389話 何もしないけど
腕をするりと抜けられて、向かった先は迷宮。
転移門で一気に、道程を省略した格好だ。錆びついた扉を開けて出た先には、蠍のような何かがいた。
最初から、戦力に入れられていなかったのであろう。
「眠いんだけど」
そう言って、1人で前に進むと。
馬鹿みたいに大きな魔物が、子供に襲いかかる。
飛ぶ尻尾の先は、100mくらい先からやってきて死ぬかと思った。
土の破片を幼女が展開する光の膜が防ぐ。
「貴方、どぅいうつもりですの」
短い杖を持つ幼女は、唇を噛み締めて下の唇から血を流していた。
目から、血の涙でも出して来そうな。そのくらい目が充血していて、怖い。
「どうって、アピールだろ。ほら、後発なんだから大目に見てくれよ」
すると、剣がスカートの中に突っ込まれた。避けられない速度だ。
「お前、さあ。確かに、結果を出せって、言われてるみたいだが。膜、破っちまうぞ」
踏んだり蹴ったりで、ぼこぼこにされそうな雰囲気だ。椅子に座ったまま、瓶を手に鼻息が荒い。
王女である。
「姉上がいなかったら…俺ぁ、真っ二つにしてたね。まじで」
「えへへ」
どこのチンピラだろう。エリアスともども、突っ立っている。
「だから、言わんこっちゃないって。俺、言ったよな」
だが、女は冒険するもの。黙っていたって、行動に移さねば手に入るものだって入らない。
「良いじゃん、減るもんでなし」
「どうやら、膜は要らないようだな?」
無くなったら、大変だ。再生治療やら移植で元に戻るとはいえ。ステータスカードに残ったりしたら、未来に関わる。
「や、やだなあ。アル様もやればいいのに」
すると、術の力で男になっている女は腕を組んで目を剥く。障壁には巨大な団子、にしては大きすぎる物体が激突した。無事だ。なんともない。アルも変化は元に戻った。
「昔、やったことがある。が、地面に埋められたぞ、馬鹿野郎」
ということは、初成功なのだろうか。腕を取るというのも、ひょっとして命がけかもしれなかった。
アルストロメリアは、地面に埋められそうになったらば。まず、足が折れて股が裂けるだろう。
「それは、災難でしたね。えへへ」
「えへへ、じゃねえ。この野郎。なんて羨ましい」
じゃあ、やればいいのに。だが、また埋められる可能性が高い。
「なんでなんでしょうねえ」
「それは、俺の方が知りたいわ」
蠍の魔物は、子供と思われる蠍を召喚しているようだ。迷宮内部の舞台となっている中央に向かって、円形になっている。四方八方に扉があって、そこから出てくるという。出てきたら、ユークリウッドの放つ赤い光ですぐに燃やされてしまうわけだが。
地面やら何やら溶解しても、すぐに元通りになってしまう。不思議な迷宮だ。
軽快な音がして、
「レベルが上がったか。雑魚だけでもレベルが上がるのなら、結構な効率だな」
はっきり言って、何もしていない。聖域と呼ばれる結界なのか。魔物を寄せ付けない上に、攻撃まで防ぐ。出鱈目だが、楽である。何もしないで利益を得るのは、最高だ。男が働いて、女が安全なところで指揮をとる。これが、普遍的な格好なのだ。
男のように戦える訳がない。女は、労働にも向いていない。
日本人の本には、男女平等だとか書いてあったが。そんなものは、嘘である。
誰が、どう見たって女は働くように出来ていない。
「蠍の動きは、全然衰えてないんですけど。いいんすか」
蠍の上部を見れば、人の身体が生えているような。頭の部分だ。腕は、壊れていて胴体に穴が空く。
「あ、終わりましたわね」
始まってから、何分経っただろうか。アルストロメリアでは倒せっこない魔物だった。
ゴーレムを使っても、どう転ぶかわからない。そんな気がした。
フィナルが結界を解くと、オデットとルーシアが入ってくる。
「遅かったな」
「姉上が、風呂に時間をかけたせいであります」
黒髪の幼女は、顔を真っ赤にして抗議する。またも、巨大な鎧が現れた。円盤のような盾を両手に持った魔物だ。鎧の兜からは、赤い光が出ている。ゴーレムのような敵か。
サイズが違い過ぎて攻撃をもらったら、一撃で馬車に轢かれた猫になりそうな。
鈍色の鎧に包まれた身体からは、想像もつかない速度で走り出す。
「微妙な奴だな」
殴れば、そこに穴が空くのであるが。倒れない。穴は、塞がって元通りだ。
「意外と、やばい奴でしょ。あれ、どうやって倒します。打撃が、効かないとなると、あ」
言っている間に、細かく断片にされた魔物は真ん中が赤く光って動かない。
地面に落ちた欠片からは再生もしないようだ。
「なんだかなー。もちろん、お前らでは手に余るだろうが」
手にステータスカードを持ったまま、余裕の口ぶり。闘技場で観戦している気分になってきた。
右手に顔を向けると、白い鎧を着た女たちが立っている。
アルルとその臣下だ。
「人、増えすぎじゃないですか」
「全くだ。アルーシュの野郎まで来たら、もう場所を変えてもらわねばならんが」
「結界の持つところでしたら、問題ありませんわ」
鎧の魔物は、時間もかけずに倒されて次を待っている状態だ。時間は、と、10分も経っていない。
落ちている残骸というと、ユークリウッドがせっせと拾っているくらいで。
誰も他の女たちは、手伝おうともしない。出ていけば、死ぬのか。
「なーなー。外の素材って、拾えないん?」
「拾いにいって、敵の攻撃をもらっても責任は取れませんわよ」
なるほど。結界は、範囲を広げたりしていない。出る時は、一体、何時なのだろう。
21時にはなっていない。
「勿体ないと言いたいのか? 残念だが、ゲームと違ってな。突然、首がちょんぱされるかもしれん迷宮だ。確率変動とかいうスキルを持っていても、厳しいと言わざるえん。命が惜しければ、外に出んことだ」
勿論、そんなスキルは持っていない。なので、諦めるしかなかったが。惜しい。素材は、いくら有っても足りないのが現状である。破壊されるゴーレムを見て、悔しいと思わないはずがない。
しかし、なんだって1人で戦っているのだろう。
「あいつ、1人で大丈夫なんですかね」
すると、エリアスが口元に手を当てて肩を叩く。
「お前なあ。いや、わかるけど。あいつに、それ言ってみ。この世の終わりのような顔をされっから」
「端的に言うなら、アルストロメリアさんが言っていけませんわ。あの方、存外かと思われますでしょうけれど。傷つきやすいのですから」
「言わないようにしたがいいのな」
と言われても、1人で戦わせるのは心配ではないのか。それとも、信じているのだろうか。
彼は、スキルがなければ只の子供に違いない。
「でもですよ」
「足手まといだからな。基本」
そうなんだけれど。それを認めるのは、悔しくないのか。悔しいとも思わない差があるとはいえ。
「いけないことはないけれど…」
黒髪の幼女は、剣の柄に手を添えている。無骨な篭手が印象的だ。
柄の長い背負った大剣は、とても重そうである。
「きっと、余計に時間がかかると思うよ」
「うむ」
と、頷く。それでは、仕方がない。ステータスカードを見れば、
「げぇ! カンストしてる?」
「ほんとだ。おめえ、あー錬金術師ね。ふんふん。まだ、ファーストじゃん。ここの連中、他のも取ってて当たり前だから。頑張れよ」
何が、頑張れよだ。エリアスに対する殺意は、天井に達しそうである。
一体、どれほどの差が付いているのだ。ぶた女に負けている。この事実だけでも、七転して八倒して頭を九つ打ち据えるダメージだというのに。
女の敵は、やはり女なのだ。ちなみに、錬金王とかの称号も欲しい。
「ふん」
「煽るな。こいつが、また変なことをしでかしてパーティーが全滅とか目も当てられんからな。俺は、平気だとしても…よく考えれば死ぬのはこいつだけか」
しゅんとなった。最弱の錬金術師だった。戦闘には向かないし、ポーションを生産しているくらいが取り柄であった。ホムンクルスを作れても、戦闘ができるまでに育てるのは金がいる。子供を3500万ゴルかけて育てるよりもずっと。
円盾を持った魔物を倒して、次に出てきたのは影か。
地面に黒い沼のようなものが出て来る。天井は、明るい。空のように広さがある。
不思議だ。
レベルがカンストしたら、更なる上級職が待っている。極めるのもいいだろう。
錬金には、命の石と呼ばれる禁断の代物もある。
不老不死だって、研究の視野に入ってくるだろう。
「あれ、なんだ」
思わず、鑑定していた。しかし、黒い墨で覆われたようにして読み取れない。
先の魔物も読み取るのを忘れていた。
場所だって、知らない場所だ。転移門を開けないのだ。遠見の術は使えるものの、道具でしか開いてこれない制約がある。
「ダークファングであります。セリアと同類といったら怒られるでありますよ。ほら、亜種といいますか」
「似て非なる物だ。見ろ、口に」
デカイ瘤がある。人面瘡のようだ。目だって、おかしい。人間が、うじゃうじゃと詰め込まれて気色悪い。黒い影沼は、脈動して外へと広がろうとしている。それを、ユークリウッドは赤い光で縛っていた。負の力が、見ているだけで気分を悪くしそうだ。だが、影響はない。
ただ、見ていられない造形だった。気分を落ち着かせる為に、葛の花をすり潰す。
日本人から手に入れた情報であるが、デブにも効くとかいう丸薬だ。
ミッドガルド貴族は、食い過ぎで太っている者もいる。運動をしないで体重が減るというのなら売れる。
「お前、あれみても、大物だよなあ」
「しょうがねえじゃん。俺に何してろってんだよ。もう、素材でも作っとくしかね~だろうが」
貴重な情報だが、実験動物が必要である。日本人たちの世界と違って、鼠や猫を使えば天罰が下る。
考えどころであった。魔物だって、神がいるのだから。難しいのである。
「お前らだって、もっとこう自然にハグとかしにいけよな。日本人たちが言うには、普通らしいぜ」
「は? そんなのは……」
「まじまじ。日本人たちの世界でいう西洋ってココらしんですけど。普通に、抱擁したりするんです、あああああ」
障壁が解けた。飛んでくる爪のような何かが、透明な液体で受け止められる。
「バッカ、おめえ」
フィナルが、鼻血を吹いた。そのまま白目を向いているではないか。痙攣までしだして、オデットが抱きかかえている。同じように鼻血を流していた。幼女の白い顔は、真っ赤になっている。
透明な壁は、色々な物が突き刺さって心配だ。突き抜けて来るんじゃないだろうかと。
「ま、まあ。……やってみるか?」
「間違いなくぶっ飛ばされるであります」
「だから、いきなりやろうとするのが駄目なんだっての。いいか、良く聞けよ」
アルトリウスも鼻血を拭き取りながら、興味津々だ。
「どうやってやるというのだ。抱擁とは、またレベルが高いものを。奴も、最近は大人しくしているが」
「だから、ですよ。まずは、日本人の男を使うんです」
「ほう?」
蜜柑色の爪があり得ない程に伸びてきて、膜に突き立つ。明らかに狙ってきている。
ユークリウッドといえば、それを破壊しつつ胴を殴るところだ。
黒い獣の身体が、2つに裂けて沼に沈んでいく。すると、また違う形で戻ってくるではないか。
無限に再生するのだとしたら、厄介だ。経験値が溢れ出て貯蓄されだす。美味すぎて、失禁しそうだ。
「つまり、奴の常識に訴えるんですよ。普通にやっていますよと。そういう手で行きましょう」
「ほう。しかし、そこだけの常識な。限定でなくば、許さん。破廉恥極まりない」
意外な事に、顔を真っ赤にして剣先を向けてきた。
口元は、緩んでいるが。
「お前も、大概な悪党だな」
「いえいえ、王子様ほどでも」
「ふっふっふ。よろしく頼むぞ」
頷くと、青白い光が沼と獣を消すところだった。いい方向に転んでくれればいいのだが。




