412話 褐色の物体 (シャルロッテ、クラウザー、アレス、ゴンザレス、フィナル、セリア
風がびゅうっと入ってくる。
応急処置として張られた板の隙間からだ。原因となった女は、横で湯気を上げる焦げ茶色の水を啜った。
「ふっ。要するに女に振られたのだろう? よくある話ではないか。取り返したければ、殺して奪えばいい」
馬人は、しょんぼりした。情けなくも倒されて、見逃されている始末だ。
ユウタであれば、腹を切って果てている。いや、当人だから何度でも挑まずには居られなかったのだろう。馬人ことゴンザレスは、肩を落としてだんまり。
「うーん。あの人には、勝てないかもね。ちょっと、無理なんじゃないかな」
「不意をつけば、良かろう。それでも、倒せないのか?」
どんっ、テーブルに置かれた茶褐色の物体。鉄球なのだろうか。乗っていた唐揚げが、粉砕されて飛び散った。馬人は、口を開けている。ユウタは、セリアを見た。
「チョコレートだ。受け取れ」
隣の男が、椅子ごと移動していく。反対側では、むくつけき男に攫われていくゴンザレスの姿があった。
半裸の筋骨隆々な男2人に、担がれて隅っこに追いやられた。にこやか笑みを湛えて寄ってくる女がいる。顔を戻すと、脇腹を突く女の子の指がめり込んだ。鎧が、変形して穴が開く。断じて穿孔機などではないのだが。
「食え」
褐色の物体を触る。硬い。とてもではないが、人が食べるものではない。背後では、馬の気配がした。馬の尻尾を揺らす女だ。顔は、セリアとの喧嘩か何かで腫れ上がっている。
「あら、セリア様。このような武器でいったい…食べられませんわよ。これ」
食べられない。事実だ。ユウタとて、鋼鉄の歯をしているわけではない。なので、武器を噛んで破壊するなんで真似は試したこともない。竜化のスキルでも使用すれば、或いはどうにか食べられるのかもしれないけれど。無駄である。
「食えないことはない。見ろ」
狼娘は、細い指で突起を削りとると口に入れた。ごりごりという音がする。人の歯では無理だろう。試しに突起を摘もうとしたが、取れない。渾身の力を入れないと取れない。やっとこ取って、口の前に持ってきたが、摘んだ指先が硬さを教えてくれる。
「これは、ね」
「早く食えと言っている。私も暇では無いんだぞ。このあとは、夕食があるんだからな」
夕食前に食べては、太ってしまう。チョコレートは大好物だが、セリアが作れるとは意外だった。
固形物のような何かを貰った事があったが、鉄球とは…。
「わたくしのも」
と言って、差し出された手には何もなかった。影が目の端に映る。セリアだ。
手には、何かを握っていただろう。なのに、素知らぬ顔をした。一方のフィナルというと涙目になっている。なんというえげつない行為だろうか。出された代物の姿が目に映らぬとは。
「あの」
「早く出したらどうだ? ユークリウッドも待っているぞ」
「返してくださいまし!」
「知らないな~ぁ」
困った子だった。2人して不毛な争いに突入しようとしている。セリアの作ってきたチョコレートは、歯が痛みを訴える硬度だ。とてもではないが、食べられない。舐めていても、苦味が強くて変な味だ。甘さがない。異臭がしない石のようなチョコレート。もはや、チョコレートと言えるのだろうか。
「返してあげなよ」
「ふーん」
立ち上がって、影に身を沈める。逃げた。残ったのは、鉄球じみたチョコレートと唇を噛み締めて眼尻を濡らす女の子だ。
「ということも、想定済みですわ。はい、どうぞ」
差し出されたのは、箱だ。白い箱に、ハート型をしたリボンがついている。しかし、バレンタインだったりすることはないのだが。そんな日でもない。ウォルフガルドには、チョコレートを贈るという風習もないはずだ。誰の差金か知れないものを易易と受け取っていいのだろうか。
ユークリウッドの顔は、イケメンである。きっとモテる。
「ありがとう。しかし、いいのかな。というか、誰が言い出したの。くれるというのなら、貰うけど」
「いつも、お手伝いをしていただいているお礼ですわ。おほほ」
「そうなんだね」
連れ去られた馬人には、奴隷には見えない獣人の女が群がっている。何も心配する必要はなさそうだ。
「ユークリウッド様。ご歓談中、失礼ながらお話したい事がございます」
背後で、馬人の女を押しのけるロメル。紙束を持っている。なんであろう。
受け取りながら、目を通す。ちらりと、フィナルの顔を見るとにぱっと笑みで返してきた。
なんとも、華のある子だ。将来は、きっと美人になるに違いない。
「これは…」
「はい。都市の全周を覆う壁と外郭都市構想です。都市の防衛を主としたものですが、いかがでしょうか」
壁で覆う案だ。その上を列車が行き来するという。どれだけの金がかかるのか知れたものではない。
計画だけにしておいて欲しい。そもそも、まだインフラも禄に整っていないのだ。治水から始めるべきだし、ダムの建設と道路の整備だけでも金が唸るほどいる。
商人たちには、税を課すとして持ち逃げできないようにしておくのは当然だった。
「まだ、早すぎます。まずは、農地の開拓からでしょう」
「は、当面の食料は輸入にて賄うところなのですが」
頭の痛い話だった。コーボルト王国との戦争が終わってみたものの、その傷というのが大きすぎて復興に時間がかかる。人の居なくなった土地といい、村人全員が浄化されてしまった例に暇がない。そして、対するコーボルトもまた甚大な被害がある。狼人の怒りも、また激しいものでやられた分だけやり返すという。
開墾だって、人がいないとできない。維持も人がいないとできない。人がいないと社会基盤を拡張できない。魔術で破壊はできても、複雑な構造を作るとかいう事ができないのだ。手軽に、両手を合わせたらなんでも元に戻せたらいいのに。そうではないから、時間がかかる。
いわゆる破壊の一方通行。
「お金、かかりそうですね。自給まで、どの程度かかりそうですか」
「目処は、立っておりません。早くて3年はかかるかと」
絶望的だった。人口は、簡単に回復しない。蘇れた人にも限りがあって、元通りではないのだ。
「そろそろ、行かなくてよろしいのでして?」
「う、そんな時間かな」
馬人の女は、隣で赤毛のメイドと話をしている。立ち上がると、紙の束をインベントリへと放り込む。
転移門で移動するべく立ち上がった。
◆
兄であるユークリウッドが現れる時は、決まっていない。
話も何を話していいのかわからないので、クラウザーは黙っている。
気の利いた事でも言えればいいのだが、王子の機嫌がすごぶる悪い。
(兄上が、遅いといつもこうなんだよな。というか)
どうして、王子が家に現れるのかわからない。
ユークリウッドと親密な関係にあるとしたのなら、婚約者はどうなるのか。
頭がおかしくなりそうなので考えるのを途中で止めた。
(僕が、考えるより父上が考えているだろうし)
王子は、王になる。
当然だが、ユークリウッドも父親であるグスタフの跡を継ぐ。
ならば、クラウザーは? 騎士になれれば、幸いというところか。
周りを見れば、そんじょそこらに居ない女の子ばかりだ。学校に行っても、家で会う女の子たちの方が可愛い。しかし、結婚できるとかスケベな事ができるとかいう事はないだろう。彼女たちに何かあれば、首が飛ぶか手足がなくなるか。
(良いな~っていう奴もいるけど、目に毒な気がしてくるんだよな)
決して手に届かない花なのだろう。本来であれば、目にすることもない。
しかし、何故、王子の婚約者たちがクラウザーの家にいるのか。
わからない。父親に聞いても事情があるとしか、答えないのだ。
「兄さん。またピーマン残してるよ」
「ああ。ちょっと、手がね」
弟のアレスは、気配り上手だ。あれこれと世話を焼く。剣の腕前というと、父親に褒められるくらいだ。
将来は、有望な剣士になるだろうと。何より、女に見間違えるほどの顔立ちをしている。騎士にならなくとも、商家に丁稚として奉公を望まれる機転の良さ。クラウザーには、無いものだ。
(兄は、どうやって王子と仲良くなったのだろう)
そもそも、貴族であっても王子がその屋敷に行くという話を聞いた事がない。
アルブレストの家は、貴族としては下の下にあるという。シャルロッテンブルクという領地には、行った事もない。広大な領土だと言うが、父親のものではないらしい。
(そもそも、王子は何故屋敷に来るのだろうか)
いくつも、疑念が浮かぶ。いくつもの国の王族が滞在するような家柄ではない。
もっと広い家格の上なんて沢山あるのだ。騎士爵というのは、男爵家に毛の生えたようなもので大半が領地を持たない。余程の大功を立てて領土を賜るのなら別である。
クラウザーやアレスを王子が意識しているとも思えず、話しをする雰囲気でもない。
話かけられたこともなかった。妹であるシャルロッテを撫で回している。
妹には、某かを話しかけているようだ。ちなみに、妹なのに殆ど話をしていない。
(話かけただけなのに、兄上に睨まれたし)
嫌われているのかと思ったこともあった。恥も外聞もなく泣きわめいた事を思い出すと、頬が熱を持つ。
「どうしたの。また考え事ですか」
「うん。まあな」
「稽古、どうしますか」
「後でな」
剣の稽古だけは、しておかなくてはならない。騎士になるのだから、読み書きと騎乗は必須だ。
魔物を倒すのなら冒険者だが、エルザは騎士になって欲しいようである。
商家になる道もあるのではないかと思うのだが、何かにつけていい子は居ないのと聞いてくるのだ。
(家の子に惚れると厄介なんだろうな。それくらいわかる)
ちなみに、好みではある。ただ、手を出せばどうなるのか馬鹿でもわかる。
スキルで、魅了などできれば…とも考えない。分に過ぎた持ち物は、身を焼くからだ。
アレスはどうであろう。気になるところであるが、彼もまた言い含められているはず。
にしても、遅い。兄が遅れるほどに、グスタフの汗が増えていく。
「殿下」
「なんだ。気にするな。なあ、シャル」
「兄さん、遅いです。ごめんなさい」
「うむ。まあよい」
撫で回している。シャルロッテを膝に乗せてあやしているかのようだ。
年齢は、同じくらいだが? 隣の女というと無心で肉を頬張っていた。
魔術師のようであるが、クラウザーの視線に気がつくとニカッと笑った。
(苦手だ。あの女の子)
なにかにつけて、売りつけようとしてくる。だが、買えない。クラウザーの小遣いなんてないのだから。
月に1000ゴル程度では、焼き肉棒が2つ買えるかどうかである。
ポーションは、値上がりして200ゴル。酷いときには、500を越えたりする。
学校の迷宮に潜るのも、元手がいるのだ。そんなときに声をかけてくるのが、2人組の女だ。
兄の知り合いだというが、何かにつけて貸付ようとする。
一度借りて、父親にこっぴどく叱られた。
やおら、入ってくる男女。ユークリウッドだ。席に座るや、苦悶の表情になった。
音は、足元からしている。対面には、王子。足を蹴られているような。
脂汗を浮かべていた。
(どういう関係なのだろう。わからない)
王子は、男だ。ユークリウッドも男だ。訳がわからなかった。




