414話 性癖
ユウタは、痛みで目を覚ました。
まぶたを押し上げて入ってきたのは、灰色の毛だ。
起き上がると、顔を触る。濡れていた。何の液体か。枕元は、よく見えない。
「発光…」
魔灯に向けて鍵言を呟く。目が、痛い。顔を毛布で拭きながら、室内を見る。
頭の位置で、人の頭くらいの狼が逆向きで寝ていた。ごろりと、転がる。推測するに、セリアが寝小便を吹っかけたということなのだろう。痛みは引いたものの、ベッドの横にメイドが直立不動の姿勢で立っていた。
心なしか、顔が赤い。問題だった。主人とはいえ、部屋に人の姿でいるとは。
「おはようございます」
「…おはようございます」
遅れて返してきた。何をしているのだろう。間が開いた返事も、可怪しさを伝えてくる。
セリアにいたずらでもしたのだろうか。枕は、びっしょりと濡れていてひよこと狐が並んでいる。
(こいつら、寝小便しないけど…。セリアはなんなんだ)
小学生だったら、寝小便をするのもしかたがない。灰色の毛並みを抱えると、万歳のポーズで伸び切っている。尻尾を撫でながら、
「朝だね。何か用なのかな」
「はい。お食事の用意は、できております」
不思議だった。時計は、6時を針が差している。部屋には、人の気配がしない。
アルーシュたちも帰ったのだろう。ユウタは、早々に寝てしまった。股間に違和感を感じている。
狼が邪魔で確認できないが、股間が張り付いているような感覚だ。
「ありがとう。起こしに来てくれたのかな」
「そういう事でございます。それでは、失礼します」
そそくさと出ていく。枕の横にあるサイドテーブルに、ローブと黒いパンツが置かれている。
まさか、知っていたのだろうか。パンツまで用意されているのだ。布を張り合わせたタイプである。
灰色の尻尾を撫でていると、精神が落ち着いてきた。
ユークリウッドならば、セリアの身体を地面に投げつけるくらいの事はしたかもしれない。
足方向にいる羊によりかかった。もこもことした感触が素晴らしい。
すっかり動物園とかしているユウタの部屋。
(悪くない。このまままた寝てしまいそうだなあ)
ずっと寝ていたい。だが、そうも行かない。ユークリウッドの弟たちは、あまりにも貧弱だった。
ユウタの弟でもある。鍛える必要があった。張り付いて教えるわけにもいかないから、師匠が必要だろう。部屋の中を飛び回る魚を見て、視線が合ったのにぷいっと飛び回る。
頭に浮かんだのは、ザビーネ。次点でトゥルエノ。剣を使うだけでは、騎士も務まらない。
立ち上がって、ローブを羽織ると狼を狐の横に添えた。狐の尻尾も魅力的だ。
羊のもこもこが名残惜しい。普段は、何をしているのか気になるところだ。
(行かなきゃなあ)
扉を開けて、外へ出る。朝は、まだ早い。肌寒かった。
真向かいの部屋は、妹の部屋だ。寝ているのか音はしない。左に向かって歩く。
灯りがついて、家の中は明るい。桜火がつけているのだろうか。スイッチは、ない。
魔術かスキルが使えないと灯りをつけられないのが難点だ。
(シャルロッテが成長したら、どうなるんだろう)
妹は、人と魔族の合の子だった。背中の蝙蝠の羽といい、魔力を使う事ができるのかできないのかわからないという。
(がたがた抜かす奴がいればぶっ殺せばいい)
なんて思ってしまうのは、きっとユークリウッドではないか。ユウタには、そんな感慨はないはずなのだ。妹とは…ともすれば、ライバル的な位置づけで庇護するというよりは争う関係になりがちだ。今のところそんな関係になっていないが。
廊下の左側に通路が伸びている。何時の間にか出来た入り口だ。オデットとルーシアの家へとつながっている。勝手に作ったのではないだろうけれども、心配でしかたがない。階段を降りていくと、声がする。玄関の向こうから掛け声がした。
開けてみると、クラウザーとアレス。それにザビーネが並んで素振りをしていた。すぐ横から、
「おはようございます。お早いお目覚めですね」
「おはようございます」
トゥルエノが、挨拶をしてくる。背丈は、ザビーネの半分程度しかない2人は汗だくになっていた。
大丈夫なのか。
「弟さま方を鍛えてもよろしいのですか」
誰かから言い含められたかのような言い方が気になった。
「もちろん。ゴブリン狩りにでも連れて行ってくれればありがたいけれど、冒険者証とか持ってる?」
記憶では、トゥルエノは連れて行っていない。というよりも、ステータスカードを作っていないのではなかったか。ヘルトムーア王国でのカードが流用できるのなら、それにこしたことはない。
王都にも、訓練用の迷宮がある。
「作り直しました。ザビーネとルドラが引率してくれるそうですよ。私もお手伝いいたします」
「助かるなあ」
助かるのは、事実でユウタが引率したのなら効率は良いのだろうが怒りをぶちまけてしまうかもしれなかった。何にしても、男なので自分で歩いて行けよと思ってしまう。
「今日は、どちらに?」
「多分、ヘルトムーアに行くかな。朝の仕事が終わったら」
城にも行かねばならない。月一で、魔力の補充が必要なのだ。城の結界器を点検したりだとか、水瓶が動いている確認だとか。
「下水道に行くんなら、追いかけるよ」
「1階にいると思います」
ステータスカードを取り出す。すっかりスマホの要素が盛り込まれている。
誰の仕業なのか。要望が、逐次上がっているに違いない。ただ、匿名性のある掲示板コーナーは未実装だった。通信も制限がかかっていて、迷宮内でしか使えないものだったりする。
トゥルエノは、前髪をいじっている。
「それじゃあ、また後で」
「どちらへ?」
「ヘルトムーアの拠点だね」
前線の倉庫で、お仕事だ。ひたすら、木箱と樽を並べていくのである。
人手がいるものの、セリアは手伝いに来ない。彼女以外では、肉体労働に向いている人間も少なかった。モニカは、呼べば来るかも知れない。転移門を開いて、移動した。
◆
「疲れましたよ~」
間延びした声に、怒気が湧いてきた。男なら黙って働けと言えるのに、女はすぐ疲れたといってサボる。
力仕事なので、仕方がないとはいえ…
「もう少し頑張ろう」
「さっきからそればっかりですよね。待遇の改善をしましょう」
モニカに、チィチが釣れた。次いでに一緒にいたグラシアという狐の女がついてきた。
廃墟と化したヘルトムーア王国の首都から、前線は遠くて近い。転移門を使えば、一瞬だ。
戦い? 前線でちょろちょろやっていても敵の士気は低いように見受けられる。
なぜなら、ミッドガルド軍もまたアルカディア兵が主体となっていてやる気が薄いからだ。
「タイムカードは、用意しているでしょう」
「手書きだから、書き換えが可能ですよね。ステータスカードの採用を進言します」
チィチが知恵の回る女だ。モニカのように騙されない。ユウタは、すっかりブラック経営と化している事に気がついた。社長であるアルーシュたちに改める意思がないのだ。経営は、拡大路線を取る一方で非正規雇用が増大している。
すなわち、傭兵だ。傭兵。金で動く何でも屋だ。道徳も糞もあったものではない連中。
皆殺しにしたい。誘拐、窃盗、強盗、脅迫、恐喝、強姦、痴漢、殺人、拷問何でもござれである。
「勤務時間は、その相談で…」
「ふふ。わかっています」
ほっと胸をなでおろした。弟たちの世話は、他の人間に任せられない。
アルブレストの家に仕えている従者というと、老爺であったりレベルも禄にない兵で心許ないのだ。
チィチたちもまたザビーネたちのように良くしてくれている。
「この後は、何処へ行くんですか?」
転移門を出して、移動だ。
城の入り口へと向かう。白い壁に、突如現れた子供にぎょった視線だ。
後ろに3人。ミミーとミーシャは斥候をしているのでいない。
「城の中に、補充があるんだよねえ」
門番は、簡単な記入ですんだ。ステータスカードは、便利になっている。
中へ入れてもらうのに、時間を取られた。
「凄いですね」
「チィチって、ミッドガルドの城に入るのは初めてだっけ」
「はい」
グラシアは、背丈がある。エリストールと同じくらいだろうか。見下ろす視線は、不安そうだ。
「わたしも、ありません」
「ふーん。それで、中に入ったら暴れないで欲しいんだけれど。約束してもらえるかな」
「暴れるような事になるのですか?」
あるのだ。煽ったり、差別したり、罵ったりと。獣人は、劣等と決めつけるミッドガルド人は居ないわけではない。むしろ、ミッドガルド人以外は差別しているといった方がいいか。言葉に、態度に、言外でわかる。
日本人は、まるで差別しないとよくわかるのが・・・
「わざと、足をひっかけようとしたりね。不親切だったりするし、無視なんて当たり前だし。何かしたら、逮捕、拷問なんてことも」
「なるほど」
ユウタは、フリーパスであることも多い。
チィチの尻尾は、細長い。毛がもこっとしていないのが残念だ。一番背が高く、なおかつ目の前にグラシアの金毛がくると思わずむしゃぶりつきたくなる。どのような感触だろう。肉感たっぷりに見えた。
正面から入るに、高い城門を抜けて奇異の視線を浴びながら道を左に逸れた。
遠回りだが、騎士の行き交う中央よりはマシだろう。
「正面が、城では?」
「左からでも右からでも入れるよ」
中央に噴水が見えて水の水路が適当に作られている。手間暇かけての金満ぶりだ。
贅沢にしか思えないが、魔術による建築が進まないので大工費用というのがいる。
「浮遊城、ありませんけれど何処にあるのでしょうか」
「あれね。近寄らないと見えないからね。この距離からでも、見えないねえ」
嘘である。ユウタには、綺羅びやかな金色と白の城が無駄に浮かんでいるのが見える。
姿を隠すのも魔力を必要としているのだから、どこから持ってきているのか聞きたいところだ。
左側でもすれ違いざまに舌打ちが聞こえて来そうでどきどきした。
「浮かぶ城というのは、戦争で有用そうです。アルカディアにある天空城をヘルトムーア王国に持っていけばすぐにでも制圧できるのでは? 何故、持っていかないのか不思議ですよ」
その通りだ。しかし、何でも思い通りに事は進まないのだ。人の心というものは、簡単に服従しない。
ヘルトムーア王国を落としても、今度はアルカディア領で反乱となれば片手落ちで苦境に立たされてしまう。
旧王族にでもまとめ役をやらせた方がいい。だが、アルルにも何か考えがあるようだ。
「それができればね。いいんだろうけれど、僕らには及びもつかない何かがありそうだしね」
ラグナロウ大陸西方は、まさに戦乱の地と化している。中でも、ヘルトムーア王国の荒廃とロゥマ共和国の崩壊は凄まじいとか。何もしなくとも魔族やら魔物でロゥマは滅亡しそうだと聞く。
鉄製の扉を開けて西門から入り、城の中へと進む。いくつかの扉を抜けて、その度にカードを見せる羽目になる。
「その、いつ来ても金ピカピカで目がおかしくなりそうですよ」
「モニカ殿は、セリア殿と一緒に参内しているのですよね」
「いつもねー。でも、影移動が多いからねー。城の中だって、セリアさまの部屋があるし、すぐだもん」
ユウタの部屋は、ない。部屋を作ろうと言い出した事もあったような。だが、ユークリウッドが断固として拒否をした。曰く、家に帰らないと落ち着かないと。アルーシュ辺りは「何処で寝てもいっしょだろ」と言っていた。
何処で寝ても一緒ではない。
中の階段を上がって、降りて迷路を抜けていくと着いた。
大きな扉だ。開けるのに、相応の魔力を込める。止める騎士は、いない。顔でわかるという感じか。
「これは」
壁に水が流れている。水膜が垂れ下がって、きらきらと反射していた。床は、石で石畳も濡れている。
進んでいくと、
「凄い。これだけの水を出す魔道具なんて見たことがないです」
「狐様に帰っていただかないといけない理由。同じなのです。水瓶の神具なのでしょう? これほどのもの」
狐人族の国は、遠い。コーボルト王国の更に向こう。とてもではないが、時間がなかった。
しかし、尻尾の為ならなんでもしようと思う。
斜め前を行くモニカの茶色く伸びた尻尾を掴む。こりこりしていた。ちょっと硬すぎる。
「モニカ殿? いかがなされた?」
ふにゃあっと座り込んだ牛娘に、ごめんなさいと心の中で謝りを入れた。
おっぱいよりお尻より尻尾じゃね? 未来では奴隷なのだから、何をしたっていいはずだ。
嘘だ。そんな事をして良いはずがない。葛藤していたら怪しみの目でチィチがじっと見つめるので。
素知らぬ顔をして、石版へと近づく。石の台座が魔力を欲してか明滅していた。




