372話 下水道を作る
暖炉に薪を焚べている。蝋燭の灯りで影ができた。家の中に入ったものの。肌寒い。
すぅすぅと寝息を立てている女の子が2人。
部屋の掃除をする事にした。
「石でできているから、寒いんだよね」
「作り替えますか」
「そうしたいところなんだけどさ」
結構、大変なのだ。セリアのように殴って解体するとかして、残骸は燃やせばいいじゃんというのならいいのだが。
「台所には、食べるものがないようです」
「そうなの」
中世には、冷蔵庫もなかった。従って、天井に吊るすような格好で保存していたりするものだ。
あとは、鼠に食われないように地下室を作って保管だとか。
日本のように紙袋で保管しているのは、未だにない。
手と手を合わせれば、紙袋ができるといいのだが。
トイレを探すに、どこにもない。
「トイレは、どこでしているのかな」
「厠は、なさそうです。外でしょうか」
扉を開けると、黒い鎧を着た兵が立っている。背中の紋章からミッドガルド軍のようだ。
背の高い男は、他の兵に指示を出している。直ぐ側で、そうしているものだから落ち着かない。
脇を抜けて、ぐるりと石の壁を回るものの。
(厠ねえ。なくないかこれ)
そもそも下水道が、ない予感がする。
「アルブレスト卿」
「はい?」
後ろから声をかけられた。振り返ると。細い面立ちに、不格好な鎧をした男が立っていた。
弾けた金貸しの男ではなくて、その手下でもない。
少年と言っていいのではないか。何処かで見た気がするものの思い出せない。
「ご指示を」
「ええと」
面食らうではないか。狭い道に、黒い鎧を着た兵士が並ぶようにして等間隔で立っている。
「ひょっとして、ここには下水道が来ていない感じですか」
「わかりました。早速、各家庭に配管を整えるようにいたしましょう。他には」
名前を知らないのでは、やりにくい。
「失礼ですが、お名前をお教え願えませんか」
「申し遅れました。わたしは、マクスウェル家門が1つ。ユンカース家のセルフィスにございます。以後、お見しりおきのほどをよろしくお願いいたします」
まじまじと顔を見るに、その面影はあるものの。はっきり言って、似てるが別人だ。
顔が、変わり過ぎて訳がわからないという。西洋人が、変貌する事はよくあるものの。
未だに慣れない。
立っている姿は、柳のようでどこか儚げだというのに。
(これが、まあ。おっさんになると・・・)
むくつけき筋肉の騎士が出来上がるのだ。
「どうかされましたか」
「いえ。できれば、いつまでに連絡を貰えるのか知りたいのですけれど」
「調査が進み次第連絡いたします」
「とりあえず、兵士を退避させてもらえますか」
ウンコを流してしまう下水道に、水を供給する為の設備を作る事にしよう。
石の家に入ると、
「どうかされましたか」
台所に当たる場所で、掃除をしようとしていたトゥルエノ。
「まずは、掃除をしておいて欲しい。台所からトイレを用意するから崩すよ」
現実なら、石壁を崩してそれを撤去するのに時間がかかる。
だが、イベントリというゴミ捨て場があるのだ。ぽいぽい放り込んでしまえばいい。
仕切りに木の板を置いて、それからスコップを持ち物入れであるインベントリから出す。
「左様でございますか」
板を削るのも、お手の物。石の下に管を通して、セメントで固める。
管は、錬金術士が作る塩化ビニール管。小さいと紙詰まりするので、大きめにして。
通りにも大きな配管を通す為に、穴を掘る必要がある。
外壁を登ると、すぐに堀があった。川のようでもある。
汚水をそのまま川へと流せば、汚染が始まるだろう。
となれば、浄水場を建設したりしないといけない。
本来ならば、これらを敷設するべきなのは領主であるハイデルベルク大公の仕事である。
「アルブレスト卿、少し、お話が」
「はあ、なんでしょうか」
壁から降りると、側溝をほっていく。メインの配管と、汚水を流していく道。
道を掘り進んでいく予定だ。
「このような仕事は、我らにおまかせを。卿には、ヘルトムーア侵攻軍の補給及び撃滅の指示がきております」
誰であろう。アルーシュかアルルか。その辺りに違いない。
「殿下が?」
「指示書が、ここに。ですが、飯までに間に合えば良いそうです」
どちらもやらないといけない話だ。今まで無視してきたツケとばかりに撃滅ときた。
「仰せのままに」
形だけでも、王子に忠誠を誓ったはず。すっかり忘れてしまいそうになるが。
日本人のように、働く人間はいない。配管敷設までに、一日かかってしまいそうだ。
◆
朝焼けが地面を赤く染め、中天へ至ろうとする時刻。
セリアは、敵国の王都で狩りをしていた。
かつては、人が闊歩していたであろう道にその姿はなく。
素っ裸に近い女が、地べたに伏している。冗談抜きに、邪魔でしかない。
「希望など、ない。絶対に、お前は私に勝てない。それが、わからないとはな」
幾度、叩きのめそうとも立ち上がってくる女は賞賛に値するだろう。
だが、容赦も油断もしない。
金のかかった生地が、ろくに残っていないのに回復の光がぶちまけられた女の赤い管を元へと戻す。
辺りは、血の海になっている。常人であれば、とっくに死んでいるだろう。
拍手喝采が鳴っておかしくない。
「まだ、ですわ。希望は、何時だって」
ある? ない。
「ない。全く懲りない奴だよ。お前は」
立ち上がるも、下段からの蹴りに対応できずに破岩掌の連打を浴びて沈む。
面白くない。成長するにしても、フィナルほどに至っている者の数が少ないくらいだ。
金の雌獅子というと、隣で腕組みをしたまま様子を見ている。
「あ、ああ」
王都には、人の気配がしない。城にすら人がいない。繋がれた鎖の先に、赤い髪をした肉奴隷が6人。
女だが、人質になっているのやら。
救出に向かってくる勇者といえば、塵芥のような連中ばかりで話にならなかった。
「いい加減、連中を殲滅するべきかもしれんな。あのような雑魚どもを手下にしても、つまらん」
回復しか取り柄のない女だ。再び起き上がって、構えを取るに。間合いは、1メートルない。
フィナルが動こうとすれば、
「それは、貴方の主観で!」
「したり顔で、ものを言う!」
崩拳、鈎打ちからの背撃。もんどり打って、つんのめった。腹からは、またも臓物が溢れ出し生きているのが不思議なくらいの損傷だ。
「女神の使徒にしては、よくやる方だ。だが、これではいじめだぞ」
「ふん。ならば、お前が相手をしてやればいいだろう」
ちょこんと横に伸びた鬣が生えた顔を左右に振る。盛り上がった筋肉に5mはある巨躯の達磨。雌獅子は、めんどくさがりでセリアだってフィナルの相手などしたくてしているのではない。
ただ、相手をしないと本国で神殿勢力が蠢動するから。
フィナルとセリアでは、修行僧として格闘家として歴然とした差がある。
それはもう、殺してきた人間の数だけある。
(ふっ。しょせん、護拳では殺人拳に勝てはしない。究極の極意が、戦わぬなどと)
不戦は、どこまでいっても逃避だ。
相対する戦場にあって、戦わぬなど恥以外の何者でもない。ちょっと前までは、首を上げることに熱心だったものの。それでは、次がない。だから、生かして帰しもするし見逃しもする。何故か? 勿論、次に食べる為だ。
石畳でできた通りにならぶ、勇士たちのそっ首。
(しかし、フィナルは喰えんから意味がない)
フィナルは、精神を統一している。無の境地にて、空を知る。そんなものができても、まあ。
空前裂火に線が間を走り、
「ふん、覇嗚呼ッ」
骨が砕けて、フィナルは口耳鼻から血を吹き出す。
「ぐっ、なぜ」
余人は夢柳に不可。夢を視ず、道を識らず、技を語らず。闘気に隠すならまだしも、無明ではいけない。
拳が、小さな体を捉える。気配を殺し、己を空っぽにしても、心臓の鼓動までは消せない。
故に。
黒い皮製の篭手は、容赦なく女に打撃を与え続け。骨が砕けて白い皮膚も破れる。
そうして、またも崩れ落ちた。
地べたが大好き。
「ふん。何遍やろうとも、結果は同じだ。お前には、決定的なものが足りない」
「・・・」
「私にはわからんが、足りないのか?」
空の間にしゃしゃり出て来る女。
雌獅子は、まだ付き合いが薄いせいだろう。それは、光を放つ形態でも同じ。使徒化しようとも足りていないものだ。
「ふっ。殺意がない。一撃で相手を殺す気。それが欠けている。適当な打撃で倒せるのは、雑魚までと知れ」
まだやる気なのか。少なくとも、拳王くらい持っていてまともにやりあえるのだ。
通りには、潜入してきたと視られる勇士の姿がある。
「私は、こんなのと遊んでいるからな。姿を見せたのなら、始末しておけ」
「わかっているが、あれは使わないのか」
黒い鎧姿のゴーレムを見上げる。傍らには、人が住んでいた家を壊して転がる白と赤で彩られた残骸。
フィナルが使ったゴーレムだ。再生するまで、少なくない時間がかかるだろう。
「まさか。ゴーレムを破壊する為ならまだしも、人間相手なら生身で十分」
「勇者どもは、殺してもいいか?」
「ふっ。お前が、手加減できるならな」
獅子国の金獅子たるチィチは、手加減などできないだろう。手加減をできるのは、圧倒的な強者のみ。
つまり言ってしまえば、セリアとフィナルにはそれくらい差がある。チィチとフィナルにもあるが。
まだ、フィナルに使っていない技は多い。試せる相手が、ユークリウッドくらいだ。
人の形を徐々に取り戻そうとするフィナルは、まるで不定形の魔物のようでもあった。
雌獅子は、金の体毛を揺らして音もなく地を蹴ると。耳障りな叫び声がした。
鎖が音を立てて、その先にある女たちの存在を気づかせる。
(餌の役目くらいにしかならん。そろそろ、持っていくか?)
見た目は、いい。奴隷として売り払うのもいいだろう。しかし、そうした時、ちらつくのはユークリウッドの顔だ。憤怒の闘気で、哀しい顔をするのだ。
さても、
「フィナル。お前は、何がしたい。強くなっても、私と戦っていては天井も知れんぞ」
肉が口を開けると。
「知っておりますわ」
「ほう? では、12の下僕も?」
「ええ。存じておりますとも」
覚悟は、あるということだ。何度、地獄へ送っても舞い戻ってくるのだから知っていても不思議ではない。問題は、亀のような歩みでしか強くなれないという事か。精神力は、計り知れない強靭さ。力を入れすぎて血の海にしてしまっても、死なない。
(ふん。知っているなら、何故だ)
上位者たちの顔を思い浮かべで、闘気が満ちるのを感じる。
強さを求めるにしても、フィナルの再生は異常だ。普通は、地獄や冥界に行って戻ってこれない。
死を乗り越えて、なお不滅。熱で塩にしても、まだ塩から血潮になる。
迂闊に食ってしまえば、体を乗っ取られかねないし。
「ただ1人を求める、か」
「いいえ? 独占は、悪です。最後の1人になれればよいのですから」
「それな。願って、叶うものか」
決して、人では神族には絶対に勝てない。永劫を生き抜いてきた相手だ。
簡単に倒せたら、拍子抜けもいいところ。
「貴方は、願いませんの?」
道に積み上げられた勇者であった人間たちの死体。動きは、ない。
「ふっ。おかげで、このザマだ」
かつて、狼神はただ1人の座を求めたという。
そして、破れたのだ。同格が、手を組めばどうして勝てよう。
力ならば、竜神が最強。数多の世界を支配し、人間を皆殺しにしてきた。
知ならば、機神が最強。数多の世界を支配し、人間を部品にしてきた。
狼は、何番目か。
果てしない螺旋の塔にあって、至尊の座を得るのは。至難だ。
「ふう。今日は、ここまでにしといてやりますわ」
大方、ユークリウッドの叫び声が聞こえているのだろう。
「私では、破壊しかできないからな」
「それで、治癒までこなしたのならわたくしの出番がありませんもの」
瓶に血を入れれば、神秘の秘薬ができる。面倒だが、聖女の血がポーション瓶へと変身だ。
ちまちまと掬っては、入れていく。
「血の流しすぎで、死なないのか」
「問題ありません。この程度で、死んでは司祭も務まりませんでしてよ」
きょとんとした顔が作られる。子供の体から大人の体になって、また縮んで。
フィナルは、赤い服を着る。ひらひらの袖口。白い花弁のようだ。
「この方たちは、蘇らせなくてよろしいのかしら」
「敵だ。必要ない」
「それもそうですわね。では、ご機嫌よう」
光の門を作り、手下の聖騎士たちを連れていく。
「一体、お前を駆り立てるのはなんなんだ」
門へ入ろうとするフィナルに問うと。
「愛、故に」
愛など。言わずば、良いものを。
間合いを詰めると。土手っ腹に穴を開ける一撃を叩き込む。余剰の白雷が、女の体を焼く。
諦めの悪い女は、目を剥いていた。
「ふっ」
狼拳 四肢弾壊。受ければ、内蔵から脳天に至るまで果実を潰すが如し。
容易く裏切る人が、言ってはいけない。だから、
(ユークリウッドが、愛を信じないのではないか)
愛の言葉が軽いのだ。




