とりとめのない会話だ。
「おかえりであります」
「その子。寝てる?」
黒い髪に赤目。女の子の口元が痙攣した。僅かだが。
ミッドガルドは、治安が総じていい。子供2人で商売ができるほどに。
ヘルトムーアならば、どうか。考えられない。ということは、王国の治世が良いのだ。
トゥルエノの父は、道場を開いている。雷鳴流。一刀を基本にした流派だ。
(雷神を名乗ることは許されないとは、無念)
雷神流は、他にあって看板をかけた死闘になってしまう。東にある帝国が本拠になる。
「うん。ちょっと疲れたみたいなんだよね」
「ユー、寝るのが最近早いよね」
「ごめん。眠くってさ」
「いいでありますが」
羊の角が尻に刺さって、ユークリウッドは飛び跳ねた。
彼は寝ている間に連れ出されている。さながら棺桶を担いだパーティー結成だ。
ザビーネの攻撃に、追われるようにして逃げている。
赤い瞳は、喋るなよ、という窄まりか。さもありなんだ。
軽く電撃をユークリウッドの背中に放ってみる。微弱では、感じもしないようだ。
黒い鎧の肩を怒らせた女が屋敷に入っていく。ちらちらと振り返る。
「痛そうであります」
「何、やったの」
「何もしてないよ」
事実だ。だから、怒っているのではないか。理不尽だが。獣人の気持ちなどわからない。
眼帯をした女が口元に手を当てて、にやっとした。
「まー、これを食べて元気だすであります」
「ありがと」
「新作のピザ。食べる」
「ありがと」
ユークリウッドは、屋敷の中へ入っていく。追うと、腕を掴まれた。
「あの」
「うーん。気になるであります。一体、何があったのでありますか」
「何、とは」
トゥルエノは、聞き及んだ限りをしゃべることになった。
眼帯の反対側の目が真っ黒な風になっている圧には、耐えかねた。
まるで、見ていたかのように尋問されてへとへとだ。
木の椅子に座る。
「ふーん」
「もう行ってよろしいでしょうか」
「最近、よく見るけど…ユーウとどういう関係」
主だ。トゥルエノの電撃を恐れないだけで、至上の価値がある。
ヘルトムーアを見限って、移籍するのは決断ではあった。これからずっと、何処へ行っても裏切り者という汚名がつく。100年か200年か。功を立てる必要があった。
「主従の関係です」
「ずるい。それずるい」
「おふた方の方が……」
ずるいではないか。すぐ隣にいるとは、いつでも乗り込んでいける。
「姉上。よいではありませんか。ここは、ご協力をするということで」
「ぶーぶー」
なんだかよくわからない2人だ。せっせと台車を畳んでいく。完売と書かれた板が通りの方に置かれていた。儲かっているのだ。黒髪の少女からパンを渡された。解放されたトゥルエノは、扉を開いて中へと入る。門番が鍵を閉めた。
ユークリウッドの姿はない。トゥルエノよりも背丈が小さく子供を抱えていたのに。
先程の2人を思い浮かべた。背丈は、変わらない。両方ともに。
剣と槍が置かれていた。剣は、黒髪の方か。槍も剣も並々ならぬ魔力を帯びていた。
(魔力を帯びすぎた武器に、操られる危険はないのだろうか)
であるのなら腕前も、比例して侮れない。主の知り合いだから、迂闊な対応もできない。
2人もそうなのだろう。であるなら、状況は五分だ。
木々の間から、龍気が漂ってくる。背筋が寒くなった。余人は、平気なのだろうか。
ユークリウッドの屋敷には、化物が何匹もいる。なまじ感覚が鋭い人間は、抜身の刃を当てられているかのようだろう。1人だと、特にその傾向にある。鬱蒼とした木々を抜ければ屋敷があり、白い壁に芝の生えた地面で素振りをする子供たちがいた。
お辞儀をしながら、駆け抜ける。ユークリウッドの姿がない。
それほど時間はかかっていないのに、姿を消すこと風の如しだ。
エリアスという女の魔術師も苦労していることだろう。
あっちに行きこっちに行き、迷える小猿の如き俊敏さで道行きを変える。
屋敷の扉を開け、立つのは白いスカートに黒い布を纏った女が2人。よくよく2人という。
銀の髪をしている。ハイデルベルクの王族ではなかったか。
「トゥルエノさん、おかえりなさい」
「おかえりー」
「只今、帰りました」
気さくな性格だ。2人は、王族らしくない。アルカディアの王族などは、実に高慢であった。
「ユークリウッド様ならお風呂ですよ」
「一緒に入っちゃう?」
隣の少女が顔を真っ赤にした。こ気味良い音がした。馬の尻尾を引っ張られて取っ組み合いだ。
トゥルエノは、風呂場に向かう。すると、そこには幼女がいた。黒い外套に白い布を巻いた女が2人。
よくよく2人組に会う。
「こら、入るんじゃねえ」
「うるせえ。馬鹿野郎。チャンスじゃねえか。野郎の変態プレーを収める絶好の機会なんだぜ」
魔術師だ。片方は、錬金術師。エリアスという少女が、アルストロメリアという名の少女の腰にしがみついている。風呂場は、鍵がかかっていて入れないはず。何をしているのか気になったがザビーネは役職を放棄したようだ。
「お前なあ。お、良いところに来たじゃ~ん。トゥルエノ。こいつを峰打ちで動かねえようにしてくれ」
「げえっ。真面目が、2人。マジ、つまんねえ。おめーら、ババアになるまで何もしねえ気かよ」
婆婆とは酷い言われようである。確かに、黙考すべきことではある。
蝉の如く潜っていたとしても、報われぬ夏の日。
だが、
(彼は、そういう人間ではない。気が早いのではないか)
主として、相応しい風になってもらうべく諫言はする。風呂場で事に及ぼうとするなら、風紀を鑑みて停止すべきだ。金を錬成する術者は、異様な雰囲気であるからさっと指を首筋に当てる。動かなくなった。
「やべえな。おめえ。大したもんだぜ。っと、こいつ運ぶの手伝ってくれねえか」
「了承しました」
「かわってんなー。おめえさん。その口ぶりって疲れねえの」
「疲れは、ありません」
「そうかい」
上半身を持ち、エリアスが足を持った。気絶したせいか。肉が重みを増している。
アルストロメリアは、一体、何の為に風呂場へ侵入しようというのか。
理解できないままに、2階へと運ぶ。
階段を上がって、通路に椅子がある。右は、子供部屋がある通りだ。
椅子に寝かせる。右手の壁には扉があって、パン屋の2階と繋がっている。
そこから、件の2人が入ってくる。時には、王子も。
扉が開いて、入ってきたのは別人だ。白い布に赤い模様。フードを取るとくるくると独楽の如き金髪が吊り下がっている。鼻から、血が出ていて狂気を感じた。
「ごきげんよう。エリアスさん。トゥルエノさん」
「あー。こいつが狂ってんの、お前の仕業じゃねーだろーな」
「人聞きの悪い事を言わないでくださいまし。わたくし、色々と奉仕しておりましてよ」
隣に座ると足を組んだ。白磁の筒に見えた。
女には、気持ちを落ち着かせる香でも焚きしめているのか。良い匂いがする。
手には、苦労した痕跡すらない。
「いいけど、あんま無茶させるとこいつが出入り禁止になっちまうぜ」
「それは、困ります。ですが、無茶はしないようにと言いつけているのですわ」
「はぁ~。ほんとかぁ?」
「ほんとです」
信じて、というように唇へ指を当てる。大抵の男を虜にするであろう妖女に変貌した。
ただし、鼻から血が止まらない。
「おい」
四角い黒の手ぬぐいを少女に押し付ける。
「あら、あら。ありがとうございます」
「いいけど、気が付かねえってどういうことだよ」
鼻血で、白いローブが真っ赤だ。いっそ真っ赤に仕立てたほうが良いかもしれない。
それくらいに、血で池ができていた。
「家にくると、その状態ってやばくねえか。なあ」
同意を求められた。どう反応するべきか。思案していると、
「そんなに、垂らしてませんわ」
「つってもよー。ユークリウッドが見たら心配するんじゃ、お、おい」
冗談みたいに、ひっくり返るのだ。口からは、泡が出ていた。鼻からは噴水だ。
「やべーよ」
小走りに、扉を叩く。
「エリアスちゃん。なーに」
「ちょっと、こいつらを休憩させてやってくんねー」
「いいよー」
ユークリウッドの妹は、手招きして2人を入れる。赤い川がまるで犯罪の後だ。
後始末を任されて、布で床を拭いていると、
「何をしているの」
と、怪訝な声をかけられて目眩がした。戦いよりもなお鼓動が波打つのだ。




