440話 カタコンベ迷宮でレナと
白い眼で見られるのも、久しぶりだった。
居心地の悪さもひとしお。ユウタは、まずいたずら目的ではないことを理解してもらうのに疲れた。
(むー)
寝息を立てている女の子は、板の上にいる。先行するのは、ザビーネだ。
「あんちゃん、すけべ」
眼の前が暗くなった。恐るべき破壊力で、精神を抉られた気がしている。
「すけべなことをしようとしたわけじゃないからね。そこのところはわかって」
スケルトン類をどれだけ倒しても弱い敵ばかりでは、強くなれない。
そう、レナを強くするのが主眼であってスケベが目的ではないのだから。
2層をすいすいと進むザビーネは、飛ぶ斬撃なんてあるのだから敵がいない。
「あんちゃん。すけべしたいなら、するけ」
「いやいや」
目が熱くなってきた。
「あんちゃん、泣くくらい嬉しいのけ」
「いや」
北門にいる貧民は、皆殺しにするべきではないだろうか。ユウタは、そこにいる全員が悪の根を持つように思える。悪ならば、始末しなければならない。男であれ、女であれ、老いも若きも疾く早く肉片にしてばら撒くべきだと。
「にゃあ、にゃんにゃん」
猫の真似か。よくわかっていないのだろう。彼女は、無知で彼女自身の事がわからないのだ。
己の身に何が起きているのかもわからないように思えた。
この世に、神はいないし正義の味方などいない。わかっていることだ。
「すけべは、好きな人ができた時にしかしちゃだめだよ」
「そうなんけ。とうちゃん居なくなったら、おら、ひとりぼっちだ」
「うちに来ると良いよ。学校に行くのもいいね」
レナは、革の兜の下で目を輝かせた。しかし、学校に行ってもいじめられる事が目に見えているのだ。わざわざ学校に行かせるべきだろうか。ミッドガルドの学校というと、貴族に平民が入り混じっていて迂闊に触りたくない。10歳だと、小学4年か5年生だ。レナは、何歳に見えるのか。戸籍があるのから調べないといけない。
(ちょっと待てよ? 戸籍、ひょっとしてないんじゃ)
時折、痙攣しているナマコのような魔物が転がっている。前を行くザビーネは、多数を相手にしても余裕のようだ。骨兵に腐乱した死体の残骸が足元に散らばっていた。
「あんちゃん。学校って、どんなとこけ」
「うーん。お勧めしといて、なんだけど。人が一杯だね」
「あんちゃんみたいな人ばっかりなのね」
「どうだろうねえ」
ユウタみたいなのは、むしろ少ないだろう。男と目が合えば、殺したいなんて考えている気狂いなどそうそういるものでもない。己以外の男が消滅すれば、ひょっとして愛されるのではないかなどと。愚にもつかない思考が浮かび上がってくる。
(助けるばかりでなくて、自分で考えて行動してもらわないといけないんだけど。うーん)
迷宮では、常に思考しないと生きていけない。ユウタのように術が使えるようになるまで、レナが育つかどうかなのだがそこまで責任は持てない。回復の術を一通り使えるようになれば、パーティーで重宝される。なら、適当なパーティーを組ませればいいのだが、レナは剣も槍も使えるようではないし農作業をやったくらいだろうか。
「学校って、何すんのだべ」
そこからだった。ユウタは、大抵の事を知っているが知らない事の方が多い人間だっているのだ。かといって、貴族の作法だなんて知らないしダンスの一つも踊れない。剣は踊りなんて喩えられるものの、そこまで打ち合わない。目測で斬れるかどうかわかってしまう。斬れなかった相手は、少ないし出会った敵というのは大概2つになっている。
「勉強だよ」
「勉強? 何だべそれ」
骨のかけらに錆びた剣を袋に入れていく。インベントリがごちゃ混ぜになるからだ。インベントリにゲームよろしく整理機能があればいいのだが、段々と数が増えすぎたせいか。引っ張り出すのに時間がかかっている。一度、桜火に整理してもらう必要があるだろう。
「例えば、レナが持っているのは短い槍だよね」
「んだ。これで、突くさー魔物さー死ぬんだべ」
「その槍は、どうやって作るの、とか。槍で魔物を突くにしてもどうやって突くの、とかね」
「そうけ。んだ、あんまし行く必要なくねえけ」
ただ突くだけならそれでいいのだろう。ユウタがレナを学校に行かせる理由は、常識を身に付けてもらうためで学問もついでに習得してもらう為だ。かといって、行く気になれない人間を行かせるのは難儀するだろう。すぐに不登校になってしまうのが予想された。
道は、まっすぐで時折叫び声が聞こえてくる。飛び道具を使う骨兵もいるようなのに、危なげない。
骨兵だけで、周回するべきだろうか。ザビーネや既に成長した仲間と回っても、レナが技術を習得するのは難しいのではないか。レベルさえあれば、なんとかなってしまうだろうが。
「ないといえば、ないかな。あ、友達ができるかもしれないね」
「友達ってなんけ」
友達がわからない。ユウタは、目頭が熱くなるのを感じた。レナは、友達という概念を持っていないようだ。という事を教えてやるのは、父親の役目ではなかっただろうか。想像するに、会話のない親子だったのかもしれない。
「友達って、よく話す同じくらいの子だよ」
「じゃあ、ゆうくりうっどさー友達け」
「そうなのかなあ」
ひたひたと、戻ってくる緑色の髪をした女の子が、顔をニヤつかせている。素早い。
「それじゃあ、私も友達ですよね。ね」
「そうなのかな」
「そうですよ。レナちゃんとばかり話をして、ずるくないですか。ぷんすかですよ。師匠、えこひいきしていると思います。そこの人を叩き起こして、前衛をさせるべきです。違いますか」
といっても、トゥルエノは寝息を立てている。動く様子はない。歩いているので、疲れたようにレナが板に腰掛けた。ザビーネも腰掛けて、休憩に入ろうとしている。ユウタが先頭になった。が、先に行けば板は操れない。板は、後ろにある。棺桶を背負って歩く勇者のような感じだ。
「まあ、寝てるし。身体に負担がかかる技だから、明日、明後日まで寝ててもおかしくないんだよね」
「なんですか。それ、私にもかけてほしいです。電撃、もっと強力になってたら防ぎようがないです」
「まあ、剣士じゃ、ねえ」
「剣士って、電撃だせるのけ」
「出せませんよ。というより、電気を手のひらから自在にだすってずるくないですか。電気鰻さんですか? 彼女の家族も出すんでしょうか。気になります」
そんな訳、あるんだろうか。ユウタだって、トゥルエノの家族は遠目に見ただけでお家にお邪魔したことはない。一族を連れて、移住してしまったようだがどこから来たのって東の方とか。西に流れ着いたのは、また不思議だった。ユウタの知識に照らし合わせると、ヘルトムーアは日本の反対くらいに位置する。
遠見の玉で、色々と見えるのだが頭が痛くなって中断しないといけないのが難点だ。何者かが妨害しているようですらある。
見える位置に出てきた骨兵を土の槍が貫いて、崩れ落ちた。1,2つ、3つ。3体だった。
土の槍は、出すとそのままで後片付けが大変だ。勝手に消えてくれるならいいのだが、地形を操るとそのままなのである。
「全員が使えるなら、凄いよね」
「師匠も、使ってるじゃないですか。今の土槍だってずるいですよ。そんなの使えたら、速攻で最下層まで行けちゃいますよね。っていうか行っちゃいましょうよ。ここの死なない骨に興味がありますので」
こんなにもしゃべる子だっただろうか。いつも、エリアスやらアルストロメリアがいたから遠慮していたのかもしれない。レナに気を良くしたのか、
「あの土って、何処にでもだせるのけ」
「相手の体内には、無理だね」
「できないのは、なんでだべ」
ご尤もな発想だ。相手の身体に魔力がないのなら、魔術が効かないどころか直打ちができてしまう。直打ちとは何か。直接、魔力、呪力を送り込んで操作、破壊をすることだ。稀に、日本人が紛れこんでくると魔力を持たないとかあるけれどすぐに死ぬのはそのせいだ。
「相手にも魔力があると、それが妨害してくるからね。逆に、全く持たない相手なら悲惨な事になるよ」
「んじゃー、治癒の術さー味方にかけれても敵、っていうのにはかけれねえのけ」
「遠隔だと、ね。直接触れば、別なんだろうけれど。それだって鎧や服に仕込んである術式が阻んだり作用して弾いたりね。相手の身体をまず破壊しようっていうのは、それ考えないようにしてね」
いや、もう見習い侍祭の考えることではなかった。全く真っ更なのだ。レナは、つぶらな瞳で見てくる。 骨兵が、5。土の槍で串刺しになった。避けれないのは、人間のように思考がないせいか。
「だって、あんちゃん怪我しねえんだもの。おら、治癒の術を練習したいだ」
「それなら、トゥルエノで治癒をかけてみたらいいよ」
「名案ですね。でも、2人きりで変な術を試すのはずるいですね。私も山くらい断つ剣士になりたいので、ぜひ」
そんな簡単に強くなれたら、皆して経絡の門を開けようとするだろう。
かといって、ザビーネと戦うのは背筋が凍る。生死をかけた訓練だとか、セリアだけでお腹が一杯だ。
なら、できないのかといえば人形化の術で人形を操ればいいのだろう。
「山を断ってどうするの」
「えー、そりゃあ奴隷商人を皆殺しに」
「なんでだべ。奴隷商人さー悪いやつなのけ」
両手を女の子に当てて、レナが小首をかしげた。槍は、板の上だ。
歩きながら、同業者に遭遇しないように進んでいく。浅い層なので、人が多い。
「悪い奴らですよ。羊人を捕まえて、いえ獣人を捕まえて売り飛ばすなんて平気でするんです。いつかきっと皆殺しにしてしまわないといけません」
「奴隷商人さ、獣人売る。獣人って、なんけ」
「こんな角の生えている人のことです。銀色の毛並みだと特に高く売れるって、えっと売りませんよね」
「僕ですか? 売りませんよ」
質屋じゃあるまいし、家に住み着いている羊が匂いをさせないので置いている。すっかり動物園と化してしまった己の部屋を思い出して、鼻を刺激する匂いがないことを思い出した。常識からすると兎なんて、かなりの激臭だし、羊だってそうなのだが。
匂い取りなんて置いていない。あからさまに大きな息がした。
呆れているのだろうか。
「なんで売るのけ」
「高く売れるからですよ。魔術の材料なんかにもされちゃったりして、ですね」
「そりゃ、おっかねえ。あんちゃん、奴隷商人さ倒さねえと」
すっかり、レナの中では悪になってしまった。そのうちに奴隷商人さ、殺すべ、とまでいくに違いない。
彼らは彼らで需要があるから、商売でやっている訳でミッドガルドは現代の日本ではない。
「魔術の材料って、魔術師協会が絡んでいるのかな」
「どう思います」
「売られている現場を抑えるか、取引を禁じるか、対策をするのが良いかな。んー黒魔術、羊系魔物召喚に使用するのかもしれないけど・・・」
「羊人の身になって欲しいです」
延々と角でも切り取られる、或いは獣化させて毛を刈る。想像するに、獣人側は気分が良くないだろう。
「ほんとだね。そろそろ部屋だね」
人がいる。待機しているのだろう。迷宮の奥へ進む為の部屋だ。他に下への入り口になるポイントは見つからない。風の術が使えるなら、地図を作る必要もないのが利点だ。最も、他に強力な魔術師がいるなら話は変わるけれど。
入っていく男女との会話はない。視線が、訝しんでいたけれど気にしていては切がなかった。
「あんちゃん、おら、ろくに戦ってねえだ」
「そうだねえ」
ユウタは、木の棒をインベントリから取り出す。すっと、レナの頭に棒を乗せた。
避ける素振りはない。
「冒険者っていうのは、油断しちゃいけない稼業なんだよ。常に警戒していないと」
「どういうことだべ」
鈍い音がして、鍵がかけられたようだ。中に入れないように内側からかけたのか。
そうでないのかわからないが、外から入れないと思える。破壊すれば、なんてことないのかもしれないし破壊できるとも限らないが。
「急に、人の気が変わることだってあるってことだよ」
「そんなこと、あるのけ」
「ありますよ。レナちゃんは、女の子なんですから男には気をつけないといけません」
「なして?」
「なしてって」
ザビーネがユウタの顔を見た。ユウタは、首を横に振る。
「例えばですよ。ここは、迷宮ですよね」
「んだ」
石が外れる音がする。扉の方だ。歩いていくと、引いて扉が開く。
「ここは、三方向に通路がありますよね」
「だべ」
「別の~パーティーがやってくる可能性も3倍です。そして、私達を見る。どう思うと思いますか」
人が寄ってくる気配はない。奇襲なら、あっておかしくなくてトゥルエノは守りきれるか微妙なところだ。石の窪んだ扉を引く。中には、大きめな骸骨がいた。動く様子はない。板の上の1人と歩く2人が入ってくる。巨人にしては小さな骸骨の目に赤い輝きが灯る。すかさず土槍を出す。避ける間もなく上から下に突き刺さって、手にしていた剣が乾いた音を立てて転がる。
扉がしまって、鍵がかかる様子はない。むしろ、鍵は石の棒だった。
「なんだべ。わかんねえって」
「それではいけませんよ。男は、快楽のために女の子を襲うんです」
「そんだら、どうすんのけ」
「まず、押し倒して股間の物を打ち込むんですよ。こーんなので」
手をレナの股間に持っていく。ユウタは、すかさず緑色の頭を軽く叩いた。
「あいたー頭割れるかと思いましたー」
「うーん。まあ、間違ってないんだけど。それは、その」
「師匠みたく階層の主を秒で倒せる人なら、ね。奇襲されても大丈夫なんでしょうけど。ほら、レナちゃんを他のパーティーにやるなんて」
「案であって、それ10年早そう」
「長いですよ、それ。私お婆さんになってしまいます」
年齢不詳の容姿をしているのだから、獣人はわからない。
宝箱を探すものの、宝なんてなかった。剣は、大きすぎて振るうには錆びついていた。
こげ茶色の錆を落として使えるようになるのか。レナが持ち上げようとして、顔が真っ赤になっている。
「これ、持ち上げられるようになったら大丈夫け」
「いや、どうなんでしょうね」
どういう意味か。筋肉がむっきむきなレナを想像したが、できなかった。




